April 20, 2015

フェドセーエフ指揮N響のロシア・プロ、メッツマッハー指揮新日フィルのヴァレーズ&シュトラウス

●17日はNHKホールでウラディーミル・フェドセーエフ指揮N響へ。ラフマニノフのヴォカリーズとピアノ協奏曲第2番(アンナ・ヴィニツカヤ)、リムスキー・コルサコフの交響組曲「シェエラザード」というロシア・プロ。体調不良が伝えられていたフェドセーエフだが、そんな様子はまったく見せず。深く濃密なサウンド、融通無碍の節回しを堪能。ヴィニツカヤは初めて生で聴くことができた。オーケストラの大音量に埋もれた面もあったとは思うが、この環境でなければ相当に雄弁なソロだったはず。アンコールにプロコフィエフのピアノ・ソナタ第2番の第2楽章という意外な選曲。長さが短いので向いているといえば向いているけど、アンコールにスケルツォ楽章とは。後半の「シェエラザード」は管楽器陣のソロの巧みさが印象的だった。極彩色というよりは、渋いセピアトーンで描かれた絵巻物。
●18日はすみだトリフォニーホールでインゴ・メッツマッハー指揮新日フィル。ヴァレーズ&R・シュトラウスという垂涎プロ。前半にR・シュトラウスの交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」&ヴァレーズの「アメリカ」、後半にヴァレーズの「アルカナ」(日本初演)&R・シュトラウスの交響詩「死と変容」という配置もおもしろい。曲の性格的にはたすき掛けで「ティル」と「アルカナ」、「アメリカ」と「死と変容」がセットになっているのかなと感じる。「アルカナ」(1927)が日本初演というのは驚き。
●ヴァレーズの2作、並べて聴いてみると「アルカナ」のほうがずっと楽しい。ずっと昔、CDでヴァレーズを聴いていたときに胸を打たれたのは、たぶん嵐のような音圧のなかになにかを超克しようとする強靭な精神とか峻厳さとかを読みとっていたからだと思うんだけど、今そういう要素に魅了されることはほぼなくなってしまったので(加齢による精神の衰えにちがいない)、「アメリカ」は少ししんどい。でもサイレンはいい。最後にサイレンの余韻が残るなんて。カッコよくて、レトロな未来。そしてどちらの作品もストラヴィンスキーの、とりわけ「春の祭典」が与えた影響力の甚大さを痛々しいほどに感じさせる。キッチュさを洗練として自分内で容易に消化できるのが「アルカナ」のほう。その意味でも「アルカナ」と「ティル」がセットで、「アメリカ」と「死と変容」がセット。ヴァレーズに比べると、シュトラウスのほうはかなり控えめというか、絢爛とまではいかなかったが……。
●新日フィルのコンダクター・イン・レジデンスを務めていたメッツマッハーだが、これで2年契約を終え、任期満了。毎回瞠目すべきプログラムで自分の視野に入る範囲では話題沸騰だったにもかかわらず、この日は空席がとても多かった。SNSなどで伝わってくる好評ぶりと現実の人気に大きな乖離があるというケースはままあると承知してはいるんだけど、それにしても。

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