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Books: 2026年8月アーカイブ

August 14, 2026

メルヴィル「白鯨」 その4 「イシュメールと呼んでくれ」

●(承前)しつこく続く、ハーマン・メルヴィルの「白鯨」の話題。この小説を読んで途中から「あれれ?」となるのは、人称が一定しないため。アメリカ文学史上もっとも有名と言われる冒頭の一文は Call me Ishmael、「イシュメールと呼んでくれ」。ああ、この話はイシュメールの語りで進むんだな、と思う。捕鯨船に乗るより前は「わたし」というイシュメールの一人称で話が進んでいて、人食い人種の銛打ちクイークェグと出会ったりするところは冒険小説のはじまりみたいな雰囲気なんだけど、船に乗って出航したあたりから、イシュメールの姿がすーっと薄くなる。第26章でスターバック、第27章でスタッブ、第28章でエイハブ船長が紹介され、三人称視点みたいな描写になる。が、「わたし」という一人称はかろうじて残っている。で、第29章「エイハブ登場、つづいてスタッブ」になると、完全にエイハブ視点の三人称になる。章の題からして戯曲風。イシュメールが見ているはずのないことまで書かれるようになり、まったく型破り。
●しばらくして、鯨大百科事典みたいな記述の章になると、「わたし」が帰ってきたりもする。そこで鯨の分類学みたいな記述を長々と書いていたりして、このあたりの網羅的な書き方は検索エンジンの先取り風。
●第36章「後甲板」では、冒頭が

(エイハブ登場、つづいて全員)

となっていて、すっかり戯曲だ。さらに第37章「落日」では、ついにエイハブの一人称が出てきて、内面が語られる。この章にはエイハブしか出てこない。

連中はわしのことを狂人だと思っている──スターバックがそうだ。だが、わしは悪魔にとりつかれているだけだ。わしは二重に狂った狂人だ! わしの狂気は、おのれの狂気の正体を理解するときにのみおさまるたぐいの厄介な狂気だ!

これは岩波文庫の八木敏雄訳なんだけど、日本語訳だと一人称で登場人物を区別できるのが便利というか、大変というか。この訳ではイシュメールは「わたし」、エイハブは「わし」。
●それで、冒頭の一文だけど、この訳だとわりと立派な感じの語り口で、

わたしを「イシュメール」と呼んでもらおう。

と訳される。そう宣言しているにもかかわらず、物語内ではだれも彼に「イシュメール」と呼びかけない。例外的に、ピーレグ船長が署名を求めて名前を確認する場面で「イシュメール」が出てくるが、それ以外はすべて本人が自分について言及する状況でしかこの名は登場しないのだ。「信頼できない語り手」みたいな感じで、イシュメールは本当に船に乗っているのか、あるいは別のだれかの正体がイシュメールなのかと、つい疑ってしまう。

August 7, 2026

メルヴィル「白鯨」 その3 なんのために鯨を捕まえるのか

油田
●(承前)前エントリーで記したように、メルヴィルの「白鯨」では船員が鯨肉のステーキを食べるシーンが出てくるものの、捕鯨は食べるために行っているのではない。主目的は油だ。当時の鯨油はランプに使う油として、あるいは工業用の潤滑油などに使われていた。鯨は19世紀のエネルギー資源、産業資源であって、登場人物たちはいわば油田を掘り当てるために海洋を旅している(といっても、船長エイハブの真の目的はただ白鯨と対決することのみだが)。
●第98章「収納と清掃」には、鯨を解体し油を樽に詰めるまでの工程が描かれている。鯨の脂身を船上で煮出し、溶け出た油を樽に入れ、船倉に格納する。これはたいへんな大仕事だろう。(以下、八木敏雄訳/岩波文庫の下巻 より)

 油は、お湯割りのパンチなみにまだ温かいうちに六バレルの大樽に移されるが、船は夜中にも横ゆれ縦ゆれをくりかえすので、そのせいか、大樽はクルクル回転したり、転覆したり、ときには危険きわまりないことに、すべりやすい甲板上をまるで地すべりのように集団滑走することもあり、これは結局のところ、人間の手をかりて抑止するよりほかはない。
ある日、甲板は血と油の洪水で、かの神聖なる後甲板すら巨大な鯨の頭の山なす残骸で冒瀆される。錆でよごれた大樽が、甲板上に醸造工場の中庭よろしく散乱している。舷牆は製油かまどから出た煙ですっかりすすけ、あたりをあるきまわる水夫たちは油にまみれ、船そのものが巨大なレヴィヤタンさながらで、そのうえ船のいたるところが喧騒で耳を聾さんばかり。

●「白鯨」のなかには、海上で捕鯨船同士がたまたま出会う場面がいくつかある。そういうときはボートを出して、相手の船を訪問したりする。第81章「ピークオッド号、処女号にあう」では、ブレーメンの捕鯨船ユングフラウ号と出会う。先方はボートを下ろし、船長が油差しと油缶を手にしてやってくる。もう油が一滴もないから恵んでくれというのだ。「鯨油をとりにきた船が、鯨の本場で、油を借りにくるというのがいかに奇妙であろうとも(中略)そのようなことが実際におこるのである」。こういうのは、捕鯨船ジョークというか、捕鯨船あるあるネタだったのだろう。(→つづく

August 6, 2026

メルヴィル「白鯨」 その2 鯨を食べる者

鯨のステーキ
●(承前メルヴィルの「白鯨」という小説の骨格を一言でいえば、「片脚を奪われた捕鯨船長エイハブが、白い鯨モービィ・ディックへの復讐に取り憑かれ、船と乗組員を巻き込んで破滅へ向かう物語」ということになる。が、小説全体のなかで、このストーリーが進行している部分はとても少ない。よく言われるように百科全書的で、鯨の分類についての記述がえんえんと続いたり、捕鯨技術論があったり、船員たちのサブストーリーがあったり、鯨油産業の話があったり、本筋とは直接結びつかないような演劇的なシーンが入ったりと、まるでマーラーの交響曲みたいなごった煮状態になっている。神話的でもあり宗教的でもある。ほぼ捕鯨船上でしか話が進まないのに、世界全体を描こうとしているかのように思える。
●なので、大小さまざまなエピソードが出てくるのだが、ひとつ印象的だったのは、船員のひとりが鯨を食べるシーン。本来、彼らは食べるために捕鯨を行っているわけではない。一回の航海が3年くらいかかる長旅なのだ。鯨を捕ったところで、生肉は持ち帰れない。が、船員なら鯨肉を食べることができる。ふつうは食べないけど、二等航海士のスタッブは鯨が大好物なのだ。(以下、八木敏雄訳/岩波文庫の中巻 第64章 スタッブの夜食 より)

スタッブはなかなかの美食家だったのである。スタッブは自分の舌をたのしませてくれるものとして、鯨の肉をいささか度をこして好んでいた。
「ステーキだ、ステーだ、寝るまえにひと口やるぞ! おい、ダグー、船べりをまたいでいって、尾の身のところを一切れカットしてきてくれ!」

彼は真夜中にマッコウ鯨のステーキをコックに焼かせて、夜食を楽しむ。この場面が印象的なのは、人間が鯨のステーキを食べているかたわら、捕鯨船に係留したマッコウ鯨の死体をめがけてサメたちが群がり、サメもまた鯨を食べているから。人間とサメの饗宴が同時進行しているのだ。ユーモラスで、微妙に毒気のあるシーン。
●続く第65章は「美食としての鯨肉」。鯨肉は「高尚な食品」であるが、脂身が多すぎるのが問題であるとか、鯨脳はまろやかでクリーミーだが濃厚すぎるとか、鯨の食べ方について、あるいは陸の人間たちがなぜ鯨食を嫌悪するのかについての考察など、ここでも百科全書的な記述が続く。メルヴィルは文筆家になる前に実際に捕鯨船の乗組員を務めているので、このあたりは実体験に基づく話なのだろう。
●かつて日本では学校給食で鯨肉が定番メニューだったわけだが、商業捕鯨の停止により姿を消した。鯨食文化があった日本人としては、欧米の読者とは違った角度からの関心を持って読める章だ。(→つづく

August 5, 2026

メルヴィル「白鯨」 その1 スターバックスの由来

スターバックス
●夏は読書感想文の季節、名作を読む季節。ハーマン・メルヴィルの「白鯨」(八木敏雄訳/岩波文庫)をたっぷり1か月以上かけて読んだ。新訳で、とても読みやすい。上中下巻の全3冊からなる大長篇だが、電子書籍で読むと厚みとか重量感がわからないのが惜しいところ(それでも電書がいい)。
●この翻訳の訳注を読んで知ったのだが、コーヒー・チェーン店のスターバックスの名前は、「白鯨」の一等航海士スターバックに由来するのだとか。これって有名な話? 訳注によれば、スターバックスのホームページには「スターバックスの名前は『白鯨』に登場するコーヒー好きの一等航海士スターバックに由来しています」と記されているという(ただし、今はもうないかも)。スターバックがコーヒー好きかどうか気になって、上中下巻のそれぞれで「コーヒー」を全文検索してみたが、とくにこの登場人物とコーヒーを結び付けるような記述はなかった(こうして全文検索できるから電子書籍がいいのだ!)。まあ、世の多くの人はコーヒーが好きだから、スターバックもきっと好きなのだろう(投げやり)。
●一等航海士スターバックはクエーカー教徒の家系に生まれ、背が高く、真摯な男で、「二度焼きのビスケットのように引きしまった体をしている」。沈着冷静、堅忍不抜、しかし情にも厚い。「鯨をおそれないような者は、わたしのボートにはひとりも乗せん」と宣言するほどなので、危険を正しく評価できる聡明な航海士ということになる。船長のエイハブが、かつて白鯨に片足を奪われて復讐心に燃える狂気の人であるのに対して、副官のスターバックは理性の人なのだ。スターバックは怪物的なエイハブとしばしば対立し、白鯨に立ち向かうそのときがやってくると、理性によってエイハブを止めようとする。ちなみに、このふたりの対話の場面を描いた第132章は「交響楽」(Symphony)と題されている。両者は決してわかりあえないことがわかる章なんだけど、まるでスターバックとエイハブが恋人同士みたいだなって感じるくらい、ふたりの間に特別な結びつきが生まれている。
●スターバックの人物像にたしかにコーヒーは似合いそうである。カフェインで覚醒していて、いつも現実を見ている。キャラメル・フラペチーノは似合わないかもしれないが。(→つづく

August 4, 2026

「刑事の境界線」(宮島明道)

●評判のよさにつられて、なにも知らないまま読んでみたら、おもしろくてびっくり。「刑事の境界線」(宮島明道著/宝島社文庫)は著者デビュー作となる警察小説。小金井の警察署が舞台になっていて、近隣の実在の地名がたくさん出てくるという意味では多摩小説でもある。主人公はふたりいて、章ごとに視点が変わる。ひとりは30代前半のまっすぐに職務に向き合う女性刑事。もうひとりは裏社会とつながっている悪徳警官なのだが、この人にはこの人の正義があって、むしろ共感できる人物として描かれる。成長する人と転落する人という組合せに妙味がある。ふたりが抱える事件が別個に進んでいくのだが、同じ警察署に勤めているのに、なかなか両者が出会わなくて、なるほど、こういう手があるのかと感心。
●多摩地域なんだけど吉祥寺でも立川でもなくて、小金井とか国分寺が舞台になっていて、そのあたりのローカル感とストーリーの規模が見合っているのが吉。読後感もよい。

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