March 2, 2009

執事小説

●少し前に、フジテレビのドラマ「メイちゃんの執事」(見てません)のおかげで、執事カフェの人気が再燃中みたいなニュースを目にしたんだけど、ここでいう執事ってイケメン必須なのはともかくとして、基本若者なんすよね、おそらく。なんか執事カフェの給仕っていうと、どっちかって言うとホストみたいな人がやってて、藤村俊二みたいな人は見当たらない気がする。
「日の名残り」●執事といえば、執事小説の傑作として忘れられないのがカズオ・イシグロの「日の名残り」。第二次世界大戦直後のイギリスを舞台に、名家の執事スティーブンスが古きよき時代を回想しながら、独白を綴る。仕えるべき屋敷の主人が英国貴族からアメリカ人富豪に変わったように、時代は大きな変わり目を迎えている。執事スティーブンスは主人から与えられた休暇に、美しいイギリスの田園地帯を旅しながら、かつての栄光の日々や来るべき時代に思いを馳せ、執事の品格とは何か、あるべき理想の執事の姿とはどのようなものかと静かに思索する。
●で、もう古典に近い名作だからスジを少し割るけど、これほどイジワルな小説もないんである。というのも、さんざん読者に名家の執事ライフに共感させておいて(でもときどき「あれ?」と思わせながら)、終盤、主人公がある懐かしい人に再会することをきっかけとして、世界ががらりと変わって見える。そこで描かれるのは、人というものがいかに自己肯定的で独善的なものか、ということ。偉そうに立派に執事の職務を遂行して人生を振り返っているかと思えば、裏を返すと、人情の機微ひとつもわからないで人生を棒に振った愚か者でもあり、しかもその仕事の本質も到底世のためになったとはいいがたいものだという醜く残酷な現実が見えてくる。
●しかし人は自分が送ってきた人生を否定などできないものだ。うすうす何かに感づいていても、リタイアする年齢になれば「オレはこんなふうによくやってきたのだ」と考えることしかできないのがフツー。ある一瞬にその強固な自己肯定の鎧が破れ、執事スティーブンスの中から人間スティーブンスが見えるのだが、最後にはまたその鎧に帰ってゆく。その皮肉な寂しさといったらない。でもこれが世の真実。
●人によっては前半の美しい世界に魅了され、肝心の終盤の出来事が「ピンと来ない」かもしれない。身の回りのあの人もこの人もスティーブンスだし、未来の自分も確実にスティーブンスと同じ罠に落ちるだろうというところに共感できるかどうか。タイトルなった「日の名残り」という言葉が使われる場面の底意地の悪さと来たら、もう全身掻き毟りたくなるほど見事。主人公をこんな目に遭わせておいて、「日の名残り」が、つまりこれからの人生がいちばんすばらしいだとぉ? どの口が言うかっ!

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