November 2, 2021

「本は読めないものだから心配するな」(管啓次郎著/ちくま文庫)

●かねてより名著だと思っていた一冊が文庫化された。「本は読めないものだから心配するな」(管啓次郎著/ちくま文庫)。帯に「読書の実用論」と書かれていて、その通りなのだが、なんの本かを説明するのは難しい。本についての本なんだけど書評では決してなく、かといって読書論と言い切るほど狭くはない。ともあれ、この本は冒頭に置かれたエッセイ「本は読めないものだから心配するな」(そのまま書名にもなっている)が圧倒的にすばらしい。文庫だったら、この数ページのためだけに買う価値がある。こんなふうに始まる。

 本は読めないものだから心配するな。あらゆる読書論の真実は、これにつきるんじゃないだろうか。

みんな覚えがあると思うのだが、がんばって本を読んでも、後からなにかの機会に振り返ってみると、内容をよく覚えていなかったりする。これじゃあ読んだと言えないのでは。そう思うこともしばしば。そして、読むべき本はたくさんあって、いっこうに減らない。さらに再読すべき本もある。いずれこれはもう一度読まねば。そう思っていても読めたためしがない。書店や図書館で読むべき本がずらりと並ぶ書棚を前にすると、どうしようもない無力感に苛まれる。だんだん本の山に対してワクワクする気分よりも、うっすらとした挫折感のほうが大きくなってくる。そういう人間に対して、心配いらないよと言ってくれているのだが、そこで提示される視点に目からウロコが落ちた。

本に「冊」という単位はない。あらゆる本はあらゆる本へと、あらゆるページはあらゆるページへと、瞬時のうちに連結されてはまた離れることをくりかえしている。

この一文で「あああっ!」と膝を打つ、全力で。さらにもう一か所引用する。

 本に「冊」という単位はない。とりあえず、これを読書の原則の第一条とする。本は物質的に完結したふりをしているが、だまされるな。ぼくらが読みうるものはテクストだけであり、テクストとは一定の流れであり、流れからは泡が現れては消え、さまざまな夾雑物が沈んでゆく。本を読んで忘れるのはあたりまえなのだ。本とはいわばテクストの流れがぶつかる岩や石か砂か樹の枝や落ち葉や草の岸辺だ。流れは方向を変え、かすかに新たな成分を得る。

引用し始めるとずっと続けたくなるが、ぜんぶ書き出すわけにもいかない。しびれるような名文だと思う。

このブログ記事について

ひとつ前の記事は「クラシック・キャラバン2021 ストラヴィンスキー「兵士の物語」他」です。

次の記事は「J1リーグは川崎フロンターレが2年連続の優勝」です。

最新のコンテンツはインデックスページへ。過去に書かれた記事はアーカイブのページへ。

ショップ