●「言語化するための小説思考」(小川哲著/講談社)がおもしろかった。「ゲームの王国」「地図と拳」「君のクイズ」などの人気作で知られる直木賞作家の著者が、小説を書くときになにを考えているかを言語化した一冊。といっても、小説の書き方を指南するのではなく、もっと根源的な部分、小説とはどういうものなのか、文章をいかに書くかというところまで突きつめて考え、言葉にしている。
●どこも刺激的なのだが、たとえば第7章は「『伏線』は存在しない」と題される。よく小説に対して「伏線回収が鮮やか」みたいな評価があるけど、著者は「伏線」という言葉を激しく嫌う。一般論として、伏線とは「その後の展開を暗示する描写」「意外な展開に対する違和感を減らすための描写」と定義される。しかしこれが無意味なのは、小説の骨格そのものが「その後の展開を暗示する描写」と「意外な展開に対する違和感を減らすための描写」で成立しているからだと指摘する。まったくその通りだと思うじゃないすか。でも、本当にびっくりしたのはその先で、
僕は普段、プロットを作らずに小説を書いているのだが、プロットがないのに小説を書くことができるのは、「書いてしまった文章をいかにして伏線にするか」という倒錯した発想で物語を構築しているからにほかならない。
というくだり。そういえば、以前読んだ「君のクイズ」でも、書き出しの時点ではトリック(って言うのかな)が見つかっていなかったみたいな話を目にした記憶がある。
●それで思い出したけど、スティーヴン・キングが「ストーリーは由緒正しく、信頼に値する。プロットはいかがわしい」って書いていたっけ(→「書くことについて」スティーヴン・キング その2)。ストーリーは化石の発掘みたいに慎重に探し当てるものだけど、プロットは「優れた作家の最後の手段であり、凡庸な作家の最初のよりどころ」だって言うんすよね。おもしろくない? さらにキングは「なんらかの問題意識やテーマにもとづいて書くというのは、駄作のレシピである。優れた小説はかならずストーリーに始まってテーマに終わる。テーマに始まってストーリーに行き着くことはまずない」って言ってるんだけど、これに近い内容のことが本書にも書かれていた。
●あと、金言だと思ったのは、以下の一文。小説だけでなく、あらゆる原稿に対して有益だと思う。
僕が生まれて初めて小説を書き上げたあと、最初にやった推敲は「自分のために存在している文章」をすべて削除することだった。