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2026年9月アーカイブ

September 1, 2026

メルヴィル「白鯨」 その6 海のマクベス

白鯨の表現主義風イラスト
●(承前メルヴィルの「白鯨」は大著だが、白鯨すなわちモービィ・ディックが本当に姿を現すのは最後の3章だけだ。その1で第132章「交響楽」について書いたけど、その直後の第133章「追跡──第一日」から第135章「追跡──第三日」まで。狂乱のエイハブ船長は三日間にわたって執拗に白鯨を追う。戦いの場面は壮絶だ。エイハブは叫ぶ。

「打ち込め、打ち込め、おまえの釘をな、おお、波よ! 釘の頭が沈みこむまで打つがよい! だが波よ、いくら打っても、打ちつける蓋はないぞ。あいにく、わしは棺桶にも柩車にも縁はないのだ──この世でわしを殺せるのは麻縄だけだ! はっ! はっ!」(第135章)

●この台詞は第117章「鯨番」での拝火教徒フェダラーの予言を受けている。拝火教徒はエイハブに向かって「棺桶も柩車も、あんたとは無関係だ」「麻縄以外では死なん」と予言する。エイハブは「絞首刑でしか死なん、という意味だな──そうなりゃ、わしは陸でも海でも不死身ということになる」と解して哄笑する。これは今どきの言い方でいえば「フラグが立つ」というヤツだ。エイハブは神をも恐れぬ様子でモービィ・ディックと戦うが、最期はあっけない。

 銛が投じられ、銛を打たれた鯨は急発進し、綱は摩擦で発火せんばかりの勢いで綱受けの溝を疾走し──溝をはずれた綱はもつれた。エイハブは身をかがめてもつれをなおそうとし、事実みごとにもつれはなおしたが、桶から飛ぶように繰り出す綱がその首に巻きつき、トルコの啞者の絞首刑執行人が犠牲者の首をしめるときのように声もなくボートから姿をけしたので、乗組みはだれもエイハブがいなくなったことにしばらく気づかなかった。

拝火教徒の予言通り、綱が首に巻きついて、エイハブは海に消える。しかも、だれにも気づかれずに。メルヴィルが書きたかったのはこれか、と思う。エイハブはずっとモービィ・ディックに意味と物語を与え続けていたが、相手は最後の最後まで超然とし、エイハブのことなど歯牙にもかけない。エイハブは己の妄執に殺されたともいえる。
●この拝火教徒の予言とエイハブの解釈は、シェイクスピアの「マクベス」を強く連想させる。「女から生まれた者には倒されない」「バーナムの森が動かないかぎり敗れない」という魔女の予言に己の無敵を信じるマクベスの姿は、エイハブとぴたりと重なる。

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