November 16, 2012

大井浩明POC#12ジョン・ケージ「一人のピアニストのための34分46.776秒」と「易の音楽」全巻

●15日は古賀政男音楽博物館のけやきホールで、大井浩明さんのピアノによるPOC(Portraits of Composers)#12、ジョン・ケージの「一人のピアニストのための34分46.776秒」と「易の音楽」全巻。「34分46.776秒」はプリペアド・ピアノのための作品だが、猛烈なプリペアド具合で、なおかつピアノの外部を用いた特殊奏法(外側を叩いたり、ペダルを踏む騒音を鳴らしたり、鍵盤に爪を滑らせて擦過音を発したり)が加わり、さらにピアノ以外に笑い袋やクラッカーまでが乱入して、まさにおもちゃ箱をひっくり返したような多種多様な音色のパレード。しかも演奏中に奏者がプリパレーションを自ら調整するという荒業もたびたび飛び出す。プリペアド・ピアノ作品とはいっても「ソナタとインターリュード」のような甘美なメロディのある曲とはまったく違うストイックな音楽で、というか偶然性が用いられていると思われるので、そこに文脈を認めるかどうかは聴き手に委ねられる。
●で、偶然性の総大将みたいな作品として、どこの本にも出てくるけど実際には聴いたことのない(ライブでは)「易の音楽」全巻。コイン投げの結果という偶然によって音の諸要素が決定され、実際にそれが演奏可能かどうかも顧みられていないという恐るべき作品。偶然で決まっているんだから、そこに作り手の意図はない。起承転結もない。なので作品全体としては、これを聴くのは滝行。でも何もかも純粋にランダムかというと、作り手が最初に定めた一定のルールがある以上、本当の乱数列みたいなものでもないはず。それと、乱数であってもそこに人は意味を認めることは可能なので、部分部分では聴き手は意図された文脈を感じておかしくない。その気になれば感情表現すら読み取れるかもしれない。
●偶然から音楽を作ろうといっても、じゃあコイン投げの結果をどうやって音高、リズム、和音、テンポ等々に結び付けようかとなると、なんらかの恣意は必要になるだろう。じゃ、本物のランダムとはなにかというと、たとえば乱数列。剥き出しのランダムネス。たった今、実際にexcelで一桁の整数の乱数を発生させてみたら、こうなった。
3
9
9
7
1
9
●これは本物の乱数。しかし、そう知らずにこの数値を読んだらどう感じるだろう。3,9,9と並ぶ列は明らかに3の倍数、あるいは3の乗数という「操作」や「意図」を感じさせる。続く7は、9の一つ下の奇数というオペレーションだろうか。次に1が来て、最後にまた9に戻った。円環構造だろうか。するときっと次は、9,3,...と続くのか? もしかすると大小様々な円環がいくつか連続して大きな構造を作ろうとしているのか。全部奇数だということはいずれ偶数列に変容するのだろう……。と推し量るかもしれないが、これは正真正銘の偶然、たった今発生させた一発目の乱数列だ。にもかかわらず、この数列からは、文脈を読み取らないほうが難しい。
●しかし、今のは一桁の整数だった。じゃあ、次に八桁の整数で乱数列を生成してみよう。
34521900
62835402
74254949
41308591
38856015
58533128
●さて、今度も同じく6つの整数が並んだが、この並びから文脈を読み取ることは可能だろうか。たぶん、ムリ。次にどんな数が来るかもまったく予測できない。一桁の整数と八桁の整数では、その母集団の大きさがまるで違う。仮に音の諸要素から音高という要素を取り出すと、ピアノの場合、単独音としては(特殊奏法部分以外は)88鍵から選択されてて、これは半音階という飛び飛びの値を持った数列ということになる。つまり母集団の大きさとしては一桁の整数の乱数列よりは大きいけど、八桁の整数の乱数列よりは小さい。「意味を読み取りたくなる」結果が時折生まれるのは母集団のサイズに起因するものなのだろうか? 偶然性で作った曲のはずなのに、その結果がしばしば人の意思による音列の操作から生み出されたものに似て来るという現象は、こういった母集団のサイズと、(連続する周波数ではなく飛び飛びの値を持つ)半音階列という要素の共通が生み出すものなのかもしれないなあ……。
●と、滝に打たれてふと思ったりするのも、人間の奏者がいて怪物的大作と向き合う実演の迫真性があってこそ。POCシリーズの次回#13は12月12日にファーニホウ&シャリーノが、1月26日にはジョン・ケージその2(南のエテュード集)が予定されている。詳細はこちらに。

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