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May 9, 2023

「ノー・カントリー・フォー・オールド・メン」(コーマック マッカーシー著/ハヤカワepi文庫)

●ハヤカワepi文庫から新刊として発売された「ノー・カントリー・フォー・オールド・メン」(コーマック・マッカーシー著/黒原敏行訳)を読んだ。新刊といっても、これは以前、扶桑社から刊行されていた「血と暴力の国」と同じ作品で、訳者も変わらない。出版社が違うので、これを「復刊」と呼ぶのはおかしいかもしれないが(でも呼んでしまう)、復刊にあたって「ノー・カントリー・フォー・オールド・メン」と改題された。なにしろこの小説はコーエン兄弟の監督により「ノーカントリー」の題で映画化されており、その映画があまりにも強烈で、よくできている。映画ではハビエル・バルデムが殺し屋を、トミー・リー・ジョーンズが保安官を、ジョシュ・ブローリンが大金を盗むベトナム帰還兵の役を務めた。2007年製作の映画は超ド級の傑作だと思うが、バイオレンスの要素が強すぎて、もう一度観るかといえばたぶん観れない。しかし、原作なら読めるんじゃないか。そう思って読みはじめたら、おもしろくて止まらない。コーマック・マッカーシーなんだから、傑作で当然なのだろうが、映画にあったスリルとサスペンスがそのまま原作にあり、同時に映画になかった文学性もあって、なるほど、こういう小説だったのかと納得。
●基本的なストーリーは原作も映画も変わらない。ベトナム帰還兵のモスがたまたま麻薬密売人の銃撃戦があった場所で大金を見つける。死にかけた男が「水をくれ」と言葉を絞り出している。モスは大金を盗む。だれにも見られずに、無事に自分のトレーラーハウスに帰る。ここでモスが賢くふるまっていれば、なにも起きずに話は終わっていた。だが、夜になるとモスは死にかけていた男のことが気になって、自分でもとんでもない愚かなことだと承知しながら、水を持って現場へと戻る。そして、追っ手に見つかる。そこからモスと異常な殺し屋シガーの追跡劇が始まる。さらにふたりを追う保安官が登場する。この保安官の独白が物語で大きな比重を占めているのが原作と映画の大きな違い。ノー・カントリー・フォー・オールド・メン、つまり(アメリカは)老いた人間のための国ではない、という諦念が保安官の独白に滲み出ている。
●もうひとつ原作で顕著だと思ったのは、ある種の神話性。殺し屋シガーは己の利益のためというよりも、余人には理解しがたい絶対的な行動原理にもとづいて殺戮をくりかえす。純粋悪であり、悪神のようでもある。一方、帰還兵モスは金に目がくらんだ人間だ。しかし彼が悪神に追われるようになったのは、金を盗んだからではない。生きているはずもない人間に水をやろうとした筋の通らない慈悲の心が、地獄への扉を開いたのだ。