May 23, 2011

週末オレ音楽祭開催

●先週末は金、土、日の3日間に演奏会4つとサッカー観戦1試合を詰め込んで、勝手に自分フェスティバル状態。たまたま予定が全部重なったから。LFJが縮小開催だったことの反動が今頃来たと仮定してみたくなってが、どう考えても偶然。
●20日(金)は白寿ホールへ。「あなたは聴きますか、眠りますか、それとも……」という挑発的なキャッチが印象的なリクライニング・コンサート・シリーズで、若林顕のピアノによるラフマニノフ・プロ。コレッリの主題による変奏曲、10の前奏曲op.23他。自分にとってはやや縁遠い音楽なので(ラフマニノフが)、濃厚なロマンティシズムと圧巻のヴィルトゥオジティを新鮮な気分で堪能。昼の休憩なし短時間公演ってすごく贅沢。あと、ここは場所が贅沢。このホールには原宿駅から代々木公園を通って歩いて行くのが断然いい。今、代々木公園の薔薇園が見事に咲き誇っている。くらくらするような薔薇の香りがあたりに立ち込めていて、この強く甘い芳香は、もちろんこれから聴くラフマニノフを予告していたわけだ。いやそんなわけない。でもそう(どっちなんだ)。帰りも薔薇園を通った、もちろん。
●20日(金)夜はすみだトリフォニーでアルミンク指揮新日本フィル。久々の定期、そして新国「ばらの騎士」キャンセルをしたアルミンクが来日。で、アルミンクにまつわる物語が今たくさんありすぎるんだが、それに触れようとすると元気がなくなるので全部スルー。新日フィルの演奏はすばらしかった。ブラームスの二重協奏曲(ソリスト二人とも変更あり。タチアナ・ヴァシリエヴァとアリッサ・マルグルス)での深い響きも美しかったし、感動的なマルティヌーの交響曲第3番(1945)を聴けたのも嬉しい(昨年の都響は聴けず)。この悲劇的な作品は追悼の音楽、祈りの音楽であるにちがいなく、偶然だがこれが震災後の演目になっていたという巡りあわせに感慨を覚える。マルティヌーはあまりに多作家すぎて焦点を合わせにくいと思ってたけど、今後少なくとも交響曲作家としての注目度はどんどん高まっていくんじゃないだろうか。
●21日(土)は昼にJFLの横河武蔵野FCの試合をご近所観戦して、夜はオーチャードホールでレ・フレール公演へ。3rdアルバム発売記念ライブPIANO SPATIAL in TOKYO。今回のツアー・パンフレットに原稿を書かせていただいたご縁あり。ニューアルバムPIANO SPATIALに収録された曲目が中心で、ブギウギもあればハードロック調の曲もあれば抒情的な作品もあるという多彩な内容。彼らの曲はピアノ・デュオだからできるという作品が多いんすよね。片手でピアノの弦を押さえて音色を変化させるミュート奏法を多用するのも、デュオだからいろんな可能性が広がる(1本使ってもまだ3本残る!)。デュオならではの音の厚みはとても豊かでゴージャスなものだし(ピアノは常にベーゼンドルファー・インペリアルを使う)、ステージ上と客席とのコミュニケーションも自然体でうまい。いや、うまいというか、レ・フレールから「いい人オーラ」が発散されて、あたたかい雰囲気が自然と醸成される。ちなみに0歳児から入場可。家族連れも少なくない。乳幼児はもちろんずっと静かにはしていられない。でも、なんの問題も感じなかった。これはきっとレ・フレールだから。
●22日(日)は所沢ミューズでピョートル・アンデルシェフスキのリサイタル。前日のサントリーホール公演では開演前に特殊な演出があったそうだが、所沢公演はノーマル。演目も少し違ってオール・バッハ。イギリス組曲第5番ホ短調、フランス組曲第5番ト長調、休憩後にイギリス組曲第6番ニ短調というやや短いプログラム。これはもう最強に強まってた。精緻で洗練されていて、情感豊かで、快活で、鬱屈してて、シリアスで、チャーミングで、躍動感にあふれ、静かで、みずみずしい。現存するピアニストからこれ以上のバッハを聴けるという可能性を想像できない。聴いていて、毎秒毎秒演奏会が終わりに近づいていくということが悲しくてしょうがなかった。アンコールも弾いてくれたですよ、シューマンの「森の情景」から「孤独な花」「宿」「別れ」の3曲。「別れ」を弾いたらそりゃもうオシマイってことなわけだけど、でも「2周目」やってほしかったな、もう一回最初のイギリス組曲第5番から(←ムチャクチャな要望だ)。永遠に終わるな、と念じたが、終わった。
●ちなみに大ホールの公演だったこともあり、客席は3分の1も埋まっていなかったと思う。2500円(LFJ並みじゃないか)で最高のピアニストを聴けたのに。一瞬、所沢はどうなってるのか、市の文化振興事業団はちゃんと宣伝したのかと思ったが、たぶんそれはまちがってて、お客さんの集中度はものすごく高くて、みんな固唾を呑んで聴いているのが伝わってきた。アンデルシェフスキを聴きたいって思ってる人だけが集まって、とても熱心な、アーティストを歓迎し敬愛する空気が生まれていた。関心のない人で無理に客席埋めるより、このほうが正しいのかも。公共のリソースの使い方として。

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