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July 19, 2021

ジョナサン・ノット指揮東京交響楽団のシュトラウス「ドン・キホーテ」&シベリウスの交響曲第5番

●17日はサントリーホールでジョナサン・ノット指揮東京交響楽団。またも隔離を受け入れて来日してくれたノットには感謝するほかない。プログラムは少し意外な組合せで、リヒャルト・シュトラウスの交響詩「ドン・キホーテ」とシベリウスの交響曲第5番。対照的な性格を持った2曲というべきか。「ドン・キホーテ」のチェロ独奏は伊藤文嗣、ヴィオラ独奏は青木篤子で、ともに首席奏者が務める。ずーっと前の記者会見で、ノットは楽員がソリストを務める機会を増やしたいと語っていたのを思い出す。ふたりの独奏者は通常の首席奏者の位置に座り、協奏曲的な性格よりも交響詩本来の物語的な性格に重きが置かれる。弦楽器はいつもの対向配置。そういえば16型の大編成オーケストラを聴くのは久々かも。もっとも、「ドン・キホーテ」はスペクタクルというよりは、いくぶん苦味のあるユーモアを滲ませた曲ではあるが……。
●そういえば、少し前に映画「テリー・ギリアムのドン・キホーテ」を観たのだった。あのとき思ったのは、男はみんなドン・キホーテであり、そう自覚している人と自覚していない人がいるだけということ。ドン・キホーテに向ける眼差しは、リヒャルト・シュトラウスもテリー・ギリアムもそう違わない気がする。
●後半、シベリウスの交響曲第5番は圧巻。自分にとって、シベリウスのもっともエモーショナルな作品。ノットとオーケストラがぴたりと一体となって、雄大なドラマを築き上げる。前回、このコンビでマーラー「巨人」を聴いたときに書いたけど、そのときはオーケストラの慣性の大きさを感じた。あっちからこっちに行こうと思って指揮者がハンドルを切っても、グオオオオ……とゆっくりと動き出す大型バスみたいなイメージだったんだけど、今回はそれを感じない。平たく言えば一心同体ということなのだが。シベリウスの第5番、第1楽章や終楽章のヒロイックでドラマティックな幕切れは「第5」らしくもある一方、全体の枠組みは(ベートーヴェンでいえば)「第6」的な陶然とした自然賛歌でもあって、最強の交響曲だと思う。終楽章の高揚感は鳥肌もの。
●今回もオーケストラが退出した後、拍手が止まずにノットのソロ・カーテンコールに。そういえばノットはずっとマスクをしたままだった。本人はすでにヨーロッパで一度、感染していたと思うが、それでも必要ということか。なお、公演の模様は「ニコ響」で無料配信されている(7月24日まで)。
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●ONTOMOの7月特集「避暑」に「名曲4作品でバーチャル肝試し~耳で感じるお化け屋敷」を寄稿。涼みたい。