●8日は東京芸術劇場のシアターイーストで岡田利規の作・演出による「映画を撮りたいゾンビの演劇」。なんと、演劇を観ることになった。以前にもお伝えしたように、東京芸術劇場の新たな芸術監督として、音楽部門では山田和樹が就任したわけだけど、もう一方の舞台芸術部門の芸術監督に就任したのが岡田利規。注目の就任第1作が「映画を撮りたいゾンビの演劇」となった。えっ、マジでゾンビなの……。これは観るしかないでしょ、2009年から不定期連載「ゾンビと私」を当欄で続ける者としては。コンサートホールには数えきれないほど足を運んだ東京芸術劇場だが、ここで演劇を観るのは初めて。出演は東宮綾音、百瀬葉、島田桃依、石川朝日、福原冠。
●で、これはタイトル通りの演劇なんすよ。「映画を撮りたいゾンビの演劇」なので、映画を撮りたいゾンビたちしか出てこない。出演者全員がゾンビ。ゾンビの映画監督やゾンビの助監督、ゾンビの役者、ゾンビの映画音楽作曲家たちが撮影現場に集まって、映画を撮ろうとしている。なぜか。それは人間が作った既存のゾンビ映画が、すべて人間側の一方的な視点から描かれたものばかりであって、そこにはゾンビ側の現実や感情がまったく描かれていないから。その非対称性に自覚的なゾンビが集まって、ゾンビによるゾンビのためのゾンビ映画を撮ろうとしているのだ。
●人間役に扮するゾンビ役者は不平を漏らす。「この人間メイクに3時間半かかった。でも人間がゾンビに扮するときは短時間の雑メイク」。これが非対称性だ。そうなのだ。われわれ人間はゾンビ役の演技など、どんなに類型的でも気にしないくせに、「はい、この人、人間役です」と言われて出てきたゾンビに対しては、本当に人間に見えるかどうか、その本物らしさについて容赦なく吟味するに決まっているのだ。現にワタシ自身、これまで長らくゾンビ連載をしてきたにもかかわらず、ゾンビ側の事情を一切気にかけてこなかった。ゾンビとは殺るか食われるかの存在であることを自明のものとして受け入れ、ヤツらからわれわれがどう見えているかは、なにひとつ真剣に考えてこなかった。大いに反省を促される点である。
●この演劇はゾンビと人間の間の非対称性をあぶりだすことで、私たちの社会にこれによく似た非対称性が至るところに潜んでいることを自覚させる。ジェンダー、人種、世代、組織内権力構造、企業と個人などなど。が、演劇内世界では焦点はゾンビにのみ当てられており、オフビートな笑いにあふれている。一般的なゾンビ映画のように物語からテーマが浮かんでくるタイプの話ではなく、ゾンビたちがずっとテーマを論じ続けているという直接的な形態がとられている。ゆえに、観客側が目にしたものの「その先」を受け取るのは案外と難しいとも感じるのだが、ゾンビ禍を新たな角度から見つめているという点で、きわめて示唆的。
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→不定期連載「ゾンビと私」
August 12, 2026