February 7, 2014

佐村河内守のゴーストライター事件

●ナントのLFJの話題を続けようと思っていたら、佐村河内守の作品がゴーストライターの手によるものだったことが発覚して大騒ぎになっている。この事件、後味の悪いものなのであまり話題にしたくない気分なんだけど、一方で「作者と作品」「作品と聴衆」「作品と文脈」の関係性について問題提起する事件でもあって、今後過剰なまでに語られてしまうことはまちがいない。
●第一報を知ったときは「金儲けを企んだら、曲が五輪に使用され想定以上に大金が動くことになって、配分を巡って仲間割れが起きたのかなあ」と思ったので、歪んだ笑いに包み込めるような、「ソーカル事件」音楽版みたいなものを連想した。が、真の作者が名乗り出て記者会見を開くことになって様相が変わった。実作者は新垣隆さん。本物の才能を持つ人望の厚い音楽家だった。少し前にピアニストとしての彼を聴いているのを思い出した。
●会見によれば、新垣さんがゴーストライターを務めていたのは18年間にも渡る。この間に20曲以上を作り報酬は700万円程度。交響曲第1番HIROSHIMAのような大作も含まれてのことなので、金額は請負仕事にしても小さいと感じた。会見内容からも氏が経済的利益にまったく頓着していないのは明らか(印税も最初からもらっていない)。これまでに書いた佐村河内守名義の作品に対してなんの権利も求めていないし、著作権も放棄すると明言している。当初の新垣さんと佐村河内守の関係は、実作者とディレクター&プロデューサーという自然な共同作業だったように見える。傍目には、18年間も付き合わず、正常な請負仕事の範疇を超えた段階でどうしてこの仕事から手を引かなかったんだろうとは思う。その理由は想像ではいくらでも挙げられるんだけど……。強烈な磁場みたいな強いパーソナリティを持っていて離れようにも離れられないような人物っているけど、佐村河内守もそうだったんだろうか?
●会見中いちばん印象に残ったのは、新垣さんが(本来の作風とはまったく違うであろう)佐村河内守作品の作曲に対しても明らかに創造の喜びを感じて向かっていたということ。「彼の情熱と私の情熱が共感しあえたときはあった」「(佐村河内守名義であっても)どれもすべてできる限りの力で作るものであり、ひとつひとつが非常に大事なもの」として、作品を切り捨てるような態度は微塵も見せなかった。佐村河内守を強く非難するような姿勢も取っていない。記者からむっとするような質問が飛んでも、新垣さんはまったく感情的にならず落ち着いて対応していて立派だった。
●交響曲第1番HIROSHIMAのCDは異例の大ヒットになった。音楽誌でもたくさんとりあげられた。この曲、いちばん最初の段階(CDになる前の段階)では、業界でも肯定的な興味を持って関心を寄せている人が少なくなかったと思う。作品が過去の作曲家からのつぎはぎのようでオリジナリティがないといった声は最初からずっとあったが、そうであってもいまどきこういった大作交響曲を書いて世に問おうとする新進作曲家が出てきたのだから、応援したいと考えるのは不思議なことではない(結局作品がつまらないものであれば市場が正しく判定してくれる、聴衆は最終的には決してまちがわないので。世に出る前から新人を叩こうとはふつうは考えない)。しかしCDになって、作曲者が全聾で被爆2世であり、耳だけでなく目など様々な心身の不調を抱えながら作品を書いているという強い物語性が前面に出てきたところで、この曲にはかかわりたくないと思った人が多いんじゃないだろうか。その時点ではまさか別の作者がいるとは思っていないし、全聾であることも疑っていなかったが、ハンディキャップをそんなに売りにしていいものだろうかと。そして、昨日の会見で新垣さんは、佐村河内守の耳が聞こえないと感じたことはなかったと言っている(ただし佐村河内側代理人は聴覚障害は本当であると反論している)。この件の後味の悪さはここにある。

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