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Books: 2025年5月アーカイブ

May 30, 2025

最近の音楽書から──「世界史×音楽史 知っておきたい! 近代ヨーロッパ史とクラシック音楽」「クラシック音楽への招待 子どものための50のとびら」「三月一一日のシューベルト 音楽批評の試み」

●音楽書の話題をいくつか。先日、ラ・フォル・ジュルネTOKYOの会場で広瀬大介さん、飯田有抄さんにたまたま会ったら、おふたりとも近著を持参していて「どうぞ」と渡してくれたのだ。えっ、いいんですか……っていうか、そんなうまい具合に持ち歩いているもの? 何冊もカバンに忍ばせてあったりするのだろうか。
●「世界史×音楽史 知っておきたい! 近代ヨーロッパ史とクラシック音楽」(広瀬大介著/音楽之友社)は、音楽の歴史を世界史の流れのなかでとらえ直す一冊。書名に近代ヨーロッパ史とあるように、第1章「啓蒙主義時代」から始まって、第9章「二つの世界大戦と作曲家」で終わる。で、最初から読んでもよかったんだけど、気になったので、まず最後の章を読んだ。ショスタコーヴィチとかブリテンとかバーンスタインの話を読みたかったので。バーンスタインは「キャンディード」がとりあげられていて、これが本書のおしまい。その後、第1章「啓蒙主義時代」に戻って読みはじめたら、ヴォルテールの「カンディード」の話が出てきて、「あっ、この本って最初と最後がつながるんだ」と先に気づいた(堂々とネタバレ)。
●こういう題材だと教科書的な記述になりがちなんだけど、この本はちゃんと読み物として、ページをめくりたくなるように書かれている。どういうことかっていうと、教科書とか講義みたいなものは受け手の側に「学ばなきゃいけない」「聴講しなければいけない」という義務が自然発生しているけど、一般の書籍はそうではない。読者の側は退屈したらいつでもパタンと本を閉じてサヨナラできる。常に読者がNGを出す側で、書き手は出される側。だから読者に「その先を読みたいな」っていう好奇心を抱かせ続けなければいけないのだが、そこに成功していると思う。あと、ライター目線でいえば、「です・ます」体の文章が見事。「です・ます」体は「だ・である」体よりも格段に難しいのだが(本当に)、お手本になる。
●「クラシック音楽への招待 子どものための50のとびら」(飯田有抄著/音楽之友社)は、小・中学生向けの入門書。一見、柔らかそうな体裁だが、実はこれは野心作だと思う。ふつうならイラストやマンガの助けを借りて読ませるところを、この本はとことん文章を読ませるのだ。文章量は子供向けとしてはかなり多い。これは目から鱗で、本好きの小学生はほとんどの大人より本をたくさん読むし、文章を読むのが大好き。本好きの子供に届く一冊だと思う。内容的にも、子供向けの体裁ながら(総ルビ)、実は大人向けの入門書としても立派に機能している。
●同じ版元つながりで、もう一冊。少し発売から時間が経ってしまったが、「三月一一日のシューベルト 音楽批評の試み」(舩木篤也著/音楽之友社)。著者と担当編集者の二人三脚から生まれた渾身の一冊で、月刊誌「レコード芸術」の連載「コントラプンクテ 音楽の日月」を大幅に加筆して単行本化したもの。装幀からして相当なこだわりが伝わってくるが、中身も骨太。これが本来の音楽評論というものだろう。「レコ芸」だからできた連載だったはずで、かつての吉田秀和連載を思い出しながら読んだ。どの章も読みごたえがあるのだが、「メメント・モリ ブラームスと永続性」の章がとくにすごい。これが舩木さん初の単著だというのが意外だったけど、これ以上ない形で著書が出たのでは。今、こういった本はなかなか出せない。

May 20, 2025

「ヴィクトリア朝時代のインターネット」(トム・スタンデージ)

●これはとてもおもしろかった。トム・スタンデージ著の「ヴィクトリア朝時代のインターネット」(服部桂訳/ハヤカワ文庫NF)。長らく入手困難だったネット業界のカルト的名著が文庫化されて復活。書名を見て「?」となるが、もちろんヴィクトリア朝時代にインターネットはない。が、ある意味でその前身とでも言えるテクノロジー、すなわち電信(テレグラフ)が発明された。モールス信号のトンとツーの2ビットで情報を伝えるという技術は、デジタル通信そのもの。その電信の発明史を記したのが本書。19世紀に即時的に情報を伝える高速ネットワークが発達したという歴史が自分にはまったく見えていなかったので、ワクワクしながら読んだ。そしてこの高速ネットワークに対して、インターネットが世に現れたときとそっくりの反応が起きているのがおもしろい。新しいテクノロジーの途方もない可能性に気づいた先駆者たちが熱狂する一方、世間の理解はなかなか追いつかない。だが、電信がもたらす圧倒的な情報伝達の速度が、戦争やビジネスにおいて決定的な優位を生むことが次第に明らかになってゆく。情報という観点からすると、世界は急速に狭くなったわけだが、これに抵抗を示したのが外交官だったという話も印象的だった。

 外交官は伝統的に事にあたっては、ゆっくりと慎重な対応をすることを好んでいたが、電信は即時に反応することを促すので、「これがわれわれの仕事に非常に望ましいことなのかどうかわからない」とクリミア戦争時の英国の外交官エドモンド・ハモンドは警告を発している。彼は外交官が結局は「本当はもっといい考えがあるのに、用意もないままに対応してしまう」ことを恐れていた。

●メールとかメッセージアプリに「即レス」を求められる現代のビジネスマンの姿が重なって見える。
●新しい技術を利用した詐欺が考案されたり、電信のオペレーターが通信を通じて交際して結ばれる「ネット婚」があったり、暗号の開発がありハッカーによる解読があるといった展開は、インターネット時代とまさしく瓜二つ。ワタシたちのインターネットって「2周目」だったんだ、とすら感じる。

May 9, 2025

「わたしたちの怪獣」(久永実木彦)

●最近読んだ小説のなかで抜群におもしろいと思ったのが、「わたしたちの怪獣」 (久永実木彦著/創元SF文庫)。4篇からなる短篇集だが、すべてが傑作だと思った。表題作「わたしたちの怪獣」では、父と姉妹の3人家族の間に起きたある事件と、東京湾に巨大怪獣が出現する災厄が交叉する。怪獣はしばしば自然災害のメタファーとして描かれるが、ここでは怪獣に父の姿が投影される。学校の国語の教科書に載せるべき怪獣小説の金字塔だと思う。
●表題作だけでも秀逸なのだが、さらに気に入ったのが「ぴぴぴ・ぴっぴぴ」。タイムトラベルが実現した未来で、起きてしまった災害や事故をなかったことにするために時間局が設立され、主人公はその職員として働いている。過去を改変して、災害や事故を未然に防ぐのだ。古典的な物語なら主人公はヒーローだが、この物語での時間局の職員は誰にでもできる仕事をこなす底辺労働者でしかない。労働者小説でもあり、純然たる時間SFでもある。未来から現在に戻る際に、個室トイレのような仕切られた小空間が必要という設定がおかしい。
●「『アタック・オブ・ザ・キラートマト』を観ながら」はゾンビ小説。真っ赤な頭のゾンビたちが豊島区方面から走ってくる。全力疾走するタイプのゾンビだ。「ゾンビ」映画の古典、ジョージ・A・ロメロの「ゾンビ」では主人公らはショッピングモールに留まるが、この小説では映画館に立てこもる。

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