February 9, 2016

METライブビューイング「真珠採り」

●東劇でMETライブビューイング、今週はビゼーの「真珠採り」。ペニー・ウールコックの新演出。美しい音楽にあふれているにもかかわらず、舞台での上演は少ない「真珠採り」だが、METでの上演はなんとカルーソーの出演以来となる100年ぶりだとか。
●恋することを禁じられた巫女と、かつて彼女を愛した海の男ふたりによる、愛と友情の物語。巫女役にディアナ・ダムラウ、真珠採りの男ふたりにマシュー・ポレンザーニとマリウシュ・クヴィエチェン。指揮はジャナンドレア・ノセダ。歌手陣といい、豪華な演出といい、最高のリソースを投じたプロダクションを見て納得。なるほど、これは完璧なオペラじゃないか、台本以外は。若きビゼーが書いた渾身の音楽は見事の一語。最高の音楽と納得できない台本が融合されたウルトラ・アンバランスなオペラが「真珠採り」なんだと思う。そういう意味では並の作品よりぜんぜんおもしろいのかも。
●聴きどころはふんだんにあって、一幕のテノールとバリトンの二重唱をはじめ、これでもかというくらい抒情的で詩情豊かなメロディが登場する。不滅の傑作「カルメン」はビゼー最後のオペラなのでこれよりもずっと先に書かれることになるわけだけど、でも未来の「カルメン」を予告している瞬間はいくつかあると思う。2幕の頭の合唱はなんとなく「カルメン」の子供たちの合唱を連想させるし、3幕でレイラがズルガの目の前でその場にいないナディールに思いを寄せる場面は、カルメンがホセの目の前で遠くから聞こえたエスカミーリョの闘牛士の歌にときめく場面を思わせる。
●「真珠採り」のいいところは、コンパクトなところ。長くない。で、ドラマとして弱いなと思うのは、ナディールとレイラが禁忌に触れたのがそんなに重大事なのが(説明はされてるけど)納得できないというのと(そんなんで死刑かよ?みたいな)、結末へと至るズルガの葛藤の描かれ方が不十分なのか、エンディングがやたら唐突なところ。「真珠採り」の結末には2種類があるようだが、このプロダクションではズルガが策略によってふたりを救ったところでおしまいとなる。え、今の終わったの? 終わってないじゃん。でもこの後、ズルガの裏切りが明るみに出て、殺されるというパターンならいいかというと、それもかなり蛇足感があるような。だいたいあれでふたりを救ったとしても、火事で村人に犠牲者が何人も出たらどうするのよ。オペラはいくら曲が美しくても、台本が弱いとどうしたって冴えない……いやいや、これは真っ赤なウソだな。だって敵の赤ん坊とまちがえて自分の赤ん坊を火にくべるっていう台本からでも傑作が生まれてくるのがオペラなんだから。オペラ、謎すぎる。
●あと「真珠採り」の舞台はセイロン島ってことになってるらしいんだけど、てっきり未開の文明みたいなところで話が起きているんだと思ったら、第3幕になってズルガのオフィスにテレビと冷蔵庫に加えてノートパソコンまで置いてあって、どうやら90年代前半っぽい設定になっている。そんな現代で宗教的禁忌に触れて死刑になる文明っていったいどんな社会よ? それともあそこでタイムスリップでもしていたのか。あるいはこの話は現代人ズルガの脳内で起きている古代幻想にすぎなく、この話の真の登場人物は実はズルガただひとりという演出なのであろうか。これって、筋の通った解釈ができるの? うーん、だれか教えてほしい。

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