2021年10月アーカイブ

October 19, 2021

フットボール批評issue32 特集 禁断の「脱J2魔境マニュアル」

●6月発売の雑誌を今頃になって買う。フットボール批評issue32 特集 禁断の「脱J2魔境マニュアル」。J2がおもしろいというのは自分にとってあまりに当然のことなのだが、そのおもしろさの源泉を言語化しているのがこの特集記事。J2クラブを応援している人はもちろんのこと、あらゆるサッカーファンにとって興味深い内容になっていると思う。というのもJ2では多くのクラブが非常に戦術的なサッカーを展開しており、哲学の違いがはっきりと現れているから。現代サッカー界の二大潮流としてポジショナルプレーとストーミングがよく挙げられるが、それらがJ2にも浸透している様子が伝わってくる。
●巻頭のインタビューは、ポジショナルプレーの勝利者、アルビレックス新潟のアルベルト監督。長くカウンターサッカーを主体とした新潟に、まったく異なるチームスタイルを定着させ、チームを躍進に導いた。この取材時と比べると今の新潟は順位を落としているかもしれないが(現在5位:J2順位表)、それでも新潟サポは以前よりがぜん試合観戦が楽しくなっているはず。マリノスにポステコグルー前監督がやってきたときと少し似ている。
●が、それ以上に目をひくのはブラウブリッツ秋田。「秋田から吹く熱風 ノーザンストーミングフットボールの正体」と題した記事で、秋田の吉田謙監督に取材している。秋田はJ3でボール支配率最下位、パス成功率最下位を記録しながら圧倒的な強さで優勝し、J2に昇格した。そして、J2でも同じような戦い方でリーグ中位に留まる大健闘を見せている。ワタシも大宮対秋田戦をスタジアムで観戦した際、秋田の選手たちのフィジカルの強さ、ムキムキの筋肉には目を見張った。「ノーザンストーミングフットボール」とはうまいことを言うなと思ったが、激しいプレスでボールを狩り、奪ったらゴールに一直線に向かう。ポゼッションなど一切気にしていない。しかも吉田監督の言葉づかいがまったく独特で、気取った戦術用語などまるで使わず、むしろ部活サッカー的な香りが漂っている。「球際」ではなく「魂際」、「プレスをかけろ」ではなく「噛みつけ」、チームのモットーは「寄せる距離は仲間を裏切らない」。「礼儀正しさは最高の攻撃力」という吉田語録もサッカーの話なんだか、社会人としてのあり方なんだかよくわからないが説得力がある。新潟と秋田ではこれが同じ競技なのかと思うほど違った戦い方をしているが、どちらも結果につながっているのがサッカーのおもしろさ。

October 18, 2021

ジョナサン・ノット指揮東京交響楽団のベルク、ブルックナー

●16日はサントリーホールでジョナサン・ノット指揮東京交響楽団。プログラムはベルクのヴァイオリン協奏曲(神尾真由子)、ブルックナーの交響曲第4番「ロマンティック」。当初、ブルックナーは「1888年稿コーストヴェット版」と発表されていたが、指揮者の意向により一般的な版に変更された(1878/80年稿ノーヴァク版)。ベルクとブルックナーの組合せによる重量級オーストリア音楽プロ。
●ベルクは雄弁なソロ、清澄なオーケストラ。後半のブルックナーは音の大伽藍、大聖堂というよりはモダン建築。自分の中では無神論者のブルックナーと呼んでいるのだが、宗教的な恍惚感に頼らず、深い森も野人もなく、旋律やリズムや音色そのもののおもしろさ、音の動き、色彩のコントラスト、強弱のダイナミズムで鮮烈なドラマを築くブルックナー。序盤、このコンビならもう一歩豊麗な響きがあってもいいかとは思ったが、進むにつれて熱を帯び、終楽章は壮大なクライマックスに。曲が終わって完全な沈黙が訪れたのも吉。盛大な拍手が鳴りやまず、もはや恒例となっているノットのソロ・アンコールに。
アークヒルズ ハンガリーフェスティバル はちみつ
●開演前、カラヤン広場では簡単なステージが組まれ、お店が並び、人々で賑わっていた。ハンガリーフェスティバルということでハチミツ(なのか)。中に入ると寛げそうな雰囲気だったが、ノリがよくわからないので自重した。

October 15, 2021

阪田知樹ピアノ・リサイタル

●14日はサントリーホールで阪田知樹ピアノ・リサイタル。今年エリザベート王妃国際音楽コンクール4位入賞を果たした気鋭。プログラムは前半がベートーヴェンのピアノ・ソナタ第14番「月光」、シューマンの幻想曲ハ長調、後半がリストのピアノ・ソナタ ロ短調と同じくリストの「リゴレットによる演奏会用パラフレーズ」。「月光」の本来の題は幻想曲風ソナタ、これにシューマンの幻想曲、そして真の幻想曲風ソナタともいうべきリストのソナタ、さらにパラフレーズが続くという「ファンタジー・プログラム」になっている。シューマンがリストに献呈した幻想曲と、リストがシューマンに献呈したピアノ・ソナタがセットになっている構成も吉。
●「月光」は全体の幻想テーマに寄せたかのような玄妙な弱音表現が効果的。シューマンの高揚感も見事だったが、圧巻は後半のリストのピアノ・ソナタ。強靭さと切れ味の鋭さを兼ね備えた濃密な世界。途中でバチン!という音が鳴って、弦が切れるアクシデントがあった。どうするんだろうと思ったが、演奏を止めてピアニストはいったん袖に引き、調律師が切れた弦を処理してから、すぐに奏者登場(1本切れても残り2本で音は鳴るのか)。止まったところの少し前から何事もなかったかのように猛然と弾き始めた。このアクシデントでかえって客席も集中度を高めたようで、場内にひりひりした緊張感と熱気が充満して、壮絶な異形のソナタを堪能。大作の後なので、続く「リゴレット・パラフレーズ」はほとんどアンコールみたいなものと思っていたが、キレッキレのテクニックが炸裂。その後、本当のアンコールは、本編の選曲からいってこれしかないというシューマン~リストの「献呈」、そして阪田知樹編曲のバッハのアダージョ(原曲はオルガン曲「トッカータ、アダージョとフーガ」ハ長調 BWV564から)。きわめて密度の濃いリサイタル。

October 14, 2021

映画「キャッシュトラック」(ガイ・リッチー監督)

●めっきり感染者数も減ったことなので、冬の第6波が来る前に出かけておくのが得策なのかもしれない……などと考えていたら、急に映画館に行きたくなった。そこで、ガイ・リッチー監督の映画「キャッシュトラック」へ。主演はジェイソン・ステイサム。ガイ・リッチーのかつての名作「ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ」「スナッチ」でのコンビが再現。ちなみにこの映画、予告編は見ないほうがいい。話の途中でだんだんわかってくることを、平気でどーんと見せちゃっているので。
●中身は2003年のフランス映画「ブルー・レクイエム」をリメイクしたもので(こちらは見てないけど、かなりテイストも設定も違うと推測)、ジャンルとしてはクライムアクションといえばいいのだろうか。現金輸送専門の警備会社に主人公が採用されるのだが、どうやらこの謎めいた人物はただものではない、というところから話が展開する。
●で、ガイ・リッチー監督なので、自分としては近作だと「コードネームU.N.C.L.E.」みたいなシャレた作風、スマートなユーモアを期待していたのだが、ぜんぜんそういう方向性とは違っていた。笑いの要素は皆無、シリアスでバイオレンス全開なので、自分には刺激が強すぎたかもしれない。時系列の見せ方に一工夫あるところにはガイ・リッチーらしさが出ている。
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東京の新規陽性者数は7日移動平均で一日90人を切っている。グラフを眺めると劇的な減少に驚く。ワクチンも今は潤沢にあって、2回接種済率がほぼ直線的に上昇している。それでも第6波が年末年始あたりにやってくるのは避けがたいという。

October 13, 2021

ニッポン対オーストラリア@ワールドカップ2022カタール大会 アジア最終予選

ニッポン!●勝てなければ森保監督の解任は不可避という状況で臨んだホームのオーストラリア戦。試合開始前の時点で、オーストラリアとサウジアラビアがともに全勝で勝点9、ニッポンは1勝2敗で勝点3。たしかにこの状況では引分けでも厳しい。
●で、継続性を重んじる森保監督も、さすがに前の試合から布陣を変えてきた。大ミスを連発した柴崎をベンチに置き、代わって中盤に遠藤、守田英正、田中碧の3枚を並べた。遠藤がアンカー、守田と田中碧がインサイドハーフと見ていいと思うが、フォーメーションとしては4-2-3-1から4-3-3に変更した形。トップ下をなくして中盤でボールを狩れる選手を増やしたという印象。GK:権田-DF:酒井、冨安、吉田、長友(→中山雄太)-MF:遠藤、守田(→柴崎)、田中碧-伊東、南野(→浅野)-FW:大迫(→古橋)。
●で、個の力とか布陣とか戦術とか、試合にはいろんな要素があるけど、やっぱりサッカーってメンタルの勝負だなと実感。それだけ両者の実力が伯仲しているということでもあるんだけど、開始早々からニッポンは前の試合とは見違えるほど気迫があった。瀬戸際に追い詰められて、大迫も長友も目の色が違うというか、枯れたベテランみたいな様子は払拭されている。前半8分、早くもニッポンが先制。南野のペナルティエリアを横切るようなクロスを田中碧が受け、コースを狙った難度の高いシュートを落ち着いて決めて代表初ゴール。これで余裕が出た。
●ところが1点リードのまま後半に入り、時計が進むにつれて、動きが硬くなり、ボールを前に運ぶ積極性がなくなってくる。後半24分、守田のやや無謀なスライディングタックルがいったんはPKと判定され、その後VARでエリア外と確認されてフリーキックに変更される。ほっとしたのは一瞬で、これをフルスティッチが呆れるほど見事なキックでゴールに叩き込んで同点。その直後、ニッポンのショックは明らかで、がくんと運動量が落ち、走るべきところに走れず、ダイナミズムを欠いてしまう。窮地を救ったのは交代出場の浅野。自陣から放り込まれた縦パスに走り込み、神技トラップからファーサイドを狙ってシュート。これが相手ディフェンスをかすって微妙にコースが変わり、キーパーが弾いてポストにリフレクト、ちょうどそこに走り込んでいたベヒッチが押し込む形でオウンゴール。浅野の好プレイありきだが、最後は運の領域。そしてゴールが入ると選手たちの足が動き出すというのは代表から草サッカーまでに通じるサッカーの真実。終盤はオーストラリア恒例のロングボール攻勢が発動するが、ニッポンは落ち着いて対処、2対1で勝利した。最後は田中碧の足が攣っていたようだが、交代枠もなかったので、田中碧をトップに残してあとの選手で守るなど、選手たちの臨機応変の判断も効いていた。オーストラリアのロングボールはかつてほどは怖くなくなった感じ。むしろ、ダイナミックにつないで攻められるほうが怖い。
●これでニッポンはオーストラリアとの勝点差を3、縮めることができた。追う立場には変わりないが、チームの士気はずいぶん上がったことだろう。森保監督の解任論もいったんは収まるはず。この後、アウェイのベトナム戦、アウェイのオマーン戦と続く。一方、サウジアラビアは中国を3対2で破り、オマーンはベトナムに3対1で勝利。最終予選ではライバルたちが勝手に失速して救われるケースもよくあるが、そうそう都合よくは行かないようだ。追う展開が続く。

October 12, 2021

「ショパンゾンビ・コンテスタント」

●さて、現在ショパン・コンクールが開催中ということで連日ショパン漬けになっている方も多いのではないかと思うが、そこでふと思い出すのがあの小説だ。芥川賞作家の町屋良平著「ショパンゾンビ・コンテスタント」(新潮社)。以前、当欄にて「ゾンビとわたし その40」で取り上げたように、これは音大のピアノ科に入学した若者が大学を辞め、小説を書こうとするも煮え切らない日々を送るという青春小説だ。ショパンばかりを聴いていて気分転換をしたくなったという方にぴったり。登場人物がYouTubeで2015年のショパン・コンクールを眺めている場面が出てきて、ケイト・リュウとかエリック・ルーの名前も登場する。ひとつ大誤算だったのは、肝心のゾンビが出てこないということなのだがっ!
●てっきりワルシャワの聖十字架教会に眠るショパンの心臓から、ゾンビ化したショパンが甦って大暴れする話だと思ったのに……。ショパン本人がショパン・コンクールにエントリーしてどこまで進めるか、みたいな展開はない。

October 11, 2021

東京ヴェルディvsファジアーノ岡山 J2リーグ第33節 味の素スタジアム

●約一年ぶりに「味スタ」こと味の素スタジアムを訪れた。対戦カードは東京ヴェルディvsファジアーノ岡山。マリノス者であるワタシにとって、ヴェルディは複雑な思いを抱かせるチームで、かつては好敵手であり、太古のダービーマッチの相手とも言えたのだが、その後別の道を歩んだことで、今ではどちらかといえば心情的に親しみを感じるチームになっている。それに、もともとマリノスとヴェルディ間では選手の移籍も多い。ヴェルディから中澤佑二がやってきたとき、いったいだれが彼がチームの顔となることを予想できただろうか。現在のヴェルディにも佐藤優平、富澤清太郎、端戸仁、奈良輪雄太、杉本竜士といった元マリノスの選手がいる。
●で、J2の中位対決となったヴェルディvs岡山戦だが、観客は3204人。感染拡大防止策による上限5000人にも満たず、客席はガラガラ。約5万人収容なのだから10分の1未満の入場率。なにしろ両隣が空席であるだけではなく、前列すべて後列すべてが空席というディスタンスたっぷり配置なのだ。過半の人々がワクチン接種を終えた今、この販売方式はまもなく終わるものと信じる。
●ヴェルディはかつての名選手、永井秀樹監督がパワハラ騒動で先月辞任したばかり。そんな監督だったとは……。で、コーチ陣から堀孝史新監督が昇格して指揮を執っている。基本的なヴェルディ・スタイルはそう変わっていないようで、パスをつないで主導権を握ろうとする。4-3-3で布陣も攻撃的。が、前半からゲームを支配していたのは岡山。布陣は4-4-2。ヴェルディは中盤が佐藤優平、石浦大雅、梶川諒太の3枚で、ここの選手間の距離が開き、数的不利になりがち。一時期マリノスでポジションを得ていた佐藤優平だが、今はヴェルディの中心選手といってもいいようなベテランに。テクニシャンが大勢いそうなヴェルディでプレイスキックを任されているのも軽い驚き。ただ、この日は好調とはいいがたい出来。35分、岡山の先制点は石毛がボールをふわりと浮かせてディフェンスを交わして、ハーフボレーを叩き込むカッコよすぎるゴール。後半、ヴェルディは右サイドバックを下げてミッドフィルダーの森田晃樹を投入。ディフェンスを3枚にして、一列前で森田と佐藤優平で中盤を厚くして、ボールを持てるようになった。60分、中央突破からこぼれ球を戸島章が決めて同点ゴール。これで流れがよくなったと思ったが、64分、またしても岡山にスーパープレイ。パウリーニョの縦パスに抜け出た上門知樹が角度のないところからゴール天井に突き刺す強烈なシュートを決めてふたたびリード。ヴェルディのキーパーは大ベテラン、柴崎貴広。ここをぶち抜かれるのは悔しい。ヴェルディ若狭のディフェンスの淡白さが気になった場面だが、ここだけではなく全体にプレイ強度で岡山が上回っていた感は否めない。ヴェルディ1対2岡山。
●ヴェルディのセンターバックには水戸から移籍してきたンドカ・ボニフェイスがいた。「ン」から始まる名前のJリーガーとして、以前当欄で紹介したことがある。強靭なフィジカル。埼玉県出身。
味スタ
●味スタの場内売店って、ケンタッキーフライドチキンとかタコスとか全般に脂っこいものばかりのイメージなんだけど、巻き寿司とかおむすびとか欲しくないっすか。ワタシは欲しい。揚げ物と肉以外で食べやすいもの。

October 8, 2021

サウジアラビア対ニッポン@ワールドカップ2022カタール大会 アジア最終予選

サウジアラビア●久々に中東での完全アウェイとなったサウジアラビア対ニッポン戦。ワールドカップ最終予選という試合の重要性を考えてか、サウジアラビアはウイルス禍などもう過去の話といわんばかりにスタジアムに大観衆を入れ、大声のチャントと拡声器?を使ったような歌でニッポン代表を迎えた。気温は30℃。高温多湿で、前半の中頃からニッポンの選手たちが水を手にする姿が目に付いた。DAZNのみ配信、テレビ中継なし。
●さて、ここまでオマーンに敗れ、中国に勝って1勝1敗と苦戦気味のニッポン代表だったが、ここに来てアウェイのサウジアラビア戦というもっともタフな大一番に臨むことになってしまった。先に結果を言うと、ニッポンは0対1で敗れてしまったのである。前半からゲームを支配していたのはサウジアラビア。かつての堅守速攻のイメージはすっかりなくなり、モダンでハイレベルなチームになった。お互いに決定機はあったが、特にサウジアラビアのキーパーの好守もあって、前半はスコアレス。それは決して悪くなかったのだが、内容的にはボールロストの多さがかなり気になった。特に攻守の切り替えの場面、ニッポンがやっとボールを奪って攻め上がろうという場面で失ってしまう。これでは消耗するばかり。柴崎は最初に惜しいミドルシュートを放って期待を抱かせたが、その後、不用意なボールロストやパスミスが多く、なにか歯車がかみ合っていない様子。そして後半に決定的なミスが出てしまった。相手からプレッシャーを受けて、吉田に出した甘いバックパスを奪われて失点。直後に柴崎は交代させられたが、その後も吉田も平静を失ったのかミスが目立つ。ベテラン中心で組んだチームでベテランが崩れてしまうと、チームを立て直すのは難しい。結果的に柴崎が批判されるのはやむを得ないが、柴崎だけではなく、中盤から前線でボールを失う場面がやたらと多かった。
●ニッポンの選手のみ記しておこう。GK:権田-DF:酒井、吉田、冨安、長友(→中山雄太)-MF:遠藤、柴崎(→守田英正)-浅野(→古橋)、鎌田(→オナイウ)、南野(→原口)-FW:大迫。ケガと出場停止で中盤に久保、堂安、伊東の3枚を欠いたのは誤算だったが、そこの人選はあまり大きな問題ではない感じ。意外と南野をあっさり下げた印象。一方で大迫をオナイウと代えるのかと思ったが、最後まで使い続けた。これで3試合を終えて勝点3。サウジアラビアとオーストラリアはともに3連勝で勝点9。かなり引き離されてしまった。森保監督はここまでずっとギャンブルを避けて手堅く戦ってきた結果、新陳代謝が進まず、ベテランとともにチーム全体がゆっくりと力を落としてきたように見える。解任論が出てくると思うが、この段階での人選は難しいところ。

October 7, 2021

新国立劇場 ロッシーニ「チェネレントラ」新制作

●6日は新国立劇場でロッシーニの「チェネレントラ」新制作。新シーズン開幕を飾る華やかなプロダクション。歌手陣は脇園彩(アンジェリーナ)、ルネ・バルベラ(ドン・ラミーロ)、上江隼人(ダンディーニ)、アレッサンドロ・コルベッリ(ドン・マニフィコ)、ガブリエーレ・サゴーナ(アリドーロ)、高橋薫子(クロリンダ)、齊藤純子(ティーズベ)。城谷正博指揮東京フィル、粟國淳演出、美術・衣裳はアレッサンドロ・チャンマルーギ。
●「チェネレントラ」は傑出したアンジェリーナ役が前提のオペラだと実感する。他の歌手がどんなにそろっていても、アンジェリーナに魅力が乏しかったらまったく成立しない。その点で、脇園彩のアンジェリーナは理想の配役。空想的な役柄でしかないアンジェリーナに人間としてのリアリティを歌で吹き込める稀有な存在。女中にもシンデレラにもなれる。歌手陣は充実していて、随所に置かれた重唱も小気味よい。賛否あると思うけど、ドン・ラミーロのアリアにアンコールあり。
●で、演出。ワタシはよく理解できなかったのでまちがえているかもしれないが、舞台は古き良き時代の映画撮影所に置き換えられている。序曲の間に芝居があって、登場人物たちは映画人であると伝えられる。アンジェリーナは映画スター志望の女の子、アリドーロが映画監督、ドン・ラミーロはプロデューサーの息子、ということらしい。ワタシはここで「なるほど、現実の花嫁を募集するのではなく、シンデレラ役のオーディションをするという読み替えなのか!」と早合点してしまい、外側に映画を撮るという現実があり、内側にシンデレラの物語という劇中劇があるというメタフィクション的な仕掛けを期待した。ときどきカメラクルーが登場して撮影しているので、舞台上にカメラクルーがいるときは映画内の出来事、いないときは現実の出来事みたいな「文法」があるのではと思ったが、これは誤解だったみたい。字幕でも映画撮影だという前提で言葉が変更されているのだが、どう辻褄が合わされているのか見えないまま最後まで来てしまった。わかった人に教えてほしいんだけど、結局この演出ではアンジェリーナは結婚するの? それともただ結婚するシーンを撮影しただけなの? 衣装と舞台はゴージャス。アンジェリーナはまさにさなぎから蝶への変身ぶり。オーケストラは軽快というよりは、筆圧強めで重めのタッチ。
●で、この演出はうまく消化できなかったのになんだが、「チェネレントラ」という作品そのものが大胆な演出を必要としていることは共感できる。というのも台本が弱すぎるから。ロッシーニの音楽の才気が10だとすると、台本の力強さは1しかなくて、つりあっていない。だってこんなおかしな話があるだろうか。数ある「灰かぶり姫」のストーリーとしても毒が抜けて、女のび太の都合のよい白昼夢みたいな話になっている。単に血筋だけで富と権力を得た王子が、富に惑わされない心の清らかな女性を妻にするなどというファンタジーの卑屈さを受け入れるのは難しい。あーあ、領主をおちょくっていた「フィガロの結婚」の時代からどれだけ後退したことか。
●「チェネレントラ」の結末でイラッとするのはアンジェリーナの説教臭さだ。王子と結婚してもわたしはこれまでの家族に対して寛大ですと宣言する。でも本当の物語はその先にあると思う。人間はそんなものではない。実際に権力と富を手にしたとたん、アンジェリーナは豹変するにちがいない。恨みつらみがよみがえってきて、やっぱり継父や義姉たちは許せないとなる。王子もそう思う。だから3人まとめて打ち首にしてしまえ。そして継父と義姉の首がテヴェレ川の河原に晒される。これを見た民衆は怒り狂う。暴君を倒せ! 王子とアンジェリーナは焼き討ちに会い、王家は滅ぶ……という民主化ストーリーを想像したが、それはもはや「灰かぶり姫」でもなんでもない。

October 6, 2021

フォークナーの「納屋は燃える」

●少し前にフォークナーの「響きと怒り」、そして映画「バーニング 劇場版」とフォークナー「響きと怒り」について書いた。で、イ・チャンドン監督の映画「バーニング 劇場版」の原作は村上春樹の短篇「納屋を焼く」なんだけど、もうひとつの参照元かもしれないフォークナーの短編「納屋は燃える」も読んでみた(新潮文庫「フォークナー短篇集」所収)。
●こちらも他のフォークナー作品と同様にアメリカ南部が舞台で、放火癖のある暴力的な父親と、その息子の物語が描かれる。「響きと怒り」は立派な屋敷に住む白人とそこで仕える黒人たちの物語だったが、「納屋は燃える」の父親は白人労働者で、仕事を求めて家から家へと一家で渡り歩いている。住み込みで農作業を手伝うのだが、雇われ先でケチな嫌がらせみたいなことをした挙句、納屋に火をつけてはヨソの土地に去っていく。息子はそれをいけないことだと知っているのだが、子供には父親という絶対権力に背く術がない。ざっくり言えば、父親という圧政からの独立がテーマ。映画「バーニング 劇場版」と直接的な結びつきはないにせよ、暴力で裁判沙汰になっている主人公の父親像などは、このフォークナーの世界と通じる部分があるのかも。

October 5, 2021

コンクールの季節

●今年はコンクールの話題の多い年。現在、ショパン・コンクールが開催中。YouTubeのChopin Instituteチャンネルで、すべての演奏が動画配信されている。膨大な量の映像がアップロードされていて、審査員であれ取材者であれ、これをすべて聴くのは至難の業だと思った。ずっとショパン。聴覚にゲシュタルト崩壊はないのかと、ふと思う。
●一昨日には第19回東京国際音楽コンクール〈指揮〉の結果が発表され、第1位がジョゼ・ソアーレス (ブラジル)、第2位がサミー・ラシッド (フランス)、第3位がバーティー・ベイジェン(イギリス)と、コロナ禍にもかかわらず国際色豊かな顔ぶれに。前回の2018年が第1位に沖澤のどか、第2位に横山奏、第3位に熊倉優と日本人が独占したのとは対照的な結果になった。別に国籍はどこでもいいわけだが、パンデミック前が全員日本人で、パンデミック後が(入国制限にもかかわらず)全員外国人という、一見すると逆みたいな結果になっているのが興味深い。こちらも本選の模様がKIPzで動画配信されている
●あまりコンクール動画は見ないのだが、KIPzという知らないプラットフォームだったので、試しに課題曲のロッシーニ「どろぼうかささぎ」序曲だけ4人分、聴いてみた。普段だったら同じ曲をなんども聴こうとは決して思わないけど、指揮のコンクールってピアノのコンクール以上に謎めているので、つい(なにせ本人は音を出さないわけだし)。これだけ聴くと、バーティー・ベイジェントという人が仕掛け満載で断然おもしろい。しかし、これに順位をつけるのは大変なことだろうと察する。サッカーのように明快なゴールがあるわけではないのだから。それとも内部的にはあるのだろうか。今の効果的なアッチェレランドでゴール!……いや、副審のフラッグが上がってオフサイドでした、みたいななにかが?

October 4, 2021

松平敬バリトン・リサイタル~声×打楽器×エレクトロニクス

●1日は杉並公会堂小ホールで松平敬バリトン・リサイタル~声×打楽器×エレクトロニクス。プログラムは前半が山本和智「アンダンテ・オッセシーヴォ」(2020)初演、池田拓実「ボロウド・シーナリー」(2021)委嘱初演、ジョン・ケージ「龍安寺」(1983)、後半が松平頼暁「時の声」(2013)のバリトンとエレクトロニクスのための新版(2021)新版初演、ヤニス・クセナキス「カッサンドラ」(1987)。 共演は神田佳子(打楽器)、有馬純寿(エレクトロニクス)。
●会場に入ってみると開演前からスピーカーから電子音が流れている。配布プログラムを見て、これが松平敬「電脳詩篇」(2021 初演)と題されていることに気づく。一定のアルゴリズムで自動生成されているということだが、モールス信号風の電子音によるおしゃべりといった趣で、会場内でおしゃべりしている人間たちと同期しているような奇妙な錯覚をおぼえる。前半で印象的だったのは山本和智「アンダンテ・オッセシーヴォ」。題材となったのは「鉄筋コンクリート」という言葉の響き。この「テツ、キン、コン/クリート」という音声そのものの韻律に憑りつかれたのは萩原朔太郎だが、同じおもしろさを音響化したのがこの作品。いわばオブセッションの実体化みたいな感じなんだけれど、なんともいえないおかしみがある。
●後半、松平頼暁「時の声」はもともとソプラノとエレキギターのために書かれた作品を、バリトンとエレキギター・パートをエレクトロニクスで再解釈した新版。詩は松井茂「時の声」から。といってもこれがオノマトペの連続で、まったく意味は把握できない。なにかの擬音であったとしても、なんの擬音なのかもわからず、ただバリトンとエレキギターが互いを模倣するようなオノマトペの応酬をくりひろげる。そして、だんだん未知の非人間的な言語による対話としか思えなくなる。映画「未知の遭遇」を連想する(古い)。
●最後のクセナキス「カッサンドラ」は圧巻。悲劇の予言者カッサンドラを題材に、歌手がファルセットとバリトンを使い分けて、一人二役でカッサンドラとコロスの長を歌う。聴く前はファルセットによるカッサンドラに戯画的な要素があるのかなとなんとなく思っていたが、実演を目の前にするとそんな要素は一切なく、あるのは白熱するドラマだと気づく。迫真の歌唱、尋常ではないキレッキレのパーカッションに鳥肌。歌唱とパーカッションが相乗効果で作りあげる格調高い悲劇を堪能した充足感。

October 1, 2021

「翻訳教室」(柴田元幸著/朝日文庫)

●これは新刊ではなく、ずいぶん前に出た本なのだが、最近少しずつ「翻訳教室」(柴田元幸著)を読み進めている。中身は東大文学部での翻訳演習の講義をほとんどそのまま収めたもので、毎回、課題文が配布されて学生全員が訳文を提出し、だれか学生の訳文例をもとに、他の学生や教師が疑問や改善案をぶつけ合うスタイルの講義。学生側から意見が活発に出ていて、その内容もかなり高度だと感じる。そして、それに対する柴田氏の回答に目からウロコが落ちまくる。プロの翻訳ってこんなにも一語一語を疎かにしないんだ、ここまで原文を読み込みながら訳語を選んでいるのだと感動する。正確でありながら日本語として自然であるというのは大前提で、その一段上のレベルの話。
●で、とてもためになったことを3つほど書き留めておく。まず「英語の語順で訳すほうがいいという大原則」について。これはいろんな人が言っている翻訳の基本だとは思うのだが(もちろん例外もいくらでもある)、その実例を見ると、どうすればいいのか、なぜそうなのかが腑に落ちる。たとえばレイモンド・カーヴァーにある一文。

He was in the bedroom pushing clothes into a suitcase when she came to the door.

これに対する学生訳の例が、「彼女がドアの所までやってきたとき、彼は寝室で洋服をスーツケースに詰め込んでいるところだった」となっている。受験英語だったらみんなwhen~を先に出して「~したとき」で始めるので正解だと思うけど、これに対して別の学生から語順通りに訳すべきだと指摘が入る。で、柴田先生が同意して、こういう訳文に直す。「彼が寝室で洋服をスーツケースに詰め込んでいると、彼女がドアの所までやってきた」。なるほど、そうだよなあと思うじゃないっすか。こちらが自然だし、本質的に原文に忠実だと思える。詳しい解説は本書参照で。
●ふたつめは、And~ と But~。バリー・ユアグローの一文で、ここは前後の文脈がないとピンと来ない話だとは思うんだけど、Andを「しかし」と訳すといい場合がしばしばあるという話。原文はこう。

And the carp flit about, swishing their tails, blinking grimly at the scene.

学生訳は「しかし鯉はすいすいと泳ぎ回っている。尾鰭を軽く振り、人間の演ずる一幕をまばたきしながら冷ややかに眺めている」。前の文がないとどうしてこういう訳なのかわからないとは思うが、とにかくAndを「しかし」と訳している。これに対して柴田先生は素直に感心している。柴田訳は「そして」なんだけど、学生の「しかし」を讃えているのだ。別の場所で、Butを「そして」と訳したほうがうまくいくケースがあるという話も出てきて、これもよくわかる話だと思った。普通の日本語の文章であっても「そして」と「しかし」が置換可能な場面は意外とあると思う。
●三つめはシンプルに単語の意味なんだけど、hurt。これもレイモンド・カーヴァーに出てくる文で、赤ん坊を父親と母親でひっぱって奪い合う場面で、You're hurting the baby という一節が出てくる。これは優秀な学生たちでもほとんどがまちがえてしまった文で、「赤ん坊が怪我するわ」みたいに訳している。柴田先生によればそれは単純な誤訳のレベルで、ここでのhurtは「痛い」「痛くさせる」の意。だから「赤ん坊が痛がってるでしょう」というのが正解。よく考えてみれば父親と母親で赤ん坊を引っ張り合っている場面で「怪我する」なんて日本語表現は出てこないので、なにかおかしいと感じるべきなんだろうけど、なかなか「痛がってるでしょう」は出てこない。ちなみに、注射をするときに「痛い?」と聞くときは Does it hurt? と言うんだとか。
●まだ冒頭の4分の1くらいしか読んでいないけどこの調子。自分の語学力の低さゆえでもあるのだが、かなり歯ごたえがあり、平伏しながら読んでいる。

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