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Books: 2017年8月アーカイブ

August 29, 2017

クラークの「2001年宇宙の旅」とアレックス・ノースのボツ・バージョン その2

●(承前) 映画「2001年宇宙の旅」でキューブリックはアレックス・ノースが書いたオリジナルの音楽をばっさりと没にして、代わって「仮の音楽」だったはずのクラシック音楽を用いてることになった。その際、キューブリックが削ったのはノースの音楽だけではない。作品をわかりやすくするためのナレーションも削られてしまった。ナレーションなし、オリジナルの音楽もなし、そしてこの映画では人間同士の会話も少ない。音声的に雄弁なのはここぞという場面で使われるリヒャルトとヨハンの両シュトラウスやリゲティの音楽、そしてHALとの「対話」シーンだろうか。おかげで映画に多数の解釈の余地が生まれ、深みのある作品になったことはまちがいない。アーサー・C・クラーク著の「2001年宇宙の旅」決定版(伊藤典夫訳/早川書房)の後書きによれば、当初、映画はこんなナレーションから始まる予定だったという。

 無情な旱魃は今日まで一千万年つづき、あと百万年は終わりそうもなかった。恐竜の時代はとうに過ぎ去っていたが、ここ、いつかアフリカと呼ばれるようになる大陸では、生存の戦いは新しい残虐なクライマックスを迎え、勝利者はまだ現れていなかった。

●つまり、これはクラークの小説版の冒頭とほぼ同じ。最初はずいぶん説明的な映画として構想されていたわけだ。映画でも小説でも冒頭はヒトザルのシーンから始まる。映画は小説よりもずっと展開が早く、ヒトザルはモノリスに触発されることで、動物の骨を道具や武器として使うという知恵を獲得する。狩りのシーンも挿入されていたと思うが、印象に残るのは水場を巡って対立する他の部族との争いのシーンだろう。武器を発明した部族は容易に戦いに勝利し、骨を空に放り投げる。宙を舞った骨が一瞬にして宇宙空間に浮かぶ衛星と入れかわって、「美しく青きドナウ」が流れ出す。歴史的な名シーンだ。
●この場面、先日再読して気がついたのだが、小説版ではずいぶん丹念に描かれている。ヒトザルはたしかに映画と同じように他の部族と対立しているのだが、それ以上に焦点が当たっているのは「飢え」。まだ狩りを知らないヒトザルはひたすら飢えているんである。一族のなかで巨人といえるほど体格のよかった「月を見るもの」でさえ、身長は150cm未満で体重は45キロ、ひどい栄養不良に苦しんでいた。凶暴な肉食獣のいるこの世界で、ヒトザルのごちそうといえば枯れ木の根株のなかにあるハチの巣がせいいっぱい。ところが、ヒトザルはモノリスのレッスンを受ける。ヒトザルのなかでもとくに素質のあるものがモノリスのもとに通い、やがて道具を使うことを覚え、ついに狩りをする。いったん、狩りを覚えたら、あとは簡単だ。なんの警戒もしていないイボイノシシを石の武器で打撃する。もはやヒトザルが飢えることは決してない。そこらじゅうに食糧があるのだから。クラークの文で特にいいなと思ったのは、狩りを知る前の飢えたヒトザルたちについての、こんな一文。

 豊穣のまっただなかで、彼らはゆっくりと餓死への道を進んでいるのだった。

●淡白な文体のなかで、ここだけが目立って詩的だと感じる。

August 23, 2017

ブライアン・オールディス追悼

●イギリスのSF作家ブライアン・オールディスが逝去。92歳。SNSを見ていると、みな一様に「まだ生きていたのか!」とびっくりしていた。たしかに「地球の長い午後」をはじめとする代表作が書かれたのは1970年代まで。以前、当欄でご紹介した「寄港地のない船」に至っては50年代の作。そこそこ翻訳されていたと思ったが、今amazonで見たら大半は絶版・品切状態の模様。もちろん電子化もされていない。
アミガサダケ●読んだのが昔なので中身はほとんど忘れているのだが、「地球の長い午後」は未来の地球で巨大な樹木が地表を覆いつくし、進化した食肉植物が食物連鎖の頂点に立ち、文明を失った人類がかろうじて生き延びている、という強烈な終末感に包まれた小説だった。知能を有するようになったアミガサダケが、主人公の脳に寄生して行動を支配するという設定がかなり気持ち悪い。そもそもアミガサダケとはどんなキノコなのか、この小説以外で見聞きしたことがあるのだろうか。で、気になって検索してみたら、こんな姿のキノコだった。なるほど、これはいくぶん禍々しい。なんだか脳っぽくて、いかにも進化するとヒトに寄生しそう。これ、欧米じゃ食べるらしいっすよ。うっ。
●自分は「地球の長い午後」よりも「マラキア・タペストリ」のほうが好きだった。架空の都市国家が舞台なんだけど、ヨーロッパの宮廷文化とファンタジーに登場するような想像上の動物が混在するような世界でくりひろげられる冒険譚で、「地球の長い午後」とはまるで違った絢爛豪華な世界の描写に圧倒された……ような気がする(うろ覚え)。今にして思うと、バロック・オペラ風の物語だったような? 復刊の可能性はあるだろうか。
●未読なんだけど、「グレイベアド―子供のいない惑星」では、子供が生まれなくなった平均年齢70歳の超ウルトラ高齢化した人間社会が舞台になっている。今の日本から見るとおそろしく先見性のある話かも。復刊するならこっちか。

アミガサダケ photo By TOMMES-WIKI [CC BY-SA 3.0 ], via Wikimedia Commons


August 18, 2017

クラークの「2001年宇宙の旅」とアレックス・ノースのボツ・バージョン

●とうの昔に読んだ本だが、ついKindle版で買い直してしまった。名作、アーサー・C・クラークの「2001年宇宙の旅」(伊藤典夫訳/早川書房)。「決定版」と記されていて、どうやら自分が読んだときとは翻訳が改稿されているらしい。これを機に再読してもいいかも。この本が書かれた時点では2001年は遠い未来であり、宇宙開発がずっと進んでいるという設定だったわけだが、現実には2017年になっても月への旅は容易になるどころか、むしろ遠のいてしまった。
●で、この本の後書きにもあるように、スタンリー・キューブリックは原作と同時進行で映画「2001年宇宙の旅」を撮影していた。当初、音楽を担当していたのはアレックス・ノース。作曲の依頼を受けたノースは、ニューヨークからロンドンに飛んでキューブリックと打合せをした。キューブリックは仮の音楽として、クラシック音楽を付けていた。こんなイメージで行きたい、というわけだ。ノースは仕事を引き受けたのだが、レコーディングまでの日があまりに短く、ぶっ倒れそうになりながら筆を進めて、当日は救急車でレコーディング・ルームに運ばれる騒ぎになったという。
●で、最初に40分ほどの音楽を仕上げ、オープニングテーマはキューブリックにも気に入ってもらえたのだが、その後、パタリと仕事の催促が来なくなった。しばらくすると、キューブリックからもうこれで十分だという連絡が入る。事の顛末をノースが知ったのはようやくニューヨークで試写会が開かれてから。なんと、ノースが書いた音楽はボツになり、代わりに当初キューブリックが付けていた「仮の音楽」がそのまま使われていた!
●ひどい話ではある。本当にひどい。で、後年、幻のノースのスコアはレコーディングされて、映画とは別に日の目を見ることになった。自分はこれを聴いていなかったのだが、この決定版の後書きを読んで、ふと存在を思い出し、Apple Musicで聴けるということに思い当たった。その録音がこちらの Alex North's 2001。そして、これを聴くとキューブリックの決断の正しさを思い知る。「ツァラトゥストラはかく語りき」や「美しく青きドナウ」がなかったら、あの映画の雰囲気はずいぶん違っていただろうし、宇宙空間には大量のBGMよりも静かな息づかいのほうがずっと似合っている。アレックス・ノースの職人芸になんら問題があったわけではなく、描いていたゴールが違いすぎたということなんだろう。

August 10, 2017

山賊ダイアリーSS(岡本健太郎著/イブニングコミックス)

●漫画を読む習慣はなかったのだが、Kindleで手軽に読めるようになってから、いくつか楽しみな作品ができてしまった。岡本健太郎著の「山賊ダイアリー」もそのひとつ。猟師のライセンスを持つ著者が山で銃や罠を用いてイノシシやシカや鳥を狩り、それをさばいて食べる。それだけの話が無性におもしろかった。そして、新シリーズ「山賊ダイアリーSS」では新たな展開が。クルマを手に入れた著者は、銃を預けて、モリを携えて海へと向かったんである。「魚突き」(スピアフィッシング)なるものの存在すらワタシは知らなかったんだが、これがまたワイルド。絶対にまねできない。車中泊で気ままな一人旅をしながら、各地の海に潜り、魚をモリで突く。そして食べる。この食べるシーンが実にうまそう。イシダイを刺身にして、サヨリを塩焼きにするキャンプ飯。じゅるり(←よだれの音)。
●で、これは前シリーズにもいえるんだけど、やっぱり危険なんすよね、狩猟も漁も。正しくやれば大丈夫なんだろうだけど、一歩まちがうと怖いことになりかねない。海に潜れば息が続かないかもしれないし、危険生物もいる。そこのところはあんまりクローズアップされていないけど、抑えたタッチの話のなかにひそむスリルがおもしろさにつながっている。人が自然を美しいと思い、憧れを感じるのは、それが本質的に凶暴で危険なものだから、という思いを新たにする。

August 3, 2017

「影裏」(沼田真佑著/文藝春秋)

●どこの本屋さんに行ってもたくさん積んである第157回芥川賞受賞、「影裏」(沼田真佑著/文藝春秋)。紹介文を読んでみてもなんの話がぜんぜんわからなかったのが逆に気になって、読んでしまった。中篇というか、長めの短篇くらいの長さ、しかし文体は濃密。会社の出向で岩手に移り住んだ主人公が、ある同僚と親しくなり釣り仲間になる。やがて同僚は転職し、疎遠な間柄となる。震災をきっかけに、主人公は同僚のもう一つの顔を知ることになる……といったあらすじ。淡々とした日常の描写のなかから、やがて震災と性的マイノリティがテーマになった話だということがわかってくる。が、一定の距離感を保った描き方で、そこに目を向けなくても小説として読めてしまう。いちばん魅力的なのは釣りの場面。釣りなど一度もやったことがない自分が読んでも魅了される。もう釣り小説でいいじゃん!ってくらいに。
●で、読み終えてどうしても連想せずにはいられなかったんだけど、これってブリテンのオペラ「ピーター・グライムズ」とすごく重なってる。だって、海があって漁があって(釣りだけど)、嵐がやってきて、マイノリティの話で。
●この同僚の人物像が生々しい。ああ、こういう人、よく知っている気がする。そしてこの人物の父親が語る場面がハイライト。痛烈で、リアル。

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