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April 23, 2020

「ヘルベルト・ブロムシュテット自伝 音楽こそわが天命」(アルテスパブリッシング)

●刊行時にうっかり読み損ねてしまっていたが、ようやく読んだ、「ヘルベルト・ブロムシュテット自伝 音楽こそわが天命」(アルテスパブリッシング)。聞き手はユリア・スピノーラ。ブロムシュテットのような真摯な音楽家が語る自伝がはたしておもしろいのかどうか、立派であるばかりで読み物としては刺激に乏しいのではないか……などと思うのなら、それは杞憂。実に興味深い。なによりマエストロの率直さがすばらしくて、自伝にありがちな自己顕示欲とは無縁。いい話ばかりじゃなくて、自分が過去に失敗した話とかも自然体で話せてしまう。たとえば、駆け出しの頃、チャイコフスキーの交響曲第4番でムラヴィンスキーばりの速いテンポを採用しようとしたら、オーケストラに受け入れてもらえなかった。そこで、ブロムシュテットは、他のさほど有名じゃないオーケストラと演奏したときはこのテンポで問題なかったとうっかり口にしてしまう。するとヴィオラの首席奏者がぼそっと言った。「ぼくらはこの作品を、あなたよりはるかに良い指揮者と演奏しましたよ」。なかなかこういう話はできないものだと思う。
●もうひとつ忘れられないのは、演奏水準の落ちてしまった楽団の首席指揮者を務めることになった際、首席ファゴット奏者に第3ファゴット奏者と入れ替わってほしいとお願いしたときの話。ブロムシュテットは精一杯の気づかいをしながら慎重に話をした。首席ファゴット奏者もその提案を受け入れてくれた。でも何年か経ってふたりきりになった場面で、その奏者から「あのときはあまりに辛くて自殺も考えたほどだった」と告白されてショックを受ける。職務に対する誠実さと人間的な思いやりとの間で、どれほどの葛藤があったことか。後年、ふたりは親友になったというのが救い。
●ブロムシュテットはアドヴェンティスト教会の敬虔な信徒なので、安息日は土曜日と定められ、この日はいかなる労働もできない(金曜日の日没から土曜日の日没までが安息日なんだとか)。だから子供の頃は土曜日は学校に行けなかったし、テストも受けられない。指揮者になってからもリハーサルは土曜日に行なえない。これでずいぶんいろいろな苦労があったようなのだが、師匠のマルケヴィッチとのエピソードには考えさせられた。師から指揮の機会をもらい、土曜にゲネプロをするように言われたのに、安息日だからできないと断るしかなかった。それで師は親切にもゲネプロを日曜の午前に変更してくれたのだが、そのとき「楽団員のほうが君よりはるかに立派なキリスト教徒だぞ」と言われたという。そう、日曜日が安息日のキリスト教徒の立場はどうなるのか。敬虔さと不寛容は紙一重とも感じる。

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