News: 2011年10月アーカイブ

October 31, 2011

エンリコ・オノフリ&チパンゴ・コンソート Live in Japan 2011

●今年も来日してくれたエンリコ・オノフリ。28日(金)のバロック・ヴァイオリン・リサイタル(白寿ホール)、30日(日)のオーケストラ・コンサート(石橋メモリアルホール)に足を運ぶ。両日とも本当にすばらしかった。28日は彼のソロをたっぷりと聴けるプログラムで、ヴィヴァルディ、コレッリ、ヘンデル、ヴェラチーニのソナタ、タルティーニ「悪魔のトリル」、ヴィヴァルディ「ラ・フォリア」。オノフリの切れ味鋭い鮮烈な技巧、豊かな歌心に眩暈の連続。変幻自在のソロに一歩もひけをとらないチパンゴ・コンソートの3人(杉田せつ子、懸田貴嗣、渡邊孝)も見事。スリリングな「ラ・フォリア」は圧巻だった。
●30日は協奏曲中心。前半にコレッリの合奏協奏曲第1番、ビーバーのバッタリア(大笑!)、ヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲「ムガール大帝」。すさまじいテンションの高さ。後半はヴィヴァルディ「調和の霊感」第11番ニ短調とバッハのブランデンブルク協奏曲第3番、ジェミニアーニの合奏協奏曲「ラ・フォリア」。この日もラストに「ラ・フォリア」が置かれて白熱、会場の全員がぐいぐいと音楽に引き込まれていく雰囲気を客席で感じた。これまでのオノフリ&チパンゴ公演のなかでも今年がいちばん楽しかった。
●「ラ・フォリア」って名曲だけど聴く機会が多いし、頭にこびりつきやすいじゃないすか、コレッリやマレも含めて。なので「ラ・フォリア」は自分の中ではベートーヴェン「運命」とかドヴォルザーク「新世界」とかプッチーニ「ボエーム」とかと同じ箱に入っていて、なるべく最強に強まった演奏でのみ触れたいというわがままな欲求を感じるんだけど、この2公演はどちらもこれを聴かずにいつ聴くのかという最強の「ラ・フォリア」。満足。
●しかし今回いちばん嬉しかったのは、2公演とも全席完売だったことかな、別に主催者じゃないんだけど(笑)。客席数の違いもあるからこれまでの公演と単純に比較できないにせよ、ようやく伝わるところに伝わってきたのかなと思うし、やっぱりライブはお客さんがぎっしり入っているほうが特別な雰囲気が生まれやすい。どうやったらオノフリのすばらしい音楽を広められるのかということに、これまで主催者は本気で取り組んできた。これでまた新しい可能性が開けてきたのかなと感じる。

October 28, 2011

チッコリーニのモーツァルト

●27日(木)はすみだトリフォニーホールでアルド・チッコリーニによる協奏曲。トーマス・カルブ指揮新日本フィル。チッコリーニは1925年生まれだから、86歳!? うーん、信じられない。この夏、フランスのラ・ロック・ダンテロン音楽祭でOEKとの共演を聴いたばかりなのだが、そのときはベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番とシューマンのピアノ協奏曲を休憩を挟まずに立て続けに弾いた。それに比べれば、この日のモーツァルトのピアノ協奏曲第20番&第23番(間に30分休憩)なんていうのは、老巨匠にとって軽めのプログラムなのかもしれない……。いや、でもこの年齢で欧州と日本を行き来してるんだからなあ。プレヴィン(1929)、スクロヴァチェフスキ(1923)、ブロムシュテット(1927)、みんな80代で来日してくれる。驚異。
●チッコリーニは自力でゆっくりゆっくりピアノまで歩いてくる。ひとたび鍵盤に向かうと矍鑠として、とてもその年齢には見えなくなる。余計なものをそぎ落とした簡潔でけれんみのない音楽を聴かせてくれるんだけど、一方で彼の生きてきた時代を伝えるかのようなロマンティシズムが息づいていて、潤い豊か。特に後半の第23番がすばらしかった。アンコールはスカルラッティの有名なソナタ ホ長調K.380。絶品。
●客席に著名ピアニストを何名か見かけた。えっ、なんでいま日本にいるの?みたいな人も含めて。
●ワタシはこの日のみなんだけど、東京ではこの後31日に同じくすみだトリフォニーホールでリサイタルが開かれる。リスト、ベートーヴェン他。
●あと11月2日は金沢でチッコリーニ&OEKのチャリティ・コンサートがあって、この日は半分協奏曲&半分リサイタルという構成になっている。きっと特別な公演になるはず。今日の北國新聞朝刊にオススメ記事を書いたので、地元の方はどぞ。

October 26, 2011

第5回仙台国際音楽コンクール開催記者会見

仙台国際音楽コンクール開催記者会見
●25日(月)、六本木の東京ミッドタウンにて第5回仙台国際音楽コンクール開催の記者会見が開かれた。仙台国際音楽コンクールは仙台市が2001年に創設した3年ごとに行なわれるコンクール。ヴァイオリン部門とピアノ部門があり、協奏曲を課題の中心に据えているのが特徴。ボランティアによる運営参加、ホームステイの実施など、参加者と市民との交流も多い。
●で、その第5回となる仙台国際音楽コンクールが2013年に開催されることが決定した。2013年っていうとずいぶん気の早い話かと思われるかもしれないんだけど、来年の1月から出場申込みが開始される。今回は特に震災の影響で開催を危ぶむ声もあったということだが、無事の開催が決定したのはなにより。会見には写真左より、野島稔ピアノ部門審査委員長、海老澤敏運営委員長、奥山恵美子仙台市長・コンクール組織委員会会長、宗倫匡ヴァイオリン部門審査委員長が臨席。奥山仙台市長は「震災の直後から、これまでにコンクールに参加したアーティストたちから仙台を心配する声がたくさん届いた。当初は被害があまりにも大きく次のコンクールが開けるかどうかわからないと思ったが、二ヶ月、三ヶ月と時間が経つとともに、できるだろう、やらなければならないという気持ちがわいてきた。音楽は人々の凍りついた心を癒すことができる。多くの人々からいただいた支援に対して、音楽でお返しをしたいと思う」と語った。
●なお、今回よりDVDによる予備審査が行なわれることになった。これまでは各地でオーディションを行なっていたが「開催地までの移動費用も居住地によっては若いコンテスタントにとって負担になる。なるべく多くの人に参加してもらいたいのでビデオ審査を行なうことにした」(宗倫匡氏)とのこと。
●協奏曲を審査の中心に据えることについては「オーケストラと演奏するときにいちばん大事なのは個性。これが出るかどうか。個性が出なければオーケストラはついてこない」(宗倫匡氏)、「コンチェルトはソリストが強烈な説得力を備えていないと難しい。その人の個性、なにを言いたいかがわかる」(野島稔氏)と両部門審査委員長からのコメントがあった。協奏曲のオーケストラは仙台フィル。
●出場申込みは2012年1月から。締め切りは2012年11月15日。

October 25, 2011

読響のジョン・アダムズ「ドクター・アトミック・シンフォニー」他

●下野竜也指揮読響定期へ(サントリーホール)。プログラムがものすごく意欲的で、前半にジョン・アダムズの「ドクター・アトミック・シンフォニー」日本初演、後半に團伊玖磨の交響曲第6番「広島」。このプログラムは誤解されやすいと思う。まず、今年の震災は関係ない。ずっと前から決まっていて、昨年の記者会見でも発表されていたものであって、震災の犠牲者を追悼しようとか、原発事故と絡めようとかいう意図はないわけだ。もちろん、それは「企画者側に」ということに過ぎないので、聴く側にはいくらでも創造的にテーマを読み取る自由はあるんだけど。
●で、さらにいえば「原爆」すらミスリードしているんじゃないかと思った。ジョン・アダムズの「ドクター・アトミック・シンフォニー」は、彼のオペラ「ドクター・アトミック」の音楽を素材としたもので、オペラでは原爆開発を担ったロバート・オッペンハイマーの苦悩や葛藤が描かれる……としても、これは作曲者自らが例示するようにヒンデミットにとっての交響曲「画家マチス」とオペラ「画家マティス」の関係のように、オペラから切り離してシンフォニーとして聴ける作品。一方の團伊玖磨の交響曲第6番「広島」にしても、この楽天的で希望にあふれた音楽の中から、大量殺戮の悲惨さや愚かさ、死の叫びを聴き取ることはできそうにない。
●なのでいったん「原爆」を忘れてしまえば、両曲は太平洋の両岸で比較的最近に書かれた交響曲という、日米現代シンフォニー・プロとして素直に受け取れる。そもそも團伊玖磨作品のほうは1985年初演の作品だ。広島青年会議所平和問題委員会委嘱作品。日本がこれからバブル経済を迎えようという平和な時代に生まれた、どこまでも肯定的な作品なんである。能管&篠笛(一噌幸弘)のソロが大活躍したり、終楽章でソプラノ(天羽明惠)が登場したり(バーンスタインの交響曲第1番「エレミアの哀歌」を思い出した)、オケの中にフルートが5本も入ってたりしても、作風としてはきわめて穏健で伝統的だ。オーケストレーションの技術はきっとすごく高いんじゃないだろうか。第2楽章では鞆の浦大漁節っていうの?日本の(いや広島の?)民謡まで堂々と浮かれながら登場する。そこにあるのは復興した広島、繁栄する広島ということか。最後の第3楽章はあまりにも輝かしく壮大に閉じられてしまうので、これは絶対に作曲者は意図していないことだけど、後にしばらく続く日本の狂騒を予告したんじゃないかと誤読したくなる。
●「ドクター・アトミック・シンフォニー」は2007年初演作品。終盤に切々とした長大なトランペットのソロが登場する。一方でジョン・アダムズらしくヴィヴィッドでカッコよくて、少し笑いがある(最後のチューブラーベル!)。バカなワタシはクリストファー・ノーラン監督の映画「インセプション」とか思い出しながら味わってた。元気のいいミニマルっぽいところはディカプリオとか渡辺謙が夢世界でミッションに挑んでる場面で、トランペットのソロはあっちに行っちゃった奥さんをディカプリオが追憶するシーンなわけ(笑)。だってジョン・アダムズに「オッペンハイマーの葛藤が」とか言われても。
●読響の演奏は圧倒的にすばらしかった。ていねいでありながら壮麗で、作品の価値を十全に伝えるというか、その価値を高めるくらいの立派さ。このプログラムが横浜と東京で2公演開かれたというのも快挙。

October 21, 2011

「小澤征爾さんと、音楽について話をする」

●明日22日深夜25:05から、フジテレビで「第23回高松宮殿下記念世界文化賞」特別番組。小澤征爾&征悦親子対談がある、と。
●小澤征爾と村上春樹の対談本「小澤征爾さんと、音楽について話をする」(新潮社)が発売される。以前「モンキービジネス」でお二人の対談が載っていたのを読んだが、とてもおもしろかったし、なんというか風通しの良さ(?)を感じて気持ちよかった。あれはこの単行本のための企画だったのか。
●対談の人選として最高なのでは。読むしか。

October 19, 2011

ブリバエフ&都響でスクリャービン、ABCのウィーン・フィル

スクリャービン●17日、スクリャービンの交響曲第2番をブリバエフ指揮東京都交響楽団が演奏するということで文化会館へ。スクリャービンに気を取られすぎて、前半のプロをある別の曲と勘違いしていたら、村治佳織さんのロドリーゴ「アランフェス協奏曲」だった。幸運の壷を買いにいったら、まずおいしいプリンでもてなさた、みたいな。
●で、スクリャービン。これは客席で身悶えするほどのカッコよさ。この熱さ、いかがわしさは最強。ブリバエフはダイナミックな指揮ぶりで、真正面から堂々と作品世界を伝えようとしてくれる。終楽章なんて一瞬でも「恥ずかしい」って思ったら聴いてられなくなるわけで、この熱っぽさ、雄弁さは圧倒的に吉。おかげでチャクラ全開。次回はぜひ色光ピアノ付きで交響曲第5番「プロメテウス」を。
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●ネットラジオ情報。オーストラリアABCが番組のアーカイブを置いていることに気がついた。エッシェンバッハ&ウィーン・フィルは日本に来る前にオーストラリアに行ってたんすね。いつまで聞けるものなのか確認してないんだけど、彼らのオーストラリア公演から、以下に2公演を。曲目の組合も会場の雰囲気も(音しかわかんないけど)微妙に日本と違うんすよね。

10/1 シューベルト「未完成」、マーラー「子供の魔法の角笛」より(ゲルネBr)、ベートーヴェンの交響曲第8番
http://www.abc.net.au/classic/content/2011/10/01/3327102.htm

10/3 ブラームス「悲劇的序曲」、モーツァルトの交響曲第34番ハ長調、ブルックナーの交響曲第4番「ロマンティック」
http://www.abc.net.au/classic/content/2011/10/03/3334417.htm

October 18, 2011

マティアス・ゲルネ バリトン・リサイタル

●16日夜、オペラシティでマティアス・ゲルネのバリトン・リサイタル。これは圧倒的な一夜だった。シューマンとマーラーの歌曲を演奏するというので、この二人の組合せはいいんじゃないかなと思って出かけてみると、サプライズが。なんと、リサイタル全体が三部構成になっていて(ただし休憩はなし)、「愛」「喪失」「兵士」といったような3つのテーマで歌曲を分けて、シューマンとマーラーをミックスして歌ったんである。
●つまり、最初の「愛」はマーラーの「私はやわらかな香りをかいだ」ではじまり、シューマンの「詩人の目覚め」「愛の使い」と続き、マーラー「美しいトランペットが鳴りわたるところ」へとつながる。最後の「兵士」の部はシューマン「兵士」、マーラー「死んだ鼓手」、シューマン「二人の擲弾兵」、マーラー「少年鼓手」と並ぶ。
●もちろん歌詞の内容まではつながらないから、これを連作歌曲と見立てるのは無理にしても、それでも「編集」的なセンスによる新たな大作歌曲の再創造だとは思う。しかもシューマンとマーラーという、時代は違うけれどどこかで共通項(過剰さとか逸脱とか?)のありそうな二人を交配したのが鋭い感じ。
●で、プログラミングで理屈をこねておいて、実際に歌が始まると完璧すぎる美声をホールに満たして、最初の第一声で聴衆を魅了してしまう。こんなに甘美なバリトンがあるのか。一方で「兵士」パートでは輝かしくパワフル。変幻自在。最後のマーラーの「少年鼓手」では前奏と後奏で譜めくりの方が立ち上がって、ピアノ内部の弦を押さえてミュートした。音色の変化でより劇的になることに加えて、これをやると最後は歌手、ピアノ伴奏、譜めくりの3人が固まった姿勢で静止して終わるという、視覚的にも劇的な幕切れが用意されるわけで効果抜群。客席が「!」って息をのんだ。
●このコンセプトのリサイタルは、この日の東京が最初なんだとか。この先2年ほど、ゲルネはこの形でリサイタルを行なうという。

October 11, 2011

バイエルン国立歌劇場「ナクソス島のアリアドネ」

●バイエルン国立歌劇場来日公演のR・シュトラウス「ナクソス島のアリアドネ」へ。なんとなく不穏な空気(?)を感じてオペラから足が遠のいていたんだけど、この作品を観たいという気持ちがまさって行くことに。ロバート・カーセン演出。東京文化会館。楽日。
●開演10分前くらいにはもう幕が開いて、舞台上でバレエダンサーたちのレッスンが行なわれている(ピアニストが「エーデルワイス」とかを弾く)。さっそくメタ化される舞台。オペラ「ナクソス島のアリアドネ」は、オペラ「ナクソス島のアリアドネ」を上演する様子を描いた自己言及オペラなんすよね。作品は2つの部分からなり(休憩なしの2時間強)、プロローグがあって、続いてオペラがある。メタオペラっていう意味では後の「カプリッチョ」と同じ趣向の姉妹作。「カプリッチョ」では、作曲家と詩人によって「音楽か言葉か」という二項対立が止揚されていくのに対し、「ナクソス島のアリアドネ」では作曲家と喜劇女優によって「芸術か娯楽か」が対立し、(文字通りに)一つに融合する。なので、演出家も工夫のしがいがある。
●物語内の設定としては、金持ちが客を招いて、まずシリアスなオペラ(ナクソス島のアリアドネ)を、次に喜劇を上演し、最後に花火を楽しむという余興を企てている。作曲家は自分のマジメなオペラの後に、通俗的な喜劇が続くのに憤る。さらに悪いことに、金持ちは気が変わって、オペラと喜劇をいっしょに上演しろという。花火の時間まではきっちり終わらせるように、と。作曲家は絶望するが、この仕事を放棄したら半年分の稼ぎがなくなる。しょうがない、幕を開けるしかない。……ていうプロローグのおしまいで、作曲家はスコアを持って舞台からピットのほうに降りて、指揮者ケント・ナガノにスコアを渡す。ワタシら観客はプロローグが終わったので拍手をする。作曲家は観客になんどか愛想よくお辞儀をして、舞台の脇に座ってこれからはじまる自分のオペラを鑑賞しようとする。あっ、そうか、作曲家はワタシらの拍手にこたえていたんじゃなくて、これも演出の一部なのか。金持ちが招いた賓客とはワタシらのことだったんだと気づかされる。笑。
●どうしてメタ化しなきゃいけないかといえば、そうしないと恥ずかしい時代になったから、なんだろう。ワーグナーまでは100%芸術でよかった、マジで「トリスタンとイゾルデ」、マジで「ニーベルングの指環」、マジで「パルジファル」。なんの問題もない。でも20世紀に入ったら、この「ナクソス島のアリアドネ」の作曲家役みたいに大マジメに芸術してるとむしろ本人の意に反して滑稽に見えてしまう。なので、おしまいに「なんちて」を付けて語りたくなる。もともとR・シュトラウスは「なんちて」が標準で付け得るところがワタシは好きなんすよね。「ツァラトゥストラはかく語りき、なんちて」、「英雄の生涯、なんちて」、「家庭交響曲、なんちて」。「なんちて」の付く余地があるところに真の偉大さを感じる。「サロメ」や「ばらの騎士」もそう(「ばらの騎士」=「フィガロの結婚、なんちて」)。で、題材が真正面のものになればなるほど、強度の「なんちて」が必要になる。「芸術か娯楽か」、「音楽か詩か」という究極にシリアスな題材となれば、究極の「なんちて」として、そのオペラをオペラのなかで上演するというメタオペラに行き着くしかなくなる。
●「ナクソス島のアリアドネ」にしても「カプリッチョ」にしても、劇中劇のあとのオチというかエンディングがないんすよね。音楽的にはちゃんと終わってるんだけど、物語は開いたままになっている。「ナクソス島のアリアドネ」の終盤、ワタシは劇中劇の物語の中に留まることに困難さを感じて、「4つの最後の歌」みたいにオーケストラ伴奏つきの歌曲を聴いている気分になった。逆説的だけど、物語の枠組みなんかなくても音楽は成立するじゃん、みたいな……。
●プロローグのおしまいで作曲家がツェルビネッタに惹かれて陶酔的な二重唱になるのは、「ばらの騎士」のオクタヴィアンとゾフィーの成長したバージョンって感じる。
●カーテンコールのなかでもまだ演技は続いていて、執事長が音楽教師と舞踊教師にギャラを渡したり。圧倒的に盛大な拍手を受けたのはツェルビネッタのダニエラ・ファリー。超絶コロラトゥーラと視覚的なかわいさが吉。作曲家のアリス・クートも大好評。アリアドネのアドリエンヌ・ピエチョンカも立派。バッカスのロバート・ディーン・スミスはどうかな。ケント・ナガノに「ブー、ブー、ブー!」と痛烈に叫ぶ方がたぶんお一人。全体としてはよくブラボーが出ていた。小編成のオーケストラも美しいシュトラウスの響きを聴かせてくれて、ワタシは満足。羨望を感じる。オケのメンバーも舞台に上がって拍手にこたえてくれた。垂れ幕には今回の公演が実現したことへの感謝と長年の交友がこれからも続くことへの願いが記されていた。

October 7, 2011

エルヴィラ・マディガン

●昨晩はNHK音楽祭でマリナー指揮N響。カツァリスの独奏でモーツァルトのピアノ協奏曲第21番とブラームスの交響曲第1番他。カツァリスは自作のカデンツァを披露。奥田佳道さんのプレトークによるとカツァリスはこの曲に2種類のカデンツァを作っているそうで、ひとつはモーツァルト風スタイル、ひとつはフリースタイル(?)ということらしい。たぶん昨日のは前者のほうだったんだろう。にしてもカデンツァのみならず、全体にカツァリスのオリジナルな音楽を聴いたという印象。譜面あり、セルフ譜めくり。
●モーツァルトのピアノ協奏曲第21番って、輸入盤(特にコンピ)とか英語表記で書かれたものを見るとときどき Elvira Madigan っていう副題が付いている。これが映画「みじかくも美しく燃え」の原題ということらしい。実話に基づく1967年のスウェーデン映画で、その登場人物名がエルヴィラ・マディガン(←見てません)。日本の曲目解説でも以前はよく「第2楽章のメロディが映画『みじかくも美しく燃え』で有名になり……」みたいなことが書かれていたけど、最近は映画のほうが曲よりよほど知られていないだろうから、あまり見かけなくなった。しかし映画のタイトルを曲名につけちゃう外人のセンスもすごい。ピアノ協奏曲第21番「みじかくも美しく燃え」だもんなあ。と思ったが、日本でもショパン「別れの曲」があったか(これこそだれも見てない映画だろう)。
●本来作品とは無関係な愛称を曲のタイトルにしてしまうことに関しては、ワタシはおおむね肯定的。ムリな愛称はどうせ忘れ去られるし(ドヴォルザークの交響曲第8番「イギリス」とかマーラーの交響曲第4番「大いなる喜びへの讃歌」とか)、定着するものは聴衆の総体がそう解釈したんだからもっとも正当なプロセスを経たといえるので。

October 6, 2011

パッパーノ指揮ローマ・サンタ・チェチーリア管弦楽団

●パッパーノ指揮ローマ・サンタ・チェチーリア管弦楽団のコンサートを聴きに東京オペラシティへ。反対側の新国立劇場では「トロヴァトーレ」を上演中。上野ではバイエルン国立歌劇場「ナクソス島のアリアドネ」があり、サントリーではアシュケナージ父子のピアノ・デュオ。にぎやか。ってのをTwitterを眺めて確認できるのが今。
●前半はベレゾフスキーのピアノでラフマニノフのピアノ協奏曲第2番。LFJで何度も聴いているベレゾフスキーはやはりベレゾフスキー。こんなに軽々とラフマニノフの協奏曲を弾く人をほかに知らない。凄まじい剛腕。アンコールとして第3楽章の途中からもう一回弾くというのも、なんだか大らかでいい。
●後半はリムスキー=コルサコフの「シェエラザード」。大変すばらしい。特に管楽器のソロはみんな巧くて、「オレがオレが」とたっぷりと歌って聴かせてくれる。オケの巧さにもいろいろあるんだなと思う。ベルリン・フィルやコンセルトヘボウみたいに洗練されたウルトラ細密画みたいなのを全員で描くっていうのも一つだけど、ローマ・サンタ・チェチーリアのようなパート対抗お客様を魅了します合戦みたいな、こっちの懐に飛び込んでくるスタイルも楽しい。プレーヤーから「モテたい」感が発散してるのがいいんすよ。ティンパニのオヤジのけれんみとか、なんともいえない味わい深さ。
●「シェエラザード」終曲の鳥肌級の高揚感に会場は大盛り上がり、アンコールにヴェルディ「運命の力」序曲と、ロッシーニ「ウィリアム・テル」序曲の有名なファンファーレのとこから。途中からだけど、いいじゃないの、みんなここを聴きたいんだから、細かいこと言わずに、みたいな。帰り道は「シェエラザード」を一生懸命思い出して余韻に浸ったけど。

October 4, 2011

クライストチャーチ交響楽団@アジアオーケストラウィーク2011

●「アジアオーケストラウィーク2011」でニュージーランドのクライストチャーチ交響楽団演奏会へ(オペラシティ)。サッカー界ではオーストラリアはアジアである一方でニュージーランドはオセアニアなのであるが、アジアオーケストラウィークではニュージーランドもアジアなのだ。ニュージーランドからやってきたオケがなにをやるかといえば、なぜかラウタヴァーラの交響曲第7番「光の天使」。こんな南にあるオケが北極近くの作曲家の曲を演奏するとは。でも緯度が高いっていう意味ではお互い一緒か。トム・ウッズ指揮。
●この演奏会はすごく楽しかった。ラウタヴァーラを生で聴けたっていうこと以上に、はるばる海外ツアーにやってきたオケのモチベーションの高さ、それを迎え入れる会場の雰囲気の暖かさが吉。前半のニュージーランド人作曲家クリス・クリー・ブラウン作品も、ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番(ジョン・チェン独奏)も実はあまりピンと来なかったんだけど、にもかかわらず大満足。舞台と客席との交感があるっていうことなのかなあ。ラウタヴァーラの終楽章が終わってしまうのが惜しく感じられた。こういう演奏会だとハッピーな気分で帰れる。出演者のネームバリューとは無関係にあったりなかったりする演奏会ならではのなにか。
●本日4日は同じくオペラシティで山下一史指揮仙台フィルが登場(つまりクライストチャーチと同じく、今年大地震で被災した地域のオケを呼んでいる)。ワタシは残念ながら都合がつかないんだけど、当日券は全席種販売されるとのこと。また、10月5日には仙台市青年文化センターにて、仙台フィルとクライストチャーチ交響楽団の合同演奏会が開かれる。

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