February 6, 2006

フーリガンの社会学(ドミニック・ボダン著)

フーリガンの社会学フーリガンの社会学(ドミニック・ボダン著/白水社 文庫クセジュ)を読んでいる。薄い新書なのでフーリガニズムに対する基本的な見取り図となってくれるもので、メディアが伝えるステレオタイプのフーリガン像への冷静な反論を社会学の立場から述べている。でもそういう本筋の部分より、フランスの学者が書いているってところで新鮮味があって、前提としてアングロ・サクソンは他者で、それに対してフランスはどうかという視点がある。そもそもステレオタイプのフーリガン像っていうのが、ワタシらには定着してないと思うがこんな感じだ。

 ジャーナリストたちは、アングロ・サクソンのフーリガン現象についての解釈を大量に、かつ反復して報道し、フーリガンの集団像を作り上げることに広く貢献してしまったのである。つまり、フーリガンというのは、若く、社会に適合できず、日常生活でも軽犯罪を犯していて、アルコール漬けのイギリス人、という像に結実したのである。

 そういう島国の問題だと思ってたけど、フランスでも近年は深刻な暴力問題が起きてるし、だいたいフーリガンは低階層の飲んだくれ失業者ってわけでもないって話。これ読むと、日本のJリーグのスタジアム(ゴール裏)とヨーロッパのフーリガニズムは全然つながってないのを実感する。そもそも出発点が違ってるから。幸いなことである。
 おもしろかったのは時代の感性によって暴力をどこまで許容できるかは違ってるという見方。例として50年代のダンス・ホールが挙げられている。

ダンス・ホールはどれも最終的に乱闘騒ぎでお開きになるのが「普通」であって、それは十分に予想可能なことに思えた。しかしこんにちでは、同様のことが毎土曜日のディスコで起これば、なにか信じがたいことのように思われる。

 そりゃそんな「普通」はそりゃ受け入れられんよなあ、今は。暴力の意味は時代と場所によって変わるから、ありふれた騒乱と暴力事件を区別して定量的に扱うのが難しいという学者の立場からの記述。身体感覚ゼロの本なので、現場感覚100%の「フーリガン 最悪の自叙伝」(ミッキー・フランシス著)あたりを併読するといいかもしれない。

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