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May 12, 2026

水野修孝「交響的変容」

東京芸術劇場
●最近、SNSとかウェブの文面を読んでいて「あっ、これAIの文体だ」って、気づくことが増えた。もうそうなると先を読む気がすっかり失せる。ふだん、日常的にAIと接するようになって、AIの標準的な文体になじんだおかげで、独特の冗長さ、枠をはみ出ない慎重さ、パターン化された話の展開に対して、敏感になった。もちろん、AIの文体は設定で変えられるが(たとえば「温度」を上げる)、そうはいっても統計的な妥当性に縛られるので限界はある。だれかが「人間は人間の書いた(描いた)ものにしか興味を持てない」と言ってたけど、文でも絵でもAIだなと気づいた瞬間にまともに接しようと思わなくなる。AIがすごいものを書いても、背景に人間の感受性とか物語がないとわかっていると、関心が薄れるのかもしれない。
●で、すべてにおいて枠をはみ出す人間的な夢想の実体化ともいうべき超大作が、水野修孝の「交響的変容」。10日東京芸術劇場で上演。同劇場の芸術監督に就任する山田和樹の指揮とプロデュースによる「史上最大の交響作品の蘇演」。バブル経済の余韻が残る1992年、幕張メッセで総勢700名による出演者で初演された「交響的変容」(1962-87)が、コンサートホールで上演可能な形態で再構築されてよみがえることに。12時開演で、2回の休憩をはさんで終演は16時30分過ぎ。第1部「テュッティの変容」 (1978)、第2部「メロディとハーモニーの変容」(1979)、第3部「ビートリズムの変容」(1983)の後、45分の休憩が入り、全6章からなる長大な第4部「合唱とオーケストラの変容」(1987)の第3章と第4章の間に15分の休憩が入る。12時開演のコンサートは珍しいが、会場ではおにぎり弁当なども販売されていた。全席完売、作曲者臨席。読響、栗友会合唱団、太鼓に林英哲、ティンパニに武藤厚志、ソプラノに熊木夕茉。多数の賛助出演者。
●さまざまな様式の音楽が渾然一体となっていて、一口には語りようがないが、多くの部分で爆音が鳴り響く。過剰さや巨大さそれ自体が作品のエッセンスなのだと思う。実現困難な壮大な構想が現実のものになったときに初めて生まれる芸術があることを知る。とくに強烈だったのは第3部の激烈なリズムの饗宴で、和太鼓とティンパニの応酬による超長大なカデンツァは、ニールセンの「不滅」が霞んで見えるほどの大迫力。壮絶な音響が空間に飽和する。第4部では第4章で「キリエ・エレイソン」に始まるフーガ。合唱が移動し、客席のあちこちで独立して歌う。民謡風の旋律を用いたカオス。オーケストラも3群に分かれ、最大9名の指揮者が劇場内のあちこちに立って、指揮する。情報量が多すぎて知覚の限界を軽く突破。日本語歌詞はあまり聴きとれなかったが、原爆がテーマになっていることに気づく。マーラー他の引用も。ここまででヘトヘトだったのだが、さらにその先も長く、おしまいの第6章ではほとんど感覚が麻痺した状態に。曲を聴いたというより、とてつもないなにかを体験したという実感。
●カーテンコールでは1階席に座る作曲者へ盛大な喝采。山田和樹が客席に降り、しばらくすると客席がドッとわいた。上階だったのでなにが起きたのかわからなかったが、マエストロが作曲者に紙吹雪をまいたのだとか。おもしろい。

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