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April 19, 2012

ゾンビと私 その23 「銃・病原菌・鉄(上)」(ジャレド・ダイアモンド著)

「銃・病原菌・鉄(上)」●文庫化されたら身の回りでスゴい勢いで読まれているので、今さら感もあるんだけど、でもやっぱり取り上げる、「銃・病原菌・鉄(上)」(ジャレド・ダイアモンド著/草思社)。ピュリッツァー賞受賞作。名著と言われるだけに、さすがにおもしろい。簡単に言えば、人類史の謎を解き明かす、というか文明の成り立ちを基礎的な科学的知見をもとにクリアに説明したもので、その出発点として、現代における大陸間人種間の不均衡はどこから来ているのだろう?という疑問を設定しているのがうまい。ヨーロッパ由来の白人たちはニューギニアを植民地化したが、なぜその逆ではなかったのか。なぜアメリカ大陸の先住民は旧大陸の住民に征服されたのか。なぜその逆ではないのか。
●いちばんおもしろいと思ったのは、農耕と家畜について書かれた章。農業というものが、最初の第一歩からヒトによる一種の品種改良だったことがよくわかる。トウモロコシの最古の原種は実のなる穂軸が1.3cmしかなかった。現代は45cmの品種があるという(ウチの近所のスーパーにあるのはそこまでは大きくはないけど)。リンゴの野生種は直径2.5cmなのに、スーパーのリンゴは7.5cmくらいある。エンドウは野生種と栽培種では、10倍ほどサイズが違う(もちろん栽培種が大きい)。なぜか。ヒトが食べるに適した大きな個体を選択的に栽培したからだ。それが何千年と繰り返されて、栽培種は野生種よりずっと大きくなった。
●野生の小麦は穂先に実ると、実をまき散らして、地面から発芽する。実をまき散らすのは、子孫を残すため。しかしこれではヒトにとっては都合が悪い。勝手にまき散ってもらっては、収穫ができない。ところが突然変異で、まき散らさないタイプの小麦が生まれる。ヒトはその変異種を栽培する。長い年月を経て、実をまき散らさない小麦が栽培種として世界中に広がり、多数派となった。つまり、これは自然淘汰だ。かつては小麦は子孫を残すために実をまき散らしていたのが、ヒトという動物が繁殖して農耕を覚えたら、実をまき散らす種よりも、まき散らさない種のほうが子孫を残すのに有利になったわけだ。
●ミツバチが花粉を運んだり、動物が果実を食べて種子を排泄して植物の繁殖を手助けするのと同じように、ヒトも自然のメカニズムの中にひとつの種として組み込まれていることを改めて実感する。「人間vs自然」のようなロマン主義的な観点を、自然界は有していない。ああ、オレたちって動物だなあ。
●ヒトという種のみを除外した自然礼賛のような見方があるけど、実際にはヒトという種のない自然なんてものはない。じゃあ自然のメカニズムに取り込まれていない種というものがありうるのか、というとありうる。それがゾンビだ。彼らは農耕も狩猟採集もしない。ヒトを襲うのは本質的には捕食ではなく、一種の行き止まりの繁殖であり、コピーワンス繁殖みたいなものだ。環境の変化により生態系が変化しても、食糧の心配など必要としない。生存本能もなければ、生殖本能もないのに、生きている(死んでるけど)。ワタシたちがゾンビに恐怖するのは、ヒトと異なり、彼らが本当に自然から独立しているからだ。ゾンビという現象は、潜在的にある種の自然礼賛と表裏一体の関係にある。

参照:不定期終末連載「ゾンビと私