
●23日は新国立劇場でヴェルディ「リゴレット」。エミリオ・サージ演出の再演。ダニエレ・カッレガーリ指揮東京交響楽団で、ウラディーミル・ストヤノフの題名役、中村恵理のジルダ、ローレンス・ブラウンリーのマントヴァ公爵、斉木健詞のスパラフチーレ、清水華澄のマッダレーナ、友清崇のモンテローネ伯爵他。声が強くて立派なリゴレットと、凛々しく抒情的なマントヴァ公爵というコンビ。ジルダは可憐ながらも強い娘。オーケストラは激情を煽るというよりは端正で、響きのバランスがとれており、過不足なくドラマを伝える。舞台は少し不思議なところもあるけど、基本的にはオーソドックスな演出。幕切れで上から降りてくる赤いシャンデリアとか後方に並ぶ女性たちはどう受け止めればいいのか。
●「リゴレット」はこれ以上はないというくらい痛ましい物語なんだけど、実は案外と抵抗なく観れる(「椿姫」のほうがずっとしんどい)。名曲ぞろいだから聴きたくなるというのもあるけど、やはり悲劇の主体であるリゴレットがイヤなヤツだから、結末への忌避感が薄いんだと思う。むしろジルダ側で観るというか。気の毒だけど、リゴレットはすべてにおいてまちがっている。権力者の側に立って他人を嘲笑する。娘を教会以外のどこにもいくなと家に閉じ込める毒親。その教会で公爵に見染められる。娘に止められても復讐のために公爵を暗殺しようとする。そして自分が雇った暗殺者によって、娘が殺される。モンテローネに呪われるまでもなく、最初から破滅が待っていた気もする。
●でも、リゴレットは真実の愛を知る男でもあるんすよね。亡くなった妻とは愛情で結ばれていたわけだし、ジルダという娘もいる。それに比べると公爵は孤独。権力によって放蕩を尽くしているけれども、ジルダと出会うまでは本物の愛を抱いたことがなかった。そのジルダが死んだのだから、モンテローネの呪いは公爵に対しても有効だったのだろう。この人はこれからもずっと権力だけを頼りに生きることになるにちがいない。「女心の歌」って、寂しい男の歌だと思う。
●最後の場面で、死んだはずの公爵が歌う「女心の歌」が聞こえてきて、リゴレットは幻聴かと疑う。でも、幻聴ではなく、公爵は生きている。そこで死体袋を開くと、身代わりになったジルダが入っている。あそこでジルダが歌うじゃないっすか。あのジルダの台詞こそリゴレットの幻聴だと思う。スパラフチーレとマッダレーナが何度も何度も刺してるのに、息があるはずがない。
●合唱がハミングで歌う嵐の場面から、嵐が収まるところの音楽は、いつもベートーヴェン「田園」の第4楽章から第5楽章に移る場面を連想する。
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●宣伝を。昨年に続いて今年もテレ朝POSTに第34回出光音楽賞受賞者ガラコンサートの取材記事を寄稿。長丁場の取材の成果。公演の模様は2月28日の「題名のない音楽会」(テレビ朝日)で放送される。
February 25, 2026