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July 18, 2017

ノット&東響のマーラー「復活」

●15日はミューザ川崎でジョナサン・ノット指揮東京交響楽団。大曲、マーラーの交響曲第2番「復活」をこのコンビで聴けるという喜び。メゾ・ソプラノに藤村実穂子、ソプラノに天羽明惠、東響コーラス。「復活」に先立って細川俊夫のメゾ・ソプラノとオーケストラのための「嘆き」が演奏された。テキストはゲオルク・トラークルが絶望と苦悩を歌ったドイツ語の詩だが、2011年の東日本大震災の津波の犠牲者たちに捧げられた哀悼歌とされており、これが「復活」へと続くこと、震災で被害を受けたミューザ川崎で演奏されることが加わって、さまざまな文脈が浮かび上がってくる。深々とした独唱とオーケストラが織りなす悲痛で精巧な音のタペストリー。むしろ純化された悲しみの音楽として聴く。
●「復活」はノットの棒のもと、生々しくスリリングで、コントラストの鮮やかなマーラー。序盤はもうひとつ焦点の定まらない感も受けたのだが、次第に白熱し、密度の濃い巨大なクライマックスへ。第4楽章「原光」のニュアンスの豊かさ、第5楽章の咆哮、そして崇高な合唱。ほとんどグロテスクなくらいに感情表現の振幅が最大に設定された大作だけど、肥大化することなく、濃密な高揚感が生み出された。バンダが2階の客席通路あたりから聞こえてきて、しかも途中で移動するという立体音響。全曲が終わった瞬間、勢いよく出たまばらな拍手と「沈黙の儀式」を選んだ大多数の聴衆で客席がばらけてしまったのだが、ノットは苦笑気味ですぐにゼスチャーで拍手を促して、そこからは盛大なブラボー。この勢いで終わる曲なら即座に拍手でいいと思うのだが、近年の拍手を待つ習慣がすっかり浸透していて、自分もつい遠慮して待ってしまった。楽員が退出し始めても拍手は止まず、ノットのソロ・カーテンコールに。
●自分はマーラーの交響曲のなかでもこの曲にひときわ愛着を感じるんだけど、その源泉はたぶん中二病的な妄想力。終楽章は審判の日がやってくるんすよ。墓が開き、死者が復活する。奇しくもこの公演の翌日、ゾンビ映画の父として知られるジョージ・A・ロメロの訃報が届いたのであった。安らかに……復活するその日まで。