October 9, 2007

「私はフェルメール」その2

●3つ前のエントリー、「私はフェルメール」の続き。才能のある作曲家がバッハやベートーヴェンの完璧な贋作を書いたとしても、それが真作として信じられる以上、(パブリック・ドメインとなるので)贋作曲家は1円も手にすることができない、と書いた。でもよく考えたらそんなことないっすね、自筆譜まで用意できるのなら。少し前にベートーヴェンのピアノ連弾用大フーガ自筆譜が発見されてサザビーズで競売にかけられたっていうニュースがあったではないか。落札価格は2億3千万円だった。これが交響曲第10番の自筆譜ならずっと高額でもおかしくない。ファン・メーヘレンのように莫大な財産を手にするとまではいかなくても、宝くじ級の大金にはなりそう。
●ファン・メーヘレンの戦略に倣うとすれば、まず18~19世紀の紙とインクを調達しなければならない。17世紀絵画はギャラリーで買うことができたけど、楽譜はどこで買うんでしょか(笑)。ていうか、絵の具と違ってインクを剥ぎ落とすのは難しそうだから、未使用の紙を手に入れなきゃいけないのか。これは難問かもしれん。
●でもやっぱり最大の問題は肝心の作品。ベートーヴェンっぽい曲を書ける人はいくらでもいるだろうけど、ベートーヴェンっぽい「傑作」を書ける人はいるんだろうか。みんなが大好きになるような「第十」、コンサートのレパートリーになって繰り返し演奏されるような、ベートーヴェンの専門家が感涙に咽ぶ名曲を。
●もしそんな曲が書かれたら、ベートーヴェンの交響曲全集を録音した現役指揮者は、全員第10番を追加で録音させられること確実。そして嵐のような第10番ブームが吹き荒れて、その後、この作品が贋作者の手によるものと判明したとする。この場合、ファン・メーヘレンによる贋フェルメール「エマオのキリスト」が美術館の片隅に追いやられたように、作品の価値は暴落するのだろうか。それとも贋作者の評価が暴騰して、新作交響曲を委嘱されたりするんだろうか。ワタシとしては、既存の9曲と同じくらいの傑作なら、新作は10曲でも20曲でも大歓迎だ。贋作者には「ベートーヴェソ」と名乗っていただきたい。

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