December 25, 2014

ユジャ・ワンを語らない

●こちらも日が経ってしまったけど、17日はサントリーホールでデュトワ&N響。ソリストはユジャ・ワン。前半にドビュッシー~ラヴェル編曲の「ピアノのために」から「サラバンド」、「舞曲」、ファリャの交響的印象「スペインの庭の夜」、後半にラヴェルのピアノ協奏曲、ストラヴィンスキーの「火の鳥」組曲(1919年版)。ユジャ・ワンがファリャとラヴェルの2曲を弾いてくれるのがうれしい。なんと、お色直しがあった(笑)。めったにないケースだけど、前後半でソリストに出番があると、そういうことが可能になるのかっ!
●しかし衣裳について説明しようとすると、表現のために必要なボキャブラリーがまったくなくて、手も足も出ないんだなこれが。前半は明るいグリーン、後半はブルー系。タイトミニは封印されていたけど、なんか背中ドバッみたいな感じでハッスルしてました(←投げやりすぎる)。トレードマークの左右非対称お辞儀は健在。しかもお辞儀の後にサクッと袖に引っこむんすよね。うーん、カッコいい。
●と、ピアニストなのに、延々衣裳等の周辺的な話をしてしまわなきゃならないというこの現象。これってアーティスト側の強い批評性を感じる。たとえば美人ヴァイオリニストがベルクの協奏曲で渾身の演奏を聴かせた後の休憩で素敵な感じのご婦人方が「あのドレス、本当にきれいだったわねえ」とため息交じりで語りあうような光景が一般にどこにでもあると思うんだけど、それを一段メタレベルに引き上げて、「決して語られることのない音楽を雄弁に奏でる」という逆説に満ちたポストモダンなアーティスト像を彼女は打ち建てようとしている。わけない?
●でもユジャ・ワンの衣裳と開演前のポゴレリッチのニット帽は、一見逆向きのベクトルながらどこかで通じているんじゃないかなあ。
●ユジャ・ワンが今のユジャ・ワンになる前の映像とか写真を見たことがある人ならわかってもらえると思うんだけど、あの外見的には目立たなくてどこか不安そうな顔つきの少女が、スーパースターのユジャ・ワンに変身したのだと思うと、もう応援したくてしょうがなくなる。「あのユジャ子が本当に立派になって……」みたいな仮想親戚的ポジションというか。

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