March 20, 2007

ピアニストは二度死ぬ(クリストファー・ミラー著)

ピアニストは二度死ぬ●音楽ファンのために書かれた今年度最大の怪作(笑)。「ピアニストは二度死ぬ」(クリストファー・ミラー著、石原未奈子訳/ブルース・インターアクションズ)。一般の読者にもアピールするようにとこのような邦題になっているのだが、この小説の趣旨は原題を見れば即座に理解できる。こんなタイトルだ。

SIMON SILBER : Works for Solo Piano

 ね。つまりこの本は、サイモン・シルバーなる作曲家&ピアニストの作品集である4枚組CDボックス……に添えられたライナーノーツという趣向なのだ。4枚組CDに400ページ近いライナーノーツが付いていることになる(!)。解説を書いたのはサイモン・シルバーに雇われた伝記作家ノーマン・フェアウェザーJr(という設定ね。実際にCDブックになってるわけじゃない)。では作曲家サイモン・シルバー、それにライナーを書いたノーマンとはどんな人なのか。
●そうだなあ、一言でいえば二人とも天才じゃまったくなくて(いや本人は天才を自認していたかもしれない。自分で自分にウソをつくことで)、なんつうか、とことんダメというか変人というか。その描写の冴え、著者の底意地の悪さには舌を巻く。
●たとえばサイモン・シルバーはこんな鬼才だ。幼少時から父親にその天才性を純粋培養させるべく、一つの例外をのぞきあらゆる音楽を耳にすることを禁じられた。例外とは音楽室でループで流れるベートーヴェンの後期弦楽四重奏曲。昼夜を問わず、サイモン少年がそこにいようがいまいが、それどころかピアノの練習をしていようが、ずっと深遠なる晩年のベートーヴェンが流されていた。
●で、作曲家サイモン・シルバーはどんな作品を書いたか。それはこの大部なライナーノーツ(笑)にいくつも紹介されているわけだが、これなんかステキじゃないだろうか。「バベッジ置換曲」。これはシューマンの「アベッグ変奏曲」にインスパイアされて書かれたと思われる。そう、勘の鋭い方はおわかりだろう。アベッグ変奏曲といえば音名 ABEGG を主題とした変奏曲である。それに対してBABBAGE置換曲……ぷぷぷ、あんた、おもしろすぎるよっ!
●サイモン・シルバー、恐るべき鬼才である。さすが、グレン・グールドに「永遠に憧れ、恨んでいた人物」である。そして、このライナーを書いている雇われ伝記作家ノーマンもまた、この世で本人以外誰一人理解してくれない天才(候補)なのだ。ノーマンは金言作家で、過去に一冊金言集を書いている。じっと世間が自分の天才を発掘してくれるのを待ちながら、田舎町で変人ピアニストの伝記を書かされているのだ。二人が散歩するときはこんなシーンが現れる。ノーマンは「これだ!」という金言を思いつくとテープレコーダーにそれを吹き込む(どうせ後から書き起こしたりはしないんだが)。サイモン・シルバーもミューズの神が舞い降りてきたときに、テープレコーダーに思いついたメロディを口ずさんで録音する。すごいな、創造者たち。
●これ、念のため言っておくと、ダメ男を高みから見下ろして嘲笑しているような本ではない。音楽を作ったりモノを書いたりするような創造的な行為に対して、真摯な敬意や畏怖の念があるからこそ、この種のユーモアは成立する。で、飛躍したことを言ってしまうと、ワタシはこれを読みながら思ったのだ、これは理想のライナーノーツだ、と。理想のライナーノーツは小説という形態を採るしかない、きっとおそらく確実に。

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