amazon

2026年9月アーカイブ

September 30, 2026

アントニオ・パッパーノ指揮ロンドン交響楽団のマーラー「復活」

アントニオ・パッパーノ ロンドン交響楽団 マーラー「復活」
●28日はサントリーホールでアントニオ・パッパーノ指揮ロンドン交響楽団。藤倉大の「アンバー・アルケミー」(Amber Alchemy)(世界初演)とマーラーの交響曲第2番「復活」からなるプログラムで、休憩なし。野村ホールディングス創立100周年記念公演と銘打たれ、藤倉作品もこれを記念して委嘱された新作。この後、ロンドンでも再演される。野村グループのロンドンのオフィスの屋上で目にした養蜂に触発されて書かれたという。事前にミツバチのイメージを知らずとも、群れをなす小さな生体が自在に飛翔するような印象を受けたと思う。巧緻なオーケストレーションによる鮮麗な作品。
●パッパーノのマーラーを聴くのは初めて。弦は対向配置だが、よくある並びと少し違って、第1ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、第2ヴァイオリン、コントラバスの並び。棒を使わずに指揮。第1楽章からじっくり重めの足取りで、骨太で強靭なサウンド。オーケストラの機能性を活かした壮烈なスペクタクルがくりひろげられる。とくにブラス・セクションには驚嘆。ホールの空間が飽和するほどの凄まじい音圧なのだが、余裕すら感じる。独唱者はソプラノのマリア・ベングトソン、コントラルトのノア・ベイナルト。まろやかな声による第4楽章「原光」にほっとする。合唱は東京混声合唱団。80名規模でP席に陣取る。おそらくこれまでに聴いた「復活」のなかで、最上級の精緻な合唱。全体として、魂の叫びというよりは、明るい光で照らされたポジティブなマーラーだったと思う。
●舞台裏のバンダも含めて、これだけ大編成のオーケストラが来日してくれたのは僥倖。壮大な終楽章の後、客席は盛大な喝采。楽員退出時も熱のこもった拍手が続き、パッパーノのソロ・カーテンコールに。たっぷりと客席と喝采を受け止める様子に好感。
-------------
●同時刻に開催されたニッポンvsベネズエラ戦の話題はまた明日にでも。
●東京はずっと雨が続いている。これで35日連続(!)の降水が観測され、最長記録を更新したのだとか。ガルシア=マルケスの「百年の孤独」でも、マコンドにずっと雨が降り続けたという記述があった。どれくらい続いたのか、確認してみたら4年11か月と2日だった。これくらい雨が続くと、小雨になっても人は「晴れる兆し」とは受け止めず、「大降りになる前兆」だとみなすという。なんという洞察。

September 29, 2026

バッハ・コレギウム・ジャパン 「英雄」とレクイエム ベートーヴェンへの道 vol.2

鈴木優人 バッハ・コレギウム・ジャパン
●27日は東京オペラシティでバッハ・コレギウム・ジャパン第174回定期演奏会~「英雄」とレクイエム ベートーヴェンへの道 vol.2。鈴木優人指揮で、前半にベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」、後半にケルビーニのレクイエム ハ短調。両曲は葬送行進曲とレクイエムというつながりがあるのみならず、ベートーヴェンの追悼のためにケルビーニのレクイエムが演奏されたという関連性がある。BCJならではの刺激的なプログラム。前半の「英雄」は二日前にルイージ&N響で聴いたばかりだが、それでもフレッシュな気持ちで聴けるのがこの曲。ピリオド楽器が生み出す音色はベールを一枚剥がしたような生々しさ。軋みを上げて驀進する活力みなぎるベートーヴェン。第4楽章コーダの唐突な祝祭性に改めて圧倒される。
●後半のケルビーニのレクイエム ハ短調は初めて聴いたけど、大きな発見。独唱者なしで、合唱とオーケストラのみによるレクイエム。オーケストラにフルートが入らないのも特徴的。しかも第1曲のイントロイトゥスではヴァイオリンも入らないので、ずいぶんと渋く、くすんだ色調で始まる。ブラームスの「ドイツ・レクイエム」を思い出さずにはいられない。一方で、第3曲ディエス・イレは劇的。なんと、タムタム(銅鑼)の一撃が入る。血沸き肉躍るオペラ調の曲想で、こちらはヴェルディのレクイエムのご先祖様か。19世紀後半の二大レクイエムの源流に出会った気分。第4曲オッフェルトリウムは対位法を駆使した見事なクライマックス。なるほど、ベートーヴェンがケルビーニを高く評価していたはずだと納得。おしまいのアニュス・デイのあとは完全な沈黙を保ってから拍手が沸き起こった。これだけ立派な作品だと、むしろ今なぜケルビーニがあまり演奏されないのかが気になってくる。

September 28, 2026

ファビオ・ルイージ指揮NHK交響楽団のベートーヴェン第1番&第3番「英雄」

ファビオ・ルイージ N響
●25日はNHKホールでファビオ・ルイージ指揮N響。プログラムはベートーヴェンの交響曲第1番と第3番「英雄」。N響創立100年記念事業の一環として、来年のベートーヴェン没後200年に向けて行われる交響曲全曲シリーズの幕開けとなる公演。5人の指揮者で分担する全曲シリーズで、トップバッターが首席指揮者ルイージ。
●ルイージのベートーヴェン、以前に交響曲第6番「田園」と第7番を聴いている。オーソドックスな造形で、HIPではなく、温かい音色で流麗。前へ前へと進む。「英雄」は進むにつれて熱を帯びた。第2楽章や第4楽章は構築性のなかに息づく伸びやかな歌謡性が印象に残る。
●このベートーヴェン・シリーズ、この後は来月にエッシェンバッハが第8番&第5番「運命」、11月にソヒエフが第2番&第6番「田園」、12月にデュトワが第4番&第7番、ヤノフスキが「第九」というラインナップになっている。N響と縁の深い指揮者陣が並び、重量級の顔ぶれ。だれが何番を振るか、どうやって決めたんだろう。「みんな、それぞれ希望があると思うから、全員でzoomミーティングして決めようぜ!」って、わけにもいかないか。

September 25, 2026

キリンチャレンジカップ2026 ニッポンvsウルグアイ代表

ニッポン!●ワールドカップ北中米大会ではモヤモヤした敗退で終わった日本代表だが、2027年1月のAFCアジアカップに向けて、いよいよリスタート。アジアカップではカタールが2連覇をしており、ニッポンは2011年以来の優勝を目指す。新たな門出だ……と言いたいところだが、諸般の事情で森保監督が半年限定で続投することに。布陣は変わらず、選手の入れ替わりもわずか。このウルグアイ代表戦は気の抜けたビールみたいな試合になるのではないか。と、試合開始前は思っていたのだが、始まってみるとバチバチにやり合う激しいゲームになった。うまい、強い、速い。ハイレベルなプレイの応酬で、親善試合らしからぬ意地のぶつかり合いに。ウルグアイも一部選手は相当熱くなっていた。考えてみれば、両チームの選手ともシーズン序盤で気力も体力も充実している。ニッポンはびっくりするくらいハイレベルだと改めて思ったし(判断のスピードが速く、縦にも速い、簡単にボールを下げない)、一方でウルグアイもモンスターぞろいで、こんな相手に勝つのは並大抵のことじゃないなと思った、勝ったんだけど!
●序盤にニッポンは代表デビューの松木玖生が、右サイドからカットインしてファーに突き刺すシュートで先制。左サイドで中村敬斗がたびたび見せるプレイの逆バージョンみたい。というか、そんなウィンガー調のポジションで使える選手だったとは。所属のサウサンプトン(イングランド2部)でも、このポジションなの?
●しかし、前半42分、ビルドアップ時のミスからボールを奪われて、痛恨の失点。キーパーの早川が一度は足先で防いだが、こぼれ球をアラウホに決められた。後半はニッポンのミスが目立つようになり、厳しい展開になるかと思ったが、ウルグアイがチャンスに決めきれず。後半46分、途中出場の塩貝が上田とのコンビからキーパーと一対一となって、勝ち越しゴール。さらに試合終了直前にも伊東のスルーパスに抜け出した上田が決めて3点目。ニッポン 3-1 ウルグアイ。ウルグアイの監督はディエゴ・フォルラン。
●先発はGK:早川友基-DF:瀬古歩夢、板倉滉、伊藤洋輝-MF:佐野海舟、佐野航大-松木玖生、中村敬斗-堂安律、鈴木唯人-FW:前田大然。途中出場は鈴木淳之介、相馬勇紀、伊東純也、鎌田大地、田中碧、久保建英、上田綺世、塩貝健人。塩貝はパスを出せる場面でも強引な突破でボールをロストしていたが、得点の場面では上田にボールを預けたことでフリーになれた。強引さは持ち味だけど、もっとシンプルにプレーしたほうが点を獲れるはず。前田の前線からの鬼プレスは健在。佐野の兄弟ボランチが実現。代表戦で同じポジションに兄弟で出場した例は過去にあるのだろうか。
●これまでの代表ウィークは一週で2試合を行っていたが、今シーズンからは9月と10月の代表ウィークがひとまとめにされて、二週で4試合になった。移動時間が長い日本代表にはありがたい。反面、各国リーグ戦の中断は長くなる。

September 24, 2026

オーケストラ・アンサンブル金沢 2027/28シーズンプログラム発表 記者会見

オーケストラ・アンサンブル金沢 2027/28シーズンプログラム発表 記者会見
●19日午前、オーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)の2027/28シーズンプログラム発表記者会見にリモートで参加。会場は石川県立音楽堂の音楽資料室で、広上淳一OEKアーティスティック・リーダー(中央)、表正人石川県立音楽堂館長(右)、床坊剛OEKゼネラルマネージャーが登壇(写真はOEK提供)。現地の会見にリモートも加わるハイブリッド方式で、使用ツールはZoom。
●新シーズンは4月に開幕し、定期公演は3シリーズで計16公演。広上淳一指揮によるベートーヴェン全交響曲シリーズが第1番で完結すると同時に、シューベルト全交響曲シリーズが「未完成」でスタートする(27年9月)。「シューベルトに特別な思い入れがある。全曲演奏は今回が初めて。歳を重ねた今、OEKとともに取り組みたいと思った」とマエストロは語る。目をひくのは初共演の指揮者が4人もいること。しかもその4人がウェイン・マーシャル(27年6月)、濱田芳通(27年10月)、上岡敏之(28年1月)、米田覚士(28年3月)といった陣容で、若手からベテランまで多彩。濱田芳通指揮のバロック・プログラムではカウンターテナーの彌勒忠史も登場して強力。売り出し中の米田覚士はウィーン古典派に武満、プロコフィエフ「古典」を組み合わせる。
●ほかに客演勢ではエンリコ・オノフリ(27年11月)がベートーヴェンの第7番ほか。超久々に登場する小泉和裕(27年10月)もベートーヴェンで、第2番&第6番「田園」。ソリストでは亀井聖矢がカプースチンのピアノ協奏曲第4番で川瀬賢太郎と共演する(28年1月)。これは人気を呼びそう。

September 21, 2026

ロレンツォ・ヴィオッティ指揮東京交響楽団のフランツ・シュミット「7つの封印の書」

ヴィオッティ 東京交響楽団
●19日はサントリーホールでロレンツォ・ヴィオッティ指揮東京交響楽団。フランツ・シュミットのオラトリオ「7つの封印の書」を、ルイージ指揮N響の一週間後に聴くことになろうとは。なんという偶然。N響の側にはルイージの最重要レパートリーを創立100年に演奏するという動機があるわけだが、東響にとってこの曲は自分たちが日本初演を担った作品。しかも新シェフのヴィオッティはかつてアーノンクール指揮のもとで同曲の合唱を歌った経験がある。両者ともに必然の「7つの封印の書」。
●ふだん聴くチャンスのない作品だけあって、2度目に聴いたほうがより作品に親しめることはまちがいない。なにしろルイージ&N響の最上級の演奏で予習しているわけで、こんなに贅沢な話もない。環境がもたらす違いとしては、NHKホールではオルガンが天の高みで鳴るイメージだったが、サントリーホールでのオルガンはあらゆる音響の中心に位置する巨大な存在。ヴィオッティ指揮東響は明るさと温かみ、豊かさを感じさせるサウンド。見通しがよく、響きは明快。東響コーラスの次第に高まる「ハレルヤ」は鳥肌もの。フランツ・シュミットの音楽は簡明さと複雑さの両極から感情を揺さぶってくる。荘厳さ以上にエモーショナルな要素を感じた。ヨハネにマキシミリアン・シュミット、神の声にフランツ=ヨゼフ・ゼーリヒ、ソプラノにクリスティーナ・ランツハマー、メゾソプラノにカトリオーナ・モリソン、テノールにパトリック・グラール、バスバリトンにクレシミル・ストラジャナッツ、オルガンに大木麻理。
●N響とは違い、こちらは休憩あり。作品本位で考えれば休憩なしに理があるとは思うものの、現実的には休憩ありが親切。休憩なしだと終盤に席を立たざるを得ない人が少なからず出てしまうので。心配事がひとつ減る分、演奏に集中できるのは大きな利点。
●で、この曲、音の構築性や音響美だけで楽しむことも不可能ではないけど、フランツ・シュミットの音楽はテキストと分かちがたく結びついている。2度目に聴いて改めて強く感じたのは「ヨハネの黙示録」の二元論的な世界観。善/悪、神/サタン、神に忠実な者/そうでない者、命の書に記された者/火の池(炎の海)に放り込まれる者。常に世界は二分され、中間的な立ち位置を許さない。世界に神の裁きが下され、災厄で人々は滅び、死後に復活し、命の書に記された者は永遠の命を手にするが、そうでないものは火の池へ。救われる者とそうでない者は厳しく峻別される。前回も書いたけど、ここは信仰とヒューマニズムの間の緊張関係があらわになる部分だ。ある意味、こういった二元論は時流に即しているとも言える。だが、そんな世界で自分はきっと火の池に放り込まれる側になると予感する者は、これをどう受け止めればいいのか。その摩擦はどこまで行っても残るんじゃないかな。20世紀の宗教音楽でこの曲の対極に位置するのが、死後に敵との邂逅が待つブリテンの「戦争レクイエム」だと思う。
●世間は五連休。いつも当欄は暦通りの更新だけど、ずいぶん間が空いてしまうので中日に更新。

September 18, 2026

東京都現代美術館「多田美波―光、凛と ゆれる」

mot2026tada1.jpg
●東京都現代美術館の「多田美波―光、凛と ゆれる」展へ。抽象彫刻家・造形作家の多田美波(1924–2014)の大規模個展。初期の絵画から「光造形」と呼ばれるシャンデリアなどの照明作品も含む約70点が展示。なかには現存しない作品の再制作、再構成も含まれている。上の写真は、中央の「スペース・アイ No.4」(1975)などが集中的に展示されている一室。柔らかい光と反射、透明感、くすんだ色調が作り出す心地よい空間で、ここでゆっくりと時を過ごしたくなる。

mot2026tada2.jpg
●これは「周波数 37303030MC」(1963/東京国立近代美術館蔵)。意味ありげな周波数の数字を添えた作品がいくつもあるのだが、共通する最初の3桁「373」は「美波」だろうから、さしたる意味はないのかも。「373」に続く「03030」は「オッサン、オサレ~」だろうか(きっと違う)。

mot2026tada4.jpg
●これは床に大きく広がる「オートシンクローネ」(1973/2026)。10×10のユニットの集合体で、それぞれにポコッとした半球状のふくらみがある。水泡のような、気泡のような。半球に周囲の像がさまざまな模様で映りこむ。オリジナルは現存せず、残された型と設計図から再制作されたそう。無機的な質感から有機的なイメージが立ち昇ってくるおもしろさ。

mot2026tada3.jpg
●初期の絵画なんだけど、なにを描いているか、わかるだろうか。ぱっと見、工場とか鉄塔のイメージか。正解は変電所。1950年代に変電所を題材にした絵画をいくつも描いていたという。当時の変電所は、今よりずっと存在感のあるものだったのだろう。産業と労働のシンボルか。

mot2026tada5.jpg
●天井からぶら下がっているのが、「翔」(1986/2026)。その名の通り軽やかな飛翔感が漂うが、ステンレス製で総重量360kgと聞くと、真下にいるのが落ち着かなくなる。もともとは神奈川県南足柄市市庁舎の天井に設置されていたが、近年に撤去され、今回再制作されたもの。
●多田美波作品は各地のホテルや公園、駅、劇場などにも残されている。知らず知らずのうちに目にしているわけだが、ワタシらにとって、いちばんなじみ深い場所に展示されているのは、以下の作品では。東京芸術劇場コンサートホールの1階席ロビーにある「調」(1990)。先日、サラダ音楽祭に足を運んだついでに撮ってきた。
geigeki2026tada.jpg

September 17, 2026

JPEG画像をMozJPEGで圧縮する

美ヶ原高原の写真 圧縮時サンプル
●Squooshというツールを使うと、JPEG画像を品質を保ちながら圧縮率を高めることができる。これまでこのサイトではSquooshでMozJPEGというエンコーダーを選んで、画像を圧縮してきた。かなりファイルサイズが小さくなるし、標準のJPEGと完全に互換性があるので、使わない手はない。SquooshはGoogleの提供。MozJPEGはMozillaの開発。安心して使える。
●で、Squooshで満足していたのだが、GUIで圧縮後の画質を確認しながら使えるのは便利な反面、いくつもある写真を一枚ずつ圧縮するのは面倒だ。圧縮時の品質はデフォルトの75の決め打ちでかまわないので、複数ファイルを一括でパッと圧縮させたい。どうするのがベストか。こういうときはAIの出番だ。ChatGPTとGeminiの両方に相談すると、いろんな解決策を提案してくれた。MozJPEGだと意外と既存ツールが少なく、自分の求める用途にはぴたりとはまらない。小さな専用アプリを作るという考え方もあるが、なるべく簡便で、なおかつ保守性が高い方法がよいので、最終的に採用したのはWindowsのバッチファイルを使うやり方。ChatGPTにバッチファイルまで書いてもらった。
●事前準備として必要なのは、Windows用のMozJPEGの圧縮&展開用のツールを入手すること。mozjpeg-windowsにビルド済みのバイナリがあるので、mozjpeg-x64.zipをダウンロードして展開しておく。実際に使うのはcjpeg-static.exeとdjpeg-static.exeの2ファイル。それぞれ圧縮と展開のための実行ファイルで、コマンドラインから動作する。ファイル名に「-static」が付いているのは実行に必要なライブラリがファイル内部に組み込まれているという意味で、このファイル単体で動作する。これらを置いた同じフォルダに、たとえば mozjpeg75.cmd といった名前で圧縮用のバッチファイルを置き、そのショートカットをWindowsのSendToフォルダに放り込んでおけば、エクスプローラーで画像ファイルを選択して、右クリックして「送る」から使うことができる(複数選択可)。以下はChatGPTに書いてもらった mozjpeg75.cmd の中身。少々乱暴だが、既存ファイルを上書き保存する仕様になっている。自分の使い方ではそれが便利なので。

@echo off
chcp 65001 >nul
setlocal EnableExtensions EnableDelayedExpansion

set "DIR=%~dp0"
set "CJPEG=%DIR%cjpeg-static.exe"
set "DJPEG=%DIR%djpeg-static.exe"

if not exist "%CJPEG%" (
echo cjpeg-static.exe が見つかりません:
echo %CJPEG%
pause
exit /b 1
)

if not exist "%DJPEG%" (
echo djpeg-static.exe が見つかりません:
echo %DJPEG%
pause
exit /b 1
)

if "%~1"=="" (
echo JPEGファイルを指定してください。
pause
exit /b 1
)

set /a OK=0
set /a ERR=0

:LOOP
if "%~1"=="" goto DONE

set "INPUT=%~1"
set "EXT=%~x1"

if /I not "%EXT%"==".jpg" if /I not "%EXT%"==".jpeg" (
echo スキップ: "%INPUT%"
echo JPEGではありません。
set /a ERR+=1
shift
goto LOOP
)

set "TMPBMP=%TEMP%\mozjpeg_%RANDOM%_%RANDOM%.bmp"
set "TMPJPG=%TEMP%\mozjpeg_%RANDOM%_%RANDOM%.jpg"

echo 処理中: "%INPUT%"

"%DJPEG%" -bmp -outfile "%TMPBMP%" "%INPUT%"
if errorlevel 1 (
echo デコード失敗
set /a ERR+=1
goto CLEANUP
)

"%CJPEG%" -quality 75 -progressive -outfile "%TMPJPG%" "%TMPBMP%"
if errorlevel 1 (
echo エンコード失敗
set /a ERR+=1
goto CLEANUP
)

if not exist "%TMPJPG%" (
echo 出力ファイルが作成されませんでした。
set /a ERR+=1
goto CLEANUP
)

for %%A in ("%TMPJPG%") do set "NEWSIZE=%%~zA"
if "!NEWSIZE!"=="0" (
echo 出力ファイルが空です。
set /a ERR+=1
goto CLEANUP
)

move /Y "%TMPJPG%" "%INPUT%" >nul
if errorlevel 1 (
echo 元ファイルの置換に失敗しました。
set /a ERR+=1
goto CLEANUP
)

echo 完了
set /a OK+=1

:CLEANUP
if exist "%TMPBMP%" del /Q "%TMPBMP%" >nul 2>&1
if exist "%TMPJPG%" del /Q "%TMPJPG%" >nul 2>&1

shift
goto LOOP

:DONE
echo.
echo 完了: !OK! ファイル
if not "!ERR!"=="0" echo エラーまたはスキップ: !ERR! ファイル

if not "!ERR!"=="0" pause
exit /b

●3行くらいのスクリプトで済むかと思いきや、例外処理をていねいに組み込んできたので、長い。djpegで展開した後、いったん懐かしのBMPで画像を吐き出し、これをcjpegで圧縮して、最後にBMPを削除する、という手順になっている。間にBMPを噛ませなくても同じことはできるけど、元ファイルを上書きすることを考えると、このやり方のほうがトラブル時に追跡しやすいとのこと(ChatGPT談)。実際に使ってみたところ、ひとまず問題なく動作している。Squooshを使うより、さらにお手軽。当面、このやり方で試してみよう。上に載せた写真はjpg100で622KBだったものが、MozJPEG 75で88.2KBに圧縮されている。

September 16, 2026

ユライ・ヴァルチュハ指揮読響のショスタコーヴィチ他

ユライ・ヴァルチュハ 読響
●15日はサントリーホールでユライ・ヴァルチュハ指揮読響。プログラムはシベリウスのヴァイオリン協奏曲(セルゲイ・ハチャトゥリアン)とショスタコーヴィチの交響曲第10番。前半はセルゲイ・ハチャトゥリアンが粘度の高い濃厚なソロ。久しぶりに聴いたけど、技巧は鮮やか、表現はクセ強めで、好みの分かれるタイプか。オーケストラは彫琢されており、雄弁。ソリスト・アンコールとして、曲の簡単な紹介の後、ナレカツィのアルメニア聖歌「鳥よ、鳥よ」。10世紀の曲と言われ、そんなに古いのと驚く。あとから調べたらナレカツィ(951~1003)はアルメニアの修道士・詩人なのだとか。清澄。
●後半、ショスタコーヴィチの交響曲第10番は引きしまった快演。弦楽器の芯のある深い響きがすばらしい。木管のソロも見事。ことさらに咆哮することなく、作品に込められたさまざまな要素、エゴ、恐怖、ロマンス、内省などを過不足なく伝える。第10番、いろんな点で第5番✕2だなと感じるんだけど、終着点が歓喜ではなく、DSCH音型で示される「自分」っていうところに戦慄する。自己回復の交響曲というか、自分のイニシャルを連呼するオレオレ交響曲というか。第5番の「カルメン」引用とリーリャとの関係、第10番の自己署名とホルンのエルミラ音型、第15番の人生の回想といったように、5の倍数の曲に私的な記号が埋め込まれる傾向を感じる。

September 15, 2026

サラダ音楽祭 メインコンサート「ボレロ」

●遡って11日は東京芸術劇場でサラダ音楽祭メインコンサート「ボレロ」。Sing and Listen and Danceの頭文字をとってSALAD。2018年からスタートした音楽祭で、メインコンサートではNoism Company Niigataのダンスが入るのが毎回の楽しみ。梅田俊明指揮都響、新国立劇場合唱団による豪華な公演で、プログラムは前半がグリーグの組曲「ホルベアの時代より」、ラターの混声合唱、金管楽器、打楽器とオルガンのための「グローリア」(オルガンに室住素子)、後半がラヴェルの組曲「マ・メール・ロワ」(演出振付/中尾洸太)、ラヴェルの「ボレロ」(演出振付/金森穣)。前半は弦楽器の曲と金管楽器の曲が一曲ずつで、後半はダンスが入る。舞台前方にダンス用のスペース。
●梅田俊明指揮都響は冒頭のグリーグから起伏に富み緻密。ふだんの定期公演と同様に充実した演奏。ラターの「グローリア」は特殊な編成なので、ライブで聴けるのは貴重。輝かしく金管が鳴り続けてハイカロリー。後半の「マ・メール・ロワ」では、Noismがキレのあるダンス。淡く柔らかな音楽に対してダンスはテンション高め。圧巻はおしまいの「ボレロ」。楽曲自体がひとつの巨大なクレッシェンドだが、ダンスも音楽に同期して次第に熱を帯び、爆発的なクライマックスを作り出す。エネルギッシュな生の謳歌。ダンスとオーケストラの連動性の高さという点で稀有な舞台だった。
サラダ音楽祭 ロワー広場 ミニコンサート
●開演前、地下のロワー広場で都響メンバーによる無料のミニコンサートがあった。フルート四重奏でトーク入り約30分ほど。モーツァルトのフルート四重奏曲第1番の第1&第3楽章や、ビゼー「カルメン」前奏曲など、親しみやすい名曲で音楽祭のムードを高めていた。

September 14, 2026

ファビオ・ルイージ指揮N響のフランツ・シュミット「7つの封印の書」

ファビオ・ルイージ N響 「7つの封印の書」
●12日はNHKホールでファビオ・ルイージ指揮N響。ルイージ念願のフランツ・シュミット作曲のオラトリオ「7つの封印の書」が演奏された。第2000回定期のときに投票で選ばれなかったのがこの曲(選ばれたのはマーラー「千人の交響曲」)。あのときはどう見ても「7つの封印の書」を選んでほしそうなラインナップだったけど、なにしろなじみが薄い。結果的にN響創立100年シーズンの開幕に演奏されて、首席指揮者ルイージ時代のハイライトというべき公演になったと思う。合唱は新国立劇場合唱団(合唱指揮冨平恭平)。ヨハネにテノールのミヒャエル・ラウレンツ、オルガン席で上方から歌った神の声にバスのダーヴィト・シュテフェンス、ソプラノに迫田美帆、メゾ・ソプラノに藤井麻美、テノールに伊藤達人、バスに加藤宏隆、オルガンに新山恵理。
●ライブで聴いたのは初めてなので、ほかとの比較はできないのだが、ルイージならではの壮麗さと澄明さを兼ね備えた「7つの封印の書」を聴くことができた。精緻。この曲、冒頭動機やおしまいの「ハレルヤ」など明快簡潔で力強い部分と、対位法を駆使した複雑で重層的な部分との対比が強烈で、曲想もオペラ風から聖歌までと振幅が大きい。ルイージはこれを型破りなキメラ的大作とするのではなく、古典性を獲得した真摯な宗教音楽として提示していたと思う。弛緩することなくまっすぐなドラマとして黙示録の物語を描く。休憩なし。
●フランツ・シュミットは敬虔に「ヨハネの黙示録」に向き合って曲を書いているので、この作品の難しさは黙示録そのものの受け入れづらさを反映していると思う。外見上の共通性があっても(ヨハネ/福音史家、神の声/イエス)、「マタイ受難曲」とは比較にならない手強さ。予備知識なしに聴くと、なぜ殺戮や飢饉や大地震のような災厄が訪れたのに輝かしいハッピーエンドの音楽で終わるのか、わからないかもしれない。大前提として、これらの災厄は神の意志で行われている。人々が待望する神の裁きが下されているのだ。つい現代人はこれを戦争や飢饉に対する警鐘のように受け止めたくなるが、そうではない。神の意思に従って、大勢の人々が死ぬ。そこには「敬虔な信徒なら生き残れる」みたいな選別はなく、みんなが死ぬ。というのも、ここでは現世的な幸福などに焦点は当たっておらず、問題は死後にある。千年王国を経て、新しい世界が作られる。ここで人々は復活を果たすのだが、だれもが永遠の生を手にするわけではない。そのあたりはちゃんと歌詞に歌われているわけだけど、「命の書」に名前を書かれている神に忠実な人だけが永遠の生を手にするのだ。じゃあ、名前が書かれていない人はどうなるかというと、火の池に放り込まれる。肝心の選別は死後なのだ(異教徒はどうなるんでしょうね……)。ちなみにここでの復活とは、「スター・ウォーズ」のジェダイみたいに霊的存在として天のどこかで生き続けるようなイメージではなく、イエスのような肉体を伴った復活だという理解。
●黙示録的な世界観は実はワタシたちにはポップカルチャーを通しておなじみのもので、アニメ「新世紀エヴァンゲリオン」やRPGゲーム「真・女神転生」シリーズ等でくりかえし登場している。でも、少なくとも日本で描かれる場合は、「世界の終わりと再創造」のゴールが本来の黙示録と違うところに設定されることがほとんど(あるいはすべて)では。「エヴァンゲリオン」の「人類補完計画」みたいなビジョンが掲げられたとき、「そんな完全かもしれない世界よりも、不完全であっても今わたしたちが有する人間性を失わないほうがいい」というのが主人公のスタンスになりがち。いちばんわかりやすいのが「真・女神転生」で、プレーヤーはゲームを通じて選択を重ねることで、神の秩序にもとづく新世界へと至るLawルート、悪魔による無秩序な混沌が支配するChaosルート、そのどちらでもない人間が今のままの人間として世界に向き合うNeutralルートのいずれかのエンディングにたどり着く。ヨハネの黙示録=フランツ・シュミットの「7つの封印の書」でたどり着くのは、当然ながらLawルート。教徒にとって、神の意志に反するゴールなどありえないだろう。でも、このゲームでもうっすらとした正解ルートのように見えるのは、人間中心主義(ヒューマニズム)のNeutralルート。ワタシたちは黙示録的世界が出てきたら神の意志に従わないのが正解ルートという物語をくりかえし摂取してきたので、本物の黙示録に対して「えっ、そっちがゴールでいいわけ?」的な困惑を抱いてしまうところに、「7つの封印の書」の本質的な難しさがあると思う。なぜそこで「ハレルヤ」なのかを体感的に理解できないというか。信仰とヒューマニズムの間の緊張関係があらわになる部分だ。
●「ヨハネの黙示録」の受け止め方は教派によってずいぶんと違うようだが、この著者ヨハネとはだれかという問題もある。伝統的には使徒ヨハネと同一人物とされてきたが、現代の学説では別人とされているのだとか。えっ、別のヨハネなの?と、びっくり。成立も紀元90年頃で意外と遅い。
●客席にロレンツォ・ヴィオッティの姿。ヴィオッティ指揮東響もまもなく「7つの封印の書」をとりあげる。恐るべき偶然。

September 11, 2026

ヴァレーズの「密度21.5」

プラチナとフルート
●エドガー・ヴァレーズの作品でいちばんよく演奏されているのは、無伴奏フルートのために書かれた「密度21.5」だろう(「比重21.5」とも訳される)。初演は1936年。この曲のタイトルがプラチナの密度を指していることはよく知られていると思う。プラチナの密度は21.45 g/cm³。3桁に丸めて21.5となっている。鉄の密度が7.87 g/cm³だから、大変な重さだ。初演者はフランス出身でアメリカで活動したジョルジュ・バレール。バレールはプラチナのフルートを用いていた。当初、ヴァレーズは題を付けていなかったが、楽譜を手渡した際にバレールから曲名を求められて、プラチナのフルートのお披露目として書かれたことから、プラチナの密度を曲名にすることを思いついたというエピソードが残っている(沼野雄司さんの「エドガー・ヴァレーズ 孤独な射手の肖像」を読むと、実際のところはもっと前から密度を曲名にするアイディアがあった可能性が高そうだが)。
●で、どうしてプラチナに焦点が当たっているかというと、バレールがとんでもない高額の楽器を購入して、その価格が話題になっていたから。金額は1936年時点での3000ドル(こういう比較は難しいけど、現代価値に換算すると1千万円以上か)、しかもバレールはその10年前にも1000ドルの金のフルートを使って話題を呼んだそうなので、「あのバレールがこんどはプラチナかよ!」という驚きがあったわけだ。1935年12月22日のTIMEの記事がネット上に載っていて(すごいね)、この記事によると「アメリカの3万人のプロのフルート奏者のうち、5人を除いて全員が銀かもっと安い金額の楽器を使っている。だが、バレールは10年前に1000ドルの金のフルートを演奏しはじめて、こんどは3000ドルのプラチナのフルートを披露した」。この記事は金属の密度について、銀が10.5、十四金が13.2、純金が19.3、純プラチナが21.5であることも紹介している。さらに、バレールの新しいフルートが、正確にはプラチナ90%、イリジウム10%でできており、密度は21.6になると記している(イリジウムはプラチナよりさらに重い)。ちなみにこの記事はヴァレーズが曲を書く前のもの。ヴァレーズはこの記事を読んだのかもしれない(記事同様に3桁に丸めているし、草稿段階でDensity 21.6という鉛筆書きを残しているそうなので。自分で計算して21.6の数字は出さないだろう)。
●バレールのコメントも紹介されている。「この楽器を使うのは、預金残高を誇示したいわけでも、大恐慌が終わったと言いたいためでもないんだ」。楽器の値段ばかりが話題になって不本意だと言いたげな口ぶりである。加えて、超高額な楽器が取りざたされる背景には、これが大恐慌の後だったという文脈があることがうかがえる。
●ただ、前述の沼野本で知ったけど、1936年の初演時の「密度21.5」は2分ほどの作品で、出版も録音もされず残っていないそうで、われわれは倍ほどの長さになった1946年の改訂稿しか知らないことになる。バレールはひんぱんにこの曲を演奏していたというから、どこかに初稿の放送音源が残っていないのだろうか。

September 10, 2026

オルタナティブ夏休み、千葉

chiba2026museum.jpg
●実は先週末から3日間、夏休みをとって、今年も諏訪湖と霧ヶ峰を訪れる予定だった。が、天気予報では3日間ともかなりの雨。おまけに都内の気温がぐっと下がり涼しい場所に行く理由を失ってしまったので、あきらめて宿も電車もキャンセルした。楽しみにしていたのが、こんな天候では仕方がない。それで、せめて近場で行ったことのない場所に行こうと考えて、日帰りで千葉へ。蘇我のスタジアムにはなんども行っているが、千葉県立美術館と千葉市美術館はまだだったので、はしごすることに。
●で、千葉県立美術館で見たのは「ひらく、めくる、めぐる―印刷博物館の美しい印刷」(すでに会期は終了)。貴重な書物がたくさん展示してあって、見ごたえがあった。もっとも、これはTOPPANの印刷博物館の協力によるもの。TOPPANホールと同じ建物のあそこだ。わざわざ千葉で見なくても、と思わなくもないが、こういう機会でもなければ見ないとも言える。

chiba2026museum2.jpg
●たとえば、これは1511年のデューラーの画による「黙示録」(ラテン語)。もうすぐN響と東響がフランツ・シュミットの「7つの封印の書」を演奏するが、そのテキストにもなった「ヨハネの黙示録」だ。500年前の書物がそこにあるという事実だけでも感激するわけだけど、こういったラテン語の書物にスマホを向けてGoogleレンズを使うと、その場で日本語で読めてしまう。あれもこれもと読ませてみて、すごい時代になったなと思う。
●撮影可が前提だが、美術館・博物館はAIと相性がよい。添えられたキャプションからさらに踏み込んだ知識を容易に得ることができる。たとえば、この「黙示録」がどういう場面を描いたものなのか、AIに要約してもらえる。これが「ヨハネの黙示録」第12章の「太陽をまとった女」と「大きな赤い竜」の場面であり、「天に大きなしるしが現れた/太陽をまとい、月を足の下に置き、頭に十二の星の冠をかぶった女がいた/また、七つの頭と十本の角をもつ大きな赤い竜が現れた/女は男の子を産み、その子は神のもとへ引き上げられた」といった聖句が記されていることがわかる。翻訳だけではなく、作品の魅力や解釈について話し相手になってもらい、そこから新たな気づきを得ることもしばしば。

chiba2026porttower.jpg
●せっかく千葉みなとまで来たので、千葉ポートタワーにも行ってみた。高いところが苦手なのに最上階の展望フロアへ。

chiba2026porttower2.jpg
●いろんな工場を見ることができる。サイロやコンテナ船、製鉄所、発電所など、ここは産業景観が見ものなのだと知る。

chibacity2026museum.jpg
●千葉みなとエリアで食事をとり、30分ほどの移動時間で千葉市美術館へ。こちらは企画展がお休み中で常設展のみだったが、十分に楽しめる。現代美術コーナーの本城直季作品がとくによかった。本物なのにジオラマみたいに見える写真。これは「small planet 千葉市中央区」(2021)。
●3日間の休みだったので、あとは映画「Michael マイケル」、映画「プロジェクト・ヘイル・メアリー」を観たのだった。コロナ禍のマイクロツーリズムを思い出す小規模な夏休み。

September 9, 2026

「音楽こそわが天命 ヘルベルト・ブロムシュテット自伝」[増補新版]

●ちょうど高松宮殿下記念世界文化賞の音楽部門受賞者にヘルベルト・ブロムシュテットが選ばれたというニュースがあったが、「音楽こそわが天命 ヘルベルト・ブロムシュテット自伝」(アルテスパブリッシング)の増補新版が刊行されている。聞き手はユリア・スピノーラ。これは2018年に刊行された本に、新たに2025年春に行ったインタビューを第9章「究極の決定はほかでくだされる」として追加したもの。
●増補新版で追加された第9章は20ページほど。かつてスウェーデンではブルックナーがなかなか受け入れてもらえなかったことや(スウェーデン放送交響楽団にデビューした際、なにを提案してもいいがブルックナーだけはダメだと言われたエピソードなど)、特別な思い入れを持つベルワルドの交響曲第3番をウィーン・フィルとベルリン・フィルで指揮した際の比較がおもしろかった。
●初出時の当欄での紹介はこちら。過去の失敗なども率直に語っており、必読の一冊だと思う。

September 8, 2026

映画「プロジェクト・ヘイル・メアリー」

●昨日に続いて映画の話題をもうひとつ。「プロジェクト・ヘイル・メアリー」(フィル・ロード&クリストファー・ミラー監督)をようやく見た。なにしろアンディ・ウィアーの原作小説があまりに傑作で、あの盛りだくさんの内容をどうやって2時間半強の映画に収めるのかと思っていたが、手際よく完成度の高い映画に仕立てられていて感心。主人公が宇宙船のなかで目を覚ますところから始まるのは原作と同じ。長期の昏睡状態から目覚めて、自分がなぜ地球からはるか離れた場所を飛んでいるのかも思い出せないが、次第に記憶がよみがえってくる。全人類の危機に対処するために片道旅行の恒星間宇宙船へと旅立ったのだった……。
●で、これが小説の場合はなにも知らずに読んでいて、あるところでまさかの出来事があって心底びっくりしたのだが、映画の場合はそうもいかないわけで、あらゆる紹介記事でその先の展開が書かれている。ていうか、予告編で盛大にネタバレしてるし。でも知らないで見たほうが感激すると思うんすよねー。
●原作に比べると、「サイエンス」がだいぶ軽くなって、「ドラマ」がしっかり残ったという印象。これはやむを得ないところで、映画内では主人公の思考経路を延々と独白させるわけにはいかない。映画は観てわかるものしか表現できない。一方、小説ではイメージがぼんやりしていたあれこれの造形をはっきりと伝えられるのは映画の強み。宇宙船とか、あれやこれやを目にできて感激。宇宙船が回転して人口重力を作る様子とかも、やっぱり目で見ると熱い(と、肝心なことはぼかす、無駄な抵抗と知りながら)。

September 7, 2026

映画「Michael マイケル」

●遅ればせながら、映画館で「Michael マイケル」(アントワン・フークア監督)。ほぼ予備知識なしに見たけど、目と耳がスクリーンにくぎづけ。同時代のスーパースターとはいえ、マイケル・ジャクソンの音楽に興味を持ったことのない自分が、これほど感激できるとは。
●てっきりマイケル・ジャクソンの光と影、栄光と転落を描いたものかと思いきや、そうではなく、少年時代からスーパースターへとのぼりつめる「前半部分」でできている。だから映画のなかではハッピーエンドで終わるんだけど、これは納得で、映画の真の主役は音楽とダンス。次から次へと登場するマイケルの名作(さすがに懐かしい)。どれも色褪せていない。少年時代から並外れた歌唱を聴かせ、ダンスはキレッキレ。すげえな……と思ったところでハッと気がつく。これ、ドキュメンタリーじゃなくて映画だった。じゃあ、歌ってるのはだれ? 踊ってるのはだれ? 役者が演じているとはとても思えない。マイケルそのものじゃん!
●観終わってから知ったんだけど、マイケル役はジャファー・ジャクソン。マイケルの甥(ジャーメイン・ジャクソンの息子)で、ミュージシャンでありダンサー。完全にマイケルが憑依している。これはジャファーが歌ってるの? それともマイケルの歌をテクノロジーの力を借りて被せているの? 途中で顔が変わるのはどうやってるの。子役がちゃんと成長しているのはなぜ。スタジアムでのライブ・シーンが本物に見えるんだけど、どこまでCGなの? すべてがあまりに本物らしくて、狐につままれた気分。

September 4, 2026

アクセスログとAIの足跡

アクセスログをイメージしたイラスト
●ふだん、このサイトのアクセスログを見ることはないが、思うところがあって久々に生ログを眺めてみた。現状、このサイト全体で一日あたり平均1万1千から1万2千ページのアクセスがある。昨年の11月に遅まきながらサイトをセキュア化したら(httpからhttpsにした。遅すぎ)、アクセス数が即座に回復し、今も増加傾向にある。それまではhttpであるがゆえに年々Googleからのランク付けが下がっていたようなのだが、httpsにしたら戻ったらしい。
●もっとも、一日に1万2千ページ読まれているといっても、本日の新しい記事をその日のうちに読んでくれる人は推定10分の1程度で、大半のアクセスは過去記事に対してのもの。毎月、Googleからアクセス上位ページのランキングが送られてくるが、決まって上位に入る記事がいくつかあって、そのなかには大昔の記事も含まれる。そういった上位記事は累計するとけっこうなアクセス数になるだろう。XなどSNS上の人気投稿は数時間から一日くらいで爆発的に広まって数日で落ち着くのに対して、ブログの記事は何か月とか何年とか経ったときに「あ、これ、実はバズってた」「こっちはだれも読んでなかった」とわかる長距離砲みたいな感じだ。アーカイブめがけて遠投している気分で、どこまで飛んだかは時間が経たないとわからない。
●で、どうしてアクセスログを見たかといえば、理由はAIだ。あるとき、Geminiに質問をしたら、回答の典拠として自分のブログが出てきた。少し間抜けな状況だが、AIが読みに来てくれているのは歓迎すべきこと。じゃあ、その足跡がアクセスログに残ってるんじゃないの?と思い、確かめてみたのだ。
●たった一日のログを見ただけなんだけど、AIはいっぱい来てた。たとえば、ChatGPTからやってくるクローラーには3種類あって、それぞれ異なるUser-Agent名を残していく。各々の名前と役割はこうなっている(ChatGPT本人談)。

GPTBot:AIモデルの学習・改善に利用する可能性のあるコンテンツ収集
OAI-SearchBot ChatGPT:Search用の検索インデックス作成
ChatGPT-User:ユーザーの質問・操作に応じて、その場でページを取得

この3種類とも1日分のログファイルに含まれていた。AIの学習用にはGPTBot、ユーザーからの質問に答えるためにその都度検索してくるのはChatGPT-User、みたいに役割分担がでてきているのがおもしろい。これがClaudeの場合だと、以下のようになる。

ClaudeBot:モデル開発・学習に利用されうるWebコンテンツの収集
Claude-User Claude:ユーザーの質問に応じて、その場でWebページを取得

こちらもしっかり来ていた。AIたちがウチのどの記事を学習したか/検索したかを知ることができるのは興味深いが、公開記事なんだから来てくれて当たり前ではある。検索エンジンと同じだ。
●ただ、困った面もある。ユーザーは検索エンジンで見つけた情報については、参照元のサイトを見に来てくれるが、AIで知った事柄については参照元にほぼ来ない。AIとユーザー間の会話だけで完結する。AIが強力になればなるほど、ユーザーが参照元にアクセスする機会は減るだろう。コンテンツ発信者側からすると、発信する意義が感じられなくなったり、ビジネスとして成立しなくなったりする。だが、AIの集合知とはもともと人間の発信者から学習してできあがっているわけで、その学習元がやせ細っていくという状況はAIが自分で自分の首を絞めているようにも思える。今後、発信者側はどうするのが正解か……ということを当のChatGPTと話し合ったのであった。

September 3, 2026

鈴木愛美 小井土文哉 谷昂登 Concerto Festival

●2日は東京オペラシティで「鈴木愛美 小井土文哉 谷昂登 Concerto Festival」。3人の若手ピアニストが登場して、一夜で3曲の協奏曲を弾くという演奏会。前半は小井土文哉がラヴェルのピアノ協奏曲、谷昂登がシューマンのピアノ協奏曲、後半は鈴木愛美がベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番を弾いて、沼尻竜典指揮東響と共演。3人ともこれまでに1~3回ほど聴いたことのある人なので、サプライズではなく、それぞれが進境を示す好演。小井土文哉のラヴェルは軽妙洒脱というよりは重くロマン的で、筆圧強め。谷昂登のシューマンは強靭なタッチで白熱、前へ前へと直線的に驀進するシューマン。
●白眉は鈴木愛美のベートーヴェン。清新さと格調高さを兼ね備えた本格派のベートーヴェンで、造形としてはオーソドックス。作品の核心に迫る説得力のある表現。華よりも聡明さを感じる。これまでにくりかえし第3番を弾いていたけど、今回は第4番。着実に作品を手の内に収めているといった様子。客席は盛大な喝采。オーケストラも集中度が高く、サポート役に留まらない聴きごたえのある演奏。東響は歴代指揮者陣との蓄積があって、やはりベートーヴェンがうまい。

September 2, 2026

「ハウスメイド」(フリーダ・マクファデン)

●気軽に読めるミステリーを一冊紹介。フリーダ・マクファデン著の「ハウスメイド」(高橋知子訳/ハヤカワ・ミステリ文庫)。なんと、全米200万部突破の大ベストセラー。シリーズの続刊も好調らしく、あまりに評判が良いので、まずは第1冊を読んでみた。主人公は10年も刑務所に服役した女性。仕事も住む場所もなく、車のなかで寝起きする窮状にあったが、運よく豪邸に住み込みで働くハウスメイドの仕事を手に入れる。だが、この一家はなにかおかしい。旦那は最高にハンサムで優しいのだが、雇ってくれた奥さんは要求が支離滅裂で意地が悪い。娘は生意気で、異様に扱いづらい。主人公は屋根裏部屋を与えられるが、鍵は外からしか掛けられないことに気づく。
●イヤ~な予感しかしないし、困った出来事が次々と起こるのだが、ミステリーとしての仕掛けはしっかりしていて、ある章を起点として、これまでとはまったく違った光景が見えてくる。意外性があると同時に古典的ともいうべきか。登場人物が少なく、ストーリーが明快で読みやすいのも吉。意外と後味もよい。なので十分におもしろいのだが、200万部も売れたのは、この本がミステリーであると同時にロマンス小説でもあるからだろう。自分はむしろそっちのほうが予期せぬ展開でびっくりした。えっ、そうなっちゃうの、えっ、なんでその人がそうなるわけ?みたいな。しかし、これの性別を逆にした展開は世の中に無数にあるはずで、その点で新たな気づきを得た一冊。
●そういえば、ミステリーで思い出したけど、アガサ・クリスティーが書いたミステリーじゃない小説、「春にして君を離れ」が光文社古典新訳文庫から廣野由美子訳で刊行されている。自分は旧訳でしか読んでないけど、これは打ちのめされるような傑作。クリスティーはミステリーを書かなかったとしても偉大な作家になったんじゃないだろうか。これ、ただの嫌なオバサンの話じゃなくて、ワタシやあなたについての小説だと思う。新訳で読み直してもいいかもしれない。

September 1, 2026

メルヴィル「白鯨」 その6 海のマクベス

白鯨の表現主義風イラスト
●(承前)メルヴィルの「白鯨」は大著だが、白鯨すなわちモービィ・ディックが本当に姿を現すのは最後の3章だけだ。その1で第132章「交響楽」について書いたけど、その直後の第133章「追跡──第一日」から第135章「追跡──第三日」まで。狂乱のエイハブ船長は三日間にわたって執拗に白鯨を追う。戦いの場面は壮絶だ。エイハブは叫ぶ。

「打ち込め、打ち込め、おまえの釘をな、おお、波よ! 釘の頭が沈みこむまで打つがよい! だが波よ、いくら打っても、打ちつける蓋はないぞ。あいにく、わしは棺桶にも柩車にも縁はないのだ──この世でわしを殺せるのは麻縄だけだ! はっ! はっ!」(第135章)

●この台詞は第117章「鯨番」での拝火教徒フェダラーの予言を受けている。拝火教徒はエイハブに向かって「棺桶も柩車も、あんたとは無関係だ」「麻縄以外では死なん」と予言する。エイハブは「絞首刑でしか死なん、という意味だな──そうなりゃ、わしは陸でも海でも不死身ということになる」と解して哄笑する。これは今どきの言い方でいえば「フラグが立つ」というヤツだ。エイハブは神をも恐れぬ様子でモービィ・ディックと戦うが、最期はあっけない。

 銛が投じられ、銛を打たれた鯨は急発進し、綱は摩擦で発火せんばかりの勢いで綱受けの溝を疾走し──溝をはずれた綱はもつれた。エイハブは身をかがめてもつれをなおそうとし、事実みごとにもつれはなおしたが、桶から飛ぶように繰り出す綱がその首に巻きつき、トルコの啞者の絞首刑執行人が犠牲者の首をしめるときのように声もなくボートから姿をけしたので、乗組みはだれもエイハブがいなくなったことにしばらく気づかなかった。

拝火教徒の予言通り、綱が首に巻きついて、エイハブは海に消える。しかも、だれにも気づかれずに。メルヴィルが書きたかったのはこれか、と思う。エイハブはずっとモービィ・ディックに意味と物語を与え続けていたが、相手は最後の最後まで超然とし、エイハブのことなど歯牙にもかけない。エイハブは己の妄執に殺されたともいえる。
●この拝火教徒の予言とエイハブの解釈は、シェイクスピアの「マクベス」を強く連想させる。「女から生まれた者には倒されない」「バーナムの森が動かないかぎり敗れない」という魔女の予言に己の無敵を信じるマクベスの姿は、エイハブとぴたりと重なる。(→つづく)

あなたのためのAI

このアーカイブについて

このページには、2026年9月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2026年8月です。

次のアーカイブは2026年10月です。

最新のコンテンツはインデックスページへ。過去に書かれた記事はアーカイブのページへ。