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March 15, 2019

シルヴァン・カンブルラン指揮読響の「グレの歌」

●今年はシェーンベルクの「グレの歌」を3つの在京オーケストラが演奏するという不思議な年。14日、恐るべき「グレグレグレの歌スタンプラリー」の幕開けとなる、シルヴァン・カンブルラン指揮読響へ(サントリーホール)。合唱は新国立劇場合唱団。ヴァルデマルにロバート・ディーン・スミス、トーヴェにレイチェル・ニコルズ、森鳩にクラウディア・マーンケ、農夫・語りにディートリヒ・ヘンシェル、道化師クラウスにユルゲン・ザッヒャー。日本語字幕付き。
●前半(第1部と第2部)が特盛なら、後半(第3部)は超特盛の巨大編成作品。後半になって合唱が入るのだが、それ以上に管弦楽の拡大が強烈でフルート8とかトランペット6+バストランペット1とか、舞台上がぎゅうぎゅう。チェーンって本当に鎖のチェーンなんすね。さすがにこれだけ巨大な作品になると、カンブルランが指揮しても緻密さよりはパワフルな厚塗りの響きが前面に押し出される。
●後期ロマン派スタイルで書かれた作品で、ストーリーも含めた手触りをざっくりと一言でいえば、拡張機能版ワーグナー。前半は「ラインの黄金」+「トリスタンとイゾルデ」、後半は「タンホイザー」+「さまよえるオランダ人」+「ジークフリート」+「ニュルンベルクのマイスタージンガー」……といった連想が働くんだけど、後半途中から妖しい独自の輝きが放たれて、最後は前人未踏の地にたどり着く。物語はかなり暗いトーンで、動きは少なく、説明的ではない。トリスタンとイゾルデと違うのは、ヴァルデマルとトーヴェが許されざる愛に至る前史が描かれていないのと、トーヴェの死後のヴァルデマルに焦点が当てられているところ。ヴァルデマルは途中から死んじゃってるんすよね。死んだ後、家来たちと狩をしながらさまよってる。つまり、これはゾン……あ、いや、なんでもないっす。最後、音楽からして救済されたっぽいんだけど、どうしてそうなったんだろう。ヤコブセンの原詩は日本語で読めるんだろうか。
●独唱者入大編成作品の宿命として、どんなにオーケストラの編成を大きくしても、歌手ひとりは一人分の声しか出せない。特にヴァルデマルは容赦のない響きの洪水と戦うことになる。これはどこまで聞こえる前提で書かれているんだろう。後半の序盤がかなり過酷なんだけど、ここは物語の進行に寄り添ってヴァルデマルの非力さを表現していると解するべきなんだろうか。
●最後の場面「見よ太陽よ!」は眩暈がするほどの壮麗さ。ほぼ満席の客席は大喝采。カーテンコールを繰り返した後、オーケストラが退出しはじめても拍手は鳴りやまず、カンブルランのソロカーテンコールに。この日の公演に加えて、2010年以来常任指揮者を務めたカンブルランへの感謝の念が込められたブラボーの声が飛ぶ。互いに別れを惜しむような、たっぷりと時間をとったソロカーテンコールだった。
●休憩中に某誌編集長が「前半だけで帰ったら半グレの歌だ」って言ってた。うん、後半聴かないと意味ないし。