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June 27, 2022

「巨大なラジオ / 泳ぐ人」(ジョン・チーヴァー著/村上春樹訳/新潮社)

●(承前)たまたま読んでいた2冊の本でともにジョン・チーヴァーの短篇集が言及されていた偶然から「これは今読めということでは?」と思い、「巨大なラジオ / 泳ぐ人」(ジョン・チーヴァー著/村上春樹訳/新潮社)を読んでみた。全20篇に訳者である村上春樹の前書き付という親切仕様。ナボコフ絶賛の「カントリー・ハズバンド」をはじめ、どれもおもしろい。多くの作品は「ザ・ニューヨーカー」誌に掲載されており、ニューヨーク近郊の高級住宅地を舞台としている(家にプールがあって、使用人がいて、近隣住民同士がパーティに招きあうような土地)。だけど、焦点が当たっているのはそんな恵まれた階層からこぼれ落ちていく人々。ステキな生活にしっくりとなじんでいるようでいて、その内実は案外と危うく、脆いもの。どれもそこそこ苦味があって、少し手厳しすぎるんじゃないかなと思わなくもない。それでも気に入った作品はくりかえし読みたくなるのだが。
●表題作となっているのは「巨大なラジオ」と「泳ぐ人」で、この2作はほかと少し作風が違って、リアリズムから逸脱している。「巨大なラジオ」では、高級アパートメントに住む一家が旧式のラジオを最新式の巨大なラジオに買い替える。最初、ラジオからは大音量でピアノ五重奏曲が聞こえてくるが、やがて人の話し声が混入するようになる。どうやらそれはアパートメントの他の住人たちの会話のようなのだ。表には見えないそれぞれの一家の事情がラジオから聞こえてくる……といった少しP.K.ディック的な設定。
●小説としてよりおもしろいのは「泳ぐ人」で、こちらは主人公が高級住宅地の各家庭にあるプールの連なりをひとつの水脈と見立てて、これを泳いで自宅まで帰ろうとする。招かれた他人の家のプールを出発点として、頭に地図を描き、まずは〇〇家のプール、次に××家のプールというようにプールを泳いでいけば、水着でそのまま家に帰れるともくろむ。自分の奇抜な発想に満足して、意気揚々と知人たちのプールを泳ぐ主人公。どこの家でも似たようなパーティが開かれており、水着で現れた突然の来訪者を歓迎してくれる……。しかしプール水脈を進むにつれて、様子が変わり、異なる現実が見えてくる。この短篇集から一本を選ぶならこれ。
●忘れがたい味わいを残すのは初期に書かれた「ぼくの弟」。成人した四人兄妹が、夏の休暇で母親のもとにそれぞれの家族を連れて帰省する。久しぶりに兄妹が勢ぞろいすることを主人公は喜んでいるのだが、気になるのは弁護士の末弟。この弟はファミリーの中で異質なキャラクターを持っており、旧交を温めているうちに、主人公のみならず母親もみんな彼のことを「好きじゃない」ことを思い出す。みんなが打ち解けて休暇を楽しもうとしているのに、この弟はいちいち棘のある言い方をし、酒も飲まず、ボードゲームにも参加せず、他愛のないことに興じるファミリーを冷ややかな目で見つめる。楽しい仮装パーティにも普段着にやってきて陰気な顔をしている。腕のいい料理人に向かって安月給で働きすぎだと憐れんで相手を怒らせる。貴重な休暇を過ごしているのに、だんだんみんなこの弟に対する悪意を抑えられなくなってくる。主人公は思う。夏の野原に建つ農家を自分は美しい光景だと思って眺めているが、弟はそこに土地の衰退を見て取っているだろう。そんなふうに弟のネガティブな物の見方を自分の内面にありありと再現する。読み進めるうちに、その弟とは主人公自身の内なるもうひとつのエゴなのではないかと思い当たる。傑作。

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