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November 19, 2025

新国立劇場 ベルク「ヴォツェック」新制作 リチャード・ジョーンズ演出

●18日昼は新国立劇場でベルクの「ヴォツェック」新制作。演出はイギリスのリチャード・ジョーンズ。ピットに入ったのは大野和士指揮東京都交響楽団。歌手陣はヴォツェックにトーマス・ヨハネス・マイヤー、マリーにジェニファー・デイヴィス、鼓手長にジョン・ダザック、大尉にアーノルド・ベズイエン、医者に妻屋秀和、アンドレスに伊藤達人、マルグレートに郷家暁子。休憩がないので全3幕といっても全部で100分程度。無調の長大な声楽付き交響曲を聴くかのような趣もあって、雄弁なドラマを紡ぎ出すという観点から言えば、主役は都響だったかもしれない。強靭で重い響きが尋常ではない緊迫感を作り出す。稀有。歌手陣もマリーのジェニファー・デイヴィスをはじめ、どの役も好演。
●リチャード・ジョーンズの演出はぶっ飛んでた。がらんとした殺風景な舞台に小ぶりな部屋がいくつか用意され、これが代わる代わる前に出てくる。簡素だが、その分、群衆の動きが緻密で目を見張る。大尉や鼓手長、医者ら「持てる者」は赤、ヴォツェックら兵士の「持たざる者」は黄色の衣装を着用して、権力構造を視覚化する。このオペラには自分のお気に入りのモチーフとして、ヴォツェックが医者から人体実験として豆だけを食べるように命じられているという設定があるが、今回の演出では冒頭からいきなりヴォツェックが豆の缶詰をすくってモグモグと食べている。舞台下手の棚から好きなだけ豆缶を取り出すことができ、食べ終わったら上手のゴミ箱に空き缶を入れる。これを偏執的にくりかえす。ビバ、豆缶、食べ放題。
●「ヴォツェック」は救いのないオペラ。疎外された男を描いた20世紀の土左衛門オペラの二大傑作は「ヴォツェック」とブリテン「ピーター・グライムズ」だと思うが、「ピーター・グライムズ」を観ると「自分はピーターだ。同時に自分はピーターを追いつめる町の人々でもある」と何人もの登場人物に共感できるが、「ヴォツェック」にはだれひとり共感可能な人物はいない。みんな狂ってる、最初から。とくにこの演出では、そう感じる。ずっと狂気が支配していて、それを際立たせているのがある種のユーモア。群衆のダンスシーンとか、シュールな笑いがある。社会の底辺の起きる悲劇をブラックな笑いに包み込んだ「ヴォツェック」というか。痛烈で、そうだなー、意地悪とも言えるかな。
●まだ上演中なのでぜんぶは書かないが、おしまいの「ホップホップ」の場面に新機軸がある。賛否両論だと思うが、なるほど、そう来たか、とは思った。あと、子どもがテレビの画面から離れられない、というのも育児放棄感が出ていて切ない。

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