March 24, 2016

「翻訳百景」(越前敏弥著/角川新書)

「翻訳百景」(越前敏弥著/角川新書)読了。Kindleアプリをインストールして以来、気軽に読めそうな新書の類をさくさくと購入するようになってしまった。その分、買ったまま読まずに放っておく電子積読の量も増えた気がするのだが、この一冊はすぐに読んだ。すぐれた翻訳家が書く本がおもしろくないはずがない。
●内容は著者のブログ等をまとめたもので、実用的な翻訳指南書ではなく、翻訳書を読む人なら楽しめる多彩な内容のエッセイ集。どの章も興味深かったが、いちばん強烈だったのは、「すぐれた編集者とは」の章で、著者がデビュー作でお世話になった東京創元社の担当編集者がゲラ(校正紙のこと)にどんな赤字を入れたかが紹介されているところ。この赤字が質量ともにすさまじくて戦慄する。文庫の組版で「ほとんど毎行に書きこみがあった」うえに、「癪でたまらなかったが、書きこみのほとんどが正鵠を射ていた」。こんなにありがたい編集者、なかなかいないと思う。出版業界から一歩外に出れば、「編集者」という仕事がなにをしている人なのかなかなかわかってもらえないわけだが(本を書く人でもないし、印刷をする人でもない。じゃあなにをするの?というお決まりのパターン)、これを読めば編集者が一冊の本に対してどれほど決定的な役割を果たすかがよくわかるはず。
●あと、文芸翻訳の仕事に向く条件として「日本語が好き」「調べ物が好き」「本が好き」という三つの必要条件が挙げられているのも印象的だった。まあ、当然のことなんだろうけど……。文芸翻訳ならずとも、翻訳はやっぱり日本語表現に対する強い関心があって成立するものだと思う。専門書の場合は明快さへのこだわりというか。
●著者の代表作はベストセラーとなった「ダ・ヴィンチ・コード」他。ワタシはダン・ブラウンは一冊も読んでいないのだが、著者の訳書ではロバート・ゴダードの「惜別の賦」「鉄の絆」、ジェレミー・ドロンフィールドの「飛蝗の農場」あたりは読んでいる(ということにこの本の途中で気づいた)。第3章「翻訳者の道」の「わたしの修業時代」では、どうやって翻訳家になったかが綴られていて、これもかなりおもしろい。このなかにあった衝撃の一言を拾っておくと、「締め切りは『守る』ものではなく、『攻める』もの」。ドカーン! これは以前当欄で書いた拙論「〆切安心理論」の親戚筋みたいなものだが、より表現としてカッコいい。この一言は心に刻んでおきたい。が、はたして使う機会はあるだろうか?

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