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April 13, 2026

カーチュン・ウォン指揮日本フィルのベートーヴェン「第九」マーラー版

カーチュン・ウォン 日本フィル 「第九」
●10日はサントリーホールでカーチュン・ウォン指揮日本フィル。プログラムは一曲のみ、ベートーヴェンの交響曲第9番。といってもふつうの「第九」ではなく、マーラー修正版の「第九」。すぐれた指揮者でもあったマーラーが当時の楽器の機能性や聴取環境に応じて「第九」のスコアに手を入れたもので、楽器編成は倍管、テューバ入りに拡大。ホルンは8本もある。大きく拡大されたメガ進化版「第九」。弦は16型、コントラバスは9だったと思う。ソプラノは森谷真理、メゾソプラノは林美智子、テノールは村上公太、バリトンは大西宇宙。さすがに独唱陣は増えていない。合唱は晋友会合唱団。130人くらいの大合唱。ステージ上の人が多く、視覚的にもベートーヴェンを聴くという雰囲気ではなく、マーラーを聴くかのよう。
●20世紀ロマンティック・ベートーヴェンが始まるのかと思いきや、いきなり冒頭のヴァイオリンがノン・ヴィブラート。マーラー時代のピリオド・アプローチみたいな発想もあるんだろうか。響きは分厚くパワフルで、金管楽器の比重高め。第1楽章で4人のクラリネットがベルアップするのが効果抜群。ところどころ独特のアーティキュレーションも。ただ、編成や編曲の違い以上に、カーチュンの指揮がもたらす違いを感じる。骨太の造形による筆圧の強い、たくましいベートーヴェン。
●今は原典主義の時代だけど、マーラーのように「ベートーヴェン時代の楽器ではできなかったことも今の楽器ならできるから、楽譜を修正しよう」という考え方のほうが発想としては自然だとは思う。時代とともに機能性が高まっているのだから上位互換と考えるのは、テクノロジーの世界ではふつうのこと。ドラクエだってリメイクしたら新しいハードウェアに合わせて旧作を修正するわけで、「ドラクエ2という作品がもたらすオーセンティックな緊張感を体験するためには、セーブデータをメモリに保存するのではなく『復活の呪文』方式にしてユーザーに慎重に書き写させるべき」というピリオド・アプローチは耳にしない。ただ、今の時代にベートーヴェンが生きていたら、きっと「第九」でシンセやエレキギターも使ってたはず、なんならボカロも絶対使うだろう、みたいなことを言い出すと際限がなくなる。なぜ音楽の場合は原典を尊重することが直感的に好ましいと思えるのか、答えは簡単ではない気がする。

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