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News: 2014年11月アーカイブ

November 28, 2014

2015年 音楽家の記念年

スクリャービン●そろそろ師走。各種媒体はすでに来年の企画なども進めているところであると思うが、恒例、2015年音楽家の主な記念年を以下に。
●作曲家に関してはいちばん大きな話題でもスクリャービンの没後100年くらい。局所的にしか盛りあがってくれなさそうだが、キャラは立っているか。一方、演奏家の生誕100年は来年も豊作で、リヒテル、デル・モナコ、シュヴァルツコップなど。
●ネタとして少しひかれるのはザロモン没後200年か。音楽史では作曲家兼興行主とか作曲家兼楽器製作者みたいな人が非常に重要な役割を果たしてたりするけど、そういう音楽家実業列伝みたいなテーマはおもしろいかも。
●ちなみに「150年」というのは、ぜんぜん引きが弱いし意味も薄いので視野に入れていないのだが、100年単位で人気作曲家が見つからないときに、消去法的に光が当てられることもある。2015年はシベリウス、ニールセン、グラズノフが生誕150年を迎えるのだが、はたして。

[生誕100年]
デイヴィッド・ダイアモンド(作曲家)1915-2005
ヴィンセント・パーシケッティ(作曲家)1915-1987
戸田邦雄(作曲家)1915-2003
カール・ミュンヒンガー(指揮者)1915-1990
ランベルト・ガルデッリ(指揮者)1915-1998
スヴャトスラフ・リヒテル(ピアニスト)1915-1997
原智恵子(ピアニスト)1915-2001
ヴォルフガング・シュナイダーハン(ヴァイオリニスト)1915–2002
マリオ・デル・モナコ(歌手)1915-1982
エリーザベト・シュヴァルツコップ(歌手)1915-2006
エディット・ピアフ(シャンソン歌手)1915-1963
フランク・シナトラ(ポピュラー,ジャズ歌手)1915-1998

[没後100年]
アレクサンドル・スクリャービン(作曲家)1872-1915
セルゲイ・タネーエフ(作曲家)1856-1915
エミール・ヴァルトトイフェル(作曲家)1837-1915
カーロイ・ゴルトマルク(作曲家)1830-1915
近藤朔風(訳詞家)1880-1915

[没後200年]
ヨハン・ペーター・ザロモン(興行主、作曲家)1745-1815

[生誕300年]
ゲオルク・クリストフ・ヴァーゲンザイル(作曲家)1715-1777

[作曲から200年]
シューベルト:「魔王」(1815)

●ひとつ告知を。今週末11/29(土)22:00~ 拙ナビによるFM PORT「クラシックホワイエ」の「この人のこの1曲」コーナーで、フルート奏者の神田寛明さんにご出演いただきました。ラジコプレミアムで全国から聴けます。

November 25, 2014

週末Jリーグ、ヤンソンス&バイエルン放送交響楽団、大井浩明POCヴォルフガング・リームのピアノ曲全曲

●世間は三連休となったこの週末、Jリーグが今季も熱く盛りあがっていた。J1は浦和で決まりだろうと思っていたが、ガンバ大阪が勝点2差まで迫った。毎シーズン毎シーズンよくもこんなに終盤まで優勝争いがもつれるなと感心する。そして昨季の苦い思い出が……。J2は日程終了。1位湘南と2位松本山雅が自動昇格、3位以下の千葉、磐田、山形でプレイオフに。5位の北九州はJ1クラブライセンスを保有しないため、プレーオフへの出場ができないという変則的な形になった。J3はなんとツエーゲン金沢が優勝。2位の長野はJ2讃岐との入れ替え戦へ。金沢も長野も讃岐も少し前まではJFLのクラブだったのに、あっという間にJリーグに行ってしまったのだなあ。
●21日はミューザ川崎でヤンソンス&バイエルン放送交響楽団。前半にツィメルマンの独奏でブラームスのピアノ協奏曲第1番、後半にムソルグスキー~ラヴェルの組曲「展覧会の絵」。ごく当たり前のことのようにオーケストラからものすごい音が出てくる。このレベルにまで来ると、羨望しか感じないというか。第1ヴァイオリンなら第1ヴァイオリンという一台の輝かしい楽器が歌っているかのよう。音響そのものの豊麗さだけで呆然としてしまう数少ないオーケストラのひとつ。「展覧会の絵」はなじみのない音が聞こえる特盛バージョンだった気がする。アンコールにJ・シュトラウスのピツィカート・ポルカとドヴォルザークのスラブ舞曲(何番だっけ?)。
●22日は両国門天ホールで大井浩明 Portraits of Composers 第18回公演「ヴォルフガング・リーム ピアノ曲全曲」。今回も作曲順に従って、リームのピアノ曲第1番から順に第7番まで、さらに「再習作(ナッハシュトゥディー)」が演奏されるという貴重な機会(ピアノ曲第3番は法貴彩子との連弾)。作風は様々だが、「再習作」以外は十数分くらいの長さの比較的短いもの。第3、4、5番、第7番がおもしろかった。第3番は連弾ならではのスリリングさに加えて、特殊奏法ももりだくさん。第7番はダサカッコいい。一通りのプログラムが終わったところで、アンコールは予想外の展開へ。まさかのマーラーの交響曲第7番の終楽章連弾版。オケで聴いても狂躁的な「文脈ぶった切り」感はすさまじいが、連弾で聴くとその過剰さ、直線的な饒舌さが際立つ。これでもうお腹いっぱいだが、さらにもう一曲、「70年代の日本を代表する作品で(笑)……聴けば分かります」と紹介されて、連弾版「ルパン3世のテーマ」。リームのピアノ曲を聴きに行って、帰り道は頭のなかでルパン3世が鳴り響いていたという両国の夜。

November 21, 2014

指揮者の変更。マクリーシュ&都響、マリナー&N響

●20日はサントリーホールでポール・マクリーシュ&都響。本来は9月に逝去したクリストファー・ホグウッドが指揮をする予定だったが、マクリーシュが代役に。少し意外な感じもするがこれが初来日。ホグウッドの凝ったプログラムを、曲目変更なしで乗り切った。
●なにしろコープランドの「アパラチアの春~13楽器のためのバレエ」(原典版)、R. シュトラウスの13管楽器のためのセレナード変ホ長調op.7という2曲を聴けるのが貴重。13楽器という小編成で聴く親密な「アパラチアの春」。そういえばこれは田舎の素朴な花嫁と花婿の音楽なんだっけ。メイン・プログラムはメンデルスゾーンの交響曲第5番「宗教改革」(ホグウッド校訂版第2稿)。テューバではなく本来のセルパンを使用(蛇みたいな形のあの楽器です)。ホグウッド校訂版にはメンデルスゾーンが初演の直前にカットを施した部分が復元されているそうなんだけど、この復元部分は演奏されないとのこと。もしホグウッドが振っていたらどうなったんだろう……と考えてみてもしょうがないが、とてもおもしろいプログラムであることはまちがいない。本日21日同プログラムで東京芸術劇場でもう一公演あり。「宗教改革」はメンデルスゾーンの交響曲のなかでもっとも感動的な作品だと思う。
●他人が考え抜いたプログラムをそのまま引き受けて初めてのオーケストラを振るのは大変だったと思うが、次はぜひマクリーシュ自身のプログラムも聴いてみたいもの。
●代役指揮者といえば、15日のN響定期も。本来スラットキンが振る予定が、手術のために急遽キャンセル、なんと代役にネヴィル・マリナーが登場した。スラットキン70歳の代わりに、マリナー90歳っすよ! この日は前半がベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲(セルゲイ・ハチャトゥリアン)、後半にラヴェルの3曲が予定されていたのだが、後半のみブラームスの交響曲第1番に変更されることになった。さすがにマリナーでラヴェルはないか。ブラームスの交響曲第1番は最近同じコンビで演奏しているし、なんの問題もない。ただ、問題はないけど、ラヴェルを聴きにきたお客さんにとってブラームスはどうなのかなあと思っていたら、すごい音がオーケストラから出てきた。気迫にあふれた重厚なN響のサウンドと、マリナーらしい角の取れた温かみのある音楽が一体となった、円熟のブラームス。客席の喝采にも老巨匠への敬意という以上の熱さがあったはず。

November 19, 2014

METライブビューイング2014/15 モーツァルト「フィガロの結婚」

●映画館で観るオペラ、METライブビューイングの今季2作目は「フィガロの結婚」。レヴァインの指揮にひかれて足を運んだが、期待以上に完成度の高い舞台だった。リチャード・エアの新演出は、舞台を第二次世界大戦前、1930年代に設定している。と聞くと、「軍隊に行け!」といわれる美少年ケルビーノの運命が気になるわけだが、ふたを開けてみるとそんなところに重点は置かれていなくて、まったくもって正攻法で細部まで練られたラブコメ。もうホントに完璧なラブコメ。力のある演出家が豊富なリソースを使って作りあげた舞台だけあって、ちゃんと笑える(客席も笑ってた)。これがいちばん難しいんすよね、愉快であるってことが。
●キャストはイルダール・アブドラザコフ(フィガロ)、ペーター・マッテイ(伯爵)、マルリース・ペーターセン(スザンナ)、アマンダ・マジェスキー(伯爵夫人)、イザベル・レナード(ケルビーノ)。スザンナもキュートだし、伯爵夫人も美しい。フィガロが少々太目ではあるものの、みんな容姿も役柄にあっていて、恰幅のいい中年男女が絡み合うドスコイオペラになっていないのが吉。回り舞台を活用した舞台転換から歌手の動きから全般にスピード感があって、穏健であってもかび臭くない。それに合わせたものなのか、レヴァインのテンポもきびきびしていて聴き惚れる。
モーツァルト●しかし、「フィガロの結婚」って、何回見ても話が途中からグダグダになっていると思う。モーツァルトの最高傑作かもしれないのに、そしてオペラ史上の最高傑作でもあるかもしれないというのに、この話の「イラッ」とさせる感って、なんなんすかね。初夜権を巡る騒動というストーリーはいいんだけど、「化かし合い」モードに入って以降のプロットが納得いかない。これって整合性がとれてるのかなあ? フィガロが実はマルチェリーナとバルトロの間に生まれた子供でしたっていう展開は、もう絶望的に終わっている。それなのに、史上最強の傑作だと確信して心の底から楽しめる。どんだけスゴいの、モーツァルトの音楽は!
●「フィガロの結婚」で唯一共感できる人物はアルマヴィーヴァ伯爵だと思う。彼は嫉妬深い小人物で、賢くもなければ寛大でもないんだけど、初夜権廃止とか、前日譚「セビリアの理髪師」での身分を隠しての恋とか、意識高い系の領主になりたくてしょうがない。フィガロやスザンナはファンタジーだけど、アルマヴィーヴァは現実。
●字幕もいい。「ババア!」のところは秀逸。
●ケルビーノの「壁ドン」演出とかあってもいい気がする。

November 18, 2014

オノフリ&チパンゴ・コンソートでヴィヴァルディ「四季」

●16日は石橋メモリアルホールでエンリコ・オノフリ&チパンゴ・コンソート。「ヴェネツィア、霧の中の光」と題したオール・ヴィヴァルディ・プロ。前半に協奏曲集「調和の霊感」から第1番、第8番、第9番の3曲と弦楽のためのシンフォニア ロ短調「聖墓によせて」、後半に協奏曲集「四季」。満席の盛況ぶりで、LFJ後にオノフリが単身来日したころとは隔世の感。継続する力の大きさを痛感する。「四季」は以前にも一度同じオノフリ&チパンゴ・コンソートで聴いているが、同じものをもう一度聴いたという「再放送感」がまったくない鮮度と躍動感。鋭くアグレッシブな表現も健在だけど、のびやかな歌が横溢したヴィヴァルディでもあり。「四季」の描写性、鳥のさえずりやヴィオラ犬のバウバウ、秋の酒宴とまどろみ、吹き荒れる嵐など、雄弁で痛快。オノフリとアンサンブルの一体感も驚異的。
●ヴィヴァルディが用意した「四季」のソネットって、季節の情景描写が中心なんだけど、ちゃんと主人公がいるんすよね。最初は遠いところから三人称視点で描いているようでいて、「冬」あたりになると歯をガチガチさせながら凍えて、「でもさー、実は冬も楽しんだよねー」って強がってみせる(?)一人称の主人公の存在を感じさせる。そういう微妙な視点の移動が、音楽にも含まれているんじゃないかなって感じることがある。

November 14, 2014

マレイ・ペライア&アカデミー室内管弦楽団のモーツァルト、ハイドン他

●13日はマレイ・ペライア&アカデミー室内管弦楽団へ(サントリーホール)。オケのみでメンデルスゾーンの弦楽のための交響曲第7番、弾き振りでモーツァルトのピアノ協奏曲第21番、バッハのピアノ協奏曲第7番ト短調、ハイドンの交響曲第94番「驚愕」というプログラム。弾き振りのピアノの配置は通常のリサイタルなどと同じく横向き、蓋もあり。快活で、洗練されていて、でも案外ハイテンションなペライアのピアノを満喫。モーツァルトの第21番の耳慣れないカデンツァは、第1楽章がペライアの自作、第3楽章がブゾーニ。バッハは譜面あり、譜めくりあり。「驚愕」でようやく指揮棒を持ったペライアが登場。生まじめで精悍なハイドンだったけど、予想以上に楽しい。メリハリのあるティンパニがすごく効いていた。「驚愕」という選曲は悪くないんだけど、これを聴くともう一曲くらいハイドンを聴きたくなる。といっても時間はもう十分なので、終演するしかないわけだが。アンコールはなし。
●「驚愕」第2楽章はもうだれもびっくりないから、「びっくりシンフォニー」は「びっくりしないシンフォニー」になっている。ミンコフスキのようにあそこで沈黙するとか叫び声を挙げるという「超びっくりシンフォニー」もあったが、もうそこまでいくとそれ以上の「びっくり」は手品でもしないと難しそう。
●週末、N響をスラットキンが指揮する予定だったのだが、スラットキンが健康上の理由でキャンセルして、90歳のマリナーが急遽代役で登場することになった。たまたまアカデミー室内管弦楽団の創設者マリナーが、この日東京に居合わせることになったわけだ。ワタシは見ていないんだけど、客席にはマリナー翁の姿もあったとか。
●「びっくりシンフォニー」のあそこでペライアがマリナーに早変わりしてたら史上最強のびっくりだった。あれっ!? あの人マリナーだよ!(ざわ…ざわ…)みたいな。あるわけない。

November 10, 2014

パッパーノ指揮ローマ・サンタ・チェチーリア管弦楽団など

●7日はサントリーホールでアントニオ・パッパーノ指揮ローマ・サンタ・チェチーリア管弦楽団。ヴェルディの「ルイザ・ミラー」序曲、ドヴォルザークのチェロ協奏曲(マリオ・ブルネロ)、ブラームスの交響曲第2番というプログラム。こういうプログラムでも、このオーケストラらしさは全開。明るい響きと伸びやかなカンタービレで描かれたブラームスは本当に楽しい。実演ではあまりいい記憶がないドヴォルザークのチェロ協奏曲も、ブルネロの渾身のソロと細部まで表情豊かなオーケストラがあいまって、すっかり満ち足りた気分に。前回の来日公演でもまったく同じことを感じたけど、このオーケストラは個々のプレーヤーから「モテたい」オーラがびゅんびゅんと発散されているのが吉。聴かせどころでは腕まくりして「オレがオレが」って前に出てくる感、満載。ソリストのアンコール2曲、オケのアンコール2曲。大盛りあがりで終了。会場は満席ではなかったけど、パッパーノのソロ・カーテンコールに対するブラボーの声の盛大さは最近の公演では随一。愛されてる。
●9日は本当なら横河武蔵野FCのJFL今季最終節に足を運びたかったのだが、天気がもうひとつなのと意外と肌寒いのとで断念。東京の11月上旬に寒いなどと言ってるようではどうしようもないわけだが……。そういえば今年から始まったJ3リーグも結局観戦できないままあとわずか。首都圏でJ3を見ようと思ったら、実は意外と選択肢はいくつもあって、FC町田ゼルビア、SC相模原、Y.S.C.C.横浜の3チームがありうる。どこも行けるといえば行けるし、どこも同じくらい遠いといえば遠い。3チームとも11/23の最終節はアウェイなので、残すは11/16しかない。うーむ。そしてJ3でなんとツエーゲン金沢が優勝してしまいそうなのだがっ!

November 7, 2014

ティル・フェルナーのリサイタル、10代のためのプレミアム・コンサート~小菅優&河村尚子ピアノ・デュオ

●5日はトッパンホールでティル・フェルナーのピアノ・リサイタル。前半にモーツァルトのロンド イ短調、バッハの平均律クラヴィーア曲集第2巻から第5番ニ長調~第8番嬰ニ短調、ハイドンのソナタ ニ長調、後半にシューマンのダヴィッド同盟舞曲集。滑らかなレガートを拒みながら、強めの音圧で点と点を結んでいくような緊張感の高いモーツァルトで開始され、玄妙なバッハを経て、がらりと雰囲気を変えて快速テンポではしゃぎまわるハイドン。コントラストの鮮やかな前半だけでもかなりの充足度。後半のシューマンは詩情豊か。しみじみと聴き入る。アンコールにリストの「巡礼の年 第1年 スイス」から「ワレンシュタット湖畔で」。満喫。
●ダヴィッド同盟舞曲集って、最後から2番目の第17曲でひとまず終わる曲集だと思う。淡々と紡がれる歌のなかから第2曲が回想されて、いったいどこに行くのかなと思ったところで、白昼夢から目覚めさせるような終結部が続く。おしまいの第18曲は余韻の実体化。
●4日はソニー音楽財団の「10代のためのプレミアム・コンサート~小菅優&河村尚子 ピアノ・デュオ・リサイタル」を取材(紀尾井ホール)。6歳から10代まで、およびその保護者が入場できるというシリーズの第5弾で、毎回登場する楽器が違っていて、今回はピアノ・デュオ。小学校低学年のお子さんと親御さんという組合せもあれば、高校生の友人同士みたいな来場者もあって、客席はかなり多様。なんだかまぶしい、若さが。モーツァルトの2台ピアノのためのソナタ ニ長調、シューベルトの幻想曲 ヘ短調、ラヴェルの「マ・メール・ロワ」、ラフマニノフの2台ピアノのための組曲第1番「幻想的絵画」という本格的なプログラム。ラフマニノフは圧巻。さすがにシューベルトの幻想曲で喜ぶ子供たちというのはあまりいないと思うんだけど、お父さんお母さんはじわりと来ていたかもしれない。

November 4, 2014

METライブビューイング2014/15 ヴェルディ「マクベス」

●映画館で観るオペラ、METライブビューイングの新シーズンが開幕。今季第1弾はヴェルディの「マクベス」。アンナ・ネトレプコ(マクベス夫人)、ジェリコ・ルチッチ(マクベス)、ルネ・パーペ(バンコー)、ジョセフ・カレーヤ(マクダフ)というキャストで、指揮はファビオ・ルイージ。ネトレプコが圧倒的で、パワフルかつ禍々しい。幕間インタビューでネトレプコが見せた「クレイジーな地のキャラ」が、そのままマクベス夫人のキャラクターにどこかで通じているような。貫禄。そして、頼まなくてもご飯を大盛りにしてくれる食堂のオバチャン感は健在。11月7日(金)まで上映。
●ヴェルディの「マクベス」って、ハイテンションな場面が続いて、山あり山あり、なんすよね。原作の諸要素をオペラの枠内に収めようとして窮屈になったと見るべきなのか、もともとロマンス要素のない話なのでどうしてもこうなると見るべきなのか。しかし、なんといってもこれは「マクベス」。物語が聴衆を引きつける力は尋常じゃない。「女から生まれた者にはマクベスを倒せない」っていうあれはホントに鳥肌モノ。
●ネトレプコの鬼女っぷりが凄絶だからなおさら思うんだけど、この話で権力を渇望しているのはマクベス夫人だけなんすよね。夫をそそのかして王位につかせて、「ハハハ、これが王座だ!」みたいな勝ち誇ったことを歌うけど、王になったのは夫であって、マクベス夫人はどこまで行っても王にはなれない。だって女に生まれてしまったから。夫よりマッチョな女がマクベス夫人。マクベス夫人の男性性に屈して、マクベスは自らの手を汚したともいえる。そしてマクベスを倒すのはマクダフ。ヴェルディのオペラでは途中からいきなり出てきた唐突な役柄にも見えるんだけど、マクダフは帝王切開で生まれているので、女から生まれていない。母性を否定して(おそらく母体を犠牲にして)生まれたマッチョがマクベスを倒す。マクベスは男性性に二度殺されている。
ヴェルディ●本来、魔女は3人だし、3人という人数には意味があると思う。でもヴェルディは魔女に合唱をあてたので、このオペラでは集団になる。ポランスキーの映画「マクベス」の3人の魔女のような、外道というか異界の存在という感じではない。ワーグナーのラインの乙女の3人とか、ノルンの3人みたいに3人で歌わせないで、合唱にしたっていうのはなにか明確な理由があったんすかね?
●魔女の予言はマクベスに向かって「お前はいずれ王になる」、バンコーに向かって「お前は王にならないが、子が王になる」。後者の予言の行方については、この物語のなかでは明示的に描かれていない。なので演出上で利用可能な設定になる。このエイドリアン・ノーブルの演出では、最後の場面で、ダンカン王の息子マルコム(原作と違ってもう一人の息子ドナルベインは登場しない、たぶん)が戴冠してハッピーエンドとなったところで、脇にバンコーの息子フリーアンス(ヴェルディのオペラでは名前はなかったかも)がいるのに気づいてギクリとして一歩退く、といった形になっていた。
●日本の魔女は少女になりがちだけど、西洋の魔女はたいてい老婆。

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