March 31, 2009

プッチーニ「蝶々夫人」@METライブビューイング

メト●またしてもMETライブビューイングでプッチーニ。実に美しい舞台で圧倒された。演出は映画「イングリッシュ・ペイシェント」監督の故アンソニー・ミンゲラ。障子や提灯といった和風アイテムを駆使しながら、メトにしては簡素な舞台に繊細でしかも鮮烈な舞台を作り出していた。日頃、オペラの演出なんてどうでもいいやみたいに思ったりすることもあるが、こういう非凡な才能を目の当たりにすると演出の重要性を痛感しないわけには行かない。センスがいいし、ていねい。都内では4月3日まで上映中。
●「蝶々夫人」を見る日本人はどうしたって似非ジャポニズムと折り合いをつけなければいけない。このアンソニー・ミンゲラもインチキニッポン大盛り満載なんだけど、にもかかわらず物語内世界では真正性を感じさせる。だいたいワタシをはじめ90%以上の日本人は日本の伝統的な美意識や伝統芸能について何も知らないも同然なわけで(少なくともワタシよりアンソニー・ミンゲラのほうがよく知ってると思う)、メトの舞台を見るときは日本人でも「蝶々夫人」をアメリカ人の目から見てぜんぜんおかしくない。へー、あの着物の女性の踊りは日本舞踊か何か?みたいな。
●あとこの演出の切れ味の鋭さを感じるのは、蝶々さんの子どもに子役を使わずにパペットを使ってるところ。黒衣が三人がかりで人形を動かす。つまり文楽みたいな感じなんだけど、実際に受け持っているのはロンドンのブラインド・サミット・シアターのメンバー。これは二重にいいアイディアで、まず本物の子どもだと何をしでかすかわからないから物語と関係ないところでハラハラしなきゃいけなくなるけど、そういう心配から解放される(と歌手は言ってた)。もう一つはパペットは本物の演技ができること。パペットの顔は無表情で、髪もなくてのっぺりしてるんだけど、だからこそ人形遣いがいくらでも「彼」の感情を表現できる。あるときは喜んでるし、あるときは不安そうにしている、あるときは無邪気にきょとんとしている。で、ワタシは感動したんだけど、カメラが「彼」をとらえると、後ろの黒衣たちの表情がかすかに見えるんすよ、頭巾の紗布の向こう側に透けて。黒衣の素顔はまさにパペットと一心同体、喜んだり、不安そうにしたり、無邪気にしたり、筋や音楽と同期して細かくいろんな顔を作っている。まるで彼らの感情がそのままパペットに乗り移るのだといわんばかりに。本物の劇場では絶対見えないものが見えてドキドキした。
●蝶々さんは予定されていたガリャルド=ドマスが降りてパトリシア・ラセットに。ピンカートンはマルチェッロ・ジョルダーニ、シャープレスはドゥウェイン・クロフト、スズキにマリア・ジフチャック。蝶々さんの年齢設定は15歳だ。15歳で盛りを過ぎた女性として嫁ぐんである。蝶々さんは何の疑いもなくピンカートンを夫としてとことん愛するが、海軍士官ピンカートンにしてみれば、これは赴任先の辺境の地で買った現地妻、本当のフィアンセはアメリカにいる。ピンカートンは蝶々さんを捨てる。捨てられても蝶々さんは夫を信じて彼の帰りを待ち続け、3年の月日が流れる……。
●はっ。ここで名作オペラのあらすじを紹介してどうする。えっと何を言おうかと思ったかというと、この純粋な蝶々さん@15歳をオペラでは3倍くらいの年齢の外国人中年女性が演じたりするわけだ。蝶々さんは理不尽に不幸な目にあう話だし、役柄にも無理のある歌手がうたうことが多いから、ワタシはこの作品を敬遠しがちなんだけど、パトリシア・ラセットは途中から本当に蝶々さんに思えた。表情は無垢、でも声は強靭。
●むしろこの物語で歌手の役柄が重要なのはピンカートンかもしれない。ピンカートンの年齢は何歳だろう。調べないけど、かなり若いはず。1幕で「世界中の女をモノにしたい」みたいに歌う。蝶々さんが少女であるように、ピンカートンもきっと20歳とかそれくらいで、イケイケの遊びたい盛りで、外国に行けばハジけちゃうし、自分の行動で相手の女性が深く傷つくとかそんなことなんて考えもしない、ある意味フツーの若者、ありがちな男子だ。だからマルチェッロ・ジョルダーニのほうこそダイエットをしてほしかった……。笑。いや笑い事じゃないんだけどホントは。
●パトリック・サマーズ指揮のオーケストラも期待以上。あっ、そうそう、1幕の終わりでピンカートンが蝶々さんを「お姫さま抱っこ」したところは笑った。スゴい、マルチェッロ・ジョルダーニ。ワタシなら絶対ぎっくり腰。
●というわけで、深い感銘を残した屈指の傑作プロダクションであるが、それでもやっぱり「蝶々夫人」は先日の「カルメル会修道女の対話」と同じ理由で好きになれない。音楽的には最強なんだけど、物語上の結末が受け入れられない。その点、「つばめ」は良いのだなあ、バッドエンドであっても。

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