March 7, 2008

不条理ドラマ「マノン・レスコー」

●もう20年以上も大昔なんだけど、ディーン・R・クーンツ「ベストセラー小説の書き方」を読んで(←そんなの読むなよっ)、いまだに覚えている「ベストセラーの条件」ってのがいくつかあって、そのひとつが「主人公は愚かであってはならない」。主要登場人物がバカすぎると読者は共感してくれない、と。いま一つピンと来なかったんだけど、クーンツは実際にベストセラー作家だから、そんなものかと記憶に残った。
プッチーニ●で、「METライブビューイング」で見てて思い出したんだけど、プッチーニの「マノン・レスコー」ってクーンツに叱られそうな脚本っすよね。マノンは愛よりもお金、というか、愛があれば富がほしくなるし、でもセレブ(ていうか愛妾か)になって愛を失うと愛のほうが大事に思えて、結局すべてを失う。まるで水面に映った骨をくわえた己の姿を見てワンと吠えた犬みたいな女子で、これは普遍のテーマだからいいとしても、デ・グリューまでいっしょになって愚かなのがやるせない。
●デ・グリューがどうして第4幕までマノンに誠実でいられるのかがわからない。いや、それ以上に途中でマノンのお兄さん(この人のやることは一から十まで動機不明で銀河最大の謎)が、大臣の屋敷でマノンに向かって言うじゃないですか。「実はデ・グリューはお前を助け出すために、いま一生懸命賭博に打ち込んでおる。この私が指南してやったからきっと大丈夫だよ、ワハハハハ」。って、それダメすぎじゃん!!  デ・グリューは努力の方向をまちがいすぎ。「麻雀放浪記」じゃないんだから。あなたドサ健気取りですか。そんな愚かすぎるデ・グリューが、愛に生きてムダ死にするから、ホント、第3幕以降は見てらんない。おい、どうしてお前さんまでアメリカに島流しになるんだよ! 落ち着け、デ・グリュー。
●でもなー。音楽的には最高なんですよ、「マノン・レスコー」は。アリアはみんなすばらしいし、ステキな間奏曲もあるし、第2幕の終わりのジェロンテが憲兵を呼んで来るあたりのスリリングな場面なんかも本当にドキドキする。
●第3幕の港のシーンは、マノンが娼婦としてフランスの植民地であるルイジアナに売り飛ばされるっていうことなんだけど、「罪を犯してアメリカに島流し」っていうのが今はなかなかわかりにくいよなー。きょうびアメリカから追放される人はいっぱいいるけど、アメリカに追放される人はなかなかいない。で、4幕で砂漠をトボトボと二人で歩いてて、いきなりもう衰弱して死ぬしかない状況に追い込まれていて、3幕と4幕の間に何が起きたのか全然わからん(また逃げたの?)。砂漠で水も食料もなく、地平線までなにもない。ある意味、もっとも見たくない陰惨な死の光景。で、なぜかここで同じくプッチーニの「西部の娘」のラストが勝手に脳内混信してきて、いつの間にかワタシの頭の中では「西部の娘」の二人、ミニーとジョンソンが砂漠の中の絶望的な逃避行をしていることになっている。
●今の商業映画だったら、第4幕はハッピーエンドに書き直せってプロデューサーから命じられるかもしれない。賛成しなくもない。ただ砂漠の真ん中で二人が救われるには、どんなプロットを用意すればいいのやら。クーンツ先生ならきっと超自然の力でなんとかしてくれるのかもしれないが。

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