News: 2009年2月アーカイブ

February 26, 2009

クラシックのネットラジオ

古ラジオ●クラシックのネットラジオが楽しすぎる。当サイトのリンク集のネットラジオや音楽配信関係の項目を一念発起してアップデイトしたのだが、あちこちの局を訪ねていると、ついつい時が経つのを忘れて聴きふけってしまう。
●欧州、米国の放送局を中心に「これはいいな」と思えるところをピックアップし、さらに番組表サイトや、その他のクラシック音楽配信サイトも含めて、以下のページの中ほどに整理した。このブログの右下のほうにも、いくつかの局とともにリンクを張っておいたので、気が向いたときに使っていただけると吉。

クラシックのネットラジオと音楽配信リンク

●自分の気に入った局を選んだわけだが、基本的な条件としては「音質がそこそこ以上良い」「少なくともWindows Media PlayerとRealAudioのどちらかで聴ける」「音楽以外の番組がほとんどない」「選曲や番組構成がよい」といったところ。BBCやORFといったメジャーで一般的な公共放送もあれば、アメリカによくあるカレッジ・ラジオステーションみたいなところもある。逆にメジャーな局でも、ネットには低品質の音声しか置いてくれないところは割愛。
●ネットラジオの使い方は二つあると思う。「あらかじめ番組表を見て、海外ライブの聴きたい公演を聴く」というのが一つ。これは最強。ただし時差の関係もあってそれなりにいろんな面で労力が必要。もう一つは「ふと思い立ったときに聴く、できれば浴びるように聴く」。音源がライブだろうがCDだろうがかまわない(というか日本から普通の時間帯に聞けるのは大半はCDだ)。局はたくさんあるわけだから、自分の聴きたいものが出てくるまでどんどんザッピング(って言うのか?)しちゃうし、気分を変えたくなったらさっさと別の局に飛んじゃう。まあこれはクラシック音楽の聴き方としては外道なんだけど、ラジオとの付き合い方としては正道のはず。「ありきたりの名曲」ばかりかけてるような退屈な局はほとんどなくて、どこも鮮度の高い選曲をしてくれるから、いつまででも楽しめるし、微妙に中毒性がある。
●ADSL以上のネット環境さえあればどこに住んでようがこれだけ聴ける。これで何かが変わらなかったらウソだと思う。

February 23, 2009

ブリュッヘン式「軍隊」ガチョーン

●普通のクラシックのコンサートで、しかも交響曲の演奏中に声を上げて大笑いしてしまおうとは、ワタシ、いやみなさんも>ブリュッヘン指揮新日本フィル。「ハイドン・プロジェクト」の2月20日、交響曲第99番、第100番「軍隊」、第101番「時計」。オラトリオやオペラだって悪くはないけど、やっぱりハイドンは交響曲最強、そうシミジミと感じつつ、枯葉が舞っているのを眺めるように透き通ったハイドンを味わっていたのだ、が。
クレセント●「軍隊」交響曲すなわちトルコ趣味であり、軍楽隊の打楽器群が登場する、トライアングル、シンバル、バスドラム。第2楽章アレグレットで彼らが活躍し、第3楽章に入る。するとなぜか軍楽隊のメンバーがそうっと袖に引っ込むではないか。へー、曲の途中に退場しちゃうんだ……あれ? まだ出番なかったっけ?
●すると第4楽章終盤の出番に彼らは再登場し、なんと袖から袖へと行進するんである、軍隊式っぽく軽いフリも入れつつ、微妙に衣装も着けて。高いシャコー帽みたいなのをかぶった先頭の男性が、クレッセント(音が出る長い棒)を振っているという、わけのわからない光景が眼前に広がる。演奏しながら行進して、休符の間は横を向いて客席を凝視。お、可笑しすぎる。ちょうど曲が終わるタイミングで見事に袖へ消えた。ありえない。腹痛え。この演出、おもしろすぎるって!
●えっ、ぜんぜんおもしろそうじゃないって? ああ、これはっすね、「爺ギャグの法則」発動なんすよ。一般にオヤジギャグって悲惨じゃないですか。場が白けて、もういかなる気遣いでも救われなくなる。でも同じギャグを爺が使うと死にそうに笑える法則。しかも、もう神様か仙人かっていうくらいに尊敬を集める爺が使うと最終兵器になる。「おお、これこそ今のブリュッヘンにしかできないハイドンだ」とクラヲタ度全開で聴いている聴き手に向かって、たとえるならブリュッヘンが唐突に「ガチョーン」とやってみせるくらいの破壊力。もうワタシは以後「軍隊」を笑いなしに聴くことはできない。そうだ、ハイドンのユーモアってこれだったんだ!(えっ?)
●「時計」も第2楽章でヴィオラが聴きなれないアルペジオのピツィカートをやったりとか、むしろ今日の曲こそ「びっくりシンフォニー」な一夜。オーセンティシティの追究の果てにある、驚愕と哄笑。
●いや、演出はこんなだけど、演奏はきわめて真摯。念為。

February 19, 2009

ウィーン・フィル2009来日公演

●まだチケット発売もかなり先なので気の早い話であるが、ぴあによるとウィーン・フィルの2009年来日公演は、9月15日(火)から25日(金)までサントリーホールにて。指揮はズービン・メータ、ソリストは(やっぱり)ラン・ラン。で、演目は、以前フォルカーさんが推理されていたのがほぼ的中していて、こんな感じ。

ブラームス:交響曲第4番ホ短調
バルトーク:管弦楽のための協奏曲
ベートーヴェン:交響曲第7番イ長調
R・シュトラウス:交響詩「英雄の生涯」
R・シュトラウス:交響詩「ドン・キホーテ」

●これだけ見ると「ラン・ランの出番はどこなんだ」って話だが、おそらくCDにもなっているのでショパンの協奏曲どちらかを弾くんではないかと。ううむ。
●しかしベト7はアーノンクールのときに演奏したばかりではないか。曲の組み合わせがどうなるにせよ、昨年のムーティのニーノ・ロータやらブル2に比べるとずいぶん真っ当なのが、人によっては吉でもあり凶でもあり。でもまあフツーは吉か。ビバ、シュトラウス。発売は5月。
●ついでに復習、ラン・ランのadidas。ていうか、ラン・ランはadidas履いて弾くの?

February 18, 2009

YouTubeシンフォニーオーケストラ投票受付中

●以前こちらでもご紹介した、YouTubeで演奏動画を募集してオーディションでオーケストラを編成する「YouTubeシンフォニーオーケストラ」の最終選考が始まっている。オーディション合格者はニューヨークまで渡航費滞在費をGoogle社持ちで招待してもらえて、カーネギーホールでティルソン・トーマス指揮のもと、タン・ドゥンの新作(笑)インターネット交響曲第1番「エロイカ」を演奏できるという、ありえない超ゴージャス企画。
●で、現在、最終選考の一般投票受付中。サイト上に集まった候補者の演奏を視聴して投票すればOK。ちらっと見た感じではみんなマジメに上手い。なにか奇を衒ったことをして事前選考を生き残ったようなチャレンジャーはいないっぽい。最終的な編成を見越した人数を残してあって、ぱっと見はどうしてもヴァイオリニストだらけになるけど、パートごとに見ていくと基本的に倍率1~2倍前後に収めてるみたい。
●意外と日本人のエントリーが少なかったかも?

February 13, 2009

「ラ・フォル・ジュルネ2009」概要発表される

ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2009●東京国際フォーラムで「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン」2009記者発表。ようやく公に演目&出演者が発表された。これ書いてる現時点ではまだ載ってないけど、すぐに公式サイトでも発表されるはず。
●今年のテーマは「バッハとヨーロッパ」。で、改めてスケジュール表を見ると、出演者がとても豪華で、密度が濃い。特に古楽系のアーティスト。ビオンディとエウロパ・ガランテ、ピエール・アンタイとル・コンセール・フランセ、ヒューゴ・レーヌとマレ・サンフォニー、ベルリン古楽アカデミー、フィリップ・ピエルロとリチェルカール・コンソート、鈴木雅明指揮バッハ・コレギウム・ジャパン、スキップ・センペ、寺神戸亮(スパッラも弾きます)等々、これだけでもう立派なバロックの音楽祭ができるじゃないかっていう陣容。
●でももちろんモダン楽器系のアーティストもたくさんいて、たとえば「ピアノで弾くバッハ」という視点で見てもかなり魅力的な人がそろってる。France Musiqueのネットラジオ中継でも配信されたシャオ・メイ・シュとかコロベイニコフとか。あるいはEMIから「ゴルトベルク」をリリースしているイム・ドンヒョク。
●しかし今回は本公演が3日間なんすよ。チェンバロの公演のために新たな会場を増やしたりしてるけど、それも100席とか正しく小さいわけで、公演によってはチケットの人気が相当高まるかもしれない。
●今までと変わったこと。5000人のホールAに会場内スクリーンが設けられて、演奏者のアップ映像が見れたりする。それからホールAの一部の公演に中高生券500円という設定ができる。「マタイ受難曲」「ヨハネ受難曲」「ロ短調ミサ」はちゃんと全曲やるので(あとヘンデルの「メサイア」も)、これらの大曲に関しては「ラ・フォル・ジュルネ」のフォーマットを超えた長さの公演になるし、価格も長さ相応のものになる。あと、フレンズ先行予約のみウェブ上での公演チケットのまとめ買いができるようになる。
●欧文キャッチは Bach is Back! 「バック・イズ・バック!」と読もう。

logo:© TOKYO INTERNATIONAL FORUM CO., LTD.
February 10, 2009

ふたたびベルリン・フィルのDigital Concert Hall

ベルリンのフィルハーモニー先日、記念すべき第一回生中継の模様をお伝えしたベルリン・フィルのDigital Concert Hall、再度アクセスしてみたんである、日曜日の夜遅くに。というのも、ベルリン・フィル定期演奏会の開演時間はおおむね20:00、すなわち日本時間午前4時という、猛烈にアクセス困難な時間帯、だが2月8日の公演は16:00開演であり、つまり日本の日曜深夜0時からスタート。これはチャンスではないか。指揮はサイモン・ラトル。演目はなんとシューマンの「楽園とペリ」だ。よし、久々に生中継体験するぞっ!
●が、一つ誤算あり。このDigital Concert Hall、映像のクォリティを三段階で提供してくれている。事前にサンプルを視聴した限りでは、わが家のADSL回線でも問題なくHighの設定で再生できた。ところが前回の生中継ではHighでは再生が追いつかず、Middleでガマンした(それでもウチの年代物アナログテレビよりはずっとシャープで美しい映像だ)。で、今回。なぜかMiddleでもうまくいかず、Lowまで落としてやっと再生できた。どうやら生中継だと録画よりもずっと回線事情が厳しくなるようだ。映像がLowでも音声のクォリティは落ちないのは救い。でもさすがにLowだと画面が寂しいんだな。などとゴタゴタしていたら、とても「楽園とペリ」を落ち着いて味わうことはできない。せっかくの生中継だったのに……。
●じゃあ、ガッカリしたか? いや、ぜんぜん! それどころかワタシは興奮を抑えきれずに、シーズンチケットを申し込んでしまった! 89ユーロ払ったから、もう最強。全部見れる(ら抜き)。えっ、今シーズンは8月までしかないのに今さら申し込むのかって? いや、もう生中継はあきらめた、午前4時なんてムリだから。全部アーカイヴでいい。アーカイヴなら高画質高音質。シーズンチケットがあれば、去年の8月からの全配信をいつでも好きなときに視聴できる。
●ラインナップを眺めればわかるように、これはスゴいことっすよ。だって89ユーロでベルリン・フィルの定期ワンシーズンを見れるんだから。今まではベルリン在住でもない限り、いくら来日公演行こうが旅行しようがCD買おうがFM聴こうが、シーズン通してベルリン・フィルを聴けた人はいなかった。それが家庭のPCで毎月3、4プログラムを見れちゃうわけだ。地元のオケにだって、そこまでは通わないし通えない。生だろうが録音だろうが録画だろうが、これだけ同じオケの公演を継続的集中的に聴くなんてことはなかった。
●しかもこの映像がよくできてる。ある意味、本物以上に本物っぽいというか、ちゃんとヘッドフォンで聴くと、来日公演で生を聴くより、もっと生々しい。って言ったらそれはさすがにウソか、でも半分本気。まあ、その辺は無料サンプルをご覧になるのがいちばん。ラトルがブラームスの2番の終楽章を振ってて、これがまたいいところを選んだなっていう感じがするんだけど、これ見ちゃうともう止められない。逆にこの動画がうまく再生できないようだと、PC環境的にどこかにムリがある。
●とりあえずアーカイブから2公演ほど見たけど、いやー、すばらしい。ラトルのブラームス3番&ショスタコ10番、メータのエリオット・カーターとベートーヴェン協奏曲4番(ペライア)、シュトラウス「家庭交響曲」。こんなふうに、ありえないほど美しい音を出すオケが近所にあったらな。お腹いっぱい。でもこれ8月までに全部見れるんだろか(笑)。

Berliner Philharmoniker / Digital Concert Hall
http://dch.berliner-philharmoniker.de/

February 8, 2009

「天地創造」

●金曜夜はブリュッヘン指揮新日本フィルでハイドン「天地創造」(すみだトリフォニーホール)。マリン・ハルテリウス(S)、ジョン・マーク・エインズリー(T)、デイヴィッド・ウィルソン=ジョンソン(Bs)、栗友会合唱団。合唱だけで100人以上いたんじゃないだろか、「ブリュッヘンのハイドン」だと思ってるからなんだけど、スゴい大曲だと感じる。神様が天地を創造しようっていうんだから、これくらいのパワーは必要なのか。弦14-14-10-8-6。ステージが超満員状態になっていたのにはもう一つ理由があって、なんと指揮者正面にチェンバロとフォルテピアノが両方入っていた。90度ずれた位置に配して、一人の奏者(渡邊順生氏)で両方弾けるようになってる。横を向いてチェンバロを弾いていたなと思ったら、レチタティーヴォになるとささっと正面を向いてフォルテピアノでチェロと一緒に伴奏する。なんだか舞台中央の鍵盤楽器面積率が異様に高い状態になっていた。これはブリュッヘンの希望でそうなったという話。
●ブリュッヘンはさらに老いていた、たぶん前回前々回の来日にも感じたように。座って指揮するんだけど、指揮台に上るのも大変そうでハラハラする。でも、1934年生まれってことは74歳か。ブリュッヘンと18世紀オーケストラが最初に来日したのは1988年くらいだっけ? その時点でもう白髪の老人だと思っていたんだけど、それって錯覚なのかなあ。20年近く経ってるのに、ブリュッヘンは時の流れを超越しているみたいに見える。ハイドンもそんな感じだったのかもしれん。ずっと年下にモーツァルトという天才が出現して、世を席巻するんだけど30代で早世して、結果的にハイドンのほうが未来を生きちゃう。晩年に時の流れを超越して、世界の創造を描く。
●以前のブリュッヘンは猫背の後姿から暗褐色の内向きの情念みたいなのが沸々と湧き上がってきてたのに、今はもう魂だけで音楽作れます、光あれ、みたいな感じに神様化していた。昔はフォースの暗黒面入ってたのに、すっかりジェダイ。
●で、翌日、土曜日。NHKホールでラドミル・エリシュカ指揮N響を聴きに行ったんだけど、1931年生まれの老匠なのに猛烈に元気、音楽が。生命力にあふれたスメタナ「わが祖国」全曲で、ある程度以上になると年齢の数字なんて本当に意味レスと痛感。
天地創造●「この世」を描写した名曲の中で、もっとも歴史的に古い場面を描いた音楽はどれなんだろう、という問いに対して、ハイドン「天地創造」っていうのは正答だろう。神様が天と地を創る前の混沌の描写まで入っているんだから。ミヨーの「世界の創造」という選択肢もあるが、世界が生まれる前までは含まれてないだろうし。でも、神様が世界を創ったとするなら「天地創造」最強だけど、人間が神様を作ったという立場で見ると神様以前さらに人間以前にも世界はあったわけだから、ヨーゼフ・シュトラウスの「天体の音楽」のほうが古い。惑星が回転しながら固有の音を発して、太陽系全体がハーモニーを奏でる。宇宙には天体の音楽が鳴り響いてるんだけど、ワタシらは生まれた瞬間からそれを聴いているから、これを知覚できない(笑)。ってピュタゴラスだっけ。これは恒星と惑星が誕生した瞬間から存在するわけだ。でもまあ、もし誰かが交響曲「ビッグバン」とか書いてたら、現代宇宙論的にはそれが「天地創造」の瞬間だ。ていうか、レイフ・セーゲルスタムあたりが書いててもおかしくなさそう気もする>「ビッグバン」交響曲。

February 4, 2009

プッチーニ「つばめ」@METライブビューイング

●新宿ピカデリーでMETライブビューイングのプッチーニ「つばめ」。午前10時からの上映だったんだけど、にぎわってた。新宿ピカデリーそのものが「えっ」と思うほどたくさんお客さんが入っていたし、「つばめ」も予想外に盛況。あまり上演されないオペラなのに。いや、あまり上演されないオペラだから入るのか。わからん。しかし平日午前10時のお客さんって、どういう方々なんだろう。一人一人尋ねてみたい。
プッチーニ●で、プッチーニ「つばめ」。ワタシは初めて観たんだけど、このオペラは傑作!ワタシの知るどのプッチーニ作品よりも脚本が優れている。舞台はパリで主人公マグダ(ゲオルギュー)は金持ちに囲われている愛人。そこに田舎から初心で純朴な若者ルッジェーロ(アラーニャ)があらわれる。マグダとルッジェーロは恋に落ちる。マグダは本物の恋と人生を取り戻したくなり、金持ちのもとを去る。マグダとルッジェーロは愛に生きようとするが、しかしルッジェーロには財力がなく、マグダには愛妾として生きた過去がある……。あれれっ!? この話、どこかで聞いたことないかあ? という「椿姫」と「マノン・レスコー」と「ボエーム」がごっちゃになったような新味のなさが、上演機会の少ない理由のひとつかもしれん、が。
●オペラって大体は物語的に食い足りないじゃないっすか。主役は音楽だから。だいたい善人はいつも善人だし、正義は正義で、悪は悪、かわいそうな人はかわいそうな人で、きれいな人はきれいな人。でも善が善ゆえに悪だったり、きれいな人が醜かったり、逆説に満ちているのがリアル人生。「つばめ」はそういう点で人物描写が鋭い。
●主人公マグダとルッジェーロの二人をヒロインとヒーローとして描きながらも、一方で二人とも身勝手で周りの見えない人物でもあるってところがいい。マグダが他のオペラ愛人たちと違うのは「愛を求めた弱い女」じゃなくて、この人、すごく電波入ってるっていうか、とことんヤな女なんすよ、ヒロインなのに。愛人になる前に、お針子をやってて(やれやれ、こいつもお針子か!)、そのときの美しい恋の思い出をなぞろうとして、「お店のテーブルにお互いに名前を書きあう」とか「ウェイターに気前のよいチップを渡す」といった、過去の自分ベストシーンをルッジェーロ相手に再現させちゃう。失礼千万。「真実の愛を」とか本気で言っているのが、自己愛の強さと表裏一体になっていて、こういうのって真実を突いている。
●で、これにまんまと付き合っちゃうルッジェーロのナイーブさ(バカさ)かげんがまたよく描けている。アラーニャは、もう顔も体型も丸々としていてヒーローにはキツいと思ってたけど、こういうナイーブな男の役は完璧で、終幕で嬉々としてマグダに「母親から手紙で結婚の許しを得た」と歌うあたりの抜け作ぶりが見事。ああ、プッチーニって、意地悪。いや、脚本はプッチーニじゃないか。
●で、このオペラには主人公であるマグダとルッジェーロのほかに、もう一組、プルニエとリゼットというカップルがいる。こちらはコミカルな役柄なんだけど、気の利いた設定になっている。プルニエのほうは金持ちのサロンの常連になるような成功した詩人で、言うこともそれらしく気取っている。愛の詩をうたってみせて、でも自分自身の恋人には僕にふさわしい女性が必要なんだなー、ベアトリーチェとかサロメとか……、でもそんな女性は見つからないよ!とか戯言を言う。でも実はプルニエはマグダの小間使いリゼットとこっそり付き合ってる。爆笑。鋭すぎる。偉そうなことを言ってる有名詩人が小間使いを恋人にしているなんて他人には言えない、そのくせ夜の街に繰り出すときにはリゼットにマグダの衣装を拝借させて出かけちゃう。すごく世間体を気にしているわけで、フツー、こんな二人はろくなことにならんだろうと思うわけだ。実際、プルニエはリゼットをオペラ歌手としてデビューさせてやるんだけどこれが大失敗、リゼットは身の程を知る。でも、プルニエはリゼットのことを本当は好きで好きでしょうがなくて、二人はケンカをしても別れそうにない。「愛に生きる!」とか言ってるマグダとルッジェーロはあっけなく破綻する一方で、コミカルなプルニエとリゼットのほうにこそもしかすると本物の愛があるというのが味わい深い。
●↑上のプルニエが「サロメとか」って台詞で口にしたときに、オーケストラがR・シュトラウスの「サロメ」の動機を一瞬鳴らすんすよ(笑)。おもしろい。時代関係はどうなってるんだっけ。今調べたら「サロメ」は1905年、「つばめ」は1917年初演か。これって初演時にはどれくらいのお客さんに伝わるような仕掛けだったのかなあ。
●イタリア・オペラでは、死屍累々ってくらい大勢の登場人物が死ぬけど、この「つばめ」では悲劇的結末にもかかわらず誰も死なない。そこも不人気の原因なのか。でも平和上等。まあ終幕は少し筋が弱いかもしれない。誰もが口ずさみたくなるようなアリアもないだろう。でも音楽的にはとても聴きごたえがあって、スコアは充実している。音楽だけでも楽しめる。
●METライブビューイング、東京だと東劇、新宿ピカデリーで上映中、ほかにも各地で上映してるみたい。公式サイトにキャストもあらすじも上映日も載っていないのが謎だけど、劇場一覧があるのでそこからリンクをたどって各劇場のスケジュールを調べるといいかも。あ、ゲオルギューは風邪ひいてます。指揮はマルコ・アルミリアート。舞台裏レポーターはルネ・フレミング。あとリゼット役の歌手の名前がリゼット・オロペーサという人で、役名と本名が同じなのがスゴいと思った。別にスゴかないか。

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