2015年5月アーカイブ

May 29, 2015

サーリアホのオペラ「遥かなる愛」

●28日は東京オペラシティのコンポージアム2015で、フィンランドの作曲家カイヤ・サーリアホ(1952- )のオペラ「遥かなる愛」演奏会形式へ。エルネスト・マルティネス=イスキエルド指揮東京交響楽団、東京混声合唱団、与那城敬(ジョフレ・リュデル役)、林正子(クレマンス役)、池田香織(巡礼の旅人役)。テーマは、ずばり、愛。ブライユの領主でトルバドゥールであるジョフレは、はるか遠くトリポリの女伯クレマンスに理想の女性を見出し、まだ見ぬ遠い恋人への思いを募らせる。一方、クレマンスもリュデルの詩に触れて、心を動かされる。ジョフレはついに海を渡って、クレマンスに会うことを決意する。船旅に出たジョフレは来たるべきクレマンスとの面会を恐れ、心を乱す。自分はまちがった決断をしたのではないだろうか。ついにジョフレがクレマンスと出会うとき、ジョフレは死に瀕していた。ふたりは愛の言葉を交わすが、クレマンスの腕のなかでジョフレは息絶える……。
●全5幕だが、最初の2幕は物語がほとんど動かず、音楽的な身振りも控えめで、瞑想的反復的な雰囲気のなかで果たしてこれを最後まで聴き通せるのだろうかと心配になった。しかし第3幕以降、観念的な愛が実体を伴った愛へと形をかえるべく物語が動き出すと、すっかり引きこまれた。連想するのは「トリスタンとイゾルデ」+「エヴァンゲリオン」。巡礼の旅人という媒介者のみによって成立する観念の愛、そして海と船というモチーフは「トリスタンとイゾルデ」的であり、一方でジョフレが生身のクレマンスに出会うための旅はATフィールドとの戦いであり、碇シンジの姿が重なる。
●特に後半は管弦楽の精緻なテクスチャーやみずみずしい木管楽器のソロなども印象的だったが、やはり脚本が大きな原動力を担っていて、ジョフレの死でもって愛は「遥かなる」ままにされるという、古い伝承由来の結末が重い。クレマンスは絶望し、僧院に入ると決心する(尼寺へ行けっ!?)。トンデモな外観を持った辛辣な真実を読みとることもできるし、純化された愛のかたちをまっすぐに描いたものとも読める余白が味わい深い。
●ジャン=バティスト・バリエールの映像演出が効果的。スクリーンが設置され、主に抽象的な映像が流されるが、海や城など具象もさしはさまれる。ときおりライブカメラでとらえられた歌手の表情が映像に合成されるのもいい。古くさくなく、過剰に説明的でなく、でも本筋にそっていて必要性を納得できる。「東京・春・音楽祭」のワーグナー・シリーズもこんな感じの映像があったらいいのにな、とは思った。
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●今晩(29日夜)のダウスゴー指揮都響は、サーリアホのクラリネット協奏曲 D'OM LE VRAI SENS と、ニールセンの交響曲第3番「広がりの交響曲」。サーリアホによるプレトークあり(18:35~)。

May 28, 2015

マルティン・シュタットフェルト~バッハへのオマージュ

●27日は渋谷のさらくホールでマルティン・シュタットフェルトのリサイタル。オール・バッハ・プログラム、といっても大半はシュタットフェルトの編曲で、モダン・ピアノの機能性を全開にしたバッハ。大胆な強弱法と驚くほど多彩な音色表現による超バッハを堪能。トッカータとフーガ ニ短調、カプリッチョ「最愛の兄の旅立ちに寄せて」、無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番からの「シャコンヌ」、パッサカリア ハ短調他。
●シュタットフェルトとは最初に録音で不幸な出会いを果たしてしまったんだけど(「グールドの再来」の呪い)、以前の来日でバッハの平均律を聴いたら思いのほか楽しくて、見方が変わった。饒舌さの魅力というか。フランス風序曲ロ短調のおしまいが少しかわいくて思わず笑う。アンコールにプロコフィエフのトッカータ(これは以前にも聴いた)、シューマンの「子供の情景」から「詩人は語る」、モーツァルトのロンドン・スケッチブックより。トッカータが終わった瞬間の、椅子を後ろにずり下げながら両手を広げるドヤポーズが熱い。

May 27, 2015

「忘れられた巨人」(カズオ・イシグロ著/早川書房)

忘れられた巨人●「わたしを離さないで」以来10年ぶりとなる(そんなに?)、カズオ・イシグロの新作長篇「忘れられた巨人」(土屋政雄訳/早川書房)。英語版からわずか2か月後に邦訳が出るという早業(巻末の解説が訳者ではなく、編集部名義になっているのは進行が厳しかったから?)。すぐに翻訳されたことに感謝しつつ、じっくり読んだ。そして圧倒された。
●物語と舞台となるのは、まさかの6世紀ごろのブリテン島。そして主人公は老夫婦だ。6世紀なんてどうやって描写するのと思うが、ちゃんとリアリティを持って描かれている。そしてこの時代はアーサー王が姿を消した時代でもある。登場人物には円卓の騎士のひとり、老いたガウェイン卿も登場する。世界には鬼もいれば竜もいる。つまりファンタジー的な世界観も共有されている。なるほど、これまでカズオ・イシグロは「わたしたちが孤児だったころ」で探偵小説を、「わたしを離さないで」でSF小説を、といったようにジャンル小説の枠組みを借りて物語を紡いできた。だから今回、ファンタジーという形式が選ばれても不思議はない。ブリテン島に互いに言葉も宗教も異なるケルト系のブリトン人とゲルマン系のサクソン人が共存していたというのは史実なんだろう。両者は平和に共存してはいるものの、主人公たちブリトン人の立場は決して楽観的なものではないことが察せられる。
●まず、外観としては、これは穏やかな愛情で結ばれた老夫婦のラブストーリーである。夫が妻に「お姫様」と呼びかける翻訳が秀逸。老夫婦が村を出発して、息子の暮らす村へと旅をする。しかし世界は謎の霧で覆われている。この奇妙な霧は人の心から記憶を奪う。「不確かな記憶」はこれまでにカズオ・イシグロが繰り返し描いてきたテーマであり、これに関しては野心作「充たされざる者」で窮められているが、この「忘れられた巨人」でも重要なテーマとなっている。個人の忘却ではなく、集団の忘却として。
●大小さまざまなエピソードを挿みながらも、物語はおおむね淡々と進む。クエストの連続はどこへと向かうのかと思って読み進めると、最後にたどりつくのは「日の名残り」に劣らず味わい深い幕切れ。最後の3章ほどは、即座に読み返さずにはいられなかった。背景となる世界が日本人にはなじみの薄いものだけに、どこまで受け止められているのかという手探り感は残るものの、10年待っただけの読書体験は保証してくれるんじゃないだろうか。

May 26, 2015

ウルバンスキ&東響、チパンゴ・コンソート~杉田せつ子ソロ・ヴァイオリン

●23日は初台へ。14時からオペラシティでクシシュトフ・ウルバンスキ指揮東京交響楽団。ルトスワフスキの交響曲第4番、ドヴォルザークのチェロ協奏曲(タチアナ・ヴァシリエヴァ)、スメタナの「わが祖国」より「高い城」「モルダウ」「シャールカ」の3曲。前半にルトスワフスキが入っていて「お得感」のある長めのプログラム。より楽しめたのは後半のほう。まったく土臭くなく、しかも新鮮な「わが祖国」。この曲って、こんなにカッコよかったんだ、と。語り口は豊かだけど、響きのバランスは慎重に制御され、節度を失わない。
●同日17時は、同じ建物を平行移動して近江楽堂へ。これまでになんどか足を運んでいるチパンゴ・コンソートの公演、といっても、この日の出演者はひとりだけ。杉田せつ子さんのソロでバッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番ト短調、第3番ハ長調、パルティータ第2番ニ短調。新作バロック・ヴァイオリンのお披露目にバッハの聖典に挑むというシチュエーションもあってか、格別に厳粛な雰囲気が近江楽堂の小ぢんまりとした空間をいっぱいに満たして、深い感銘を残した。バッハの無伴奏は尋常ではない音楽だと改めて実感。作品に内在するエネルギーがあまりに大きく、奏者は祭司となり、公演は儀式となる。長大なフーガやシャコンヌには人も楽器も空気も息切れしそうになる。まるで天まで届く高塔を見上げるかのよう。

May 25, 2015

ピアノによるマーラー交響曲集~マーラー「復活」2台ピアノ版他

●22日は渋谷の公園通りクラシックスで、大井浩明+浦壁信二の2台ピアノによるB.A.ツィマーマン「モノローグ」とマーラーの交響曲第2番「復活」。「復活」はヘルマン・ベーン(1859-1927)編曲で、日本初演なのだとか。あの過剰なまでに巨大で饒舌な「復活」を2台ピアノのみで演奏するとどうなるのかというのが最大の関心。マーラーの交響曲のなかでも「復活」に対して特別な愛着を持つ人は多いと思うんだけど(自分もそう)、きっとそれはこの曲のアンバランスさや強引さ、自壊寸前の気宇壮大さのおかげなんだだろう。でも、この作品からあの巨大な編成、合唱とか独唱とか鐘とかバンダとか、そういう外形上のスペクタクルを剥ぎとったらどうなるのか。ワイヤーフレームだけで描かれた「復活」なんていうものが果たして成立しうるのか……と思って聴いてみたら、骨格だけになっていた「復活」もとてつもなく巨大だった。マーラーとともにピアノを弾いて楽しんだこともあるというベーンの編曲は、予想以上に原曲に近い手触りを残す。そして、テキストの不在を不在と感じさせない。いや、これは自分がもともと原曲のテキストに対して関心を払っていないせいか。長さを感じさせない演奏だった。
このシリーズ、次回の6月23日は同じくマーラーの第6番「悲劇的」と第7番「夜の歌」(ともに四手連弾)が演奏されるそう。まさかと思うようなとんでもないボリューム。

May 21, 2015

ブラ2特異月

●20日はエド・デ・ワールト指揮N響へ(サントリーホール)。本来ならジンマンが指揮する予定の公演だったが、代役でエド・デ・ワールトに。プログラムは変わらず、シューマンの「マンフレッド」序曲、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲ホ短調(ギル・シャハム)、ブラームスの交響曲第2番。シャハムのソロは明るく流麗。アンコールにバッハのガヴォット。快速テンポによる闊達なバッハ。後半のブラームスはきびきびとした音楽の運びだが、即物的というほどではなく。
●今月はブラームスの2番の特異月になっている。5月13日にベルトラン・ド・ビリー指揮都響、17日にエイヴィン・グルベルグ・イェンセン指揮読響、そして20日&21日にエド・デ・ワールト指揮N響が、ブラームスの交響曲第2番を演奏した。ざっくりいって首都圏で最大のべ8000人くらいの人が今月ブラ2を生で聴いていることになる。なぜ、こんなに「ブラ2」ばかりが演奏されるのか。仮説1。5月のさわやかな気候に合わせて、田園的な性格を持った交響曲を選んだらブラ2になった。仮説2。すべてはただの偶然。2かな。

May 20, 2015

リーガの憂鬱

バルセロナ●リーガ・エスパニョーラ(スペイン・リーグ)は、最終節を前にバルセロナの優勝が決まった。毎年、バルセロナかレアル・マドリッドのどちからが優勝しているようなリーグだが、昨季は最終節でアトレティコ・マドリッドが優勝を決めるというドラマティックな展開があった。あのとき、バルセロナに対して「ひとつのサイクルが終わった」などとささやかれたもの。ところが今季はぜんぜんそんなことにはなっていなくて、バルセロナはリーグ優勝を果たした上に、チャンピオンズリーグの決勝まで進むという快進撃ぶり。
●スペインの憂鬱は、バルセロナとレアル・マドリッドが強すぎることだろう。何十年にもわたってそうなっている。最近10シーズンで、この2強以外が優勝したのは昨季のアトレティコだけ。あとはバルセロナが6回優勝して、レアル・マドリッドが3回優勝している。スペクタクルなサッカーをくりひろげる2強が18弱を打ち負かすリーグというか。さらにいえばこの7年で区切ればバルセロナが5回、レアルとアトレティコが1回ずつ優勝しているだけで、ヘタをすると2強から1強になりかねない。心情的にはバルセロナが好きなのだが、ここまで栄枯盛衰が感じられないとリーグ全体に「大きな物語」が欲しくなってくる。かといって、ACミランとインテルミラノが中位に凋落したイタリア・セリエAをお手本にする……なんてわけにもいかないか。
●そのあたり、イングランドのプレミアリーグは群雄割拠といった感じでうまくいっている。羨望。

May 19, 2015

「NOVEL 11, BOOK 18 - ノヴェル・イレブン、ブック・エイティーン」(ダーグ・ソールスター著、村上春樹訳/中央公論新社)

NOVEL 11, BOOK 18●村上春樹訳でなければ手に取っていただろうか。「NOVEL 11, BOOK 18 - ノヴェル・イレブン、ブック・エイティーン」(ダーグ・ソールスター著/中央公論新社)。著者はノルウェーを代表する作家。書名は11冊目の小説、18冊目の著書を意味しているだけなので、つまり作品番号みたいなものであって、それ自体に意味はない。英訳からの重訳という禁じ手を使ってでも訳したかった一冊ということだが、なるほど、これは独特の手触りがあって、読みだすと止まらない。ストーリーはかなり予想外の方向に向かってゆく。一言でいえば、シニカルで、痛い。
●主人公の男性は50歳を迎えたばかり。序盤はこの男の来歴が語られる。中央省庁の官僚としてエリートコースを走り、結婚して2歳の子供もいたのだが、ふとしたはずみで家庭を捨てて愛人のもとに走る。中央でのキャリアも放り出して、田舎町で冴えない役人勤めをはじめる。その愛人とは14年間を連れ添ったものの、今や別居して一人暮らしをしている。が、ドロドロした愛憎劇などは一切描かれず、そこに至るまでの出来事は淡々とあたかも第三者の観察眼によって記されたかのごとく振り返られる。この序盤だけでもかなりおもしろいのだが、話がどこへ向かおうとしているのかまるで見当がつかない。
●ほんの少し内容について触れてしまうと、これは「人生のさまざまな局面で、常に袋小路へと向かう選択ばかりをしてしまう男たち」の話なんだと思う。主人公はどこまでもそうだし、その性癖はものの見事に息子にも引き継がれている。で、それはイカれた男の話であると同時に、どんな男にとっても共感可能な物語でもある。ワタシたちには見えない磁力に引きつけられるようにそこへと向かってしまう性質が備わっているとしか思えなくなる。あるいは年輪を重ねるということ自体がそうなんだろうか。
●それにしても最後の展開は、どうなんだろう。これだけはもう一つ消化できていない。

May 18, 2015

アンスネス「ベートーヴェンへの旅」、CL準決勝のモラタ

●15日はレイフ・オヴェ・アンスネス(ピアノと指揮)マーラー・チェンバー・オーケストラへ(東京オペラシティ)。「ベートーヴェンへの旅」と題されたピアノ協奏曲全曲演奏会の一日目で、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第2番、第3番、第4番。日頃聴いている「協奏曲」とはなんだったんだろうというくらいの完成度の高さに驚嘆。精鋭集団がツアーのプログラムに協奏曲シリーズを選び、ピアニストが指揮も兼ねて、しかもそのピアニストがアンスネス。仕上がりの精度が段違いというか。ピアノは蓋なし、客席に背を向けて座るスタイル。トゥッティ部分では立ち上がって指揮。バロック・トランペット、バロック・ティンパニ使用。精緻だが、窮屈さは微塵もなく、生命力にあふれていた。ピアノ協奏曲第4番で終わるプログラムに対して、あれだけ大勢のお客さんが立ちあがって喝采を送るとは。二日目を聴けなかったのが残念。アンスネスはいつのまにかスリムになっていて、ひげを伸ばしていてカッコいい。
●ようやくチャンピオンズリーグ準決勝の映像をセルフハイライトで見たのだが、ユベントスのモラタが男前すぎる。レアルマドリッド相手にファーストレグでもセカンドレグでもゴールを決めたのに、どちらでも喜びの感情を見せなかった。モラタにとってレアルマドリッドは前所属チームであり、ユース時代を過ごしたクラブ。だから元チームメイトに敬意を表したということなんだろうが、レアルからユベントスへの移籍契約に買戻しオプションが付いているのだとか。つまり、モラタがすごく活躍して、やっぱりレアルが欲しいなと思ったら一定金額で買い戻すことができる。モラタは内心ではマドリッドに帰りたいと思っているのかどうか……?

May 15, 2015

エイヴィン・グルベルグ・イェンセン指揮読響とシュタイアー

●13日はエイヴィン・グルベルグ・イェンセン指揮の読響へ(サントリーホール)。エイヴィン・グルベルグ・イェンセンはオペラとコンサートの両方で活躍するノルウェー生まれの新星で、読響初登場。エイヴィン・グルベルグ・イェンセン……またひとり名前の覚えられない新鋭がっ!
●アンドレアス・シュタイアーがモダンピアノでモーツァルトのピアノ協奏曲第17番を演奏。LFJ新潟に続いてシュタイアーのピアノを聴けたわけだけれど、もしかするとこの日のアンコールが最大の聴きもので、モーツァルトのピアノ・ソナタ第10番ハ長調から第2楽章。伸縮自在の緩急法、即興的な装飾をふんだんに盛りこみながら、優美でありながら刺激的というシュタイアーならではのモーツァルト。
ショスタコーヴィチ●後半はショスタコーヴィチの交響曲第7番「レニングラード」。スペクタクルではあるけれど、ゴリ押しにならないのは好感。個人的に永遠に仲良くなれそうにないロシア二大作曲家のひとりがショスタコーヴィチなのだが(もうひとりはラフマニノフ)、苦手だから接したくなるという屈折した気分もまちがいなくあり。遠目から眺めた「レニングラード」は、戦争交響曲であると同時にパロディ交響曲という印象が強いかな。第1楽章のスネアドラムで開始される巨大なクレッシェンドは戦火の「ボレロ」。第4楽章は交響曲第5番のセルフパロディのようでもあり、その向こう側はマーラーの第5、ベートーヴェンの第5につながっている。モールス信号Vの・・・-のリズムは、Victoryであるとともにローマ数字の「5」なんだろなと。

May 14, 2015

チェルシーの静かな優勝

●イングランドのプレミアリーグは、大方の予想通り、チェルシーが早々に優勝を決めてしまった。かなり前の段階から「今季はチェルシーで決まり」という雰囲気が漂っていたものの、ワタシは「いやいや、これくらいの勝点差など、ほんのささいなことがきっかけで失われてしまうことなどいくらでもある。サッカーは安易な予測を裏切るものだ」と思っていたのだが、裏切りも波乱もなく、チェルシーがずーっと首位を守り続けた。モウリーニョ監督、恐るべし。
●実はリーグ終盤の試合内容はかなりスペクタクルに乏しかった。毎試合、驚くほど似たような展開の試合が続く。わずかなチャンスに1ゴールを奪うと、あとはリスクを冒さずに慎重に守る。ポゼッションが低くても意に介さない。そして1対0で勝つ。あるいはアウェイのアーセナル戦のように0対0で試合を終わらせる(そしてモウリーニョはガッツポーズを決める)。まるで詰将棋みたいなサッカー。
●リーグ前半に比べるとかなりペースダウンしたのは、モウリーニョがずっと同じ選手を使い続けたからという説がある。先発はもちろん、途中交代の選手まで非常に限られていて、ローテーションを用いない。それで選手が疲弊しているんじゃないか、と。ポイントゲッターのジエゴ・コスタと、控えストライカーのレミの両方が戦線離脱してしまい、終盤は37歳のドログバがトップに入っていた。全盛期にはほど遠い動きだが、献身的に奮闘していた。
●選手を固定して使うのがいいのか、ローテーションを組んだほうがいいのか。これはだれにもわからない問いだろう。ただ、先日ご紹介した書籍「サッカー データ革命 ロングボールは時代遅れか」にもあったように、チーム成績により強い影響を与えるのは、「最高の選手の質」ではなく「最低の選手の質」だとすると、ローテーションを組んで大勢の選手を使うのは不利なような気もする。モウリーニョの戦略もそのあたりの統計にもとづいているのではないかと想像しているんだけど、どうなんすかね。

May 13, 2015

ルートヴィヒ・チェンバー・プレイヤーズ東京公演

●11日は紀尾井ホールでルートヴィヒ・チェンバー・プレイヤーズ。2013年に東京・春・音楽祭をきっかけとして結成されたアンサンブルで、欧州で活躍する日本人若手奏者とシュトゥットガルト放送交響楽団のメンバーを中心としたメンバー。2014年にはLFJにも出演していたのだが、そのときは聴けず、今回ようやく聴くことができた。ヴァイオリンに白井圭、水谷晃、ヴィオラにヤニス・リーバルディス、チェロに横坂源、コントラバスに幣隆太朗、オーボエにフィリップ・トーンドゥル、クラリネットにディルク・アルトマン、ファゴットにハンノ・ドネヴェーグ、ホルンにヴォルフガング・ヴィプフラー。個々の奏者がすばらしくうまくて、しかもアンサンブルとしてひとつの方向を向いている。モーツァルトのオーボエ四重奏曲ヘ長調、プロコフィエフの五重奏曲ト短調、シューベルトの八重奏曲ヘ長調と、こんな機会でもなければ聴けない曲を聴けて大満足。愉悦のひととき。
●プロコフィエフの五重奏曲はオーボエ、クラリネット、ヴァイオリン、ヴィオラ、コントラバスという不思議な編成で、チェロではなくコントラバスが用いられているのが効いている。乾いたユーモアが吉。
●シューベルトの八重奏曲は弦楽四重奏+コントラバス、クラリネット、ファゴット、ホルンというシンフォニックな編成で、長さも一時間級。となればミニ交響曲なのかな、とも思う。一方で全6楽章という多楽章構成は気軽なディヴェルティメント(セレナーデ)的。第1楽章から第3楽章までは堂々たる交響曲風の性格が強い。第1楽章には立派な序奏が付いていて大きな音楽を予感させるし、第2楽章は緩徐楽章で、第3楽章はスケルツォ。ところが第4楽章は変奏曲。ベートーヴェンの「エロイカ」終楽章のような緊迫したフィナーレにはならず、一転して娯楽的なディヴェルティメントの雰囲気になる。第5楽章もリラックスしたメヌエット。終楽章の第6楽章になって、また交響曲風の性格が帰ってくる。第4楽章と第5楽章を抜いたらかなり交響曲風になるけど、この幕間の出し物みたいな二つの楽章が入っているおかげで生まれるキメラ的な風貌がこの曲の魅力でもあるのかも。

May 12, 2015

BPO123の総選挙

●昨夜はベルリン・フィルの次期音楽監督を決める投票日だった。で、だれに決まるのかとTwitter上は(というかワタシのTL上は)この話題で埋めつくされた。ネルソンスなのか、ドゥダメルなのか、ひょっとしてティーレマンなのか。いま、まさに投票やってる、ドキドキ……。
●とかやっているうちに夜が更けてゆく。発表はまだなのか。白い煙はあがらないのかとコンクラーベ状態に。0時頃になって、ついに速報が流れた。「ネルソンス!」。さーっと海外メディアも含めて、ネルソンスの報が広まったが、すぐにベルリン・フィルの公式アカウントが、そんな事実はないとこれを否定した。どうやらホルン奏者のサラ・ウィリスを騙った偽アカウントが発信源だった模様。これを真に受けたメディアがあり、ノーマン・レブレヒトがSilly Gramophone, Silly BBC Music とグラモフォンとBBCミュージックマガジンを非難したところ、BBCミュージックマガジンが Stupid Norman, オレたちゃなんにもつぶやいてないよ、と返す場外乱闘があったりして(笑)、それからもうすぐ発表されそう、でもやっぱり会見遅れるからもう少し待って……みたいなすったもんだの末(ワタシは寝てしまったが)、最終的に「決まりませんでした!」の公式発表が。
●11時間にわたる協議と123名の楽団員による何回もの投票を重ねた結果、結論は出ず、協議は継続されて今後一年以内に答えが出ることに。ベルリン・フィルの公式発表はこちら。なんというか、これ以上はないという盛りあげ方(?)だった。
●内部でどんな議論があったのかは、これから本当の話ともデマともつかない話が次から次へと出てくるにちがいない。投票で音楽監督を決めるなんていうのはほかのオーケストラにはまねできないことだろう。相手がYesというかどうかわからないし、先方だっていきなりオファーが来てもすでに結んでいる契約もあるし、普通だったらそこから込み入った交渉がスタートしそうなもの。実際、最近になって有力候補たちが自分たちの楽団との契約延長を発表していたりして、これはどういうことなのかなあとは思う。これがサッカー界だったら、スター選手や有名監督の契約に「ビッグクラブからオファーがあった場合は、これこれの条件で本契約を解除可能」みたいな条項が入っていたりすることもあるようだが、さて。
●ファンにとっては最善の答えが出たということなのかもしれない。どんな結論が出ても、多くの人が落胆する。でも結論が出なければ、祭りは続く。

May 11, 2015

LFJ新潟2015

lfj新潟2015
●今年は東京の翌週にLFJ新潟が開催。FM PORTの番組「クラシックホワイエ」を通じてのご縁もあって、昨年に続いて新潟を訪れた。メインとなる会場はりゅーとぴあ。環境的には抜群にいい。音響面ですぐれているばかりではなく、都市公園に囲まれた広々としたぜいたくな空間や、館内からガラス壁を通して緑が目に飛び込んでくる設計など、きわめて快適。会場間の移動も楽、しかも大半のチケットが当日券で購入できる。熱気という点ではもうひとつだし、街中に音楽祭の気配があまり感じられないのも気になるが、聴く側からするとこの落ち着いた雰囲気は大きな利点にもなる。
●トレヴィーノ指揮シンフォニア・ヴァルソヴィアのベートーヴェン「英雄」。コンパクトな編成ながら、生命力にあふれた好演。トレヴィーノの統率力の高さを実感。LFJでは新潟だけ出演のアンドレアス・シュタイアー。モダンピアノを弾いてシューマン&メンデルスゾーン。セルフ譜めくり。「子供のためのアルバム」他の選曲もあり、才気走ったというよりは柔和。
●今年から会場と新潟駅を往復する無料シャトルバスが走るようになったのが大吉。30分に1本だが、あるとないでは大違い。会場は新潟駅から徒歩圏にない。すぐ近くの大通りに出れば新潟駅行きの路線バスはいくらでもあるのだろうが、やっぱりシャトルバスがあるとひとつ面倒事から解放される(県外からの来訪者にとっては)。
●客層は東京と同様に多様で、オケ定期などに比べればはるかに若い。東京より一般公演の子供率は高いと思う(どんなイベントでもそうなるのかもしれないけど)。なごやか。東京から足を運ぶのなら、観光と合わせても楽しめるだろうし、音楽祭だけに入り浸っても満足できると思う。どちらでも行ける。

May 8, 2015

純子の秘密

深夜の駅●連休中の深夜、駅のホームで電車を待っていると、前に並んでいた年配のオジサンがガラケーでメールを打っていた。そんなつもりは毛頭なかったが、背面からケータイの画面をのぞきこむことになってしまった。メールの文面を打つオジサンの手つきがぎこちない。「予定の時間より少し遅れます。ごめんね。純子」。えっ?
●たぶん、驚くようなことではないのだろう、こんなことは。東京のような大都会ではなんだってありだ。ましてや連休中なのだから。「純子」はこれからきっとだれかと出会う。相手はどんな「純子」を期待しているのかわからないが、不意打ちを食らうことになる。いや、そうとも限らないか。これはお互い承知の上でのゲームなのかもしれない。
●今しがた目にした光景をすぐに忘れようと努めていたが、電車を待っている間にどんどん想像が膨らんでしまう。せめて、こんな企てをする人物がどんな風貌をしているのか、一瞥してもいいのではないか。電車が到着した。なにげなく車内を見渡すふりをして、「純子」のほうに目をやった。普通のオバサンだった。

May 7, 2015

LFJ2015閉幕、来年のテーマは「自然」

●LFJ2015閉幕。濃密な三日間(プラス前夜祭)だった。しかし日々が濃密であればあるほど、終わった後に記憶から色褪せてゆくスピードも速い。「パシオン」というテーマの打ち出し方がどうだったかはともかく、内容的にはここ数年で最高にエキサイティングなプログラムだった。前年、ナントが「アメリカ」という文句なしに楽しいプログラムだったのが、国内で焦点のぼやけた総集編的なところに落ち着いてがっかりしていただけに、今回は留飲を下げたというか。もっとも聴けた公演はほんのわずか。
lfj2015記者懇親会
●最終日午後恒例の記者懇親会から。今回のテーマ「パシオン」について。「お客さんが付いて来てくれたと感じた。今年からは特定の時代や作曲家ではなく、ルネサンスから現代まですべての音楽をレパートリーとしていくが、こうして新たな一歩を踏み出したことでLFJが一皮むけたように感じる。LFJはすでにこの街に欠かせない音楽祭。東京のLFJが世界各地のLFJをインスパイアしていくことになる。日本のアーティストもより世界に向けて発信していきたい」(ルネ・マルタン)
●以前、一般向けソムリエ・サロンでも公表されていたように、来年のテーマは「自然」。「動物」だけでも、蟻から象、恐竜まで800曲くらいの作品あるんだとか。さらに「四季」(ハイドン、ヴィヴァルディ、グラズノフ、チャイコフスキーの「四季」等)、「川」「鳥」などをテーマとした曲がとりあげられる。「パシオン」に比べると、ずっと明快。
●梶本アーティスティック・プロデューサーから、中国と韓国からの視察があったことが述べられ、「大都市に住みながらこのような文化に触れられることを羨ましがられた」とのこと。

May 1, 2015

ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2015、まもなく開幕

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●今週に入ってからメールや郵便物等のトラフィックがぐっと減った感があるが、まもなくゴールデンウィークに。本日、1日はラ・フォル・ジュルネの前夜祭、2日から4日までは本公演。怒涛の日々が続く。
●LFJ期間中は公式レポートブログをご覧いただければ幸い。今まではLFJのサイトとは別建てで公式レポートブログがあったけど、今年からはLFJ2015サイトと一体化して今風の作りになっている。サイトのトップページから入る人がほとんどになるとは思うが、公式レポートブログ記事のみのURLを挙げておくと、こちらに。
●今年は地上広場にOTTAVAのブースが復活するということで、なんどかそちらにも出演させていただくことに。また、昨年に続いて講演も一コマあり。
●今回、プログラムがいい。昨年より断然いいと思う。

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