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December 20, 2017

「ソラリス」と「ブレードランナー2049」

●今、NHK Eテレの「100分 de 名著」でスタニスワフ・レムの「ソラリス」がとりあげられている。全4回の第3回まで見たが、大変おもしろい。ゲストは「ソラリス」の訳者でロシア・東欧文学研究者の沼野充義氏。実のところ原作「ソラリス」を読んだのは大昔の旧訳なので内容はずいぶん忘れていたのだが、これをきっかけに新訳で再読したくなる。惑星ソラリスの探査に赴いた科学者たちは、そこですでに亡くなっている恋人など、そこにいるはずのない人物と出会い、自身の正気を疑う。どうやらそれらはソラリスの海が人間の深層意識から生み出した存在のようなのだが、人間にはソラリスの海とコミュニケーションをとる手段がない。絶対的に相互理解不能な他者を描いたのが「ソラリス」……と記憶していたのだが、番組を見ていて主人公と元恋人(しかし実体はソラリスの海が作り出した何か)との間の物語を思い出した。
●ここで登場する元恋人ハリーは、一昔前ならお化け屋敷にあらわれる幽霊あたりで済んだところだろう。死んだ者がよみがえる話は珍しくない。しかしハリーを異星の海が作り出した存在とすることで、レムはこの幽霊に葛藤させてみせた。最初は主人公がハリーとは何者かと畏れ、苦悩する。人間とそっくり同じ姿形をしていて、人間としての思考も感情も持っているハリー。主人公はやがてその存在を受け入れることにしてしまう。ところが、こんどはハリーが「自分とは何者か」と問いかける。自分は実体のない、ただの幽体なのか。自分の存在が恋人を苦しめてしまっていることに悩み、自己犠牲を決断する……。
●で、はっとしたのは先日映画館で見た「ブレードランナー2049」とのシンクロニシティ。「ブレードランナー」ももともと非人間=レプリカントの物語だった。原作のP.K.ディックとレムとの間にテーマの共通性があることは不思議でもなんでもないが、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督による「ブレードランナー2049」では、主人公がレプリカント、その恋人が物理的実体を持たないAIとして描かれていた。このAIはクラウド上の存在で、ネットワークにつながっていればどこからでも呼び出せるわけだが、「ソラリス」で「海」として描かれていた知性が、昨今風のクラウド、つまり「雲」と比喩されるところにあるのがまずおもしろいところ。もうひとつは主人公レプリカントの最後の場面での決断だ。彼はもっとも人間らしい行為として、ある種の自己犠牲を果たす。自己犠牲こそが人間とそれ以外を分け隔てるものだ、というのである。ここに「ソラリス」でのハリーの姿が重なってくる。
●音楽ファンにとって自己犠牲といえば、まっさきに思い出すのはワーグナー「神々の黄昏」の「ブリュンヒルデの自己犠牲」。ブリュンヒルデの場合は半神半人か。ドキッ! 非人間だらけの自己犠牲大会。もっともブリュンヒルデは神性を失っているから、人間扱いとすべきだろうか。