News: 2011年6月アーカイブ

June 29, 2011

N響 Music Tomorrow 2011

N響 Music Tomorrow 2011へ(オペラシティ)。今年の尾高賞受賞作、西村朗作曲オーケストラのための「蘇莫者」(2009)をメインに、尾高尚忠のフルート小協奏曲(神田寛明独奏)、デュティユーのコレスポンダンス(日本初演、バーバラ・ハンニガン独唱)という演目。昨年は該当作がなかったが、今回は西村朗氏が受賞。前に記者会見の様子を伝えたときも書いたけど、なんと、5回目の受賞っすよ! もう永世尾高賞とか名乗れそうな勢い。しかしせっかく賞があるのに、若手ではなく、すでに実績十分の大家のところに行ってしまうのはどうなんすかねーと思っていたが、この日の演奏会に足を運んでその思いを撤回。「蘇莫者」(そまくしゃって読みます)、圧倒的にすばらしい。初演時より弦楽器の厚みを増したということも加わってか、オーケストラから豊麗な響きが紡ぎ出され、1時間級の大作でありながら変化に富んだ響きのおもしろさは尽きることなく、幽玄で幻想的、溶々たる音の流れが創出されていた。舞楽の舞を必要とするという再演の難しさを勘案したとしても、これが受賞しなくてどうする、と実感。オーケストラ作品のための賞であることを考えても、管弦楽の扱いに熟達した作品が受賞することになるはずで、思うがままの響きを引き出せる人となると受賞者は重なるものなのかもしれない。ステージ中央には正方形の舞台が用意され、そこで天王寺楽所雅亮会による舞楽の舞が踊られる(なのでオーケストラの配置は変則的)。この舞が有する物語性をワタシはまったくわからないままに楽しんだ。予備知識なしでも全6楽章からなんらかの起承転結を受け取れるほどにはフレンドリーなので。
●指揮はパブロ・ヘラス=カサド。1977年スペイン生まれ。10月にはベルリン・フィル定期に立つという俊英。N響の演奏もすばらしかった。「蘇莫者」で冴えたフルートを吹いていた女性はどなたなんでしょか。
蘇莫者「蘇莫者」CDはカメラータトウキョウからリリース済み。ジャケがカッコいい。こちらは初演時のコンビ、沼尻竜典指揮大阪センチュリー交響楽団による演奏。同楽団の委嘱作品。

June 27, 2011

ベルリン・フィル八重奏団&仲道郁代

●渋谷区のさくらホール(文化総合センター大和田)でベルリン・フィル八重奏団&仲道郁代。今回ベルリン・フィル八重奏団は3名が来日をキャンセルし、メンバーが変更されている。ラデク・バボラークが来なかったのは残念だが、代わりにベルリン・フィルのシュテファン・イェジェルスキが来てくれた。ファゴットはベンツェ・ボガーニからヤッコ・ルオーマに。第1ヴァイオリンがローレンツ・ナストゥリカ=ヘルショコヴィチからラティツァ・ホンダ=ローゼンベルクに。柱となるクラリネットのヴェンツェル・フックスは無事来日。彼が来なかったらさすがに困ったことになったと思うが、結果的には非常にハイクォリティのアンサンブルを聴くことができた。さくらホールの演目だと、仲道郁代とのシューベルト「鱒」も聴けるプチ音楽祭みたいな贅沢仕様。
●メインはこの団体の結成由来(1928年だって)ともなったシューベルトの八重奏曲。約一時間、全6楽章からなる長大な曲だ。シューベルトならではの「天国的な長さ」が、本当に天国のように至福に感じられるのは、演奏のすばらしさあってこそ。さくらホール(約700席)はこのアンサンブルに適したサイズで、空間に充満する自然な響きと、目の前でヴェンツェル・フックスが吹いているという臨場感を味わえる。全席完売の盛況。
●シューベルトの八重奏曲って、あと一歩で交響曲なのに感、大。もともと「ベートーヴェンの七重奏曲みたいな曲」という注文があって、クラリネット、ファゴット、ホルン、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスという七重奏編成にさらにヴァイオリン1を足しての八重奏曲。これなら弦楽五部がそろうわけだ。フルートとオーボエがいないが、その分、第一ヴァイオリンとクラリネットにがんばってもらえばOK。第一楽章冒頭から立派な序奏が付いていて、今にも交響曲になろうとしているかのよう。ホルンの役割もオケっぽいし。
●ただ、楽章が6つもあって、交響曲にするには多すぎる。序奏つきの第1楽章があって、続く第2楽章はアダージョの緩徐楽章、第3楽章はスケルツォというところまではいいが、第4楽章は変奏曲、第5楽章はメヌエットがあって、第6楽章に堂々たるフィナーレと来る。見ようによっては第4楽章変奏曲が第2楽章のプランB、第5楽章メヌエットが第3楽章のプランB(ハイドン時代の交響曲のように)とも思えなくもない。交響曲の楽章と考えると1-2-3-2'-3'-4。とはいえ変奏曲とメヌエットは他の楽章に比べて柄が小さいというか、室内楽っぽすぎる(第5楽章から第6楽章へと進むときに音楽の柄にギャップを感じる)。その意味では変奏曲とメヌエットは室内楽用に割り切って作った楽章と考えて、これをすっ飛ばして1-2-5-6楽章の4楽章構成交響曲という完成図を夢想してみても楽しいかも。

June 23, 2011

「ラヴェル その素顔と音楽論」(マニュエル・ロザンタール著/マルセル・マルナ編)

ラヴェル その素顔と音楽論●もう品切になっている古い本だが、必要があって手に取った、「ラヴェル その素顔と音楽論」(マニュエル・ロザンタール著/マルセル・マルナ編/春秋社)。これは実に良く書けている。音楽家の評伝を魅力あるものにするのは真正さではなく文才であると常々感じているんだけど、その点でこれは秀逸。ロザンタールの著書ということになるが、たぶん彼に取材してマルセル・マルナという評論家が執筆をしている。その手腕が鮮やか。ロザンタールからおもしろい話を次々と引き出す。
●ラヴェルはベートーヴェンでもバッハでもなく、モーツァルトを愛した。これはわかる。それに加えてウェーバーとシューマンを尊敬していた。さらにショパンの「舟歌」をあらゆる音楽でもっともすばらしい作品の一つだと考えていたという。ロザンタールの見立てでは、ラヴェルは自分に恵まれなかった才能をこれらの作曲家に見出していたのだと。つまり、「メロディを作る才能」を。うーん、おもしろい。
●ラヴェルの弟子、友人として超近距離で見てきた著者ならではの話がいくつもある。特に同時代の作曲家たちへの評価。シェーンベルク、ストラヴィンスキー、R・シュトラウス……。シュトラウスのことは全面的に評価していたわけではないようだが、ピアノの譜面台のうえに、いつも交響詩「ドン・ファン」の楽譜を置いていたという。マーラー、シベリウスについては沈黙を守ったというのも興味深い。
●ラヴェルがリムスキー=コルサコフの管弦楽法について知悉していたというのは意外でもなんでもないが、難儀していた「ダフニスとクロエ」のフィナーレについて、どうやって作曲しているのかと問われ、こう答えた。「簡単だ。リムスキー=コルサコフの『シェエラザード』をピアノの譜面台に置いて、それをコピーしてるんだ」。笑。
●あと、エネスコの音楽的才能のすさまじさ。ラヴェルはエネスコのことを友人として敬愛していた。で、ロザンタールはエネスコを「当時、最高のピアニストのひとりだった」って称えるんすよ。エネスコはストラヴィンスキー「春の祭典」のゲネプロに立ち会った後、ラヴェルの家に立ち寄って、そこで初めて聴いてきたばかりの「いけにえの踊り」を記憶で弾いてみせたという。エネスコは最高のピアニストであり、オルガンもチェロも達者で、指揮者としての才能もあって、作曲家としても名を残し、それでいて伝説のヴァイオリニストでもあったわけだ。

June 21, 2011

ダニエル・ハーディング指揮新日本フィル、定期演奏会&チャリティコンサートUST生中継

●ダニエル・ハーディングは私たちにとって特別な指揮者になってしまった。新日本フィル Music Partner of NJP就任披露演奏会が3月11日に設定されていたという巡りあわせ。あの日、予定されていたマーラーの交響曲第5番は会場にたどり着くことが出来たきわめて少数の聴衆を前に演奏されたという。翌日以降の演奏会は中止され(しばらくの間、東京から演奏会が消えた)、ハーディングは4日後に帰国した。で、今月。いまだに来日をキャンセルするアーティストもいる中で、ハーディングは予定通り来日し、しかも定期演奏会に加えてマーラーの交響曲第5番のチャリティ・コンサートおよび特別演奏会を開いてくれた。すでに一足先にマーラー・チェンバー・オーケストラの指揮者として来日しているので、一ヶ月くらい滞在することになると思う。インタビューでは「ガーディアン紙の編集長を通じて、この分野で最も信頼する科学者から話を聞くことができました。にわか放射線スペシャリストがあふれかえる今の世界の中で信頼に足るソースを得て判断することが大切だ」と語っている。そういえばメトロポリタン・オペラはコロンビア大学メディカル・センターの放射線医療の専門家を招いて、来日メンバーの不安を払拭したと語っていたっけ。
●で、ハーディング/新日フィルの演奏会、ワタシは先週末にブルックナーの交響曲第8番を聴いた(すみだトリフォニーホール)。マーラーの5番に比べると、これは「らしくない」組み合わせ。しかし最初にハーディングが登場した瞬間からもう客席はわきあがる歓迎と尊敬の気持ちを抑えきれないという雰囲気で、すばらしいコンサートになった。重厚というよりは清新かつ端整なブルックナーで、もしかすると受け入れがたいと感じる人もいるかと思ったんだけど、終演後も大いに盛り上がっていた(最後、曲が終わった瞬間にピタッと客席に静寂の瞬間が訪れた。静かに終わるわけじゃないのに)。
●で、昨日のマーラーの5番はUSTREAMで生中継された。こちらは1200人程度が視聴していただろうか。平日夜のこの時間帯であることを考えると盛況だったのでは。USTなので参考程度にと思いながら聴いていたが、思わず引き込まれてしまう名演奏。鮮烈で濃厚、細部までアイディア豊か。いや、ブルックナーも悪くなかったけど、やっぱりハーディングはマーラーが似合う。オケも本当に立派で、世界中の人に聴いてほしいと思ったくらい。客席の反応もブルックナーの日をはるかに超えて、一般参賀もあり、センセーショナルな成功だった。しかも終演してすぐに、ハーディングは募金箱を持ってホール出口のそばに立った(そんな場面まで中継された)。切れ目なく募金が続く。311以来、すべての面で「男前」なんだな、ハーディングは。
●で、思い出すんだけど、3月10日にハーディングのMusic Partner of NJP就任記者発表会が行なわれたんですよね。ここでも記事にした。発表会に先立ってマーラーの5番はリハーサルが公開されたので、ワタシはすごくそれを楽しんで聴いた、翌日なにが起きるかも知らずに。で、その様子をワタシは3月11日のお昼ごろにここに上げたわけだ。その数時間後に大地震が起きて、ブログの更新どころではなくなり、3日間ほどずっと自分で撮ったハーディングの写真がこのページの一番上に上げっぱなしになった。だからハーディングのマーラー5番というと、あのときの果てしもなく暗い気分、一晩中緊急地震速報が鳴り続けて一睡もできなかった夜のこと、これから自分たちの生活や仕事はどうなるのか、果たして普通の日常が戻ってくるのか、食べ物や水は滞りなくお店に並んでくれるのか、社会秩序は維持されるのかと、ありとあらゆる不安に苛まれた頃の気分をまざまざと思い出す。そんなこともあって、どうしてもマーラー5番の日は足を運ぶ気になれなかったんだけど、このUSTを見たことでいくらか音楽と地震の悪い結びつきに対して記憶を上書きすることができた気がする。その意味でも、今回のUSTREAM生中継には本当に感謝している。

June 17, 2011

METライブビューイング「ワルキューレ」

METライブビューイングで「ワルキューレ」。シーズン最後に5時間14分(休憩2回込み)の大作。ロベール・ルパージュ演出、指揮はジェイムズ・レヴァインが復帰。もうこれはなんといったらいいのか、圧倒されっぱなしの5時間だった。音楽的にも役柄的にもほぼ納得のいく「ワルキューレ」がありうるとは。視覚的に全員ムリがない。ジークムント役のヨナス・カウフマン最強。美声で朗々と歌い、しかもカッコいい。ヨダレ垂らしているのがはっきり見えるのも高解像度のMETライブビューイングならではの楽しみ(笑)。
●ヴォータンのブリン・ターフェルは超然とした神というより、悩める父親。リリカルで心地よい。ジークリンデのエヴァ=マリア・ヴェストブルック、フンディングのハンス=ペーター・ケーニヒも好演。で、ブリュンヒルデはデボラ・ヴォイト。もはやブリュンヒルデですら巨体歌手が歌うことが許されない映像時代なのか、かつてとは違ってデボラ・ヴォイトもほっそりしている……いや、ほっそりは言いすぎか、でも巨体ではない。しかもワルキューレ8人組もみんなスマートで「ホヨトホー」って歌いながら天駆けておかしくない感じ。なんと、デボラ・ヴォイトのブリュンヒルデがヴォータンにすがる場面で、彼女が「女子」に見えた。音楽の力って偉大だ……。これは神話だから見る人が無限に意味を読み取れるわけだけど、やはり「ワルキューレ」はまず父と娘の物語、家族のもとを離れる話で、まさに感動大作、いや勘当大作。……。
●歌手陣を気迫で上回ったのがレヴァイン指揮のオケ。METのオケはいつもうまくて憧れるんだけど、普段は超人優等生的で澄ました感じなのに、レヴァインに煽られて熱い演奏になってた。ワーグナーってホントにスゴい。聴いているときはこの世でこれほどのまでの高みに達した音楽芸術がほかにあるんだろうか、もはや人智の及ばぬ域、ってくらいに感動する(そして聴き終わると、なぜかもう家で聴こうとは思わなくなる……)。
●しかし演出は音楽ほど雄弁だったかどうか。METらしく、衣装もいかにもそれらしい武器や防具を装備しているわけだけど、ファンタジー世界をリアリズムで描写すると生じる滑稽さが、心の内奥に迫るドラマを描くにあたって妨げになることもあると思う。涙する場面で、ブリュンヒルデの装備を見て「くすっ」としてしまうといったような。ハイテクで制御する装置も「ワルキューレの騎行」の場面以外は、あまり有効には感じなかった。でも、それを含めても、全体としてはこれまでに見たMETライブビューイングでも一、ニを争うような感動的な舞台だった。
●このキャストって、声楽的にも視覚的にも役柄を満たすっていうMETならではというか、映像化時代ゆえの稀有なものじゃないっすか。これは嬉しいです。前にも書いたけど、ワタシはオペラは観たままに解することで、オペラ的約束事から自由になろうキャンペーン実施中なので(笑)。つまり、巨体の人が歌ってるのを見て、「あれは本当はほっそりした美少女なんだ」と理解するのを止めることにした。そうではなく、それは本当に巨体の少女なのだ、と理解すると、いろいろなことが納得できる。たとえば、「サロメ」のヨカナーン役。以前METライブビューイングの「サロメ」でヨカナーンをウーシタロが歌っていた。地下牢からするすると幽閉されていたヨカナーンが姿を現すと……なんと、ヨカナーンは巨体だった! これを見て、ウーシタロは巨漢だが、本当は痩身の預言者なのだ、などと思ったらドラマが滑稽に見えてしまう。だから、これは演出的意図なのだと解釈すればよい。巨体とは富や権力のメタファーである。「サロメ」という物語において、真の権力者とはヨカナーンである、ということをこの演出は言ってるのだ(言ってないけど)。
●同様の例に、以前、ある劇場で見た「フィデリオ」では、牢から出てきた囚人たちの合唱団員が、みな恰幅がよかった。えっ、どんなご馳走食べてるの、この人たちは、ぷっ。とか笑ったらオペラがつまらなくなる。だから見たままに理解するのだ。あの恰幅のよさは飽食や欲望の充足を表現している。つまり、彼らは牢に捕らえられた政治犯のようでいて、実は放埓な生活を送っているのであり、権力の構図を逆転させることで、「フィデリオ」の役柄において善と悪とは本当は一面的なものではなく、正反対の見方もできるのだ、と演出が主張しているのだ(してないけど)。
●METの「ワルキューレ」はそういった観客側の解釈をほとんど要求しない。見たままに泣ける神話だ。それで不足はない。

June 14, 2011

フェスタ サマーミューザ KAWASAKI 2011 開催へ。詳細発表!

●「フェスタ サマーミューザ KAWASAKI」が今年も開催される。期間は7/27~8/14。例年、首都圏の各オーケストラをミューザ川崎に招いている同音楽祭だが、今年は震災の影響でミューザ川崎が使えない。で、今年はムリかもと恐れていたのだが、川崎市内の複数のホールを併用して開催することになった。
●スケジュールを見ると一見例年と変わらないような印象を受けるが、公演ごとに会場が異なるので注意が必要だ(それぞれ最寄り駅も違う)。プロオケの公演に関しては、主に「テアトロ・ジーリオ・ショウワ」(新百合ヶ丘)が用いられ、その次に「サンピアンかわさき」(川崎)、一公演のみ「エポックなかはら」(武蔵中原)が使われる。その他の会場も含めて全体として未知の会場が多いんだが、これを機会に行ったところのない場所で聴くということをポジティブに楽しむのもいいかもしれない。しかしミューザ川崎以外に、これだけの会場が川崎市内に見つかったというのがスゴい。
●ミューザ川崎はシンフォニーホールが使えないわけだが、じゃあミューザではなにも催されないのかというとそうではなく、音楽工房内で「楽器体験コーナー」、市民交流室で「0歳からのミニコンサート」といったファミリーで楽しめるイベントが開かれる。「こどもフェスタ ミニ」参照。

June 11, 2011

パシフィカ・クァルテット「ベートーヴェン・マラソン」

●サントリーホール小(ブルーローズ)でパシフィカ・クァルテットの「ベートーヴェン・マラソン」第1回。なんと、金土日の3日間5公演(!)でベートーヴェン弦楽四重奏曲全部を演奏するという企画。10日(金)は第3番ニ長調op18-3、第11番ヘ短調op95「セリオーソ」、休憩を挟んで第6番変ロ長調op18-6、第16番ヘ長調op135という盛りだくさんなプログラム。
●で、パシフィカ・クァルテット。猛烈に巧い。高解像度ハイテク機器みたいな最強に明晰なベートーヴェン。「セリオーソ」なんて、弦楽四重奏ってこんなにすさまじい音が出るんだと思った。コントラストが鮮やかでメーターの針が左端にも右端にも振り切れるみたいな印象。いちばんおもしろいと思ったのは第6番かなあ。終楽章の冒頭、初期作品とは思えないような思わせぶりで内省的なアダージョではじまって、これをたっぷりと聴かせたあとで登場するアレグレットの民謡風主題のカッコ悪さ。なんという落差。これは……やっぱり笑うところなのか? ベートーヴェンすごすぎる。あとはもちろん第16番も本当に感動的な音楽だった。4曲もあるプログラムなのに、あっさりと第16番で終わるのが惜しい気分になったくらい。ワタシはこの一晩だけなんけど、これから土日に4公演もあるのでオススメ。14番とか12番とか13番とか、きっといいだろうなあ。

June 7, 2011

ベルリン・フィル来日公演2011

●11月のベルリン・フィル来日公演公式サイトが公開されている。TDKオーケストラコンサート2011と銘打たれており、結局サントリーホールで3公演が開かれることになった(当初オーケストラのサイトではサントリー2公演+ミューザ川崎となっていた)。演目はオーケストラ側の発表通り、プログラム1がマーラーの交響曲第9番、プログラム2がシュテファン・ドールのソロによる細川俊夫のホルン協奏曲「モーメント・オブ・ブロッサミング」(表記は「開花の時」にしないの?)とブルックナーの交響曲第9番他。指揮はもちろんサイモン・ラトル。
●それにしても同じホールでマーラー9番が2公演とは。どうせならプログラム3があってもいいんじゃないかという気もするが、中国・韓国を含むアジア・ツアー全体を2プログラムで乗り切るようだ。ツアー直前、ベルリンでもマーラー9番が演奏されるので(ただしこちらはラッヘンマンが1曲加わっている。DCHで中継あり)、オーケストラは11月の一ヶ月間、ずっとこの2つのプログラムを繰り返し演奏することになる。
●チケットは、2011年7月16日(土)発売とまだしばらく先。

June 5, 2011

ホロデンコ、ガヴリリュク、デミジェンコの3日間

●3晩続けて東欧出身ピアニストを聴いた。ホロデンコ、ガヴリリュク、デミジェンコ。
●2日(木)は浜離宮朝日ホールでヴァディム・ホロデンコのリサイタル。第4回仙台国際音楽コンクール優勝記念演奏会。1986年ウクライナ出身。華々しいコンクール歴そのものには特に惹かれないんだけど、演目が良かったので。前半はメトネル2作、後半はプロコフィエフ「束の間の幻影」とピアノ・ソナタ第5番op38。バリバリ弾いて、弾けすぎて笑う。弾いているときの集中度と、鍵盤を離れたときの飄然とした様子に激しくギャップがあるのが萌え要素。かも。偉才。
●3日(金)はアシュケナージ指揮N響定期へ。後半のシベリウス/交響詩「大洋の女神」と交響曲第7番という枯れた演目もいいんだが、聴きものは前半のプロコフィエフ/ピアノ協奏曲第2番。この曲、大好き。で、独奏はアレクサンダー・ガヴリリュク。NHKホールの広大な空間を相手に必死に格闘し、制圧した。刺々しいモダニズムもグロテスクな通俗性も拡散して希釈化されそうなこの場所で、3階自由席のお客まで(たぶん)ひきつけたのは大したもの。第1楽章の長大なカデンツァで客席が静まり返っていた、あまりここのお客さんに人気のある曲とは思えないにもかかわらず。1984年、ウクライナ生まれ。「ガヴリ」って強そうすよね、「ガブリ」じゃなくて「ガヴリ」。ガヴリ寄り!みたいな強さ(はあ?)。
●4日(土)は、すみだトリフォニーホールでニコライ・デミジェンコのリサイタル。こちらはロシア出身のベテラン。前半にシューマンの「ウィーンの謝肉祭の道化」と「謝肉祭」、後半にリストの「小鳥に説教するアッシジの聖フランチェスコ」とピアノ・ソナタ ロ短調。リストのソナタが圧巻。美しい響きで楽器をよく鳴らしながら、大きな流れを作り出してゆく。カタルシスあり。ワタシは行けないんだけど、本日5日は新日フィルとショパン1番&ラフマニノフ2番の協奏曲がある。これも好演になるのでは。ていうか、2日間でこんなに弾きまくるのか!

June 3, 2011

METライブビューイング「イル・トロヴァトーレ」

METライブビューイングで「イル・トロヴァトーレ」。いま本物のMETが来日しているわけだが、でも映画館で見るMET。「イル・トロヴァトーレ」ってとことんイタリア・オペラっすよね。愛、憎しみ、嫉妬、復讐。濃厚な感情表現超特盛り、「おいおい、どうしてそんなに早合点するの、もっと人の言うことを聞いたらどうよ?」みたいな疑問を数万光年の彼方に置き去りにして展開される最強に熱い人間ドラマ。で、音楽がとにかくスゴいじゃないすか。たった一作のオペラにこれでもかというくらい名曲がぎっしり詰まっていて、作曲家の創作意欲があふれ出てくるのが伝わってくる。これぞ名作。
●「イル・トロヴァトーレ」って、ミステリーなんすよね。殺人があって、犯人があって、死体があって(回想的にだけど)、しかも最後の一行(←比喩)でどんでん返しというか、オチがある。なにしろ「このミステリーがすごい1853」の第一位だし(ウソ)。
●とはいえ、このオチって本当にどうにかしたいところでもあって、反復して鑑賞される古典のオチとしてはスマートさに欠ける。こんな「最後の一行」を歌わされるアズチェーナ役(ドローラ・ザジック)には同情するしかないんだが、しかしその筋立ての弱さを超越してたのがザジックの歌唱と演技。圧巻。
●幕間インタビューでも「イル・トロヴァトーレは筋が複雑で……」って話してたけど、複雑っていうより台本が悪いと思う。このオペラのあらすじってどれを読んでも「えっ?」ていう疑問が残る。アズチェーナは誘拐した伯爵の子供を焼き殺そうとして、まちがえて自分の子を火にくべちゃったわけでしょ。そんなふざけたまちがいを登場人物にさせていいのか、しかもそれが回想でのみ述べられる物語作法ってどうなのよ。で、最後に真相を告白した瞬間、間髪いれずに伯爵がそんな荒唐無稽な真実を受け入れて苦悩するって、おいおい、この人には猜疑心ってものがないのか、だいたい自分の血を分けた兄弟に気づかないのもどうなのか。それに比べるとレオノーラの愛とか献身なんてもうどうでもいいって言うか、えっ、死ぬの、毒飲んだの、どうせマンリーコ死んじゃうのにそれ犬死だよっ! もうツッコミどころが多すぎて忙しすぎる!……とオペラの醍醐味を満喫。やっぱりこれくらいすっ飛んでないと。
●マルセロ・アルヴァレス、ソンドラ・ラドヴァノフスキー、ディミトリ・ホヴォロストフスキー、ドローラ・ザジック。指揮はアルミリアート。
●あの……やっぱりアズチェーナはまちがえてないと思うんすよ、子供を。まちがえるわけがない。マンリーコはあくまで実子だと仮定して、この物語を解釈するのが真のオチでは?

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