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2026年8月アーカイブ

August 31, 2026

メルヴィル「白鯨」 その5 冷蔵庫もない時代に船でなにを食べていたか

19世紀捕鯨船の船員食
●(承前)まだ続く、ハーマン・メルヴィルの「白鯨」の話題。この大作のなかで妙に印象に残るのが、捕鯨船内での食事のシーン。第34章「船長室の食卓」では、船内のヒエラルキーが食事を通して描かれる。正午になると船長室にエイハブ船長、一等航海士スターバック、二等航海士スタッブ、三等航海士フラスクが集まって食事をとる。厳粛な雰囲気で、船長が肉を切り、航海士たちが黙って皿を差し出して受け取る。

それからうやうやしく肉にナイフをいれ、ナイフが皿にこすれて音をたてたりしようものなら、一瞬びくりとする。肉をかむときにも音をたてないように注意し、のみこむときにもそれなりの用心をする。船長室で行われる食事は、ドイツ皇帝が七人の選挙侯と粛々と食事をするのがならいのフランクフルトで行われる戴冠式の晩餐会にいくらか似て、絶対的な沈黙のうちに行われる。

●このなかでいちばん下っ端のフラスクは、塩漬け牛の脛肉や鶏の足先をあてがわれるが、バターには手を出さない。バターは貴重品なのだ。とはいえ、これは船でいちばん偉い人たちの最高ランクの食事。彼らに続いて、二番手グループがやってくる。3人の銛打ちだ。彼らは自由奔放に大騒ぎをしながら食べ、旺盛な食欲を満たす。給仕は大忙しだ。
●たぶん、船長室で給仕を伴って食事をとれるのはここまでだろう。下級船員たちははるかに質素なものを、テーブルなどないような場所で食べていたはず。メルヴィルは実際に捕鯨船に乗った経験があるわけだが、その立場は末端船員で小説内のイシュメールの立場に近い。下記参考サイトの記述によれば、船には塩漬け肉、乾パン、乾燥豆、米などの保存食が積まれていたが、食べ物にはイヤな虫がついていたり、腐敗したりと大変だったようだ。なにせ3年間、常温で保存するのだ。そう考えると、鯨肉のステーキをありがたがる者がいても不思議ではない。フレッシュな肉を食べることができるのだから。(→つづく

August 28, 2026

サントリーホール サマーフェスティバル 2026 サントリーホール開館40周年記念「時を編む響」

●27日はサントリーホールで、サマーフェスティバル2026 サントリーホール開館40周年記念「時を編む響」。18時30分開演の3部構成の長丁場で、第1部と第3部に日本初演の作品が2曲ずつ、真ん中の第2部が三善晃と武満徹の「古典」という構成。出演者は日本の気鋭がずらりとならんで豪華。第1部がカミーユ・ぺパンの弦楽四重奏のための「シルヴァカーヌの水の葉」(2019)、池田亮司の9本の弦楽器のための「op.1」(2000~01)(以上、石上真由子、小林壱成ほか)、第2部からは沼尻竜典指揮東京交響楽団が登場して、三善晃のソプラノとオーケストラのための「決闘(Duel)」(1964)(ソプラノ:砂田愛梨)、武満徹のピアノとオーケストラのための「リヴァラン」(1984)(ピアノ:小林愛実)、第3部がショーン・シェパードの管弦楽のための「表現抽象主義」(2017)、トーマス・アデスのヴァイオリンとオーケストラのための「アリア(エア)」~シベリウスへのオマージュ(2021~22)(ヴァイオリン:成田達輝)。終演は21時15分くらいだったかな。18時30分スタートは大正解。
●サマーフェスティバルはカギカッコつきの「現代音楽」を聴く演奏会。一方で、幅広い人々に聴かれる現代の音楽の世界があって、両者は並行宇宙のように交わらないなとずっと感じてきたけど、この日の一曲目のカミーユ・ぺパンのポストミニマル風の作品や、おしまいのアデスの息の長い旋律を聴くと、そう物事は割り切れるものではないなと認識を改める。全体をふりかえってみると、力量のあるソリストが入った2曲、武満徹「リヴァラン」とアデスの「アリア」が印象的だったかな。並べて際立つ武満のオリジナリティ。アデス作品はシベリウスの交響曲第7番や「タピオラ」から未来へとジャンプしたような音楽で、透明感のある清澄な旋律が終わることなく続くかのよう。予期せぬまっすぐな美。

August 27, 2026

「スター・ウォーズ/キャシアン・アンドー」

●以前、映画「スター・ウォーズ/マンダロリアン・アンド・グローグー」を紹介したが(実は育児映画の傑作)、映画は映画として、Disney+配信の「マンダロリアン」シーズン1~3もたいへんおもしろい。Disney+にある「スター・ウォーズ」スピンオフ作品はどれもよくできている。最強の賞金稼ぎを主人公にした「ボバ・フェット」や、ジェダイ・マスターの物語「オビ=ワン・ケノービ」も楽しいが、いちばん感心したのは「キャシアン・アンドー」。
●キャシアン・アンドーは反乱軍の英雄で、デス・スターの設計図を手に入れるために決定的な役割を果たした。その活躍は、第1作であるエピソード4の前史である映画「ローグ・ワン」で描かれている。で、その「ローグ・ワン」のさらに前日譚にあたるのが、ドラマシリーズの「キャシアン・アンドー」。この人物の出自、なぜ反乱軍に加わったのかが描かれているのだが、シリーズ全体にわたって脇役たちの人物像がしっかり掘り下げられており、抜群におもしろい。「スター・ウォーズ」とは思えないほど、しっかりした群像劇になっている。
●帝国の硬直した官僚主義の歪みと冷たさ、母親の過干渉と息子の屈折した承認欲求、正義と悪には割り切れない政治劇、個人と社会の相克、絶望的な監獄からの脱獄劇など、テーマは盛りだくさん。トーンは暗めなのに、上質のユーモア(なかなかスパイシー)を備えているのも吉。「スター・ウォーズ」本編はディズニーに移ってあんなことになってしまったが、スピンオフ作品の秀逸さには舌を巻く。

August 26, 2026

松本駅からバスで行く美ヶ原高原 2026

美ヶ原高原
●セイジ・オザワ松本フェスティバルの翌日、今年も松本駅から直行バスで美ヶ原高原へ。これで3年連続、同じパターン。すごい景色が目の前に広がる。松本の公演は日帰りでも十分だが、近辺に自然散策を楽しめる場所がたくさんあるので、泊って遠足をくっつけたくなる。といっても本格的なハイキングは体力的にも装備面でも無理なので、バスで上まで登って、なるべくなだらかな高地を歩く作戦。

美ヶ原高原 王ヶ鼻
●ここは美ヶ原高原の王ヶ鼻。標高2000m。涼しい。バスで行けるのは標高1905mの美ヶ原自然保護センターまで。そこから100mしか登らない。歩きやすいコースで、30分ほどで着く。ここまではあっという間。ハイキングコースはこちらを参照。

美ヶ原高原
●その後、王ヶ頭(最高峰の2034m)を経由して、平坦な牧場への道が続く。空が近く感じられる。

美ヶ原高原
●左を向いても、右を向いても牛がいる。ムシャムシャと草を食んでいる。脳内に「羊は安らかに草を食み」が流れ出す。牛だけど。

美ヶ原高原
●やがて、係のおねえさんが牛たちに塩を与えた。みんな大喜びで塩を舐めだした。もうたまらないぜ、この味、っていうくらいの勢い。草を食んだら、塩を舐める。サラダなのか。

美ヶ原高原
●ここにはポニーも2頭いる。200円を払えば、ポニーにニンジンを与えることも可。200円の「2」のところに紙が貼ってあって、きっと100円から200円に値上げしたのだろと思う。インフレである。これくらい気持ちよく、オレたちも原稿料を値上げしようぜっ!

美ヶ原高原
●どっちを向いても絶景だ。そのまま道をまっすぐ進み、山本小屋ふる里館まで行き、一息ついてから(100円の有料トイレあり。ありがたし)、来た道を引き返した。前にも書いたが、ここはバスの都合で滞在時間が約6時間半になる。このコースだと、往復で歩行時間は正味3時間半くらい。たっぷり休憩を楽しみながら5時間半から6時間くらいで回って、あまった時間はバス停のそばのカフェで過ごす。下山のバスを逃すと困ったことになるので、余裕をもって戻る。
●いつの間にか、上田駅から道の駅美ヶ原高原に向かう観光バスができていた。これを使えば、松本駅から上田駅、あるいはその逆のコースも可能になったということなのか? 帰ってから気がついた。
●今のところ、毎回天候に恵まれているが、自然散策の泣き所は雨が降ったとき。プランBが必要になる。とくに月曜日は美術館などはだいたいどこもお休みになるので難しい。実は長野県立美術館は水曜日が休館なので、雨天の場合は長野まで移動して美術館に行くことを考えていたが、幸い今回も晴天だった。

August 25, 2026

セイジ・オザワ松本フェスティバル 沖澤のどか指揮サイトウ・キネン・オーケストラ

沖澤のどか指揮サイトウ・キネン・オーケストラ
●23日は松本へ。セイジ・オザワ松本フェスティバルの沖澤のどか指揮サイトウ・キネン・オーケストラ(キッセイ文化ホール)。プログラムはメシアンの「トゥランガリーラ交響曲」(トゥーランガリラ交響曲)一曲のみ。ピアノは務川慧悟、オンド・マルトノは原田節。オーケストラ・メンバーはこちら。前日の公演で、沖澤が右手を痛めて左手で指揮をしたという話を目にしたが、この日は棒を持たずに右手もしっかり振って、全身で音楽を雄弁に語るような精力的な指揮ぶり。緻密でキレのある演奏で、これまでに聴いたなかでももっとも整然として爽快なトゥランガリーラ交響曲だったかもしれない。すこぶる眉目秀麗で、モテない男の妄想と邪念が大爆発したみたいなトゥランガリーラではなく、「あれ、お前、そんなに清潔感のあるイケメンだったっけ?」みたいな発見あり。カオスではなく古典。
●2年前に同コンビのブラームスを聴いたときは、小澤征爾への献奏みたいな印象を受けたけど、今回も小澤征爾ゆかりの作品だった。
●沖澤のどかとの首席客演指揮者の契約が2031年まで延長されたと発表された。朗報。首席指揮者というポジションはないんだっけ。

草間彌生「大いなる巨大な南瓜」
●公演の前に、今年も少しだけ松本市美術館に寄る。企画展のウジェーヌ・ブーダン展は東京のSOMPO美術館で先に見ているので、コレクション展へ。草間彌生「大いなる巨大な南瓜」(2017)など。こちらも以前に見ているが、なんどでも。

August 23, 2026

J1リーグ第3節 マリノスvs神戸 またも16歳の三井寺眞がゴール!

●DAZNでJ1リーグ第3節、マリノスvs神戸を観戦。なんと、またも16歳の三井寺眞がゴールを決めてしまった。前半9分、ゴール前でのこぼれ球を鮮やかにボレー。今、マリノスはいい選手をどんどん獲られてしまう立場のチームになってしまったが、三井寺はまだ高校1年生なので、卒業まではマリノスにいてくれるんじゃないかと期待。
●神戸はどういうわけか大迫、武藤の二枚看板がベンチにも入らず。元マリノス勢としては渡辺皓太が途中出場。軽くブーイングが出たか。アンデルソン・ロペス、扇原はベンチ外。ターンオーバーが必要な局面ではなかったのだが、ミヒャエル・スキッベ監督は前節から6人も入れ替えた模様。相手側のチーム事情はよくわからないが、強度で勝負するチームがふだんよりも強度を欠いたという印象。前半はマリノスがゲームを支配。後半から神戸が押し込む展開になったが、マリノスは気迫の守備で耐えきった。マリノス 1-0 神戸。実は両チーム合わせて、枠内シュートは三井寺の1本だけ……。
●マリノスは中盤の底の新戦力、知念慶が頼もしい。チームに活力をもたらすファイター。途中出場のフォワード、二田理央も前線からのプレスでチームを助けてくれた。スティーブ・コリカ監督は3戦連続で先発メンバーを固定し、選手交代は遅め。開幕戦はひどい逆転負けだったが、2連勝して2勝1敗になった。今季は残留争いになるものと思っていたのだが、チーム状態は思ったよりもよさそう。
●24日(月)の更新はお休みです。

August 21, 2026

有能だが扱いが難しいアシスタントの話

考えるPCパーツ
●8月21日は本サイトの誕生日。始まりは1995年に遡るが、当時はまだ商用サイトというものはほとんどなく、日本語ウェブの世界は大学の研究室や個人の手作りサイトが中心になっていた(GoogleもAmazonもYahoo! Japanも存在しないネットの世界を想像できるだろうか)。ウェブサイトの仕組みは今よりずっとシンプルで、HTMLの書き方は一日あれば学べたし、エディタを使って手で書くものだった。だれもがインターネットの発明で世界が変わると言い、実際にその通りになった。「インターネットでなにができるんですか?」という質問に、鼻息荒く「なんでもできます!」と答えていた人がいて失笑を買っていたが、ざっくり言えば、あれは当たっていた。
●今、同じようなことが生成AIの分野で起きている。出てきてしばらくは「おもしろネタ」として当欄でもなんどかとりあげたが、もうそんな段階はすっかり終わって、日々の仕事や暮らしのなかに溶けこんでいる。前にも書いたように、このサイトはAIにたくさんコードを書いてもらうことでモダン化できた(HTML、CSS、CMSのテンプレートやPerlスクリプトなど)。今のウェブページの作り方、つまりどういうタグを埋め込むべきか/埋め込まないほうがよいのかも学ぶことができた。
●仕事でも使う。あれこれと試行錯誤して学んだことは、「AIは有能なアシスタントである、しかし決してAIに原稿を書かせない」。今、巷にAIが描いた絵があふれているが、いかにもAIっぽい画風だともう見てもらえない。文章も同じで、SNSやAmazonのレビューにまで「あ、これ、AIの文体だ」とわかるものが出てきた。AIが書いたと気づいた瞬間、興味が失せる。ある紙媒体でAIの文体だとわかる原稿を見つけてしまった。やっぱり、わかるのだ。なぜならその場所だけ、その人のふだんの声が聞こえなくなり、別人の声が聞こえてくるから。そして、読む気が失せる。人間は人間がかいたものにしか興味がわかない。原稿書きの仕事はどんなに下調べやアイディア出しの段階でAIを使っても、最終出力は自分が一から書かないと、おかしなことになる(他人の口で語ることになる)。
●一方で、「壁打ち」「資料集め」「翻訳」「校閲」「文字起こし」の局面ではAIは強力だ。とくに言葉の壁がなくなったのは大きい。英語、フランス語、ドイツ語はもちろん、ポーランド語やロシア語だって読める。たとえば、「チャイコフスキーがこれこれについて記している手紙を信頼度の高いサイトから探し出してほしい。原文がロシア語なら英訳が載っているサイトも見つけてほしい。さらに日本語訳も用意してほしい」みたいなリクエストを出せる。日本語文献でよく見かける作曲家の言葉とか手紙なんかも、原文でその前後まで教えてほしいと頼むと、だいたい要望に応えてくれる(有料版前提)。翻訳の質も以前より格段に向上している。以前は頻発したハルシネーションもあまり見なくなった。一方で、よくまちがえるのは事実なので、AIの言うことは鵜呑みにせずに、参照元を確認するなど、裏取りは欠かせない。自分が詳しい分野について使うとわかるが、AIが見当違いなことを自信満々で力説することは珍しくない。とくに「校閲」は諸刃の剣で、編集の仕事を理解していない人が使うと怖いことになる。
●AIがおかしなことを言ってきたときは、反論するのではなく、ただ無視すればいい。相手に感情はないので、失礼ではない。AIには感情も意識もない。AIはある単語に続く単語を確率的に予測しているだけ。自然言語であれプログラミング言語であれ、AIはまずトークン列として受け取り、文脈に応じてベクトルを更新しながら、次のトークンを予測している。「思考」の前提に「意識」を求めるなら、明らかにAIは思考していない。ある入力に対して、結果的に思考と同じ出力が得られるということが今の生成AIなる発明の肝。……であるはずなのだが、ときどき、そうは思えなくなる瞬間がある。ある種の飛躍を遂げているというか。時間の問題でそこに神秘を見出す集団が出てくるはずだし、信仰の対象になってもおかしくないと思っている。

August 20, 2026

全国共同制作オペラ「イル・トロヴァトーレ」記者発表会

全国共同制作オペラ「イル・トロヴァトーレ」記者発表会
●18日は東京芸術劇場で全国共同制作オペラ「イル・トロヴァトーレ」記者発表会へ。毎回、東京芸術劇場ほか各地で上演されるこのシリーズ、今年の演目はヴェルディの「イル・トロヴァトーレ」。演出は高岸未朝。10月18日の金沢歌劇座を皮切りに、大阪の枚方市総合文化芸術センター、東京芸術劇場、新潟県民会館の各地で開催される。オーケストラと合唱は各地の団体で行う方式。東京公演はザ・オペラ・バンドとザ・オペラ・クワイア。指揮者はふたりいて、東京は熊倉優、それ以外の3都市は飯坂純。写真は演出の高岸未朝、マンリーコ役の笛田博昭(全公演)、アズチェーナ役(石川・新潟)の清水華澄。東京のキャストは谷口睦美(アズチェーナ)、木下美穂子(レオノーラ)、大西宇宙(ルーナ伯爵)、田中大揮(フェランド)他。
●高岸「このオペラは光と影のオペラ。大きくわけて8つのシーンからなるが、ほぼすべてが夜。そこに光を意味する名前がふたりいて、ルーナ(月の光)とレオノーレ(光)。ふたりのセレブリティが光となり、マンリーコとアズチェーナが闇となる」。あ、言われてみれば、と納得。
●このシリーズ、全作を見ているわけじゃないけど、近年では上田久美子演出の「田舎騎士道(カヴァレリア・ルスティカーナ)」&「道化師」 が出色だと思った。「イル・トロヴァトーレ」は筋がわかりづらいけど、音楽も物語も最高なので(赤ん坊を火にくべるときはダブルチェックせよ……)、期待している。

August 19, 2026

読響サマーフェスティバル2026「三大協奏曲」

読響 「三大協奏曲」 2026
●18日は東京芸術劇場で読響サマーフェスティバル2026「三大協奏曲」。一晩で3人のソリストを聴けるお得な公演。18時30分開演で、夜が遅くならないのがありがたい。今年の出演者はヴァイオリンの佐々木つくし、チェロの水野優也、ピアノの角野未来。指揮は角田鋼亮。前半がメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲とドヴォルザークのチェロ協奏曲、後半がチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番。佐々木つくしのメンデルスゾーンは自然な音楽の流れを保ちつつ、静かに白熱。水野優也のドヴォルザークは力強く輝かしい。分厚いオーケストラの響きに埋もれることなく、雄大な音楽を築きあげる。この日の白眉。角野未来のチャイコフスキーは強靭さやスペクタクルよりも、作品に込められた抒情性と幻想味に焦点を当てる。指揮の角田鋼亮はソリストの背景に溶け込むのではなく、オーケストラから力強く推進力のある音楽を引き出して好感度大。
●メンデルスゾーンが楽章間の拍手を嫌って曲をつなげて書いたという話はよく目にするけど、ドヴォルザークのチェロ協奏曲とかチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番は第1楽章が終わったところで「はい、拍手、どうぞーー!!」っていう書かれ方をしていると思う。実際、拍手したくなる。だれもしないけど。19世紀には楽章間に拍手をするだけではなく、そもそも協奏曲や交響曲を全曲続けて演奏するとは限らず、楽章間に別の曲を挟むことすらあったわけで、たとえばショパンのピアノ協奏曲第1番の初演では、第1楽章と第2楽章の間にソリヴァという作曲家の合唱付きアリアが演奏されたし、同じくショパンのピアノ協奏曲第2番の場合は第1楽章と第2楽章の間にゲルナーの「ホルンのためのディヴェルティスマン」が演奏された。こういう場合は「楽章間に拍手をするか、しないか」という問いは成立しない。第1楽章が終わったところでいったんソリストは退出するのだから、拍手するしかない。ドヴォルザークやチャイコフスキーの時代にはさすがにそんなやり方は廃れていたかもしれないけど、でも拍手は入って当然という感覚だろう。
●それで思い出したけど、先月のデイヴィッド・ロバートソン指揮PMFオーケストラの東京公演では、吉本梨乃のソロによるベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲の第1楽章が終わったところで、パーッと拍手が出たのだった。熱い演奏の場合はああいうのもいいなと思う。

August 18, 2026

J1リーグ第2節 清水vsマリノス 見てないと勝つ

●見ると負ける。見ないと勝つ(こともある)。フットボールあるある。開幕戦を国立で現地観戦したら悪夢のような逆転負けをくらったが、第2節のアウェイ清水戦は外出している間にいつのまにか勝っていた。清水 0-1 マリノス。ゴールは井上太聖。後からDAZNで見たが(勝つとわかっている試合の安心感と来たら!)、意外にもマリノスがボールを保持する展開。ただ、パスの本数は多くなく、成功率も低め。これは相手の吉田孝行監督(元マリノスだ)がマリノス以上に手数をかけない強度重視のスタイルで、相対的にマリノス側がボールを持てた、ということなのかな。第1節の鹿島戦とずいぶん違った展開になったので、オーストラリア出身のスティーブ・コリカ新監督の目指すスタイルはまだよくわからないというのが正直なところ。4-2-3-1の布陣でディフェンスラインを高めに設定するが、ボールを保持するよりも縦に速く攻めたい、というと大島前監督とそんなに変わらないわけで、それもどうかと思うが、ただ攻撃時に「あ、これは練習でやってる形を出せたのかな」と感じる場面はいくつかあった。
●近年はマリノスから毎年いい選手が抜けていく。シーズンオフの補強は物足りなかったが、始まってみると新戦力が意外とチームにフィットしている。キーパーのルベン・ブランコが最大の補強か。ビッグセーブでチームを救った。中盤の底では知念慶が2戦連続先発で、柱になっている。ボランチの相棒が法政大在学中の松村晃助になったのは予想外。おかげで山根陸と喜田拓也はベンチに。16歳の三井寺眞は2戦連続の先発で、清水戦でも活躍していた。外国籍の選手が7人もいるが、ポジションを得ているのはキニョーネスとブランコだけ。ジョルディ・クルークスはベンチ要員になりつつあり、ほかの選手はベンチにも入っていない。強化が迷走している。
●35歳になった天野純が攻撃の柱になっているマリノスをだれが予想できたであろうか。控えのキーパーはまさかの飯倉大樹、40歳。背番号1の朴一圭の序列は3番手のようだ。

August 17, 2026

宇都宮美術館「カンディンスキー 世界は鳴りひびく」展

宇都宮美術館「カンディンスキー 世界は鳴りひびく」
●はっ、宇都宮美術館で「カンディンスキー 世界は鳴りひびく」なる企画展が開かれているではないの。9月3日まで。今月は繁忙期なのだが、お盆の時期ならなんとかなりそうだったので、慌てて宇都宮へ。前回、「ゴッホの跳ね橋と印象派の画家たち」展で初めて足を運んで、その環境のすばらしさと展示の充実に驚いたのだが、今回はカンディンスキー。なぜそんな強力な企画展ができるかと思えば、これは日本のあちこちのコレクションを集めたものなのだとか。なるほど、そんな手が。宇都宮で始まり、その後、宮城県美術館、長野県立美術館と巡回する。東京には来ないわけだけど、もし来たら大混雑必至。宇都宮なら週末でも適度な人出で、ゆったりのびのびと鑑賞できる。すばらしい。

カンディンスキー 商人たちの到着
●抽象画以前のカンディンスキーをたくさん見ることができるのが吉。これは「商人たちの到着」(1905年/宮城県美術館蔵)。夢に見た光景が着想源らしいのだが、わらわらと無限に人が湧いて出てくる感じがいい。妙に幻想的で、想像力を刺激する。ちなみに撮影は不可。カンディンスキーは著作権が切れているので、代わりに拾い物または別の場所で自分が撮影した写真を貼る。

カンディンスキー 3本の菩提樹
●こちらは「3本の菩提樹」(1908年/アーティゾン美術館蔵)。これは日本橋のアーティゾン美術館でも見ているが、こうして別の美術館、別の文脈で見ることで、まったく新鮮な気持ちで見ることができる。ぱっと見、1本の木に見えるんだけど、どうなのかな。ほかのこんもりした部分も木として数えると、こんどは3本よりたくさんにも思える。抽象化へ一歩ずつ進んでいる感じ。

カンディンスキー 全体
●こちらは東京国立近代美術館でなんども見ている「全体」(1940)。カンディンスキーといわれてまっさきに思い出す作風。サーカス的、パレード的な楽しさと、原生生物っぽい生命たちの祝祭。「全体」であり総集編的ななにか。

宇都宮美術館 バス
●今回、ひとつ発見あり。宇都宮駅と宇都宮美術館を往復するバスはとても本数が少なくて、時間帯によっては1時間に1本もない(とくに週末は減る)。帰りなんて「このバスを逃したら次は1時間半後」みたいな状態だったので、かなりドキドキする。県外勢にはアクセスが厳しいわけだが、Yahoo!路線検索によると、駅から「ニュー富士見行き」のバスに乗って「帝京大学」で下車すると、そこから徒歩13分で宇都宮美術館に着くと出る。これを実際に往路で試してみた。もし歩道らしい歩道のないような歩くのが怖いタイプの車道だと困るなと案じていたが、ぜんぜんそんなことはなく、ふつうに歩ける道だった。ただし、行きはやや登りになる。徒歩13分を受け入れられるなら、これと美術館直行のバスを併用することで、バスの利便性はだいぶ高まる。よく考えたら東京都現代美術館だって、清澄白河駅から徒歩13分、木場駅からなら徒歩15分以上。あれと同じくらいの距離感ではある。

August 14, 2026

メルヴィル「白鯨」 その4 「イシュメールと呼んでくれ」

●(承前)しつこく続く、ハーマン・メルヴィルの「白鯨」の話題。この小説を読んで途中から「あれれ?」となるのは、人称が一定しないため。アメリカ文学史上もっとも有名と言われる冒頭の一文は Call me Ishmael、「イシュメールと呼んでくれ」。ああ、この話はイシュメールの語りで進むんだな、と思う。捕鯨船に乗るより前は「わたし」というイシュメールの一人称で話が進んでいて、人食い人種の銛打ちクイークェグと出会ったりするところは冒険小説のはじまりみたいな雰囲気なんだけど、船に乗って出航したあたりから、イシュメールの姿がすーっと薄くなる。第26章でスターバック、第27章でスタッブ、第28章でエイハブ船長が紹介され、三人称視点みたいな描写になる。が、「わたし」という一人称はかろうじて残っている。で、第29章「エイハブ登場、つづいてスタッブ」になると、完全にエイハブ視点の三人称になる。章の題からして戯曲風。イシュメールが見ているはずのないことまで書かれるようになり、まったく型破り。
●しばらくして、鯨大百科事典みたいな記述の章になると、「わたし」が帰ってきたりもする。そこで鯨の分類学みたいな記述を長々と書いていたりして、このあたりの網羅的な書き方は検索エンジンの先取り風。
●第36章「後甲板」では、冒頭が

(エイハブ登場、つづいて全員)

となっていて、すっかり戯曲だ。さらに第37章「落日」では、ついにエイハブの一人称が出てきて、内面が語られる。この章にはエイハブしか出てこない。

連中はわしのことを狂人だと思っている──スターバックがそうだ。だが、わしは悪魔にとりつかれているだけだ。わしは二重に狂った狂人だ! わしの狂気は、おのれの狂気の正体を理解するときにのみおさまるたぐいの厄介な狂気だ!

これは岩波文庫の八木敏雄訳なんだけど、日本語訳だと一人称で登場人物を区別できるのが便利というか、大変というか。この訳ではイシュメールは「わたし」、エイハブは「わし」。
●それで、冒頭の一文だけど、この訳だとわりと立派な感じの語り口で、

わたしを「イシュメール」と呼んでもらおう。

と訳される。そう宣言しているにもかかわらず、物語内ではだれも彼に「イシュメール」と呼びかけない。例外的に、ピーレグ船長が署名を求めて名前を確認する場面で「イシュメール」が出てくるが、それ以外はすべて本人が自分について言及する状況でしかこの名は登場しないのだ。「信頼できない語り手」みたいな感じで、イシュメールは本当に船に乗っているのか、あるいは別のだれかの正体がイシュメールなのかと、つい疑ってしまう。(→つづく

August 13, 2026

フェスタサマーミューザ KAWASAKI 2026 フィナーレ 原田慶太楼指揮東京交響楽団

フェスタサマーミューザ 原田慶太楼 東京交響楽団
●11日はミューザ川崎へ。フェスタサマーミューザのフィナーレコンサートで、今年も原田慶太楼指揮東京交響楽団のコンビが登場。全席完売。祭りの締めくくりにふさわしいプログラムで、ファリャのオペラ「はかなき人生」からスペイン舞曲第1番、プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番(久末航)、山本菜摘の「UTAGE~宴~」、チャイコフスキーの交響曲第5番。
●プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番でソリストを務めた久末航は、2025年エリザベート王妃国際音楽コンクールで日本人史上最高位の第2位を獲得した気鋭。今回、ようやく聴くことができた。プロコフィエフの音楽には多面的な要素が渾然一体となっているが、そのなかでもリリシズムを際立たせた演奏だったと思う。線は細めでグロテスクさやユーモアは控えめだが、洗練された技巧の持ち主。ソリスト・アンコールにリストの巡礼の年第1年「スイス」から 第9曲「ジュネーヴの鐘」。詩情豊か。リサイタルも聴いてみたくなる。
●山本菜摘の「UTAGE~宴~」は2024年に原田慶太楼指揮群響で初演された作品で、群馬がテーマになっている。八木節や草津節も用いられて、21世紀の外山雄三「ラプソディ」といった趣。書法は明快。川崎から群馬に想いを馳せる。
●原田慶太楼指揮によるチャイコフスキーの交響曲第5番は、以前、読響でも聴いた記憶がある。そのときも感心したのだが、今回もよい意味でケレン味たっぷり。大きなアッチェレランドからリタルダンドなど自在のテンポ設定で、すこぶるエモーショナル。雄弁でエネルギッシュ。この曲は原田の十八番なのかな。いずれ「コバケンのチャイ5」のように「ケイタロウのチャイ5」と呼ばれるようになるかもしれない。全楽章をアタッカでつなげた。
●カーテンコールで原田はマイクを持って登場。最終日ということもあり、音楽祭のグッズの宣伝をしつつ(昨年やったら売り切れたそう)、毎度のアンコールで山本直純「好きです かわさき 愛の街」。客席は手拍子。この曲、川崎では有名曲みたい。だれかが「これ、ゴミ収集車の曲だ」って言ってた。昭和感が濃厚な曲。久末とともに終演後はサイン会があるためか、カーテンコールを早めに切り上げる気配りマエストロ。サイン会は大盛況で、CDがたくさん売れたにちがいない。このサービス精神、ショーマンシップは立派。

August 12, 2026

ゾンビと私 その44 「映画を撮りたいゾンビの演劇」 岡田利規東京芸術劇場 舞台芸術部門芸術監督 就任第1作

映画を撮りたいゾンビの演劇●8日は東京芸術劇場のシアターイーストで岡田利規の作・演出による「映画を撮りたいゾンビの演劇」。なんと、演劇を観ることになった。以前にもお伝えしたように、東京芸術劇場の新たな芸術監督として、音楽部門では山田和樹が就任したわけだけど、もう一方の舞台芸術部門の芸術監督に就任したのが岡田利規。注目の就任第1作が「映画を撮りたいゾンビの演劇」となった。えっ、マジでゾンビなの……。これは観るしかないでしょ、2009年から不定期連載「ゾンビと私」を当欄で続ける者としては。コンサートホールには数えきれないほど足を運んだ東京芸術劇場だが、ここで演劇を観るのは初めて。出演は東宮綾音、百瀬葉、島田桃依、石川朝日、福原冠。
●で、これはタイトル通りの演劇なんすよ。「映画を撮りたいゾンビの演劇」なので、映画を撮りたいゾンビたちしか出てこない。出演者全員がゾンビ。ゾンビの映画監督やゾンビの助監督、ゾンビの役者、ゾンビの映画音楽作曲家たちが撮影現場に集まって、映画を撮ろうとしている。なぜか。それは人間が作った既存のゾンビ映画が、すべて人間側の一方的な視点から描かれたものばかりであって、そこにはゾンビ側の現実や感情がまったく描かれていないから。その非対称性に自覚的なゾンビが集まって、ゾンビによるゾンビのためのゾンビ映画を撮ろうとしているのだ。
●人間役に扮するゾンビ役者は不平を漏らす。「この人間メイクに3時間半かかった。でも人間がゾンビに扮するときは短時間の雑メイク」。これが非対称性だ。そうなのだ。われわれ人間はゾンビ役の演技など、どんなに類型的でも気にしないくせに、「はい、この人、人間役です」と言われて出てきたゾンビに対しては、本当に人間に見えるかどうか、その本物らしさについて容赦なく吟味するに決まっているのだ。現にワタシ自身、これまで長らくゾンビ連載をしてきたにもかかわらず、ゾンビ側の事情を一切気にかけてこなかった。ゾンビとは殺るか食われるかの存在であることを自明のものとして受け入れ、ヤツらからわれわれがどう見えているかは、なにひとつ真剣に考えてこなかった。大いに反省を促される点である。
●この演劇はゾンビと人間の間の非対称性をあぶりだすことで、私たちの社会にこれによく似た非対称性が至るところに潜んでいることを自覚させる。ジェンダー、人種、世代、組織内権力構造、企業と個人などなど。が、演劇内世界では焦点はゾンビにのみ当てられており、オフビートな笑いにあふれている。一般的なゾンビ映画のように物語からテーマが浮かんでくるタイプの話ではなく、ゾンビたちがずっとテーマを論じ続けているという直接的な形態がとられている。ゆえに、観客側が目にしたものの「その先」を受け取るのは案外と難しいとも感じるのだが、ゾンビ禍を新たな角度から見つめているという点で、きわめて示唆的。
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→不定期連載「ゾンビと私」

August 10, 2026

秋春制になったJリーグが開幕! 国立競技場でマリノスvs鹿島

Jリーグ開幕戦 2026 国立競技場
●こんなに屈辱的な負け方、近年、記憶にないってくらい悔しすぎる試合なんだけど、せっかく久々に現地観戦したので記しておく。7日はJリーグの開幕戦で、国立競技場でマリノスvs鹿島戦。今季からJリーグは世界標準のカレンダーに合わせて秋春制になった(秋春制の名に反して灼熱の8月上旬に開幕戦が行われるという皮肉……)。新しいJリーグがリスタートというわけで、Jリーグ開幕時のオリジナル10であり、ともに一度も降格していないマリノスvs鹿島の対戦が、金曜日に開催されたのだ。試合前のセレモニーは豪華絢爛。写真からもわかると思うけど、とんでもなく華々しい演出で「Jリーグ、やるな!」と思わせてくれた。しかも会場は全席完売。観客数はJ史上最多となる63960人。空いているかなと思ってバックスタンド上層の席をとったら、満席だったという驚き。
●これ、マリノスのホームゲームなんすよ。超絶ド派手なセレモニーでさんざん盛り上げて、観客数は史上最多。どう考えてもマリノスが絶対勝たないといけない試合じゃないすか。これだけやっちゃってるんだから。でも、相手は常勝軍団、鹿島。しかもマリノスがJリーグ発足時から苦手とする相手。どうしてこんなに厳しいカード組んだの、Jリーグは。いや、わかるよ、これが「Jリーグクラシック」だから。でも、今のマリノスの戦力では荷が重すぎるんだって。Jリーグは新しく生まれ変わったから「Jリーグは、進化する」のキャッチでポケモンとコラボして、各チームにパートナーポケモンまで設定してくれた。マリノスのポケモンはマリルリ。納得でしょ。鹿島はリザードン。みんな進化形のポケモンがあてがわれているんだけど、はっきり言って、マリノス、退化してますから! ずっと何年もかけて、地道に、着実に退化してるから!! あの輝かしかったアタッキングフットボール時代……。その栄光の戦士たちが今や鹿島のレオ・セアラ、鹿島のヤン・マテウスとして立ちはだかる。アンデルソン・ロペスも渡辺皓太もヴィッセル神戸にいる。みんな散り散りになって、今のマリノスはサンドバッグみたいに耐えて耐え抜いてロングボールで低確率のチャンスを狙うオールドスクールのサッカーに退化してる。だから、ウチのチームに進化したポケモンはふさわしくないんだ。マリノスはマリルリじゃなくて進化前のマリルでよかった。まあ、来季はJ2だと思ってるので、今じゃないと鹿島との「Jリーグクラシック」は成立しないとは思うんだけど、このお膳立てがあったからこそ、惨めな逆転負けをくらったんだと思う。
●というのも、キックオフからマリノスの選手たちは全身全霊で鹿島に立ち向かった。暑いのに飛ばしまくった。前半7分に16歳の新人、三井寺眞がゴールを決めて伝説を作り、レオ・セアラに決められて追いつかれるが、前半18分、後半13分と谷村海那がゴールを決めて3対1でリードした。2点目では三井寺が神技ヒールトラップで相手を抜いて会場をわかせた。絶対に勝つという前提で盛り上げられて、絶対に勝つという前提で選手たちが死力を尽くした。その結果、後半は次から次へと選手の足がつり出して、みんなバタバタと倒れていく。スティーブ・コリカ新監督が選手交代のカードを5枚全部使ったけど、その後も足がつる選手が続出。こうなったらもうサッカーにならない。鹿島に好きなように攻められてディフェンスは崩壊、後半36分、後半54分、後半57分と立て続けにゴールを奪われて大逆転。マリノス 3-4 鹿島。出口に向かうマリノスサポたちは虚無の表情だ。あえて、あのド派手なセレモニーを思い出して、虚しさに浸る。ワールドカップは祝祭だけど、リーグ戦はそうじゃない。あのセレモニー、やっぱり場違いだったんじゃないかな。負けたらそう思う。
●メモ。国立競技場は陸上競技場だけど、3階席なら傾斜があるので悪くない。スタグルは期待しない(脂っこいもの、くどそうなものばかりで食べたいものがない。ふつうの助六寿司とか売ってほしい)。トイレはたくさんある。満席になっても周囲に駅がたくさんあるので帰りは驚くほどスムーズ。このアクセスの良さは立派。誘導もしっかりしている。「MUFGスタジアム」の名が付いているが、「エム・ユー・エフ・ジー」はあまりに発声しづらいので、呼び名は「コクリツ」のままか。「MUFJ」とまちがえている人が多数いる。っていうか、三菱UFJ銀行なのに、なぜ「MUFJ」じゃなくて「MUFG」なんだろう。

August 7, 2026

メルヴィル「白鯨」 その3 なんのために鯨を捕まえるのか

油田
●(承前)前エントリーで記したように、メルヴィルの「白鯨」では船員が鯨肉のステーキを食べるシーンが出てくるものの、捕鯨は食べるために行っているのではない。主目的は油だ。当時の鯨油はランプに使う油として、あるいは工業用の潤滑油などに使われていた。鯨は19世紀のエネルギー資源、産業資源であって、登場人物たちはいわば油田を掘り当てるために海洋を旅している(といっても、船長エイハブの真の目的はただ白鯨と対決することのみだが)。
●第98章「収納と清掃」には、鯨を解体し油を樽に詰めるまでの工程が描かれている。鯨の脂身を船上で煮出し、溶け出た油を樽に入れ、船倉に格納する。これはたいへんな大仕事だろう。(以下、八木敏雄訳/岩波文庫の下巻 より)

 油は、お湯割りのパンチなみにまだ温かいうちに六バレルの大樽に移されるが、船は夜中にも横ゆれ縦ゆれをくりかえすので、そのせいか、大樽はクルクル回転したり、転覆したり、ときには危険きわまりないことに、すべりやすい甲板上をまるで地すべりのように集団滑走することもあり、これは結局のところ、人間の手をかりて抑止するよりほかはない。
ある日、甲板は血と油の洪水で、かの神聖なる後甲板すら巨大な鯨の頭の山なす残骸で冒瀆される。錆でよごれた大樽が、甲板上に醸造工場の中庭よろしく散乱している。舷牆は製油かまどから出た煙ですっかりすすけ、あたりをあるきまわる水夫たちは油にまみれ、船そのものが巨大なレヴィヤタンさながらで、そのうえ船のいたるところが喧騒で耳を聾さんばかり。

●「白鯨」のなかには、海上で捕鯨船同士がたまたま出会う場面がいくつかある。そういうときはボートを出して、相手の船を訪問したりする。第81章「ピークオッド号、処女号にあう」では、ブレーメンの捕鯨船ユングフラウ号と出会う。先方はボートを下ろし、船長が油差しと油缶を手にしてやってくる。もう油が一滴もないから恵んでくれというのだ。「鯨油をとりにきた船が、鯨の本場で、油を借りにくるというのがいかに奇妙であろうとも(中略)そのようなことが実際におこるのである」。こういうのは、捕鯨船ジョークというか、捕鯨船あるあるネタだったのだろう。(→つづく

August 6, 2026

メルヴィル「白鯨」 その2 鯨を食べる者

鯨のステーキ
●(承前メルヴィルの「白鯨」という小説の骨格を一言でいえば、「片脚を奪われた捕鯨船長エイハブが、白い鯨モービィ・ディックへの復讐に取り憑かれ、船と乗組員を巻き込んで破滅へ向かう物語」ということになる。が、小説全体のなかで、このストーリーが進行している部分はとても少ない。よく言われるように百科全書的で、鯨の分類についての記述がえんえんと続いたり、捕鯨技術論があったり、船員たちのサブストーリーがあったり、鯨油産業の話があったり、本筋とは直接結びつかないような演劇的なシーンが入ったりと、まるでマーラーの交響曲みたいなごった煮状態になっている。神話的でもあり宗教的でもある。ほぼ捕鯨船上でしか話が進まないのに、世界全体を描こうとしているかのように思える。
●なので、大小さまざまなエピソードが出てくるのだが、ひとつ印象的だったのは、船員のひとりが鯨を食べるシーン。本来、彼らは食べるために捕鯨を行っているわけではない。一回の航海が3年くらいかかる長旅なのだ。鯨を捕ったところで、生肉は持ち帰れない。が、船員なら鯨肉を食べることができる。ふつうは食べないけど、二等航海士のスタッブは鯨が大好物なのだ。(以下、八木敏雄訳/岩波文庫の中巻 第64章 スタッブの夜食 より)

スタッブはなかなかの美食家だったのである。スタッブは自分の舌をたのしませてくれるものとして、鯨の肉をいささか度をこして好んでいた。
「ステーキだ、ステーだ、寝るまえにひと口やるぞ! おい、ダグー、船べりをまたいでいって、尾の身のところを一切れカットしてきてくれ!」

彼は真夜中にマッコウ鯨のステーキをコックに焼かせて、夜食を楽しむ。この場面が印象的なのは、人間が鯨のステーキを食べているかたわら、捕鯨船に係留したマッコウ鯨の死体をめがけてサメたちが群がり、サメもまた鯨を食べているから。人間とサメの饗宴が同時進行しているのだ。ユーモラスで、微妙に毒気のあるシーン。
●続く第65章は「美食としての鯨肉」。鯨肉は「高尚な食品」であるが、脂身が多すぎるのが問題であるとか、鯨脳はまろやかでクリーミーだが濃厚すぎるとか、鯨の食べ方について、あるいは陸の人間たちがなぜ鯨食を嫌悪するのかについての考察など、ここでも百科全書的な記述が続く。メルヴィルは文筆家になる前に実際に捕鯨船の乗組員を務めているので、このあたりは実体験に基づく話なのだろう。
●かつて日本では学校給食で鯨肉が定番メニューだったわけだが、商業捕鯨の停止により姿を消した。鯨食文化があった日本人としては、欧米の読者とは違った角度からの関心を持って読める章だ。(→つづく

August 5, 2026

メルヴィル「白鯨」 その1 スターバックスの由来

スターバックス
●夏は読書感想文の季節、名作を読む季節。ハーマン・メルヴィルの「白鯨」(八木敏雄訳/岩波文庫)をたっぷり1か月以上かけて読んだ。新訳で、とても読みやすい。上中下巻の全3冊からなる大長篇だが、電子書籍で読むと厚みとか重量感がわからないのが惜しいところ(それでも電書がいい)。
●この翻訳の訳注を読んで知ったのだが、コーヒー・チェーン店のスターバックスの名前は、「白鯨」の一等航海士スターバックに由来するのだとか。これって有名な話? 訳注によれば、スターバックスのホームページには「スターバックスの名前は『白鯨』に登場するコーヒー好きの一等航海士スターバックに由来しています」と記されているという(ただし、今はもうないかも)。スターバックがコーヒー好きかどうか気になって、上中下巻のそれぞれで「コーヒー」を全文検索してみたが、とくにこの登場人物とコーヒーを結び付けるような記述はなかった(こうして全文検索できるから電子書籍がいいのだ!)。まあ、世の多くの人はコーヒーが好きだから、スターバックもきっと好きなのだろう(投げやり)。
●一等航海士スターバックはクエーカー教徒の家系に生まれ、背が高く、真摯な男で、「二度焼きのビスケットのように引きしまった体をしている」。沈着冷静、堅忍不抜、しかし情にも厚い。「鯨をおそれないような者は、わたしのボートにはひとりも乗せん」と宣言するほどなので、危険を正しく評価できる聡明な航海士ということになる。船長のエイハブが、かつて白鯨に片足を奪われて復讐心に燃える狂気の人であるのに対して、副官のスターバックは理性の人なのだ。スターバックは怪物的なエイハブとしばしば対立し、白鯨に立ち向かうそのときがやってくると、理性によってエイハブを止めようとする。ちなみに、このふたりの対話の場面を描いた第132章は「交響楽」(Symphony)と題されている。両者は決してわかりあえないことがわかる章なんだけど、まるでスターバックとエイハブが恋人同士みたいだなって感じるくらい、ふたりの間に特別な結びつきが生まれている。
●スターバックの人物像にたしかにコーヒーは似合いそうである。カフェインで覚醒していて、いつも現実を見ている。キャラメル・フラペチーノは似合わないかもしれないが。(→つづく

August 4, 2026

「刑事の境界線」(宮島明道)

●評判のよさにつられて、なにも知らないまま読んでみたら、おもしろくてびっくり。「刑事の境界線」(宮島明道著/宝島社文庫)は著者デビュー作となる警察小説。小金井の警察署が舞台になっていて、近隣の実在の地名がたくさん出てくるという意味では多摩小説でもある。主人公はふたりいて、章ごとに視点が変わる。ひとりは30代前半のまっすぐに職務に向き合う女性刑事。もうひとりは裏社会とつながっている悪徳警官なのだが、この人にはこの人の正義があって、むしろ共感できる人物として描かれる。成長する人と転落する人という組合せに妙味がある。ふたりが抱える事件が別個に進んでいくのだが、同じ警察署に勤めているのに、なかなか両者が出会わなくて、なるほど、こういう手があるのかと感心。
●多摩地域なんだけど吉祥寺でも立川でもなくて、小金井とか国分寺が舞台になっていて、そのあたりのローカル感とストーリーの規模が見合っているのが吉。読後感もよい。

August 3, 2026

フェスタサマーミューザ KAWASAKI 2026 ヴァイグレ指揮読響

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●31日はミューザ川崎へ。フェスタサマーミューザでセバスティアン・ヴァイグレ指揮読響。プログラムはベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番(鈴木愛美)とワーグナー(デ・フリーヘル編)の「ニュルンベルクのマイスタージンガー~オーケストラル・トリビュート」。開演前にコンサートマスターの日下紗矢子のトークあり。十八番が並んだ鉄板のプログラム。前半の鈴木愛美は前にもこの曲を弾いていたと思うが、けれんみがなく明快で端正なベートーヴェン。以前に聴いたときよりも落ち着きがあって、自信を深めている様子。オーケストラも歯切れよく、くっきりとした響き。ソリスト・アンコールにシューベルトの「楽興の時」第3番。
●後半のワーグナーはデ・フリーヘル編のオーケストラによるハイライト集といった趣。この編曲を聴くのは初めてだと思う。長大なオペラなのでどうやったって一部しか抽出できないわけだけど、そうは言っても50分強ほどあるので、聴きごたえは十分。「マイスタージンガー」の世界を味わうことができる。というか、前奏曲自体が完璧なハイライトになっているわけだが。第3幕の比重が多め。いちばん楽しい第2幕終場のドタバタ騒ぎが出てこないのが残念だが、入れるとバランスが悪すぎるか。前半から一転して、オーケストラはぐっと奥行きの感じられるサウンドで壮麗。ヴァイグレ得意のワーグナーだけに、すっかり手の内に入っているといった様子で、最後は大いに盛り上げて終わる。客席は大喝采で、ヴァイグレのソロ・カーテンコールに。

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