December 15, 2014

R・シュトラウス「イノック・アーデン」

●「逆第九現象」(仮説)のおかげで猛烈なコンサートラッシュとなったこの週末。駆け込み的にたくさん見聞きしたが、ひとつ印象が鮮烈な内に。14日、汐留ホールでリヒャルト・シュトラウスの「イノック・アーデン」を聴いた。ピアノは鈴村真貴子、朗読は山下淳。アルフレッド・テニスンの詩「イノック・アーデン」の訳詩朗読に、シュトラウスの音楽が添えられるというメロドラマ・スタイルの作品。
シュトラウス●「イノック・アーデン」といえば、かつてグレン・グールドが録音してくれたおかげで知った作品。作曲は1897年。すでに大半の交響詩を書いた後、オペラ作曲家になる前の時代の作品ということになる。上演時間は訳詩や朗読次第ではあるんだけど、今回は正味95分程度、プラス間に15分の休憩。実は長い(グールドの録音よりずっと)。そして、ピアノが演奏している時間はかなり少なく、あくまでも朗読が柱になっている。物語が大きく展開する場面に音楽が添えられて盛り上げるというよりは、物語が大きく展開した後の心情のほうがピアノで掬い取られている感。これは当然といえば当然で、なにせ朗読であって歌唱ではないので、言葉と音楽を同時に強奏させるのは基本的に困難なので。
●テニスンの「イノック・アーデン」には、すごーくイヤな部分が2つある。1つは親子が離れ離れになる話であること、2つは赤ん坊が死ぬこと。でも、とてもよくできている。あらすじだけ紹介しておくと、登場人物は幼なじみの3人。船頭の息子で腕っぷしの強いイノック・アーデンと、粉屋の息子で気のやさしいフィリップ・レイ、そしてヒロインとなるアニー・リー。3人は仲良く子供時代を過ごし、やがて成長するとともに男子二人がアニーに恋するという、あだち充的な三角関係が発生する。アニーは二人の男子に複雑な気持ちを抱く。そして、もちろん、強い男イノックがアニーと結婚する。おとなしいフィリップは悲嘆に暮れる。
●イノックは船乗りになって懸命に働き、アニーとの間に子供たちを儲け、幸せな家庭を築く。ところがイノックがはるか遠い異国への船旅に出たところ、嵐に巻き込まれて船は難破し、イノックは漂流生活を送ることになる。夫からの便りもなく、アニーは寂しさと貧しさに耐える日々を送るが、そこに今や裕福な粉屋となったフィリップが救いの手を差し伸べる。フィリップはアニーの子の学費を賄い、実子同然に面倒を見る。だが、アニーとの間には一線を画して、イノックの帰りを待つ。
●そして10年の月日が流れた。子どもたちは育ち、フィリップはアニーに求婚する。ためらった末にアニーはフィリップを受け入れ、やがてフィリップとの間にも子供が生まれる。そこに、長い長い漂流の末に別人のように衰えたイノックが町に帰ってくる。腰は曲り、背も低くなり、だれも彼がイノックとはわからない。イノックはそっとアニーとフィリップの一家の幸せな様子を目にして、このまま気づかれないように身を引こうと決意する。体が弱り死を間近に迎えたイノックは、宿屋の女将にだけ自分の正体を明かし、自分の死後にアニーとフィリップ、子供たちに祝福の言葉とイノックはもうこの世にいないことを伝えてほしいと懇願し、息絶える。
●この話は一見、強い男イノックと控えめなフィリップの二人によるくっきりしたコントラストを描いている。しかし最後にひっかかりを残すのはイノックのふるまいだろう。イノックは自らの運命を受け入れて英雄的な行為に及ぶ。が、宿屋の女将の「イノックがもうこの世にいないことを知ればアニーはほっとするだろう」という言葉を聞いて、最後に自分の正体を明かしてしまうのはどうだろうか。イノックの死後、彼が町に帰ってきたことを知ったアニーやフィリップは、その事実のとてつもない重さに耐えて生きなければならない。そこで気づくのは、実のところ、強い男はフィリップのほうであって、イノックは弱い男だったんじゃないかということ。イノックは天運に身を任せるような生き方をして、その結果として過酷な道を歩んだ。一方、フィリップは自らの選択によって、アニーとイノックの子を育て、10年間を待った。子供たちは育つとともに、その姿に恋敵の面影を宿すようになったにちがいない。イノックの強靭な肉体はやがて朽ち果てたが、フィリップの不屈の意志は年月を経ても衰えない。
●もうひとつ、この話がシンボリックに描いているのは、マチズモの終焉だろう。イノックからフィリップへ。荒っぽい船乗りの時代から、粉屋の商人の時代へ。世紀の変わり目を迎えつつあったシュトラウスはこの物語のどんなところに共感を寄せたのだろうか。
●朗読者とピアノの二人で上演可能なこともあってか、この作品の上演機会は案外少なくない。でもワタシは今回が初めて。実演に接すると朗読パートはかなり持続力が必要なことがわかる。この物語、あまりにエモーショナルに演じられるとしんどいなと心配していたんだけど、山下淳さんの朗読も鈴村真貴子さんのピアノも節度と情感のバランスが絶妙だった。音楽はまぎれもなくシュトラウス。冒頭ピアノの悲劇的な予感を漂わせる「波」に、一瞬ブリテンの「ピーター・グライムズ」を連想する。
●ところで「イノック・アーデン」の物語のと同じ骨格を持った話はいくつもある。映画「シェルブールの雨傘」? いや、ワタシがまっさきに思い出したのはアメリカの人気ゾンビ・テレビドラマ・シリーズ「ウォーキング・デッド」。シリーズ1はまさにこの通りの話になっている。「イノック・アーデン」のなかで、故郷に帰ってきたイノックが「死んだ人間が生きて帰ってきた」と自分を表現する場面があるが、「ウォーキング・デッド」の脚本家はこれを読んで、テニスンの物語が未来のゾンビ禍を射程に収めていることに気づいたはずである。

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