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May 10, 2022

「捜索者」 (タナ・フレンチ著/ハヤカワ・ミステリ文庫)

●これは良作。「捜索者」(タナ・フレンチ著/北野寿美枝訳/ハヤカワ・ミステリ文庫)。最近はあまりしんどい話は読みたくないと思いミステリから遠ざかっているのだが、この「捜索者」はあらすじを読んでピンと来た。シカゴの元警官がアイルランドの小村に移住し人生を再出発させる。隣の家まで400メートルあるほどの田舎。古い家屋を修繕し、隣人とつきあい、地元のパブに顔を出して、地域コミュニティの一員になろうとする。話の筋立てとしては、主人公が人探しを依頼され、調査を通じて真相に迫るという形になっているのだが、そこで起きた事件以上に、田舎暮らしのほうがよほどドキドキする。なんというか、暮らしそのものが怖い。アイルランドでなくてもどこでも真の田舎というのはそうだと思うが、公共のサービスなどはまるで頼りにならず、人と人のつながりがすべて。集落の全員が知り合いで、人の行動がみんなに筒抜けになってしまうような社会で、地縁ポイントがゼロのヨソ者はどうふるまえばいいのか。そんな状況が前提になっているから、人探しの話がおもしろくなる。
●風景描写と心理描写が巧み。特に雨と寒さの描写が多め。日本の里山とはまた違った、こんな感じの描写がたまらなくよい。

 山中はふもとの草地よりも寒い。家で感じていたのとは質も異なり、鋭く厳しい寒さが尖った風に乗って襲いかかってくる。何十年も、天候の不快さをもっとざっくりとしか──じめじめしているとか、凍てつくような寒さとか、うだるような暑さとか、まずまずの好天とか──分類していなかったので、カルはこの地の微妙な天候のちがいを楽しんでいた。いまなら、雨でも五、六とおりの表現ができると思う。
 山自体はとりたてて言うことはない。標高三百メートルほどの低い山並みが続いているだけだ。ただ、地形の対比が、低いわりに大山のような印象をもたらしている。山裾までは穏やかでなだらかな緑の草地なのに、いきなり荒涼とした茶色の山が地平線を占領するようにそそり立っているからだ。
 傾斜が太ももにこたえる。両側に突き出している岩肌やヘザー、雑草、野草のあいだを曲がりくねって登っていく道は細く狭い。上方の山腹に、トウヒの群生している箇所がいくつか見える。