May 13, 2004

「地獄の黙示録」再見

地獄の黙示録 特別完全版「地獄の黙示録 特別完全版」を観た。もともと2時間半あったあの大作が、3時間超で帰ってきた。20年以上前、ワタシはこの映画のオリジナル版を映画館で見ている。当時はあまりにもガキだったので、この作品のほぼすべてを理解できなかった(一方でガキ特有の記憶力によって、ほとんどの場面が鮮明に頭の中に焼き付けられた)。これを大人になった今見ると、どうなるか。
●表面上のストーリーはとてもシンプルである。舞台はベトナム戦争。元エリート兵士だったカーツ大佐が、密林の奥地に自らの王国を築いた。主人公ウィラードはカーツ暗殺という特殊任務を遂行しようと、ジャングルに向かう。ただそれだけの筋がうまく追えなかったのは、自分が子どもだったからに尽きるが、しかし物語の意味は大人の目で見てもやっぱり晦渋で、重層的である。
●神話的な人物カーツ大佐の行動をどう解釈するか。白人が未開社会で王として君臨するという定型に押し込められる物語ではない。戦時という特殊な条理の世界の中で生き残るためには、あらゆる人々が自分だけの条理をゼロから組み立てなければならなかった。カーツは全能性を持った人物であったがゆえに、ゼロから王国を築き、カリスマと狂気、無慈悲さによって人を支配した。だが、今回見て思ったのは、カーツだけがカーツではなかったということ。
●たとえば、あまりにも有名な「ワルキューレの騎行」のシーン。ヘリコプターをヴァルキリーに見立てて、名曲に乗せてベトコンが潜伏する村を強襲する場面。ここで登場するタフガイのキルゴア中佐は、カーツにはなれなかったカーツである。彼も戦場のなかで、ゼロから自分の条理を組み立てた。キルゴア中佐はサーフィンをしたかった。サーフィンをしたいという理由で、ワーグナーをかけながらベトナム人をヘリから襲撃する。しかし傷ついた子どもをどうするかと問われるとヘリに乗せて病院へ運べと命ずる。隊員の元プロサーファーに最大の敬意を払う。敵から攻撃を受けても絶対に被弾しないと信じており、まったく動じることがない。部下からの信頼は厚い。つまり常時であれば奇人であるが、キルゴア中佐はゼロから組み立てた自身の条理によって、彼の部隊という縮小形の「カーツの王国」を築いていたように見える。同様のことは完全版で追加されたジャングルの中に植民するフランス人一族にもいえ、ここにもささやかな王国がある。
●王国を持たない主人公ウィラードは、ジャングルの川を遡り、カーツに到達する。牛の屠殺シーンを挿入しながらの暗殺の場面を経て、ウィラードはカーツから王国を引き継いだ……と一瞬思わせた後、彼は武器を捨ててカーツの王国を後にする。ここも初見ではまったく意味不明の場面だった。ドアーズの「ジ・エンド」が被さって、その歌詞内容からも「父殺し」が示唆され、最悪の通過儀礼とも見て取れるが、むしろ今回改めて印象に残ったのは、強大な父権的存在であったカーツの実像が、案外と矮小であるということだった。ワタシは終幕をウィラードのカーツに対する失望の場面と解した。幻視の王国は現実の狂気と対峙し、崩落したのだと。

P.S.1
今回の特別完全版は初回公開時は見逃したが、なんとか名画座系映画館での上映スケジュールを追いかけ、スクリーンで見ることができた(とっくにDVD出てるけど)。「ワルキューレの騎行」は鳥肌モノ。さらにドアーズの「ジ・エンド」も猛烈に懐かしかった。多感な時期に感動した音楽って、色褪せないものっすね。
P.S.2
この映画、20年前だから訳題が「地獄の黙示録」だったけど、今初公開されたら絶対カタカナでそのまんまだろう。すなわち、「アポカリプス・ナウ」。萎えそ……。

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「地獄の黙示録」が公開されたの1980年ですから、もう20年以上も前になります。当時私は高校生でありましたが、劇場で観た時は、衝撃と興奮と混乱に陥ってしまったことを覚えています。2001年には大幅にカットを加えた特別完全版が劇場公開されましたが、こちらは劇場で... 続きを読む

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