News: 2014年5月アーカイブ

May 30, 2014

ミハイル・プレトニョフ・リサイタル

●30日はミハイル・プレトニョフのリサイタルへ(東京オペラシティ)。前半にシューベルトのピアノ・ソナタ第4番イ短調と同じくソナタ第13番イ長調、後半にバッハのイギリス組曲第3番ト短調とスクリャービンの「24の前奏曲」という特徴的なプログラム。シューベルトもスクリャービンもおおむね二十歳を少し超えるくらいまでに書かれた若年期の作品。渋いプログラムだと思うんだけど、客席は思ったより盛況で、反応も熱かったのはさすが。シューベルトはかなり自由なプレトニョフ節が炸裂、作品に抱いていた青々とした清冽なイメージが吹き飛んで、円熟した深遠なる巨匠芸の世界へ。しかし圧巻はスクリャービンか。前奏曲集というミニチュア的な世界の枠を超えた大きな音楽が生み出されていた。
●スクリャービンの「24の前奏曲」はショパンの同様の曲集からインスピレーションを得た作品。なんだけど、スクリャービンに濃いショパン成分を感じるとなんとなく疎外感を覚えるという謎。
●この日の昼、久しぶりに須栗屋敏先生の仕事の打ち合わせに出向いた。シンクロニシティを感じる(感じません)。

May 29, 2014

広上淳一&N響のマーラー交響曲第4番

●28日は広上淳一指揮N響へ(サントリーホール)。前半にシューベルトの交響曲第5番、後半にマーラーの交響曲第4番(ローザ・フェオラのソプラノ)というプログラム。表情豊かで濃厚なマーラー。泣くときは泣き、笑うときは笑う人間味にあふれたマーラーで、開放的なサウンドが鳴り響いていた。
マーラー●一見明快な外見を持ちながらも、第4番はマーラーのなかでも特に一筋縄では行かない交響曲だなと改めて感じる。真摯さとアイロニーの混淆はマーラーの十八番ではあるけど、この第4番はその度合いが特に強い。第1楽章の冒頭、いきなり鈴がシャンシャンと鳴りはじめるのは、おとぎ話の前口上みたいなものなのだろうか。「むかしむかし、あるところに……」みたいな? 「むかしむかし、はるか彼方の銀河で……」は「スターウォーズ」か。第2楽章では、コンサートマスターが調弦を変えたもう一台のヴァイオリンを使う。グロテスクでコミカルな死神が、天上の前に待ち構える。
●第3楽章冒頭は、ベートーヴェン「フィデリオ」第1幕の四重唱序奏からのパクリ、というか引用だと思うが、「フィデリオ」の四重唱 Mir ist so wunderbar.. で歌われるのは、「想いのすれ違い」といったところか。事情の知らないマルツェリーネがレオノーレの愛を確信して幸福を歌い、レオノーレは「ヤバい、オレ本当は男なのに」と困惑し、ロッコは娘とレオノーレを似合いのカップルだとトンチンカンに喜び、ヤキーノは嫉妬する。第3楽章のおしまいには先取りされた輝かしいクライマックスが唐突に訪れるが、ここはもしかすると笑うべきところなのだろうか?
●第4楽章はソプラノが歌う清澄な「天上の楽しい生活」。天上といいつつも、この曲は三管編成ながら、神の声トロンボーンは使用されていないのであった。前作第3番ではあんなにソロで活躍させたのに。最後の終わり方は、静かに美しく終わると見せかけて、微かにバッドエンドを示唆する。あたかもホラー映画の結末で「ふ~、主人公は助かった」と思わせて、エンドクレジットで実はサイコ野郎はまだ死んでいなかったのだよフフフみたいな一コマが入るかのよう。続編は第5番第1楽章の葬送行進曲へ。やっぱりやられてたのね、とか。

May 27, 2014

METライブビューイング「コジ・ファン・トゥッテ」

●METライブビューイング「コジ・ファン・トゥッテ」を東劇で。復活したレヴァインは健在で、オーケストラへの影響力は絶大。精彩に富んだ、そしてウルトラ・リッチなモーツァルトをたっぷりと堪能できた。幕間のインタビューにあるように、METのオーケストラもずいぶんメンバーが変わって新陳代謝が進んでいるらしいんだけど、聞こえるのは紛れもなくレヴァインのモーツァルト。歌手陣も見事。スザンナ・フィリップス(フィオルディリージ)、イザベル・レナード(ドラベッラ)、マシュー・ポレンザーニ(フェルランド)、ロディオン・ポゴソフ(グリエルモ)、ダニエル・ドゥ・ニース(デスピーナ)、マウリツィオ・ムラーロ(ドン・アルフォンソ)。第1幕終わりの六重唱なんて、鳥肌級の楽しさ。お目当てのドゥ・ニースは、デスピーナという役柄は少し違うかなという気もするんだけど、でもたしかに典型的デスピーナになりきっていた。音楽面では超強力。
モーツァルト●で、レスリー・ケーニッヒの古い演出はきわめてオーソドックスなものなので、最近の「コジ・ファン・トゥッテ」に求められるような、男女の関係についてのドキッとするような考察なんてものはない。4人の男女はあんなことがあったのに、最後は元の鞘にもどってしまう。なので、初めて「コジ・ファン・トゥッテ」を見るには最適ともいえるけど、踏み込みが足りず作品の魅力を伝えきれていないと感じる人も多いはず。
●ここからは「オペラになにを求めるのか」という話になるんだけど、もしオペラの持つストーリーにシリアスにつきあうなら、つまりすぐれた小説を読むのと同じように、傑作に触れた後は生き方が変わってしまったり、日々目にするものが違って見えるようになるべきだとするならば(ワタシはそう信じてるわけなんだけど)、演出家が絶えず作品を更新し続けない限り、作品は力を失っていく。「コジ・ファン・トゥッテ」に触れて、「ま~、これってモーツァルト時代の女性観だからね。現代の物語じゃないから、ハハハハハ」で済ませてしまうなんていうのは、ありえないんである、選択肢として。作品へのリスペクトは、ダ・ポンテやモーツァルトがなにを期待していたかを伝えることではなく、今のワタシたちに作品がどんな意味を持ちうるかという問いで表現されるべきと思っているので。
●じゃあ、こういう保守的演出は無価値で退屈であると片づけられるのかというと、それも違うんじゃないかって気もする。この場合、ボールは観客側にあって、なにか意味を読みとることを求められている。で、今回改めて感じたことは、この4人の男女は幼いっていうことなんすよね、実年齢が。デスピーナが「女も15歳になれば~」と歌うことからして、妹が15歳、姉が17歳とか、そんなイメージ。今、この作品は恋人の交換というテーマから「男」と「女」を描くことが前提になりがちだけど、「少年」と「少女」の物語でもあったはず。「女はみんなこうしたもの」というより「女の子はみんなこうしたもの」「少女はみんなこうしたもの」。そう思って、世間というところに一歩も足を踏み出していない女の子の姉妹(とバカなボーイフレンド)の物語として見ていると、うっすらと浮びあがってくるのは「少年少女時代への苛立ち」みたいなものなんじゃないだろうか。こまっしゃくれたガキども(=過去の自分であったり、自分の子であったりする)の救いがたいメンドくささ、未熟さへの嫌悪。そういうクソガキティーンどもへのイライラした気分を、ドン・アルフォンソやデスピーナの立場から共有するのが、このオペラの根っこにある醍醐味なのかもしれない。イライラを満喫するためのオペラ。大人向けだなあ。

May 23, 2014

コンポージアム2014 ~ ペーテル・エトヴェシュの音楽

●というわけで、昨夜は東京オペラシティの「コンポージアム2014」へ。ペーテル・エトヴェシュ指揮N響でリゲティ「メロディーエン」、エトヴェシュ「スピーキング・ドラム」、リゲティ「サンフランシスコ・ポリフォニー」、エトヴェシュ「鷲は音もなく大空を舞い」「ゼロ・ポインツ」。エトヴェシュ作品はいずれも日本初演。
●圧巻は前半終わりに演奏された「スピーキング・ドラム ~ パーカッションとオーケストラのための4つの詩」。パーカッションのマルティン・グルービンガーが大暴れ。オーケストラの手前に6群の打楽器が配置され、これをグルービンガーひとりで操る。打撃音と発話の照応がテーマになっていて、まず中央に配置されたスネアドラムとフィールドドラムの膜面にスティックを垂直に自由落下させて音を出す。奏者はなにかを発話する。聴衆は奏者の発話を打楽器が模倣していることに気づく。奏者によって言葉?を教わった打楽器は、やがて猛烈な勢いで語りだす。グルービンガーの発話は絶叫に近いがゆえに半ばコミカルで、話者と打楽器は激高しながら対話を続ける。これは抱腹絶倒もの。グルービンガーは縦横無尽に舞台上を駆け巡る。あのフライパンと空き缶?を左右にかしずかせたぜいたく乱打無双はなんだ。いちばん右に配置されて「グォオーー」と唸るような低音を出していた楽器は、プログラムによればライオンズローア(ライオンの吠え声)。似たような音を最近聴いた気がする……クイーカ、かな?
●発話されていた言葉は2種類あって、ひとつは架空言語による詩。意味はない。もうひとつはサンスクリット語の詩をハンガリー語の発音に置き換えた詩ということで、事実上意味が伝わらないという意味でこれも架空言語みたいなもの。意味がないのに対話が成立し、しかもそれが猛烈に雄弁だというところに大ウケする。

May 15, 2014

「オケ奏者なら知っておきたいクラシックの常識」(長岡英著/アルテスパブリッシング)

「オケ奏者なら知っておきたいクラシックの常識」●入門書とは「なんにも知らない人に初歩の初歩」を教える本ではない。本当になんにも知らない人は、その本を決して手に取ってくれない。そうではなく、「すでに興味を十分持っていてその分野にある程度親しんでいる人に、知っておくべきことをやさしく教えてくれる」のがいい入門書。その意味で、これは最良のオーケストラ音楽の入門書だと思う。「オケ奏者なら知っておきたいクラシックの常識」(長岡英著/アルテスパブリッシング)という書名ではあるけど、オケ奏者でなくとも非常にためになる一冊。
●ここで教えてくれる「クラシックの常識」がなにかというと、帯に「シンフォニーは開幕ベルの代わりだった!?」という惹句が載っていることからも察せられるように、実は音楽史の基礎知識。オケの入門書である以上に音楽史の入門書なのだ。交響曲がコンサートの最重要ジャンルになったのはそう昔の話ではなくて、かつては演奏会の開幕ベルのような前座の演目で、オペラ・アリアや協奏曲のほうが主役だったこと、そしてやがて時代とともに交響曲中心のプログラムが組まれるようになったこと等々が、読み進めるうちにするっと腑に落ちるように書かれている。古典派初期にはフルートはオーボエ奏者が持ち替えで演奏していたとか、ハイドン時代のエステルハージ家のオーケストラでファゴット奏者がティンパニやヴィオラも担当したとか、そういうのって単なる豆知識じゃないんすよね。当時、音楽作品を演奏するという職務がどんな性格のものだったのかについて、歴史的な視点を与えてくれる。
●ひとつひとつの章は短く簡潔で、すらすら読める。文体は「です・ます」。このわかりやすさは驚異的。平易に書かれているんだけど、中身は本格派。クリスチャーノ・ロナウドの大腿四頭筋級の力強さでオススメしたい。

May 14, 2014

KUSCのLAフィル、KDFCのサンフランシスコ響

●ふと思い立ってKUSCの Los Angeles Philharmonic in Concert にアクセス。ちょうど公開されていたドゥダメル指揮LAフィルのブラームスの交響曲第2番を再生してみる。熱風みたいなブラームスがどっと耳に流れ込んできて、一瞬聴くだけのつもりが、最後まで聴き通してしまった。この輝かしさ、豊かさ、饒舌さ。ドゥダメルの音楽はフォントにたとえるなら極太明朝体みたいな感じかなと思いつく(←どんなたとえだ)。
●ドゥダメルは今秋ウィーン・フィルと来日し、さらに来年はLAフィルとやって来る。いよいよ真価が発揮される、はず。そしてロサンゼルス・フィルの略称はそろそろ「ロス・フィル」から「LAフィル」に変わってくれてもいい気がする。
●ついでに備忘録的にKDFC OnDemand をリンク。サンフランシスコ交響楽団のライブ音源。ビバ・ラジオ。

May 7, 2014

LFJ2014を振り返る

10周年フラワーケーキ
●さくっと振り返っておきたい今年のLFJ2014。
●アルゲリッチとクレーメルは本当に来た。また新たな伝説が。LFJ公式レポートブログからアルゲリッチ関連のエントリーをいくつか拾っておこう。「アルゲリッチ!アルゲリッチ!アルゲリッチ!」「マルタ・マルタン・タタルスタン」「サインをするマルタ・アルゲリッチさん発見!!」「アルゲリッチV.S.ケフェレック!?」。
●といいつつ、実はアルゲリッチの公演は聴かなかったのだが。自分が聴いたなかで特に印象に残ったのは広瀬悦子さんのピアノによるアメリカ・プロ(ビーチ、コープランド、バーンスタイン、ゴットシャルク、アイヴズ、ボルコム)、ゲニューシャスと鈴木優人指揮横浜シンフォニエッタの共演、スラドコフスキー指揮タタルスタン国立交響楽団。スラドコフスキーは軍隊の出身だとか。いいオーケストラだった。
●最終日の記者懇談会での要点は二つ。まず、とても盛況であったこと。有料公演のチケット販売率は90%を超える見込み。昨年よりいい。昨年の数字は一昨年(悪かった)より大幅によくなった数字だったと思う。その昨年を上回ったんだから、大人気だったことになる。「10回記念 祝祭の日」という総集編的な漠然としたテーマはどうかなと危惧していたんだけど、杞憂だった。もう一つは来年のテーマ。具体的なテーマ発表は6月末まで待ってほしいということだった。どうやら作曲家を起点にするテーマはもうこのあたりで一段落させて、今後はもっと抽象的なテーマを掲げたい模様。そして、「2020年の東京五輪までを視野に入れたテーマを考えたい」ということだったので、あっと驚くようなものが設定されるかもしれない。

May 3, 2014

ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン「10回記念 祝祭の日」開催中

●天候にも恵まれて、ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン「10回記念 祝祭の日」開催!
●前夜祭の公演で印象的だったこと。小曽根さんの「ラプソディ・イン・ブルー」を聴いたのは今年3回目。今回のアドリブがいちばん楽しかった。ポーランドのオーケストラの「スターウォーズ」を聴いた。カスタネット奏者の一般参賀を見た。
●期間中はLFJ公式レポートブログをごらんください。

May 2, 2014

メストレ、マンゼ&N響のオーチャード定期

●29日はオーチャードホールでアンドルー・マンゼ&N響。バロック・ヴァイオリンで知られるマンゼだが、今はもうヴァイオリンを弾かず指揮活動に専念しているのだとか。N響とは以前のN響「夏」でも好演を聴かせてくれた。今回はエルガー「序奏とアレグロ」、元ウィーン・フィルのハープ奏者グザヴィエ・ドゥ・メストレの独奏でモーツァルトのピアノ協奏曲第19番へ長調のハープ版、ベートーヴェンの交響曲第6番「田園」。最初のエルガーから気迫のこもった演奏で、N響の弦がメラメラと白熱していた。マンゼのイギリス音楽をもっと聴いてみたくなる。
●メストレのモーツァルトは想像したよりは無理のないモーツァルトで、ダイナミクスも案外ある。スタイルとしては典雅で優美なモーツァルト。セクシービーム大放出(←なにそれ)。アンコールに「ベニスの謝肉祭」。「田園」は雄弁。対向配置にもしないし、ヴィブラートも普通にかかってて、弦の編成も十分大きくて、外観としてはまったくのモダン・オケ仕様ながらも、ところどころ独自の語り口を感じさせる、非ロマン的男前ベートーヴェン。傍目にはノリントンがいつもあれだけやってるんだから、マンゼだってその財産?を活用していろいろできそうにも思えるけど、限られた時間のなかでエネルギーを注ぐべき場所はそこではないということなのか。アンコールにロッティ~マンゼ編「十字架につけられ」。
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●さて。いよいよ明日からラ・フォル・ジュルネ。というか、本日夜の前夜祭で実質的に開幕する。昨年の「ボレロ」大会に続いて、今回は「みんなで第九・歓喜の歌」という自由参加型イベントが地上広場で開かれる。カオスの予感。

May 1, 2014

「運命と呼ばないで~ベートーヴェン4コマ劇場」(NAXOS JAPAN、IKE著/学研パブリッシング)

運命と呼ばないで~ベートーヴェン4コマ劇場●これは名作って呼んでいいんじゃないかな。Naxosのウェブサイトで連載されていた漫画が「運命と呼ばないで~ベートーヴェン4コマ劇場」(NAXOS JAPAN、IKE著/学研パブリッシング)として書籍化された。大変おもしろくて、クォリティが高い。ベートーヴェンの物語ではあるんだけど、弟子のフェルディナント・リースに着目して、彼の視点で描くという基本設定が秀逸。リースの「伝記的覚書」他の文献をもとに史実とギャグをバランスよく交えて物語が進められる。登場人物のキャラクター造形も見事で、「現役JK(女子貴族)☆ジュリエッタ」ことジュリエッタ・グイチャルディ嬢がJK口調(?)でしゃべるのとか、むちゃくちゃ笑える。チェルニー少年のこまっしゃれくた感じもホントに雰囲気出てるなあ。背景にあるベートーヴェンが生きた時代、つまり音楽家が宮廷の使用人から自立する芸術家になりつつある時代というのが効いている。4コマのギャグ漫画っていう形態で、これだけストーリー性のあるものを描けるというのも感動。
●実はウェブでの連載時は最初の数回しか読んでいなかったんだけど、書籍になって通して読んで初めてこの連載がどれだけ周到に作られているのかがわかった。あと、これだけ作家性の強い作品の原作者(ネーム担当者)がNAXOS JAPANっていう法人になってるところもいろんな意味でインパクトあり。

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