November 18, 2010

METライブビューイング「ボリス・ゴドゥノフ」

ボリス・ゴドゥノフMETライブビューイング、シーズン開幕の「ラインの黄金」は見逃したが、第2作ムソルグスキー「ボリス・ゴドゥノフ」は見た。ルネ・パーペ圧巻の表題役。歌もすごいが顔芸もすごい。周りがほぼ全員ロシア人歌手、もちろんロシア語歌唱のなかでドイツ人一人が主役を歌っているのに、微塵のアウェイ感も感じさせず、誰がどう見てもボリスであり、ツァーリであった。指揮はゲルギエフ。
●で、このオペラなんすけど。長い。非常に寝不足状態だったので、プロローグ~第1幕~第2幕からなる前半で何度か落ちた(オペラとはいえ映画なので館内は真っ暗)。いや、もしワタシがこの作品を初演しようという劇場主だとしたら、不遜にも作曲家にいくつか注文を付けたくなっただろう。セリフを刈り込め。簡潔に。前半はもっと短く、と。第3幕も少々説明的と感じたかもしれない。しかし第4幕を見たらそんなことは全部吹っ飛んだ。
●これ、物語の凄み、厚みという点で並大抵のオペラじゃないんすよね、ボリス・ゴドゥノフは、史実からして。一言でいえばみんな狂人ばかり。本当はただの下級貴族出身のボリス・ゴドゥノフは幼い皇位継承者ドミトリーを殺害して皇帝となったと疑われる。ボリスは、統治者として人民の安寧を願っているにもかかわらず、民衆からも貴族からも子供殺しの簒奪者とウワサされ猜疑心に苛まれる。権力を手にしても幸福になれない男。ワタシはボリスを「本当はドミトリーを殺していないのに狂気に飲み込まれてしまいに殺したと信じてしまった男」だと解して見た。
●そして「実はドミトリーは死んでいない、われこそはドミトリーであり正当な皇帝だ」と僭称する偽ドミトリーが出てくる。正体はただの修道士だ。彼は反ボリス勢力を味方につけて、ボリスの死に乗じて僭王となる。民衆は身勝手なもので、パンがなければそれは為政者一人のせいだと断じ、ボリスを憎み、偽ドミトリーを称える。貴族たちだって偽ドミトリーが本当はドミトリーじゃないことなど百も承知で、都合よく神輿を担ぐ。ただ、偽ドミトリーはおそらく僭称しているうちに、やはり狂気に飲み込まれて自分を本物のドミトリーと信じるようになったのではないか。
●最初から明らかに狂っている登場人物は「聖なる愚者」だ。周りがおかしいと、しばしば狂人だけがまともに見えてくることがある。
●第4幕、偽ドミトリーが登場するシーンの暴力性は衝撃的だった。といっても、スティーヴン・ワズワースの演出は生々しい直接表現ではぜんぜんない。貴族を血に飢えた民衆たちが取り囲む。貴族の喉にナイフを当てて切り裂く。群衆の中に一人、正気を保った平民の女がいた。女は人々の暴力を止めに入った。すると、人々はその女をも殺すのだ。それだけでは飽き足らない。一人の貴族の自由を奪った上で、もう一人の貴族に「コイツを殺さなければお前の喉を切り裂く」と脅す。それを見て男たちも女たちも楽しんでいる。つまり民衆もみな狂人なのだ。このオペラにでてくるのはキチガイばかり。オペラ的な作法の範疇にある演技で、こんなショッキングなシーンを描けるのか……。
●ボリスの息子、フョードルの役にはメゾ・ソプラノではなくボーイ・ソプラノが起用されている。リアル。
●長いオペラだったが、実をいえばこのオペラのさらに先にある史実がまたおもしろいんすよね。この先、どうなったかといえば、ボリスの息子の少年フョードルは偽ドミトリーの命令で殺される。で、娘のほうは偽ドミトリーの妾にされてしまう。偽ドミトリーはマリーナと結婚するが、正教会に改宗せずカトリックのままだったので反発を買う。民衆はクレムリンを襲い、偽ドミトリーは殺される。そしてシュイスキー公が即位して、ヴァシーリー4世となる。おかしいのはその先で、偽ドミトリーは実は死んでいなかったとして偽ドミトリー2号があらわれる! 偽者の偽者だ(笑)。彼もポーランドの支援を得て勢力を保ったが、モスクワを支配するまでには至らず、結局仲間に殺される。……で、さらにさらに偽ドミトリー3号まで登場して、これも殺されたというのだが、もう大変な時代である。
●ムソルグスキーは「ボリス・ゴドゥノフ」は3部作くらいにしてロマノフ朝の誕生まで描いてもよかったかもしれない。BGエピソード1、BGエピソード2、BGエピソード3みたいにして。

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