
●19日はサントリーホールでロレンツォ・ヴィオッティ指揮東京交響楽団。フランツ・シュミットのオラトリオ「7つの封印の書」を、ルイージ指揮N響の一週間後に聴くことになろうとは。なんという偶然。N響の側にはルイージの最重要レパートリーを創立100年に演奏するという動機があるわけだが、東響にとってこの曲は自分たちが日本初演を担った作品。しかも新シェフのヴィオッティはかつてアーノンクール指揮のもとで同曲の合唱を歌った経験がある。両者ともに必然の「7つの封印の書」。
●ふだん聴くチャンスのない作品だけあって、2度目に聴いたほうがより作品に親しめることはまちがいない。なにしろルイージ&N響の最上級の演奏で予習しているわけで、こんなに贅沢な話もない。環境がもたらす違いとしては、NHKホールではオルガンが天の高みで鳴るイメージだったが、サントリーホールでのオルガンはあらゆる音響の中心に位置する巨大な存在。ヴィオッティ指揮東響は明るさと温かみ、豊かさを感じさせるサウンド。見通しがよく、響きは明快。東響コーラスの次第に高まる「ハレルヤ」は鳥肌もの。フランツ・シュミットの音楽は簡明さと複雑さの両極から感情を揺さぶってくる。荘厳さ以上にエモーショナルな要素を感じた。ヨハネにマキシミリアン・シュミット、神の声にフランツ=ヨゼフ・ゼーリヒ、ソプラノにクリスティーナ・ランツハマー、メゾソプラノにカトリオーナ・モリソン、テノールにパトリック・グラール、バスバリトンにクレシミル・ストラジャナッツ、オルガンに大木麻理。
●N響とは違い、こちらは休憩あり。作品本位で考えれば休憩なしに理があるとは思うものの、現実的には休憩ありが親切。休憩なしだと終盤に席を立たざるを得ない人が少なからず出てしまうので。心配事がひとつ減る分、演奏に集中できるのは大きな利点。
●で、この曲、音の構築性や音響美だけで楽しむことも不可能ではないけど、フランツ・シュミットの音楽はテキストと分かちがたく結びついている。2度目に聴いて改めて強く感じたのは「ヨハネの黙示録」の二元論的な世界観。善/悪、神/サタン、神に忠実な者/そうでない者、命の書に記された者/火の池(炎の海)に放り込まれる者。常に世界は二分され、中間的な立ち位置を許さない。世界に神の裁きが下され、災厄で人々は滅び、死後に復活し、命の書に記された者は永遠の命を手にするが、そうでないものは火の池へ。救われる者とそうでない者は厳しく峻別される。前回も書いたけど、ここは信仰とヒューマニズムの間の緊張関係があらわになる部分だ。ある意味、こういった二元論は時流に即しているとも言える。だが、そんな世界で自分はきっと火の池に放り込まれる側になると予感する者は、これをどう受け止めればいいのか。その摩擦はどこまで行っても残るんじゃないかな。20世紀の宗教音楽でこの曲の対極に位置するのが、死後に敵との邂逅が待つブリテンの「戦争レクイエム」だと思う。
●世間は五連休。いつも当欄は暦通りの更新だけど、ずいぶん間が空いてしまうので中日に更新。
September 21, 2026