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2023年7月アーカイブ

July 31, 2023

「新訳 オセロー」(シェイクスピア著/河合祥一郎訳/角川文庫)

●先日、チョン・ミョンフン指揮東京フィルのヴェルディ「オテロ」(演奏会形式)を聴いたので原作を新訳で。「新訳 オセロー」(シェイクスピア著/河合祥一郎訳/角川文庫) 。ヴェルディの「オテロ」(台本を書いたのはボーイト)が、オペラ化にあたって原作からなにをそぎ落とし、なにを残しているのか。基本的にオペラ化は「削ること」。「オテロ」では、シェイクスピアの「オセロー」第1幕がごっそり削られ、それに伴ってデズデモーナの父ブラバンショーという登場人物をひとり省くことに成功している。
●原作の第1幕でのイアーゴーとブラバンショーの会話は実におもしろい。ブラバンショーにとって娘デズデモーナがムーア人のオセローと結婚するなどということは到底受け入れられないこと。しかも肌の色だけでなく、年の差もかなり開いている。イアーゴーはロダリーゴーとともに真夜中にブラバンショーの家に行き、「泥棒だ、泥棒だ!」と叫ぶ。騒ぎを聞きつけたブラバンショーに、イアーゴーはこう言い放つ。

たった今、まさに今、老いた黒羊があんたの白い雌羊にまたがってる。起きろ、起きろ、いびきかいてる街の連中を鐘撞いて叩き起こせ。さもなきゃ悪魔の孫が生まれちまうぜ。

オセローが「老いた黒羊」と表現されているが、彼が年をとっていることはたびたび言及される。さらにこんなセリフも続く。

娘さんがアフリカ産の馬にやられていてもかまわないんですね。まごまごしていると孫がヒヒンと鳴いて、馬の親戚ができちまいますよ!

ブラバンショーは娘が「ヴェニスの裕福な巻毛の美男子たちの縁談を断り」、ムーア人と結婚して世間の物笑いの種になるのだと嘆き悲しむ。
●イアーゴーはセリフで自分が28歳であると述べる。本書の注釈では、初演時にイアーゴーを演じた役者の年齢に合わせたのだろうと推察されている。オペラでは「純粋なる悪」のようなイアーゴーであるが、原作の第1幕では彼が人間の意志と理性を尊ぶ人物であることが以下のように描かれている。オセローのような激情家とは正反対なのだ。

性格だと? くだらん! 自分がどういう人間か決めるのは、自分次第だ。俺たちの肉体は、俺たちの意志が種を蒔く庭みたいなもんで、イラクサを植えようと、レタスを蒔こうと、ハーブを育てようと、タイムを引っこ抜こうと(中略)それを思い通りにする力は俺たちの意志にある。人生っていう天秤にはな、本能が載った皿と釣り合ってもう一方の皿に理性が載ってなきゃ、くだらん肉欲のせいでとんでもないことになっちまう。だが、人には理性があって、猛り狂う衝動や性欲や奔放な情欲を抑えるんだ。

●人間の理性をとことん信奉するイアーゴー。そんな男がなぜ悪事に走るのか。第1幕、イアーゴーにはこんな独白がある。

俺はムーアが憎い。世間じゃ、やつが俺の女房の布団にもぐりこみ、俺の代わりを務めたという。本当かどうか知らんが、こういうことにかけちゃ、俺は単なる疑いでも許しちゃおかない。

えっ、そうなんだ。さらに、第2幕ではこんなことも言っている。

キャシオーも俺の寝巻きを着たらしいからな。

つまり、イヤーゴーはオセローにもキャシオーにも妻エミーリアを寝取られている(と少なくとも本人は思っている)。イヤーゴーは理性の信奉者なのに、周りの人間は奔放な人間ばかり。最後の場面で、エミーリアがイヤーゴーの悪事を明るみに出すと、イヤーゴーはエミーリアを刺す。オセローとイヤーゴーはともにそれぞれの妻を殺し、また妻を寝取られたと思っている。これは理性の男と激情の男がまったく同じ運命をたどる話なのだ。

つづく

July 28, 2023

チョン・ミョンフン指揮東京フィルのヴェルディ「オテロ」(演奏会形式)

●27日は東京オペラシティでチョン・ミョンフン指揮東京フィル。昨秋の「ファルスタッフ」に続いて、今回はヴェルディの「オテロ」(演奏会形式)。以前のノット指揮東響のシュトラウス「エレクトラ」や「サロメ」でも感じたことだけど、演奏会形式にしてはじめて可能になるオーケストラの雄弁さを味わった。精緻で細部まで彫琢された「オテロ」。これはオペラという芸術の大いなる矛盾だと思うんだけど、本来オペラはどこまでも劇場のものであるはずなのに、演奏会形式じゃなきゃ聴けない領域がある。たまたま東フィル、東響という新国立劇場のピットでいつも耳にしているオーケストラで、相次いで演奏会形式のオペラを聴いただけにそう思ってしまう。ただ、ノットのシュトラウスがかなり交響詩的な手触りだったのに対して、チョンのヴェルディはコンサートホールの劇場化という面を強く感じさせる。これは作品の違いも大きいか。
●歌手陣はオテロにグレゴリー・クンデ、イアーゴにダリボール・イェニス、デズデーモナに小林厚子、カッシオにフランチェスコ・マルシーリア、エミーリアに中島郁子、ロデリーゴに村上敏明他。合唱は新国立劇場合唱団。合唱も含めて可能なかぎり演技も伴う。クンデのオテロは精悍でパワフル。イェニスのイアーゴがドラマを動かすエンジン。
●やっぱり音楽の密度では「オテロ」と「ファルスタッフ」はヴェルディの双璧だなと思う。成功の要因はたぶん、思い切ったドラマの簡素化。シェイクスピアの原作から第1幕を丸々カットして、第2幕のキプロス島からオペラを始めようと思いついたのは台本のボーイトなのだろうか。その分、オテロとデズデーモナの関係性、たとえば肌の色の違いに加えて年齢の隔たりがあるといった要素はオペラでは希薄になっているが、ヴェルディの音楽は刈り取られた部分を補ってあまりある。「柳の歌」とか、ドラマ的にはイヤな場面すぎて見てられないけど、音楽はもうドラマから自立してしてしまっているというか。
●前にも書いたけど、真犯人はエミーリア。彼女はなにが起きるかわかっていて、イアーゴにハンカチを渡したんだと思う。こまめにデズデーモナに出来事を連絡しておけば、悲劇は防げた。

オテロ 「オレが贈ったハンカチをどこにやった!」
デズデーモナ 「あら、あのハンカチならイアーゴに無理やり奪われたってエミーリアが言ってましたよ」
オテロ 「へー、そうなんだ」

●宣伝を。ONTOMOの新連載「おとぎの国のクラシック」、第2話は「親指小僧」。ご笑覧ください。

July 27, 2023

東京都現代美術館の「デイヴィッド・ホックニー展」

東京都現代美術館 デイヴィッド・ホックニー展 「ノルマンディーの12か月」一部
●燃えるような暑さのなか、東京都現代美術館で開催中の「デイヴィッド・ホックニー展」へ(7/15~11/5)。イギリスとロサンゼルスで制作された多数の代表作に加えて、コロナ禍のロックダウン中にiPadで描かれた最新作まで、約120点が集められた大規模個展。ホックニーはオペラの舞台美術でも名前を聴くアーティストなので、クラシック音楽ファンには親しみを感じる方も多いのでは。ロサンゼルス時代の明るく鮮やかで光や水のイメージにあふれた作品群や、身近な人々のさまざまな肖像画、ピカソに触発された逆遠近法による作品、そしてiPadなどテクノロジーの力を存分に活用した近年の大作など、どのコーナーを見ても圧倒される。とりわけ魅了されるのは、春を題材とした作品のうららかさ、輝かしさ、楽しさ。その一方で、心がざわざわするような要素もあちこちに潜んでいる(たとえば「クラーク夫妻とパーシー」に)。
●で、そのロックダウン中にiPadで描かれたという「ノルマンディーの12か月」がすごくて、なんと全長90メートルもあるんすよ! 季節の移り変わりを90メートルかけて表現している。で、どうやって展示するかというと、直線距離で90メートルは無理だから、展示室をぐるりと回る形になっていて、これを一周歩くことで四季を体験できる。季節は巡るものなので、ワタシは二周した。
東京都現代美術館 デイヴィッド・ホックニー展 「ノルマンディーの12か月」一部

東京都現代美術館 デイヴィッド・ホックニー展 「ノルマンディーの12か月」一部

東京都現代美術館 デイヴィッド・ホックニー展 「ノルマンディーの12か月」一部

●こんなふうに長~い絵で、まるでアトラクションに参加しているような鑑賞体験を楽しめる。本記事冒頭に掲げたのはこの作品の一部分。90メートルのどこを見てもワクワクする。ホックニーはいま86歳だっていうんだけど、とてつもない創作力。

July 26, 2023

映画「シン・仮面ライダー」(庵野秀明監督)

●映画館での上映を見逃してしまったので、Amazon Primeで「シン・仮面ライダー」(庵野秀明監督)を観た。うーむ、これはなんと言ったらいいのか……。NHKで「シン・仮面ライダー」制作現場に密着したドキュメンタリーがあったが、あの番組から予想したものとはぜんぜん違っていてびっくり。番組では様式化されたヒーロー・アクションの否定に焦点が当たっていたと思ったけど、肝はそこじゃなかったというか。少年時代にテレビシリーズで仮面ライダー1号、2号の活躍に熱狂し、ライダーベルトのおもちゃを腰に巻き、日々変身ポーズをとっていた自分であるが、この映画がテレビシリーズよりは石ノ森章太郎による漫画版の世界観を受け継いでいることは承知していた。ただ、ライダーがショッカーの戦闘員たちと戦う場面でこれでもかと血が飛び散る描写を目にして、これは自分の求めるスタイルとは違うんだなということはわかった。駆け足で進むストーリー展開に置いてきぼりをくらう。登場人物が自分の心情を独り言として説明する演出もしんどかった。
●そんなわけでストーリーにはついていけなかったのだが、鳥肌ものの場面はいくつもあって、ライダーは本当にカッコいい。原典を尊重しつつ、造形もアクションも「シン」の名にふさわしく進化している。サイクロン号もすごい。最後に一文字隼人が政府関係者のふたりの男と会話する場面には「うおお!」とのけぞった。そこがいちばんのハイライトだったかも。

July 25, 2023

夏休み子ども音楽会2023「上野の森文化探検」~大友直人指揮東京都交響楽団

夏休み子ども音楽会2023「上野の森文化探検」●23日は東京文化会館が開催する夏休み子ども音楽会2023「上野の森文化探検」へ。全席完売の人気企画で、出演は大友直人指揮東京都交響楽団とチェロの笹沼樹。この公演は「ぴあクラシック」にも事前に紹介記事を書いたが、公演そのものも魅力的なうえに、チケットに「上野1dayパス」が付くという超お得企画。この「上野1dayパス」があると、当日の開演前および開園後に上野の美術館や博物館、動物園に入れるのだ(常設展相当のものが無料)。暑いので動物園は厳しいかもしれないが、東博、科博、西美、都美館などあって、上野は無敵。
●公演は小学生以上が対象。曲はフランス音楽中心でベルリオーズの序曲「ローマの謝肉祭」、サン=サーンスの「白鳥」とポッパーの「妖精の踊り」(笹沼樹)、ビゼーの「アルルの女」第2組曲よりメヌエットとファランドール、ラヴェルのボレロ。休憩なし、約1時間のプログラム。「司会のおねえさん」は入らず、大友直人さんがお話をしながら進行するスタイル。演奏は都響本来のクォリティが発揮されており、緩んだ雰囲気は一切ない。よく言われることだけど、子ども向けだからこそ100パーセントが必要なんすよね。子どもは怖いほど正直なので。
●今の小学生はみんな行儀がいい。自分の小学生時代よりずっときちんとしてると思う。

July 24, 2023

フェスタサマーミューザKAWASAKI 2023開幕、ジョナサン・ノット指揮東京交響楽団のチャイコフスキー

フェスタサマーミューザKAWASAKI 2023
●22日はミューザ川崎へ。フェスタサマーミューザKAWASAKIが猛暑とともに開幕。開幕公演は今年もジョナサン・ノット指揮東響。プログラムはかなり意外で、チャイコフスキーの交響曲第3番「ポーランド」と同第4番。ノットがチャイコフスキーを振ることが驚き。しかもめったに演奏されない第3番をとりあげるとは。ノットはこれまでに演奏されてきたチャイコフスキーの交響曲の演奏を、そのほとんどが粗暴で騒々しいものとみなしており、「ダイナミックなだけの暴力的なパワーが興奮を作り出すタイプの音楽」を真の音楽とはみなしていない。そこで、今回、東響とともに新たなチャイコフスキー像を作り出そうとしているのだが、となれば、すっかり慣習的な型ができあがってしまっている第4番の前に、手あかのついていない第3番を演奏しようというのはわかる話。
●宣言通り、金管楽器の咆哮で血をたぎらせない抒情的なチャイコフスキー。第3番、作品としては冗長さも感じるのだが、華やかさや軽やかさやを楽しむ。交響曲の終楽章にフーガを用いる例は後の「マンフレッド交響曲」にも見られるけど、どちらも有名曲になっていないのはおもしろいところ。第4番も冒頭から抑制的。たしかに多くのチャイコフスキーの演奏は筆圧が強すぎて、本来の色調が失われているのかもしれない。終楽章もどんちゃん騒ぎにはならず。強い説得力を感じる一方で、たとえばロシアのオーケストラの爆演にもチャイコフスキーの真実があるのでは、という気持ちもどこかに残る。新鮮なチャイコフスキーであることはまちがいないので、今後、第5番、第6番「悲愴」あたりも聴いてみたいもの。
●終演後は拍手が止まず、特に退団する首席トランペット奏者の佐藤友紀さんにあたたかい拍手。舞台にノットがあらわれ、ふたりで喝采を浴びた。客席はスタンディングオベーション。東響はずいぶん顔ぶれが変わってきた。

July 21, 2023

アラン・ギルバート指揮東京都交響楽団のシュトラウス「アルプス交響曲」

アラン・ギルバート指揮東京都交響楽団
●20日は東京文化会館でふたたびアラン・ギルバート指揮東京都交響楽団。プログラムはウェーベルンの「夏風の中で 大管弦楽のための牧歌」、モーツァルトのホルン協奏曲第4番(シュテファン・ドール)、リヒャルト・シュトラウスの「アルプス交響曲」。あれ、これってもしかして……そう! ベルリン・フィル首席ホルン奏者シュテファン・ドールが、後半の「アルプス交響曲」でもオーケストラのなかで吹いてくれるのだ! なんという大吉プロ。
●ソリストが吹くモーツァルトを脇に置くと、ウェーベルンはシュトラウスとつながっている。夏山登山の前日譚としての牧歌。モーツァルトではぐっと編成を刈りこんでドールと都響の親密なアンサンブル。白眉はやはり後半の「アルプス交響曲」で、期待通りの高解像度による壮麗な音絵巻。さらに熱もあって、大自然に果敢に立ち向かう登山者といった趣。劇的で陶然とした登山体験だった。カーテンコールで舞台上に姿を見せたバンダの人数がすごく多くてびっくり(なんと20名)。そして、やはりシュテファン・ドール・ブーストがばりばりに効いていた。カーテンコールをくりかえした後、楽員退出後も拍手が止まず、アランとドールのふたりが姿を見せるという、珍しいデュオ・カーテンコール。ドールをしきりに称えるアラン。
●今年は「アルプス交響曲」の当たり年。1月に山田和樹指揮読響、4月に佐渡裕指揮新日フィル、パーヴォ・ヤルヴィ指揮N響、そして今月はアラン・ギルバート指揮都響。大登山ブームだが、同じ山に何度も登っている感触はなく、毎回、違う山に登っている気分。
●それにしてもこの曲、途中で道に迷ったり、嵐のなかで下山したりと、かなりチャレンジングな登山をしている。「お弁当」とか「オヤツ休憩」みたいな楽章がなくてタフである。この曲でいちばんのピンチは、下山の途中で嵐に遭うことではなく、「山の牧場」で憩った後の「道に迷う」だと思う。この人、迷った後に「氷河」に進んで「危険な瞬間」を経て、無事に「山頂」にたどり着くのだが、やはり道迷いしたら来た道を戻るが第一選択肢ではないだろうか。なので「道に迷う」の後はもう一回「山の牧場」に戻って、地図を確認してはどうか。「アルプス交響曲安全版」があるとしたら、曲順は「夜」「日の出」「登山届提出」「GPSアプリYAMAPを起動」「森に入る」~「山の牧場」「道に迷う」「山の牧場」「登山道に復帰」「山頂」……といった具合になるにちがいない。ちなみにヤマケイ文庫の「ドキュメント 道迷い遭難」(羽根田治著)は名著である。何日間も山中をさまよう恐怖体験などが記されており、これを読むと「アルプス交響曲」の迫真性がいっそう増す……かもしれない。

July 20, 2023

「サッカー監督の決断と采配 傷だらけの名将たち」(ひぐらしひなつ著/エクスナレッジ)

●これは良書。サッカーの監督について記した本はたくさんあるが、その多くはメディアを賑わせる超エリート監督たちについて。が、「サッカー監督の決断と采配 傷だらけの名将たち」(ひぐらしひなつ著/エクスナレッジ)でとりあげられているのは田坂和昭、木山隆之、北野誠、吉田謙、小林伸二、石崎信弘、片野坂知宏、下平隆宏、高木琢也といった「名将たち」。名前から思い浮かぶのは「昇格請負人」だったり「残留請負人」だったりというキーワードだろうか。あるときは成功するけど、あるときは失敗して解任される。そんなことをくりかえしている監督たちで、全般にJ2味の濃い人選なのだが、ここにあがっている人たちはみんな解任されても、すぐに別のクラブから声がかかるような人たちばかり。つまり監督の世界では圧倒的な成功者だ。Jリーグで監督をできるS級ライセンスの所有者は約500名。そのなかでJリーグの監督を任されるのはほんの一握り(さらに外国人監督もライバルになる)。監督という仕事はよっぽど難しいのだと思う。チャンスを与えられる人は少ないし、そこで生き残れる人はもっと少ない。
●これら監督たちが難しい局面で下してきたさまざまな決断に迫ったのが本書。やはりプロフェッショナルの世界なので、話の中身はけっこう重い。選手を入れ替える、戦術を変更するなど、ひとつひとつの決断がどこまで結果に直接的に結びついているか、サッカーでは必ずしも明快ではないと思うのだが、最終的に責任を負うのは監督。選手の生活や将来がかかっているだけに、並大抵の神経ではできないなと感じる。あと、監督という仕事は原則として「失敗して去る」のが常。これもタフな話。どの章も興味深かったが、特にブラウブリッツ秋田で旋風を巻き起こす寡黙で熱血な吉田謙、豪快な現役時代とずいぶんイメージが異なる高木琢也の両監督の章が印象に残った。

July 19, 2023

DGの「ステージプラス」で久石譲指揮ウィーン交響楽団の自作自演

DGの「ステージプラス」で久石譲指揮ウィーン交響楽団
●以前に記者会見の模様をお届けした、ドイツ・グラモフォン(DG)の定額制映像&音楽配信サービス「ステージプラス」で、久石譲指揮ウィーン交響楽団の公演が配信されていたので見てみた。3月30日、ウィーン楽友協会でのライブ。プログラムはすべて自作で、交響曲第2番、ピアノの弦楽器のための「ムラーディ」(青春)、「千と千尋の神隠し」より「ある夏の日」(ピアノ独奏)、交響組曲「もののけ姫」(カタリナ・メルニコヴァのソプラノ)、「となりのトトロ」。ピアノ独奏も久石譲自身。「ある夏の日」と「となりのトトロ」はアンコールか。ちなみに久石譲はドイツ・グラモフォンと専属契約を結んでいる(プレスリリース)。
●冒頭、久石譲が姿を見せただけで場内から歓声が上がる。交響曲第2番は映画とは無関係な純器楽作品で、全3楽章。ジョン・アダムズを連想させるようなポスト・ミニマリズム的なスタイル。第3楽章が「かごめかごめ」変奏曲になっていて、ひなびた日本の田園風景が都会風の装いに生まれ変わっているのがおもしろい。ピアノの弦楽器のための「ムラーディ」は「夏」「HANA-BI」「キッズ・リターン」の3曲で構成される。北野武監督の映画から3曲を組合わせた模様。ピアノ独奏による「千と千尋の神隠し」より「ある夏の日」で、客席はスタンディングオベーション。
●交響組曲「もののけ姫」はソプラノ独唱付きで全10曲、30分近い作品。第2曲「タタリガミ」では勇壮な和太鼓をウィーン交響楽団の奏者が叩くシーンも。第6曲「もののけ姫」でソプラノ独唱のカタリナ・メルニコヴァが登場。日本語歌唱に果敢に挑戦。第9曲「生と死のアダージョ」で大きなクライマックスを築いた後、終曲の「アシタカとサン」ではコンサートマスターによるヴァイオリンのソロ、さらにソプラノ独唱が続いて、情感豊かなフィナーレを築く。客層はかなり若い様子で、曲が終わるとウワーッと歓声が上がる。おしまいは「トトロ」。楽員の皆さんも楽しんでいる様子。場内大喝采で総立ち。
●ジョン・ウィリアムズ指揮ウィーン・フィルの公演なんかでも思ったけど、19世紀のオペラがオーケストラ・コンサートのレパートリーとして序曲や間奏曲等を供給してくれたのと似たような役割を、20世紀後半以降は映画やミュージカルが果たしているのかなと思う。みんなマスネのオペラ「タイス」を観てなくても「タイスの瞑想曲」は知っているように、だんだん「スター・ウォーズ」を観てなくても「スター・ウォーズのメイン・タイトル」は知ってるし、宮崎アニメを観たことなくても「トトロ」の曲は知ってる、みたいになってゆくのかも。というか、なりつつあるのでは。

July 18, 2023

アラン・ギルバート指揮東京都交響楽団のニールセン&ラフマニノフ

●14日はサントリーホールでアラン・ギルバート指揮都響。プログラムは前半にニールセンの序曲「ヘリオス」と交響曲第5番、後半にラフマニノフのピアノ協奏曲第3番(キリル・ゲルシュタイン)。ふつうであればニールセンの交響曲第5番が後半に置かれそうなものだが、ゲルシュタインのラフマニノフで締めるプログラム。ダブル・メインプログラムのような感。
●前半のニールセンは澄明さと力強さを兼ね備えたサウンドによる壮麗なスペクタクル。ニールセンの交響曲第5番は比較的最近、上岡敏之指揮読響の名演が記憶に新しいところだけど、方向性はずいぶん違う。戦争交響曲的な時代背景よりも、精緻な音の構築物としての魅力やオーケストラの機能美を強く感じる。明るい「ヘリオス」とセットで聴いたせいもあるかも。前半から客席は大喝采。
●後半はゲルシュタインによる稀有なラフマニノフ。速めのテンポで打鍵は強靭明快ながら、ヴィルトゥオジティにもロマンティシズムにも依存せず、ずしりとした構築感による剛健な音楽。オーケストラが伴奏に留まらず、細部まで彫琢され雄弁で、ソリストと有機的にかみ合っている。なかなかこうはいかない。こちらも客席はわいた。アンコールはなし(なくていいと思う)。
●ゲストコンサートマスターが元東響の水谷晃さん。東響と都響はだいぶカラーが違いそうだけど、のびのびとオーケストラを率いているようで、なんというか、落ち着く。
●おまけ。ラフマニノフ、マチス風。AI画伯Stable Diffusion作。
ラフマニノフ マチス風

July 14, 2023

Threads と Twitter

●イーロン・マスクが買収して以来、Twitterを巡る混乱がずっと続いていたが、ここに来てメタが対抗サービスとなるThreadsをリリースした。同社のInstagramのアカウントがあれば簡単に登録できるとあって、わずか数日の内に登録者数は1億人を突破。ワタシも登録した(→こちら)。これまでもTwitterの乗り換え先としていろんな候補が挙げられていたけど、いくらクリーンで理想的な環境だったとしても、人のいないところに人は来ない。もうこれでTwitterからの乗り換え先はThreadsに決まり!……なのか?
●たぶん、そうはならないと思う。あっという間に人がThreadsに押し寄せたけど、ハッと気がついたらTwitterにみんないて、プリゴジンのモスクワ進撃みたいな展開になりそう。
●で、今のところThreadsは気軽にポストできる感じなんだけど、それは人が少ないから。くだらないことをひょいと書ける。Twitterだとそうもいかなくて、多くの人が不機嫌なので、どんよりした気分になりがち。脇の甘いつぶやきをすると、知らない人が突然失礼な口調で突っかかってくるし、拡散力が青天井なのもしんどい。でもこれからThreadsが賑わって、高機能になれば、結局Twitterと似た雰囲気になるのは目に見えている。だったらTwitterでいいという考え方もある。
●Threadsが思ったほど広がらないとなったらどうなるんだろう。さっさとサービスが終了するのか、あるいはInstagramと統合されるとか?

July 13, 2023

NHK100分de名著「ヘミングウェイ スペシャル」(都甲幸治著/NHK出版)

●思うところがあってNHKテキスト「100分de名著」を何冊か読んでいるのだが、このシリーズはすごくいい。番組も悪くないんだろうけど、たぶんテキストはさらによい。「専門家が一般向けにわかりやすく書く」というのは、こういうことなんだなと思う。ちゃんと言い切る。文章内に同業者に向けたエクスキューズを散りばめない。対象物の根っこの部分をまっすぐに伝えてくれる。
●で、特におもしろかったのが「ヘミングウェイ スペシャル」(都甲幸治著/NHK出版)。自分はヘミングウェイで好きな作品と言われたら断然「老人と海」と「移動祝祭日」なんだけど、とてもためになった。たとえば、「老人と海」で、主人公の老人がやたらとジョー・ディマジオの話を出してくるじゃないすか。野球なんか見てないはずなのに、なにかと自分とディマジオを対比させる。それはディマジオの父親が貧しい漁師だったからで、自分を憧れのディマジオに重ねているんだろうな、と思う。でもこのテキストに「ディマジオは本来握るはずだった釣竿をバットに持ち替えて野球をしているのだ。老人はそんなふうにとらえていた節もあります」とあって、なるほど、そちら側から見ることもできるのかと目ウロコ。あと、いつも老人を支えてくれる少年マノーリン。彼のことを「ひと昔前の『理想の奥さん』のような存在」と指摘していて、これも納得。世話を焼いてくれて、自分のことを全面的に尊敬してくれて、なんと都合のよい伴侶なのか。少年とは孤独な老人の脳内に住む空想上の存在なのかと疑ってしまうほど。
●「移動祝祭日」で、ヘミングウェイはガートルード・スタインやスコット・フィッツジェラルドらの恩人を登場させて悪口を言っていて、「自分が世話になった度合が大きい順にひどいことを書いています」。その解釈もおもしろかった。

July 12, 2023

「太陽の帝国」(J.G.バラード著/山田和子訳/東京創元社)

●ずっと前にKindle版を買って電子積読状態だったJ.G.バラードの「太陽の帝国」(東京創元社)をようやく読む。原著は1984年発表のブッカー賞候補作。翻訳は国書刊行会から出ていたが、2019年に山田和子の新訳により東京創元社から刊行されて入手しやすくなった。少年期を上海の共同租界で暮らしたバラードの自伝的小説。これまでバラードの多くの作品を読みながらも、名作中の名作とされる「太陽の帝国」を読まずにいたのは、ひとえにこれが日本軍による現実の戦争を描いているという憂鬱さゆえ。が、これはもっと前に読んでおくべきだった。決して凄惨なばかりの話ではなく、意外にも後味は悪くない。
●主人公は11歳のイギリス人少年ジム。上海の共同租界で中国人の運転手や使用人に囲まれて暮らしていたが、日本軍が上海を制圧すると、両親とはぐれたまま、3年以上にわたって捕虜収容所で暮らすことになる。戦況の変化とともに次第に収容所の暮らしは過酷になり、食料の配給は減り、病が蔓延する。生と死が隣り合わせの環境のなかで、ジムは多様な大人たちとかかわりながら自分の居場所を見つけ、生きのびる。リアルだなと思ったのは、ジムはこの収容所生活をある意味で心地よく感じており、そこから出ることに恐れを抱いているところ。「破滅的な世界で主人公が心の平安を得る」というのはバラードの小説にたびたび登場するモチーフだが、それはバラードのイマジネーションの産物などではなく、少年時代の実体験そのものであることを知る。後の自伝でバラードは「結婚して子供を持つまで、収容所時代より幸せだったことはなかった」とふりかえっているほど。
●収容所を追い出されるとき、人々は「ひとりスーツケース一個まで」を持つことが許される。日本兵に連れられ、行き先の不確かな行進が続くなか、疲労と飢えで捕虜たちはひとりまたひとりと行進から脱落する。そこでジムが目にした光景は、あまりにもバラード的だ。

弾薬搬送トラックの前に来たところで後ろを振り返ったジムは愕然とした。無人の道路に何百というスーツケースが転がっていた。荷物を運ぶのに疲れはてた人々が次々に無言で置いていったのだ。陽光を浴びた道路に連なるスーツケースや籘のバスケット、テニスラケットやクリケットのバットやピエロのコスチューム――それはまるで大勢の行楽客が荷物を置いたままで空に消えてしまったかのような光景だった。

●「太陽の帝国」はバラードの実体験にもとづいているが、現実とひとつ大きく異なるのは、バラードは両親とははぐれておらず、いっしょに捕虜収容所にいたこと。収容所で両親は自分の面倒をよく見てくれたが、それでもこの体験で親との間に溝ができてしまったとバラードは語っている。これはよくわかる話。11歳から14歳になるバイタリティにあふれた少年が、過酷な環境で大人たちからどう見えていたか。小説内で主人公は次第に両親の顔を忘れて思い出せなくなるという描写があるが、それはある種の現実の反映でもあったのだろう。

July 11, 2023

国立競技場に3万8千人、J2リーグ FC町田ゼルビアvs東京ヴェルディ

FC町田ゼルビア vs 東京ヴェルディ
●9日は国立競技場で、J2リーグの町田ゼルビア対東京ヴェルディを観戦。J2で初となる新しい国立競技場での試合開催。なんと、3万8千人もの観客が集まった。Jリーグによる無料招待1万名や町田の親会社サイバーエージェント関連の来場者4千人という動員もあったのだが、それを差し引いても、とんでもない人数が来場したことになる。日曜夜、しかもJ2で。前座試合があったり、花火が打ち上げられたりして大盛況。
●なにより驚いたのはヴェルディのサポーターの多さ! 町田のホームゲームで、町田が動員をかけているにもかかわらず、場内で熱かったのはヴェルディ側のゴール裏。これは信じがたい光景。かつてゴール裏で閑古鳥が鳴いていた時代(ヴェルディサポの人数がカウントできるくらいだった)を知る身としては、ヴェルディのゴール裏が「老舗」の風格を見せつけて、新興クラブを圧倒する様子など想像もできなかった。
●ヴェルディ側の熱さの理由のひとつに移籍問題もあったと思う。ヴェルディの主力だったバスケス・バイロンがライバルの町田へ移籍してしまったのだ。シーズン中なのに2位ヴェルディから1位町田へ移籍する。本来、ありえない。だが、町田の黒田監督はバスケス・バイロンにとって青森山田高校時代の恩師。両クラブ間に新たな因縁が生まれてしまった。試合開始前の所属選手紹介でバスケス・バイロンがメインビジョンに映されると、ヴェルディ側ゴール裏から壮絶な大ブーイング。さらに黒田監督の紹介でも激しいブーイングが続く。J2以下の試合では両サポーター間でほのぼのしたムードが漂うことも珍しくないのだが、町田とヴェルディの間にそれはない。
●大観衆に押されて、試合の内容もハイテンション。前半は町田がヴェルディを圧倒。攻守の切り替えが早く、プレイ強度が高い。開始2分にディフェンスラインの裏に抜け出したエリキ(元マリノス)がシュート、こぼれ球を藤尾翔太が押し込んで先制。さらに38分、ヴェルディの自陣でのパス回しのミスを突いて、町田がショートカウンター、エリキのアシストから安井拓也が2点目をゲット。町田は無用なリスクを冒さず、相手のミスを見逃さないサッカー。失点の少ない町田に2点をリードされたら、ヴェルディは厳しい、と思ったのだが、後半、ヴェルディは追いついたのだ。ヴェルディの攻撃の多くはサイド攻撃。といっても中央に大きな選手がいるわけではなく、サイドをドリブル突破などでしっかり崩してから中央で決めるのが狙い。選手の足元の技術は高い。73分、宮原和也のクロスに染野唯月が頭で合わせて1点差につめより、83分にふたたびクロスから染野が頭で決めて2対2の同点。町田は守備を固めていたにもかかわらず、ヴェルディの執念が実った。暑さのなか、両者とも力の限りを尽くした好ゲームだったと思う。こんな試合をすれば、まちがいなく観客はまたスタジアムに来たくなる。
●混雑を避けるためにすぐ席を立ったので現地では見ていないのだが、試合終了後、ヴェルディの城福監督は町田ベンチに向かって激高していた模様。DAZNで見ると城福監督が「オレたちはサッカーで勝負するから!」と叫んでいるのがわかる。言わんとすることはわかる。リードしている間、町田の選手たちはやたらとピッチ上に倒れて、時間を空費するのだ。いやいや、ヴェルディの当たりはそんなに強くないでしょ、と思うのだが、よく倒れる。観る側としてはあまり気分はよくないし、アディショナルタイムが長くなるのもうれしくない。中立的な立場で観戦した人はヴェルディを応援したくなったのでは。失点リスクを抑え、相手にボールを持たせて、隙あらばショートカウンターで仕留めようとする町田に対して、ヴェルディはリスクを負ってでも自分たちで仕掛けて、チャンスを作り出す。ヴェルディの甲田英將や新井悠太のドリブル突破は観る人のハートを熱くさせる。黒田監督と町田にはぜひ成功してほしいと願っているのだが、共感を呼んだのはヴェルディだった。

July 9, 2023

ジョゼ・ソアーレス指揮新日本フィルのラテン名曲プログラム

ジョゼ・ソアーレス指揮新日本フィル

●7日昼はすみだトリフォニーホールでジョゼ・ソアーレス指揮新日本フィル。平日昼間の公演だが客席は盛況。指揮のジョゼ・ソアーレスはブラジル出身で、2021年の東京国際音楽コンクール指揮部門第1位。コンクールで演奏していたのが新日本フィルというご縁があって、定期演奏会に招かれた模様。そういえばそのときのコンクールを、配信で少し見ていたのを思い出した。
●プログラムは南米&ラテン色を押し出して、ヴィラ・ロボスの「ブラジル風バッハ」第4番よりⅠ前奏曲、Ⅳ踊り、ロドリーゴのアランフェス協奏曲(村治佳織)、ヒナステラのバレエ音楽「エスタンシア」組曲、ビゼーの「アルルの女」組曲第1番、同組曲第2番より間奏曲、ファランドール。これはよくできた選曲。人が演奏会に足を運ぶ主な理由としては「なじみのある曲を聴きたい」と「あまり聴いたことのない曲を聴きたい」があるわけだが、前者の人はロドリーゴとビゼーにひかれるし、後者の人はヴィラ・ロボスとヒナステラにひかれる。ひとつのコンサートにA面とB面があるみたい。
●ソアーレスが作り出すのは熱のある筆圧の強い音楽。ヴィラ・ロボスでの弦楽合奏の輝かしさが印象的。アランフェスでもオーケストラが熱を帯びて、村治佳織の練達のソロを支える。ソリスト・アンコールはビージーズ「愛はきらめきの中に」。自分のぜんぜん知らない分野の曲だけど、たいへんすばらしい。えっ、「サタデー・ナイト・フィーバー」? 見てないなー。ヒナステラの「エスタンシア」は楽しい曲。おしまいの「マランボ」、この曲にしては生まじめというか剛直な演奏で、もう少しはじける感じを期待していたが、客席はわいた。ビゼー「アルルの女」はシャープで引きしまったサウンドで、見事な高揚感。アンコールに同組曲第2番のメヌエット。清澄なフルートとハープ。新日フィルはオーケストラの当日メンバー表をプログラムノートにはさんでくれるので、こういう曲でだれがソロを演奏しているのか、明示されるのが吉。
●明日、月曜日の更新をお休みするので、代わりに日曜日に更新。

July 7, 2023

トッパンホール ランチタイムコンサート 實川風

●6日はトッパンホールのランチタイムコンサートへ。12時15分開演、休憩なしの短いプログラム。ピアノの實川風が登場。曲はツェムリンスキーのデーメルの詩による幻想曲集より第1曲「夜の声」、マーラー(ジンガー編)の交響曲第5番より「アダージェット」、シェーンベルクの6つの小さなピアノ曲、バッハ(ペトリ編)「羊は安らかに草を食み」、同じくバッハのパルティータ第2番ハ短調。世紀末ウィーンとバッハを組合わせたプログラムで、一見、尖っているようでいて、どれも聴きやすい曲ばかりなので平日のランチタイムにぴったり。
●ツェムリンスキーの曲は初めて聴いた。続くマーラー「アダージェット」に近い濃密なロマンティシズムと官能性を湛える。マーラーでは豊かな音色表現を堪能。シェーンベルクはミニチュア作品の集合体だが、各曲の性格付けがはっきりしていて変化に富む。バッハのパルティータ第2番がこの日の主役で、スピード感のある幕切れの鮮やかさが印象的。アンコールには、ツェムリンスキーの「デーメルの詩による幻想曲集」から第3曲「愛」。この曲は軽くシューマン入ってる気がする。盛りだくさんでお腹いっぱい。ランチタイムに味わう本格派は最高にぜいたく。これが入場無料とは(要予約)。
筑土八幡神社
●この日、東京はぐんぐんと気温が上がって最高34度くらい。トッパンホールにはいつも神楽坂駅から歩くのだが、暑いのに遠回りを承知で知らない道を通ってみた。ひょいと路地を入ったところにずいぶん立派な神社を発見する。筑土八幡神社という名。

July 6, 2023

東京国立近代美術館 ガウディとサグラダ・ファミリア展

東京国立近代美術館 ガウディとサグラダ・ファミリア展 看板
●東京国立近代美術館の「ガウディとサグラダ・ファミリア展」へ(~9/10)。建築家の展覧会ってなにをどうするのよ、と思いつつ行ってみると想像以上のボリューム感。そしてかなりの盛況(というか、解説が充実していて人の流れがなかなか進まない)。建築家である以上、本人の手による作品そのものはそんなにないわけで、多くは模型だったり複製だったり図面だったりするのだが、ガウディがどうやってサグラダ・ファミリアへと至ったかを知ることができるという点で大いにためになった(なにも知らなかったので)。
東京国立近代美術館 ガウディとサグラダ・ファミリア展 模型
●ガウディの造形って有機的でなんだか生命体みたいだなと思うんだけど、発想の根底はかなり幾何学的なのだというのを実感。というか、自然の造形そのものがフラクタル構造に代表されるように幾何学模様をベースにしていると思うので、突きつめれば必然的にそうなるのかも。
東京国立近代美術館 ガウディとサグラダ・ファミリア展 マルコの塔 模型
●あとガウディの柱の造形について「二重螺旋」で構成されているっていう説明がよく出てくるんだけど、二重螺旋って言われたらまずDNAの構造を思い浮かべるじゃないっすか。でも、あれと意味がぜんぜん違うんすよね。ガウディの二重螺旋とはどういうものなのか、わかりやすく説明されていてすっきり。そして柱一本作るのにもそこまでの意匠を盛り込むのだから、それは100年経ってもサグラダ・ファミリアは完成しないよな、と思った。
東京国立近代美術館 ガウディとサグラダ・ファミリア展 降誕の正面 歌う天使たち
●これはサグラダ・ファミリアの「降誕の正面」に1990~2000年まで設置されてあった外尾悦郎「歌う天使たち」。石像に置き換わるまで置かれていた石膏像。
●サグラダ・ファミリアって永遠に完成しないものかと思っていたら、そうじゃなくて、近年になって飛躍的に建設が進んで、もうすぐ完成するのだとか。年ごとのサグラダ・ファミリアが集めた建設資金がグラフになって展示されていたんだけど、ガウディの存命中はひたすら資金に苦労していたのに、ある時期から爆発的に資金が増えている。観光客の激増と入場料値上げが功を奏したみたいな説明があって、身も蓋もない感じがよかった。

July 5, 2023

神戸を去るイニエスタ

●週末のJリーグ、ヴィッセル神戸対コンサドーレ札幌で、神戸のイニエスタが日本でのラストマッチを迎えた。今シーズン、ほとんど出番を失っていたイニエスタだが、この試合では先発。だれもが見たい伝説の名選手なのだから、先発するのは当然という見方もあるだろうし、現在優勝争いをしているのにチームコンセプトから外れた選手を先発させるのはおかしいという見方もあるだろう。ファンがどこまでもタイトルにこだわる気質なら、吉田監督は後半途中から投入するか、あるいは出場させなかったんじゃないかなとは思った。今のハードワークする神戸にイニエスタの居場所はなく、試合は札幌が1点リードした状態で進んだが、後半にイニエスタが下がってから、神戸が同点に追いついて1対1でドロー。結果もまた立場によって見方がわかれるところか。
●交代で退く際、イニエスタは札幌のペトロヴィッチ監督としっかりと抱擁し、自チームの吉田孝行監督とは握手もしなければ目も合わせない。こんなに奇妙なシーンはないと思ったが、互いが自分の立場を譲れない以上、プロスポーツとはそんなものなのかもしれない。昨季、残留争いにまで巻き込まれた神戸が、イニエスタを外して優勝争いをしているのだから、吉田監督は完璧な結果を出している。一方、39歳のイニエスタにしてみれば神戸で引退する可能性もあったと思うが、プレイできない悔しさをかかえたままピッチを去ることなどできず、アメリカに行くのではないかといわれている。冷ややかなシーンがあったとはいえ、試合終了後のセレモニーに家族とともに登場したイニエスタの態度は立派で、超一流選手らしいふるまいを見せてくれた。
●イニエスタはバルセロナの試合を比較的よく見ていた頃に頭角を現してきたので、その頃の印象が強い。シャビに似たタイプの選手が出てきたなと思ったけど、中盤の選手層が厚く、3トップの一角に入ることもあった。ロナウジーニョ、エトー、メッシ、イニエスタ、シャビらの豪華メンバー。ゼロ年代半ばの輝けるバルセロナを支えた名選手として、イニエスタは記憶に残る。

July 4, 2023

調布国際音楽祭 フェスティバル・オーケストラのベートーヴェン「第九」

●2日は調布国際音楽祭へ。グリーンホール前のウェルカムコンサートをしばらく聴いてから(あまりに暑くて短時間しか聴けなかったのが残念)、グリーンホール大ホールで鈴木雅明指揮フェスティバル・オーケストラ&合唱団の公演。バッハの管弦楽組曲第2番とベートーヴェン「第九」が演奏された。オーケストラはトップレベルの奏者たちとオーディションで選ばれた若い奏者たちで編成される。コンサートマスターに白井圭、ヴァイオリンに岡本誠司、会田莉凡、フルートに上野星矢、オーボエに古部賢一(荒木奏美から変更)、クラリネットにディルク・アルトマン(南西ドイツ放送交響楽団首席奏者)、トロンボーンに清水真弓(同前)ら、そうそうたるメンバー。この豪華メンバーと若手たちが4日間のリハーサルを積み上げて、音楽祭のフィナーレを飾った。合唱団もバッハ・コレギウム・ジャパンのメンバーと公募団員が共演。
●バッハの管弦楽組曲第2番は上野星矢が軽快なソロ。「第九」は冒頭から張りつめた緊張感と熱気が渦巻いていた。マエストロが鼓舞するよりも先んじて火が付くかのよう。毎年年末になると各楽団のきわめて練度の高い「第九」にくりかえし接しているわけだが、それらとは一線を画した予定調和に留まらないスリリングさがあって、作品本来の規格外の巨大さを再認識させる。合唱団は冒頭から舞台上に乗っていたが、独唱陣の姿は見えない。第4楽章が始まってもまだだれも出てこず、いよいよという場面になって舞台上手から加耒徹(バス)がさっそうと飛び出してきて、客席に向かって語りかけるように歌い出す。このびっくりスタイルはなんども経験しているのだが、それでもまたびっくりしてしまった。まるでオペラ。続いて、澤江衣里(ソプラノ)、清水華澄(アルト)、宮里直樹(テノール)も登場。怒涛の展開で、第4楽章があっという間に終わってしまった感。名手たちと若者たちのエネルギーがひとつになった「第九」だった。
●調布といえば、調布音楽祭、味スタ、神代植物公園、かな。

July 3, 2023

METライブビューイング モーツァルト「ドン・ジョヴァンニ」新演出

●METライブビューイングでモーツァルト「ドン・ジョヴァンニ」を観た。イヴォ・ヴァン・ホーヴェによる新演出。舞台は現代で貴族たちはスーツ姿、庶民たちは無地のシャツにパンツという衣装。ヴァン・ホーヴェの演出は純然たる喜劇とも悲劇ともいいがたいこの作品から、コミカルな要素をそぎ落として、作品のダークサイドを前面に押し出したもの。現代的価値観からすれば、ドン・ジョヴァンニは性犯罪者であり殺人者でしかない。題名役にペーター・マッテイ、レポレッロにアダム・プラヘトカ、ドンナ・アンナにフェデリカ・ロンバルディ、ドンナ・エルヴィーラにアナ・マリア・マルティネス、ツェルリーナにイン・ファン、マゼットにベン・ブリス、騎士長にアレクサンダー・ツィムバリュク。エッシャーをヒントにしたという舞台装置は、彩度も明度も低く、重苦しい迷宮のような趣がある。
●こういう演出だと、コミカルな役柄のツェルリーナは背景に一歩退き、シリアスなドンナ・エルヴィーラの存在感が際立ってくる。ドンナ・エルヴィーラの物語といってもよいほど。なるほどと思ったのはマゼット。おおむね非力な役柄として描かれるマゼットが、ここでは腕っぷしの強そうな巨漢の黒人歌手により演じられ、ドン・ジョヴァンニへの対抗心をあらわにする。ピストルだって持つのだ。だまって権力に従うつもりはさらさらない。
●が、第2幕以降、リアルでダークな演出と本来の作品のテイストに隙間が生まれてくる。服装を交換してドン・ジョヴァンニとレポレッロがまちがえられるという喜劇的展開は奇妙に見えるし、ドン・ジョヴァンニに暴力を振るわれて流血しているマゼットに、ツェルリーナが「薬屋の歌」をうたうのもあまりに牧歌的。が、こういった齟齬まで含めて、「ドン・ジョヴァンニ」という作品が成立しているのかも。どうやってもなにかが落ち着かない作品というか。METデビューとなったナタリー・シュトゥッツマンの指揮は堂々たるもので、演出に応じてなのか、かなり重くて粘るモーツァルト。
●演奏の質が高ければだいたいそうなるのだが、モーツァルトのオペラでは、途中から音楽が演出もストーリーも置き去りにして「自走する」ような感覚がある。今回もそんなふうに感じた。

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