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News: 2006年12月アーカイブ

December 29, 2006

「えんぴつでモーツァルト」

えんぴつでモーツァルト●出たっ! モーツァルト・イヤーの掉尾を飾るにふさわしいマスト・アイテムが。なんと、「えんぴつでモーツァルト」(スタイルノート刊)。ああ、鋭い、鋭すぎる。そう、モーツァルトのピアノ・ソナタ第15番ハ長調、このシンプルなソナタをえんぴつで一字一句、いや一音一音なぞってみることで、あなたは時空を超えた旅人となり、モーツァルトと心を通わせることができる。ゆっくりと穏やかな心で、カンタービレになぞってみよう、えんぴつで。これは「えんぴつで奥の細道」を超えた。
●続編として、「えんぴつでマタイ受難曲」「えんぴつで神々の黄昏」の刊行が予定されています、ウソです、されてません。
●「えんぴつでHTML」ってのはどうか。一タグ一タグ、手書きでHTMLを打っていきます。忙しい現代人、ブログにばかりページ生成を任せてると、なにか大切なものを見失っているような気がしませんか。WWWの精神に立ち返って、基本からHTMLをえんぴつで書いていきます。はい、まずは<head>タグから。目指せ、WEB0.2。

December 28, 2006

リゲティ、グラン・マカブル、デスノート

ネクロツァール:「うわばみピート、お前の時は尽きかけている、オレの無情な知らせを聞け、この世の者はみな死ぬと!」
ピート:「そんなことはどんなバカだって知ってるぜ!」
ネクロツァール:「だがいつ死ぬかは知らぬ」
(リゲティ:オペラ「グラン・マカブル(大いなる死)」第1場より)

●共通の話題が訃報ばかりという状況は避けたいもので、なるべくそういうエントリーは控えたいのだが、でも白血病だったカンニングの中島忠幸氏(享年35)の死は衝撃的だった。あまりに若い。お笑いコンビ、カンニングが全国区になる前、中野区のケーブルテレビが制作する「東京ビタミン寄席」なる大変ローカルな番組で、彼らを知った。作りこんだネタで勝負する若手芸人たちのなかで、カンニングは異彩を放っていた。脈絡もなく相方の竹山がただブチ切れる。それを中島が宥める。ネタもなにもない。おもしろいけど、これは絶対に一般の視聴者にはウケないだろうと思ったワタシは本当に見る目がなくて、大ブレイク。超ローカルな番組だから、中島が中野北口駅前の惣菜屋さんでバイトをしているっていうのがネタになったりして、ワタシはその惣菜屋を気に入っていたからきっと何度か遭遇していたに違いない。故人のご冥福をお祈りします。
グラン・マカブル●リゲティのオペラ「グラン・マカブル」のなかでネクロツァール(死神)の言ってることは正しい。いずれ死ぬのはわかっていても、それがいつかはわからない。「グラン・マカブル」は最初のバージョンが1975-77年、改訂版が1996年。リゲティは1923年生まれだから、少なくとも人生の後半を生きているという自覚のもとで、このオペラを書いていたはず。ある架空の国家を舞台に繰り広げられるスラプスティック調のオペラで、どす黒いユーモアも含んではいるが、これは愛と生の喜びを称えた作品だと思う。ネクロツァールにああ言わせておいて、そのまま死神に死を弄ばせたままストーリーを終えることなんて、なかなかできないと思うのだ。死すべき運命だから、日々を大切に生き、生を称える。だから「グラン・マカブル」のラスト・シーンでは、アマンダとアマンドの恋人たちが愛を賛美し、続いて合唱がこう歌う。

死を恐れるな、良き人々よ!
いつ時が尽きるかなど誰にもわからない!
そのときが来るなら、来るがまま、
さよなら、楽しく生きよう、そのときまでは!

 もっとも舞台を観たことはなくて、ただCDを聴いて、台本を読んでるだけなんだけど。「グラン・マカブル」なんていうタイトルがついているから、おどろおどろしい音楽かと思われがちだが、そうでもない。第1場と第2場はクラクションによる前奏曲、第3場はドアベルによる前奏曲で始まる。普通、笑う。
●ではリゲティと違って、死神に死を弄ばせることができる者が書いた作品はなにかといえば、それは「デスノート」(原作大場つぐみ、作画小畑健)。漫画のほうは未読だが、現在放映中のアニメ版を見ている。死神が落としたデスノートを拾った人間は、そこに名前さえ書けばだれの命でも奪うことができる。主人公はこのノートに犯罪者たちの名前を次々と書いて、この世を善なる者だけの世界にすべく大量殺戮を行う。「グラン・マカブル」と違って、ここではなんのためらいもなく作者は人の命を奪ってゆく。こんなのを書けるのはきっと若者だろうと思って、原作者の名前をググってみたら、なんと覆面作家というか、正体は不明なんだそうである。
●「グラン・マカブル」を日本で上演する機会があったら、ネクロツァールに「デスノート」の死神リュークのコスチュームを着せるというのはどうか。あ、それじゃ歌えないか。

December 27, 2006

低気圧vs自分

●昨夜は荒天。北風がワタシを激しく削ってくれて、強固にディフェンス、降水確率に見事に100/100とストライクなスコアを並べて得意げな空模様、しかも最高気温が10度という十進法コンシャスな一日、それでいて本日東京の気温が19度まで上昇するというのは本気なのか、天気の神様。
●その雨の中を白寿ホールに向かって、「打楽器奏者加藤訓子演奏会」三夜連続公演の第一夜、クセナキス、バッハ~権代敦彦、即興他。公演開始時にもっとも多数の楽器が舞台上に並び、先に進むにつれて楽器がどんどんなくなっていくというチャーミングな演出付き。コンテンポラリーな「告別」。音楽に身を委ねて忘我。ソロ・パーカッショニストってアーティストでありアスリートなのだなあ。プレトークならぬアフタートークというのが珍しい。今日明日も公演あるので関心ある方はどぞ>Kuniko-Kato.Net
●水を吸わないアスファルトで固められた都会の悪辣な水たまりを、ジャブジャブとゴム長並の機動力で突き進み、頑丈で手入れ不要で、しかも履いているのが楽しくなるような靴が欲しくなった。ていうか、それはひょっとしてトラディショナル黒ゴム長?

December 15, 2006

新モーツァルト全集、無料公開中

モーツァルト●これはスゴい→ NMA Online。NMA(新モーツァルト全集)のモーツァルト全作品、2万4000ページ分の楽譜(と解説)を誰でも無料で利用できる。楽譜はPDFで提供されていて、もちろん印刷可能。ためしに好きな曲を1ページだけ落としてみた。PDFといっても、どうやら元の印刷譜をビットマップでスキャンしただけのようで、美しくはない。それでもいつどこにいてもオンラインでありさえすれば、モーツァルトの楽譜を即座に利用できるのだ。モーツァルト取り放題。パブリック・ドメインってすばらしい。でもこれ運営費はどうやって賄ってるんでしょか。
●これでもうモーツァルトの楽譜は売れなくなるから出版社は困る……なーんてものでもないな。

December 14, 2006

ゴリホフ、シェーンベルク、アラーニャ

●ボロメーオ・ストリング・クァルテットの「シェーンベルク・プロジェクトvol.3」へ(第一生命ホール)。1曲目がゴリホフ(ゴリジョフ)の「テネブレ」。タネジと並んでシカゴ響のコンポーザー・イン・レジデンスを務める、アルゼンチン出身のアメリカの作曲家。すでにCDもたくさん出てる人だけど( Osvaldo Golijov@amazon)、聴くのはこれが初めて。きわめて心地よい音楽で、癒し系、頭からお終いまで不快なところは一瞬たりともない。大変美しい音楽だった。だから以後CDでも聴くかっていうと決してそうはならないから難しいんだが……。
●続いてシェーンベルクの弦楽四重奏曲第4番。圧巻。この曲はシリアスなんだけど、ユーモアがあるからすばらしい。ワタシの脳内では第1楽章はスケルツォってことになっている。「マジメにやるならマジメに付き合うからどこかで笑わせてくれ」という万事に対する欲求が満たされる、シェーンベルクにおいてすら。癒し系とか祈りの音楽に付き合えるかウサン臭く感じるかの分かれ目は「笑い」があるかどうかもしれん、と思いつく。バルトークでもベートーヴェンでも笑えるわけだし。いやゴリジョフ無関係で。最後にベートーヴェンの弦楽四重奏曲第16番。壮絶。スゴすぎる、タジタジ。
●昨日のアラーニャ退場事件。そのものズバリの瞬間を見れるイタリアのニュース映像、たぶん。不謹慎かもしれんけど、なんか「モンティパイソン」のコント見てるような気分になった。

December 13, 2006

凱旋しないラダメス

●ニューース、フラーーーシュ! ってことですでに各地で話題のように 「『アイーダ』公演中に主役歌手退場 観客のブーイングで」。スカラ座でのアラーニャ、まったく恐ろしいできごとである。それにしてもリンク先のアラーニャの写真なんだけど、クラシック者的にはどうということのない写真であるが、一般的にはこれ罰ゲームみたいに見えないかね→43歳、ラダメス将軍。
●舞台を投げたアラーニャに代わって、急遽登場した代役はアントネッロ・パロンビ(OperaNews)。ゼッフィレッリの豪華絢爛な舞台にジーンズ姿ってのもスゴい。
●スカラ座とアラーニャみたいなトップスターの世界だったらそういうことも含めてのオペラかもしれんが、地元のフツーの公演レベルでいうと、ブーイングっていうのは非常に心が痛む。ブーされる立場としてのワタシ/あなたというものを想像してみれば、0.01秒だってその場に立っていられない。ブーで許せるのは「ごっこ」としてのブー、マジになってブーは勘弁っていうか。「プロなら当たり前」みたいな論理に微塵も共感できない。営業で顧客のところに出向いたら、いきなりお客さんからいっせいにブーとか(笑)、取引先の担当者のブログに「今日の○×社の山田太郎は覇気がなく、客への奉仕の姿勢も希薄であった。このままでは山田太郎の未来は暗い。さらなる研鑽を積んでほしい」って日々書かれたりとか、職業人がみんなそんなふうに相互に評価しあう社会に住みたいかといわれたら、絶対にヤだな。他人の仕事や努力への敬意が低すぎて。
●でも舞台から勝手に降りるのはどうかと。代わりに歌手の側も対抗して客席にブーするってのはどうか。ダメか、ダメです。
●も一つ、やや旧聞。METオペラを歌舞伎座で上映 第1弾は大晦日「魔笛」。松竹がメトの公演を東京・歌舞伎座と京都・南座で上映(!?)する。題して「METライブビューイング」。ワタシのなかでの通称は「松竹歌劇」に決定。

December 11, 2006

ベートーヴェン「フィデリオ」@新国立劇場

新国立劇場●新国立劇場でベートーヴェン「フィデリオ」(9日)。この一ヶ月くらい、忙しくて自主的自宅軟禁状態になってたのだが、あらかじめ「この時期なら余裕だろう」と思ってチケットを取っておいたら、やっぱり進行が押して余裕どころではない。なんかこっちが疲れていたせいか、音楽にも疲労感を感じ取ってしまった上に、手際はよいにしても、フィナーレだけ突如としてリアリズムを捨てて集団結婚式に走るマレッリ演出には付いてゆけず。あと、序曲の間のレオノーレ→フィデリオの着替えシーンは歌手を選ぶなと。歌は秀逸だけど、着替えても差し支えない人が本気で着替えないと、昔のユニクロのCMを思い出してしまう。オバチャンがレジで服脱いで返品するバージョン。でもワタシは満喫した、完璧に。「あー、楽しかった」って言って帰宅できる。
●ベートーヴェンの書いた唯一のオペラ「フィデリオ」は、よく言われるように音楽がすばらしいのであって、オペラとしてはかなり不思議な構成だ。もし音楽の価値を無視して台本だけ見たら、一から十までうまく行っていないって感じるかもしれない。人物像とストーリーが噛み合っていないし、ハッピーエンドに向かうまでのプロットがあまりに弱い。
●主役レオノーレ=フィデリオ。夫を助けるために力を尽くす高潔な女性である。男装し、危険を冒して刑務所に潜入、最後の悪漢との対決場面では体を張って夫を守る。「この人を刺すんなら、まずアタシを刺してからにしなっ!」。ガバッ(と男装解除)。カッコいい。ていうか、カッコよくあってくれ。でも女性が男性のふりをするとか、女性が男性のふりをするとかってのは、コメディ、ブッファなら容易に受け入れられるけど、無実の罪で囚われて凄惨な死を迎えようとしている政治犯救出劇に使うアイディアなんだろか。
●ロッコ。この人が本当なら物語のキーパーソンになっててもおかしくなかった。1幕のなにかと評判の悪い「お金のアリア」も、理想論ばかり掲げているヒロインと違って、世間ってものを知っているフツーの大人、娘を育て上げた親の率直な心情を歌っているともいえる。人殺しをするほど悪人にもなれないけど、仕事を失う危険を冒して人道主義を全うするほど善人でもない、弱いどこにでもいる庶民……のはずなのに、「フィデリオ」を見てロッコに共感する人はいないと思う。ワタシたち自身と同じなのに。「オレ、こんな仕事やりたくてやってるんじゃないよー」っていう嘆きがないからか。
●フロレスタン。2幕から出てきて、唐突に「気高き人物」とか言われてもねえ。フロレスタンとドン・ピツァロとの前史が劇中に描かれていないのに加えて、大臣ドン・フェルナンドが来るといきなり「わが友」扱い。あんた、何者なのさ。こういう英雄を無条件に信頼しては危険だとワタシのなかで警鐘が鳴る。だいたいこれってドン・フェルナンドが「デウス・エクス・マキナ」をやってるわけで、「正義が勝つ」ためのいちばん大事なプロセスが抜け落ちている気がする。
●マルツェリーネ。気の毒にも「フィデリオ」に恋してしまう若い娘。こんなチャーミングな登場人物を配しておきながら、フィナーレに突入すると忘れ去られる人物。なぜそこでヤキーノとハッピーにくっつく愛の二重唱がないのか。
●ドン・ピツァロ。絶対的な悪役でなければいけないのに、劇中ではふんぞり返っているだけで、大した犯罪行為は見当たらない。フィデリオに向かって一瞬ナイフは持つけど、相手がピストルを持ってたから逃げたとか、大臣が来たらもう降参とか、お前には冷酷無比な悪の美学というものはないのかと問い詰めたい。
●どうしてこんな台本を受け入れちゃったんだろ。現状だと、レオノーレとフロレスタンが狂信的な電波夫婦で、ドン・ピツァロとロッコが社会秩序を守る市民の味方っていう解釈もありうる。と、ぐだぐだ言ってるが、このカオスな台本も含めてというか、そうだからこそ「フィデリオ」はおもしろいのかもしれん、ラブ「フィデリオ」。

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