
●25日は東京文化会館で「東京・春・音楽祭」のシェーンベルク「グレの歌」。これまで同音楽祭のワーグナー・シリーズで名演を聴かせてくれたマレク・ヤノフスキ指揮N響のコンビが、今年はシェーンベルクの記念碑的大作「グレの歌」に出演。これをもってヤノフスキの同音楽祭への出演は最後になるそう。明確にワーグナーの延長上にある後期ロマン派スタイルの作品だけに、一貫性のある締めくくりになった。超巨大編成、舞台上はぎっしり。歌手陣はヴァルデマール王にデイヴィッド・バット・フィリップ、トーヴェにカミラ・ニールンド、農夫にミヒャエル・クプファー=ラデツキー、山鳩にオッカ・フォン・デア・ダメラウ(当初予定から変更)、道化師クラウスにトーマス・エベンシュタイン、語り手にアドリアン・エレート。後半から登場する合唱は東京オペラシンガーズ。休憩あり、字幕あり。
●歌手陣は高水準。ヴァルデマール王は巨大編成の咆哮と戦わなければならないので、基本的には人間の非力さを「聞こえない」ことで表現するものだと思っていたが、デイヴィッド・バット・フィリップはむしろよく聞こえると思った。2019年に「グレの歌」が3公演もかぶった奇跡の年があったが(カンブルラン&読響、大野&都響、ノット&東響)、その「グレグレグレの歌」イヤーの記憶からすると、この王はかなり強く、タフ。ニールンドも文句なし。ダメラウの山鳩も立派。この役はお得かも。
●主役はやはりヤノフスキ&N響で、ワーグナー同様の厳格なスタイル。濃厚なロマンに耽溺することなく、きびきびと音楽が前に進む。豪放磊落な音の洪水ではなく、クライマックスまできちんと制御された音響設計で、明瞭壮麗。87歳なのでさすがに足元は心配になったけど、年齢からすると信じられないほど矍鑠としている。
●で、改めて感じるのは「グレの歌」という規格外の作品が持つ多面性だろうか。イェンス・ペーター・ヤコブセンの原詩にもとづき、ヴァルデマール王とトーヴェの悲恋(?)が描かれる。とくに第1部は音楽的にも物語的にも拡張版ワーグナーであり、「トリスタンとイゾルデ エクステンディッド・エディション1913」を聴いている感覚になるのだが、王とトーヴェは「大地の歌」のように交互にしか登場せず、第2部でトーヴェが王妃によって殺されたことがわかる。王は嘆き、神を呪う。身も蓋もないリアリズムでいえば、王は犠牲者のようにふるまってるけど、王妃のほうこそ犠牲者なんじゃないの、って気もするわけだが、王と王妃の関係は原詩でも描かれていない模様。王妃には王妃の正義があり、王妃の物語があったんじゃないかと思うんうすよねー。
●それで、第3部になると王はもう死んでいて、家臣といっしょに棺桶からよみがえって、暴れる。ここはもう「トリスタンとイゾルデ」的な世界観を超越している。亡霊たちの狩り、ワイルド・ハントだ。これは現代的な解釈ではゾンビの襲来と呼んでいい。でも、どうして王が亡くなったのかは原詩にも描かれていないと思う。どう考えても王にワーグナー的な救済は訪れなさそうだが、音楽的には「見よ、太陽を」で眩暈がするほど輝かしい結末を迎える。これをどう受け止めればいいのか。日が昇り、亡霊たちは消える。個人の救済の物語などには一切の関心を示さず、ただ太陽は大地を照らし、絶対的な存在としての自然がそこにある。そんなアンチ・ロマンに着地するのが「グレの歌」のおもしろさなんだと思う。
March 26, 2026