June 22, 2014

ワールドカップと併行してオーケストラ・ウィーク

●すっかりサッカー漬けになっているようでいて、それでも演奏会には足を運んでいるのであった。この一週間に聴いた公演から。
●まず、ジョナサン・ノット&東響の2公演。14日はサントリーホールでブーレーズの「ノタシオン」1~4(管弦楽版)、ベルリオーズの歌曲集「夏の夜」(メゾ・ソプラノ:サーシャ・クック)、シューベルトの「ザ・グレイト」というプログラム。プログラム構成からしてノット色全開。「ザ・グレイト」もさることならがら、前半の充実度がきわめて高かった。多種多様なパーカッションを含め、楽器群の響きのバランスが美しく制御された「ノタシオン」と、独唱とオーケストラが溶けあって絶妙な色調を作り出す「夏の夜」が、一本線でつながる。メゾ・ソプラノのサーシャ・クックは、ジェニファー・ラーモアの代役だったんだけど、よくこんな人をつかまえられたなと思うすばらしさ。情感豊かで、声量もあるけど無理がない。空席が多かったことだけが惜しい。
●21日、ふたたびジョナサン・ノット&東響を聴きに東京オペラ・シティへ。こちらは盛況。バッハ~ウェーベルンの「6声のリチェルカーレ」、藤倉大の「5人のソリストとオーケストラのためのMina」、ハイドンの交響曲第44番ホ短調「悲しみ」、ブラームスの交響曲第4番ホ短調。やはりノットならではのプログラムで、選曲を目にしただけでワクワクする。藤倉作品のソリストはフルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、ハンマーダルシマーの5人。Minaとはなにかと思ったら、作曲当時生まれたばかりの藤倉さんの娘さんの名前だそうで、新しい生命の誕生にインスピレーションを受けて作られた作品。ソリストたちは赤ちゃん、オーケストラはそれを見守る両親といった見立てがされている。赤ちゃん特有の気まぐれさというか、なにか大人からはわかり難いロジックで複数の異なる感情やプレ思考的なものがそれぞれ併行して進んでいる様を、5人ものソリスト群から想起する。ハイドン、ブラームスは、前週のシューベルトと同じように、前任者スダーンのスタイルとはかなり異なって、輪郭のくっきりした明快な音楽。弾力に富んだリズムと推進力が吉。
●20日はサントリーホールで円光寺雅彦指揮の読響。ヴァレリー・アファナシエフのソロでモーツァルトのピアノ協奏曲第9番「ジュノム」と同じく第27番、交響曲第31番「パリ」他。アファナシエフはフォースのダークサイド全開、異様に引きつける力の強い戦慄のモーツァルト。モーツァルトにしてはかなり強いタッチがベースになっていて、強弱の幅をたっぷりととったなかで変幻自在の音色を聴かせる。モーツァルトを超越したなにかの芸術。特に「ジュノム」が印象的。禍々しさを祓うかのように最後に置かれた「パリ」で、一転して豊麗で健やかなモーツァルトを堪能できたのもよかった。
●18日はサントリーホールでアシュケナージ指揮N響。シベリウスの組曲「恋人」(ラカスタヴァ)、グリーグのピアノ協奏曲(中野翔太)、エルガーの交響曲第1番。エルガーにひたすら圧倒される。エルガー特有の高貴さ、高揚感、輝かしさ。大変な熱演だった。ゲスト・ヴィオラ首席奏者に元ベルリン・フィル首席のシュトレーレ。

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