News: 2013年11月アーカイブ

November 28, 2013

バイエルン国立歌劇場が日本向けにR・シュトラウス「影のない女」を配信。12/2、19時より

●昨シーズンよりインターネットを通じた無料ライブ配信をスタートさせたバイエルン国立歌劇場だが、12/2(月)19時より日本向けにR・シュトラウスの「影のない女」(新演出)を配信してくれる。これは現地では前日12/1の18時から上演されるもので、演出はクリストフ・ワリコフスキ、指揮は音楽監督のキリル・ペトレンコ。歌手陣はヨハン・ボータ(皇帝)、アドリアンヌ・ピエチョンカ(皇后)、デボラ・ポラスキ(乳母)、ヴォルフガング・コッホ(バラック)、エレナ・パンクラトファ(バラックの妻)他。今シーズンより映像はフルHD画質となり、字幕はドイツ語、英語、なしの三択可。
●収録にあたっては4~6台のカメラを用い、ステージとピットに40本のマイクを設置するのだとか。今回は時差なしで楽しめるということなので、なんとか時間の都合をつけてアクセスしてみたいもの。配信は以下から。

BAYERISCHE STAATSOPER TV
http://www.staatsoper.de/tv-japan

また、日本公式facebookページはこちら。
https://www.facebook.com/staatsopertvjp


●以下に予告編を。どぞ。てか、サムネイルが白いブリーフ姿で、そいつは別に見たくないんだが(笑)。

November 27, 2013

「iTunes ではじめるクラシック音楽の愉しみ」 (ONTOMO MOOK)

iTunes ではじめるクラシック音楽の愉しみ●「レコード芸術」編による ONTOMO MOOK 「iTunes ではじめるクラシック音楽の愉しみ」が刊行された。え、「レコ芸」で音楽配信のムック?と思われる方もいらっしゃるかもしれないが、これは同誌連載の「クラシック版 インターネット配信音源ガイド」をもとに加筆・再編集された一冊。執筆者はおなじみ、満津岡信育さん、相場ひろさん他。こうして一冊にまとまるとその情報量に圧倒される。単なるハウトゥーではない「レコ芸」ならではのマニアックな切り口で、未知の音源との出会いを約束してくれる。
●今やダウンロードでしか手に入らない高音質音源もあれば、フィジカルで廃盤のディスクがストリーミングで簡単に聴けることも珍しくない時代。「レコ芸」が音楽配信に力を入れたってなんの不思議もない。というか、ニッチだからこそ「レコ芸」でしかMOOK化できないともいえる。
●で、このMOOKの最大の特徴は「レコ芸」的な視点で音楽配信の世界を眺めたらこう見えるんだよ、ってことを伝えてくれることだと思う。これは今のフツーの音楽配信ユーザー視点とはかなり異なる。たとえば、音源の録音データについて。「レコ芸」視点では録音データ命なので、音楽配信産業はあまりにも録音データに対して無関心というか、不備が多すぎる。だから、これは今後の課題だ、と認識される。でも配信側から見ると、録音データを適当にあしらって不要のものにするっていうのは、たぶん「成果」なんすよね。メタデータの取り扱いはなるべくカジュアルにして、そんなところに手数をかけるより配信できる音源をガンガン増やそうよ、ってやってきた。できればブックレットだってなくしたいと思ってるだろうし、事実ないことが多い。mp3のような不可逆圧縮のフォーマットについても同じことが言えるんじゃないかな。よりよい音質を求めていく立場と、音質にこだわらない大らかなカルチャーを目標にする立場と。
●配信で買ったデータには、詳細な録音データどころか、曲名や演奏家の情報も不十分だったりすることもままあるわけで、すでに「そんなのだれが気にするのよ?」的な確固たる業態ができあがっている感じ。コアな音楽ファンが「それじゃ困るんだよなー」と言い続ける意味はあるのか、ないのか……。

November 25, 2013

オペラシティでケラスのブリテン

●週末のJリーグの結果を受けて、浮き足立っている。まさか次節、「勝てば優勝」などという有利な状況になるとは。なにが難しいかって、もう優勝したも同然という錯覚から逃れるのが難しい。まだぜんぜんどうなるかわからないはずなのに。はずなのに。はずなのに……ウヒョヒョ。
●22日は東京オペラシティでジャン=ギアン・ケラス「無伴奏チェロリサイタル」ブリテン篇。前の週のバッハ篇は聴き逃したが、この日は「ベンジャミン・ブリテン生誕100年バースデー・コンサート」と銘打って、ブリテンの無伴奏チェロ組曲第1番~第3番、さらにはコダーイの無伴奏チェロ・ソナタまで演奏されるというプログラム。しかし、オペラシティのコンサートホールで無伴奏チェロのリサイタルを2公演も開けるアーティストってスゴくないすか。聞いたところではバッハのほうは大盛況だったそうだし、ブリテンはさすがに後方席は空いていたけど、それでも前方はしっかり入っていて中ホールだったら問題なく埋まりそうなわけで、驚愕。終演後のサイン会にも長い列。
ケラスのブリテン●ブリテン作品はオペラ作曲家として成功した後に書かれた限られた器楽曲として貴重。バッハの先例にならって当初は全6曲を構想していたが、結局3曲のみが書かれたのだとか。組曲を構成するのは「カント」と題された歌の楽章だったり、ブリテン流のフーガやパッサカリア、シャコンヌ、舟歌、行進曲などなど。舞台でぽつんと一人座ったケラスから発せられる朗々たる響きがホールの広大な空間を満たす。最後の第3番、重苦しいパッサカリアから組曲の素材となったロシアの民謡風主題群があらわれてくるところは感動的。荒涼として暗晦な曲ではあると思うんだけど、ケラスの演奏は流麗で、むしろ抒情性が際立っていた。日本語の「どうもありがとうございました」の挨拶に続いて、アンコールにデュティユー「ザッハーの名による3つのストローフ」第1曲。

November 22, 2013

ソヒエフ&N響のチャイコフスキー5、プロコフィエフ5

●21日はソヒエフ&N響(サントリーホール)で、リャードフの交響詩「魔の湖」、ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第2番(諏訪内晶子)、 チャイコフスキーの交響曲第5番というプログラム。前半と後半の落差がすさまじいが、ショスタコーヴィチでもチャイコフスキーでもふくよかなホルンのソロ(福川さん)にほっと一息つけるのが共通項か。ショスタコは暗鬱で晦渋、しかし終楽章はズッコケギャグみたいな変態性全開で怪しすぎる。ソロは鮮やか。チャイコフスキーは骨太で精悍、一丸となって白熱した。異様な来日オケ・ラッシュが続く東京、チャイコフスキーの5番はこの数日間でヤンソンス&コンセルトヘボウ、ネルソンス&バーミンガム市交響楽団も取りあげていて、一時的にチャイ5密度が猛烈に高まっている。なぜこんなに重なるのかと思うけど、その答えはおそらくきっと偶然がすべて。
●15日にもNHKホールで同コンビの公演があって、より印象に残ったのはこちらのほう。ベレゾフスキー得意のラフマニノフのピアノ協奏曲第2番に続いて、プロコフィエフの交響曲第5番。精緻なんだけど音楽のスケールは巨大。ソヒエフの背中からもオーラが発せられていて、並はずれた統率力が伝わってくる。ベレゾフスキーとはベルリン・フィルの定期に2度目に登場したときにも共演してたっけ。1977年生まれ、36歳だけど、まだ若いっていう感じがぜんぜんしない。

November 21, 2013

サイモン・ラトル&ベルリン・フィル@ミューザ川崎

●ベルギーvsニッポン代表は、完全アウェイで中二日と相手より休養の少ないニッポンが完勝。2-3。パス回しもスムーズかつ効率的で、スペクタクルなゲームだった。いつの間にかベルギーはW杯トップシードの強豪になってたんすよね。完全に史上最強の代表(オランダ戦でも感じたけど)。代表についてはまた改めるとして。
ベルリン・フィル●ラトル指揮ベルリン・フィルを20日、ミューザ川崎で。オーケストラの機能性という面では銀河系最強の緻密なアンサンブル。聴いたことのないようなサウンドをたっぷり浴びた。シューマンの交響曲第1番「春」、プロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第1番(樫本大進)、ストラヴィンスキーの「春の祭典」という微妙に大盛り感のあるプログラムも大吉。シューマンは小ぶりの編成で(12型?)ヴァイオリンは対向配置。恐るべき高解像度でまさに室内楽の延長。どのパートをとっても聴き惚れるくらいいい音が鳴っている。後半からは通常の弦楽器の配置で、ソリストとオケが完全に一体となった洗練されたプロコフィエフを披露。第1楽章の終盤、弦楽器のウルトラpppに鳥肌。
●「春の祭典」ではミューザの広い舞台に五管編成のベルリン・フィルがどーんと陣取って壮観。フルートはブラウ、オーボエはマイヤー、クラリネットはオッテンザマー、冒頭からゆっくりしたテンポで自在なソロを聴かせたファゴットは……だれだっけ?、エスクラにザイファルト、コールアングレにヴォレンヴェーバー、ホルンはドール(後半から。前半はどなた?)、コンサートマスターはスタブラヴァ、トランペットにタルケヴィ、ヴァレンツァイ、ティンパニにヴェルツェル……すげえ、みんなベルリン・フィルのメンバーだ(とか感じるのもDCHのおかげか)。そして、さっきソロを弾いたばかりの樫本大進が袖からツツツッとあらわれて、第1ヴァイオリンの最後列に座った。
●巧緻を極めた未体験ゾーンの「ハルサイ」。鮮烈なダイナミズムのなかにも余裕を感じさせる。作曲者が想像もしなかったであろう精密機械みたいな「ハルサイ」で、演奏行為が再創造であることを痛感する。あ、第2部イントロダクションの弱音器つきトランペットがありえないくらいの超弱音っていう趣向は、サロネン&フィルハーモニアでもハーディング&新日フィルでもあったっけ。
●アンコールなし、もちろん一般参賀あり。一人あらわれたラトルが一言、日本語で「ありがとうございました」と述べた後、「ミューザは世界最高のホール」と讃えてくれた。

November 20, 2013

METライブビューイング ショスタコーヴィチ「鼻」


●METライブビューイング、今シーズンの第2作はショスタコーヴィチの「鼻」。これは見逃せないだろうということで、山のようにコンサートが開かれている中、映画館へ(18日、東劇)。ウィリアム・ケントリッジ演出。映像やアニメーションをふんだんに活用して、舞台は徹底して作りこまれている。伝統的な「オペラ」というジャンルが持つ気恥ずかしさから100%解放された、一分の隙もないクールな舞台が展開する、上記映像クリップのように。指揮はパヴェル・スメルコフ、主役のコワリョフにパウロ・ジョット。
●「鼻」はショスタコーヴィチが1928年に完成させた作品。ということは、作曲者はまだ22歳の若者。プラウダ批判もずっと先の話、モダニストはのびのびと羽を広げる。原作はゴーゴリの短編小説「鼻」。で、このオペラをどう解するか。演出によりけりではあるけど、ワタシの分類ではスラプスティック、ドタバタギャグかな。ケントリッジ演出は小洒落ているが、ある意味ストレートで、作曲家とともに原作のナンセンスぶりを忠実に伝えてくれている。
●ロシア語では「鼻が高い」っていう表現はあるのかなあ?……ないか。でも、これってそういう話っすよね。主人公のコワリョフは小役人気質の塊みたいな俗物で、「八等官」という地位を鼻にかけている(おっと、この表現はロシア語ではどうなのかな?)。ところが、ふと気づくと鼻がない。床屋で鼻が取れてしまったんである。鼻は主から離れ、勝手に紳士としてふるまって、五等官の位を装っている! 鼻に向かって「あなた、わたしの鼻じゃありませんか」と丁重に尋ねると、鼻は「は? おたく、どちら様で?」とかつての主を鼻であしらう……。形ばかりのものにこだわって自尊心を膨れあがらせる俗悪な小役人を笑い飛ばしてやろうという痛烈な風刺になっている。
●音楽面では第3幕かな(休憩なしで通して演奏される)、コワリョフとポトーチナ夫人との手紙のやりとりの部分とか、オペラならではのコミカルさがあって楽しい。終盤、「こんな話、さっぱりわからない。作者はどうかしてるね。こんなの書いても国家の利益にならないよー」みたいなことを登場人物に素っ頓狂に(←死語)歌わせる楽屋オチみたいな場面があるけど、あれはゴーゴリの原作にそのままあるんすよね。狂人大集合みたいな雰囲気が強すぎて、笑えないギャグが並んでいる感もあり。てか、ぜんぜん笑えない。いや、「ふふっ」て鼻で笑ったかな。

November 19, 2013

ヤンソンス&ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の「英雄の生涯」

ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団125周年●17日はミューザ川崎でマリス・ヤンソンス指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団。ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番(エマニュエル・アックス)、R・シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」というプログラム。最初のベートーヴェンから分解能の高いサウンドに驚愕。こんなにクリアに整理整頓されてて、澄明で、しかも豊潤な音がありうるとは。大編成の「英雄の生涯」はさらに強烈で、機能性をとことん高めた、ストーリーテリングの巧みな英雄譚。楽しすぎる。オーケストラってこんな音が出せるんだという素朴なレベルで圧倒されてしまった。この曲、十分にいい演奏をこれまでに聴いているつもりだったけど、すべての記憶を上書きしてしまう壮麗さ。ここを最強オケとして挙げる人の気持ちがわかる。
●ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団は125周年ということで、一年間の間に欧州、南北アメリカ、アジア、アフリカ、オーストラリアを巡るワールドツアーを敢行している(→Travel Plan)。この秋のツアーはその掉尾を飾るもので、ロシア→中国→日本→オーストラリアと移動中。タフ。で、この後、12月1日までオーストラリアで9公演ほどが開かれることになっていて、「英雄の生涯」プロとチャイコフスキーの5番プロがずっと交互に続く。いったい彼らは何回「英雄の生涯」を弾いているんすかね。なのに、自分が聴いた1回は「特別な1回」であるとしか思えないという幸福。お客さんはみなそれぞれの土地でそう感じているにちがいない。

November 12, 2013

サンティ&N響のヴェルディ「シモン・ボッカネグラ」演奏会形式

●10日はNHKホールでネッロ・サンティ指揮のN響。ヴェルディのオペラ「シモン・ボッカネグラ」を演奏会形式で上演(字幕付き)。舞台いっぱいに陣取ったオーケストラが豪快に鳴り響く演奏会形式ならではの愉楽。歌手陣はこのコンビではおなじみアドリアーナ・マルフィージ(マリア/アメーリア)、パオロ・ルメッツ(シモン)他。印象に残ったのはサンドロ・パーク(ガブリエレ)。一人だけ声がよく伸びて、若々しい。風貌と役柄にギャップはあるけど、演奏会形式だから無問題。主役はオーケストラか。
ジュゼッペ・ヴェルディ●しかし、「シモン・ボッカネグラ」って本当に物語の筋がわかりにくい。そこはオペラの前史となる部分への理解が足りないからでもあるんだけど、それを考慮したとしても作劇的に納得のいかないところだらけ。でも、音楽の説得力は半端じゃなくて、ヴェルディのオペラのなかでもとりわけみずみずしい抒情性にあふれている。
●えっと、質問していいっすか? プロローグでいきなりシモンの恋人マリアの死が伝えられるわけだけど、マリアってどうして死んだの? そして、そこがいちばん知りたいはずなのに、なぜシモンはそれを問わないわけ? 考えられうる合理的な理由としては、死の原因が明白すぎてだれも口にしないということだと思うんだけど……。ずっとワタシはそれが引っかかっているんだが、みんなどう理解しているんすかね。
●あと、これを言っちゃあおしまいかもしれないが、展開上「なぜ、そこにその登場人物が(都合よく)あらわれるのか」という根本的な問題があって、もちろんそれは「たまたま」で片づけてもいいわけだけど、一作品中の「たまたま」には制限回数があるべきじゃないだろか。
●それと最後に悲劇を生んだのは、アメーリアとシモンの秘められた親子の愛が、邪なものと誤解されたためであるが、これってアメーリアの責任は重大だと思う。あの、「ほう・れん・そう」が大事だっていうじゃないすか。ちゃんと関係各所に「実はシモンと私は本当は親子なんです、でもそれは今は公表できないから内緒にしておいてね」って伝達するとか、せめてガブリエレだけにでもわかっておいてもらうとか、そういうコミュニケーションを怠りすぎ。みんな、まるで悲劇を待ち構えているように、事の運びが拙い。
●いや、違うか。悲劇を待ち構えているんすよね。だって悲劇にならないと、話がすぐ終わっちゃうし。オペラの登場人物たちが誤解されたり余計な恨みを買ったりしないように、みんなそろって慎重に、コミュニケーションを密にして生きていたら、ドラマはいつになっても生まれない。「報告しない」「連絡しない」「相談しない」。オペラのなかで生きるなら、この大胆さが肝要。

November 11, 2013

ティーレマン&ウィーン・フィルのベートーヴェン1、2、3

ウィーン・フィル●8日はサントリーホールでティーレマン&ウィーン・フィルのベートーヴェン・シリーズ。交響曲第1番から第9番まで順に演奏するということで、初日は第1番、第2番、第3番「英雄」。この日だけ3曲演奏して、4日間で9曲演奏する。こうして並ぶと第1番から第3番に向かう規模の拡大がよく伝わってくる。そしてウィーン・フィルの響きはやはりとても美しい。ビバ、ローカリズム。ほかのどこにもない唯一のサウンド。
●往年の大巨匠たちの系譜を継ぐような堂々たるベートーヴェンで、今聴くと少し不思議な気分にとらわれる。そういえば、ベートーヴェンはこんなだったっけ……。筆圧の強いティーレマンのタッチはしっかり刻印されているが、予想したほど強引なテンポの変化などはない。特に「英雄」の豪壮さ、雄渾さには息をのむ。第1楽章終結部のトランペットの「消える主題」は消えることなく力強く飛翔する。
●ウィーン・フィル伝統の豊麗なサウンドでこれだけ立派な演奏を聴くと「昔ながらの本格派ベートーヴェン」とつい思ってしまうんだけど、ウィーン・フィルだって20世紀前半のどこかの時点まではガット弦でノン・ヴィブラートで演奏してたんだろうし、「昔ながら」の「昔」が本当にベートーヴェン時代まで遡ってしまうとぜんぜん非ウィーン・フィル的な演奏にたどり着くだろうから、「昔」という概念は難しい。古いが新しくて、新しいが古い?
●アンコールなし、一般参賀あり。指揮台からブワッ!と前のめりで客席の喝采にこたえるティーレマン。スゴい迫力。

November 8, 2013

サントリーホールスペシャルステージ2013 内田光子リサイタル

内田光子/シューマン・アルバム●7日、サントリーホールでの内田光子リサイタルへ。バッハ「平均律」第2巻の第1番ハ長調&第14番嬰ヘ短調、シェーンベルク「6つの小さなピアノ曲」作品19、シューマン「森の情景」、休憩をはさんでシューマンのピアノ・ソナタ第2番と「暁の歌」というプログラム。中心となるシューマンの3曲はいずれも最近DECCAからリリースされたアルバムの収録曲。シューマンの豊潤で孤独な詩情が前のシェーンベルクにまで浸みだしていた。いや、バッハにも。すべてにおいて圧倒的な完成度。歌にあふれていた。
●シェーンベルクの作品19は彼のピアノ曲のなかでいちばん実演で耳にする機会の多い曲かも。聴衆への無調音楽イントロダクションみたいな? この曲の第2曲は、後半のシューマンのピアノ・ソナタ第2番第2楽章に呼応しているんだと思う。ソナタ第2番、本当に傑作っすよね。熱いマグマの噴流みたいな曲でシューマンの鬱屈した情熱が最大限に発揮されている。若者の葛藤が実体化したような作品が、大人の音楽に成熟していた。
●長いモノローグのような「暁の歌」でプログラムを終えて、アンコールになんとベートーヴェン「月光」第1楽章。暁の空にひそやかに輝く月。

November 6, 2013

パーヴォ・ヤルヴィ&パリ管弦楽団のサン=サーンス

●19日はサントリーホールでパーヴォ・ヤルヴィ&パリ管弦楽団。前回の来日で聴き逃してしまったので、ようやくこのコンビの実演に。久々に異国のオケを聴いたなあという満足感。いや、オケの来日公演はいくつも聴いてるはずだけど、際立って異質なサウンドを耳にしたという意味で。まろやかで明るい響きがひたすら美しい。管はもちろんのこと、弦もこんなに柔らかくて色彩的なサウンドを持っていたとは。
サン=サーンス●で、前半シベリウス「カレリア」、リストのピアノ協奏曲第2番(ヌーブルジェ)、後半サン=サーンスの「オルガン付き」。せっかくこのコンビを招いて「オルガン付き」とは少しもったいないような?と思っていたんだけど、これは大まちがい。今まで聴いてきた「オルガン付き」はなんだったのというくらいの鳥肌ポイント満載のサン=サーンス。これまで抱いていた、「苦悩から勝利へ」というベートーヴェン的なドラマをサン=サーンス流に換骨奪胎したカッコいいキッチュ、過剰な華麗さが生み出す眩暈感といった作品観を覆されるような繊細な「オルガン付き」で、いつもは雑然と豪壮に鳴り響くばかりに思えたオルガンが、とても崇高に聞こえてくる。力ずくではない、最後のクライマックスの壮麗さに唖然。
●アンコールはビゼーの「子どもの遊び」ギャロップ、ベルリオーズ「ラコッツィ行進曲」、ビゼー「カルメン」前奏曲と大サービス(前半にヌーブルジェがラヴェル「クープランの墓」メヌエットをアンコール)。拍手が鳴りやまず、最後はマエストロの一般参賀に。上手側から十人ほどの楽団員もいっしょに出てきて、舞台上で所在なげに立っていたのが軽くツボ。

November 5, 2013

連休にイザベル・ファウストのバッハ、井上静香リサイタル、大井浩明ベートーヴェン・シリーズ

●またしても三連休とは……。最近、三連休多いなあ(←今さら?)。そして今週はすさまじくコンサートが集中している。
●3日は彩の国さいたま芸術劇場音楽ホールでイザベル・ファウストのバッハ無伴奏ヴァイオリン作品全曲演奏会へ。最強に強まる埼京線で行ってみれば案外近い与野本町。同一日2公演方式で、15時半から第1部でソナタ第1番、パルティータ第1番、ソナタ第2番。約70分ほどの間隔を空けて、18時からパルティータ第3番、ソナタ第3番、パルティータ第2番。タフなプログラム。ほぼノン・ヴィブラートだが輝かしくて力強い音色。雄弁で表現は多彩。鋭く強靭な音も弱音も美しく制御されている。第1部はこちらの不調で集中できなかったんだけど、第2部は猛烈に満喫、濃密な無伴奏。長丁場らしく終盤はスリリングに。最後のシャコンヌの後、30秒近い長い沈黙が訪れて、大拍手スタオベ多数。楽譜を置いていて(ほとんど見てないと思うが)、曲によって4ページ分を貼りつけた?大きな一枚を置いていたのがおもしろかった。アンコールに「バッハも知っていたはず」というピセンデルの無伴奏ヴァイオリン・ソナタから。
●4日は昼に東京文化会館小ホールで、井上静香ヴァイオリン・リサイタル。ソロ、室内楽のほか、紀尾井シンフォニエッタ東京メンバーとして、またサイトウ・キネンや先日の東京春祭オケにも参加している井上さんだが、先日、FM PORTで私がナビゲーターを務める番組「クラシックホワイエ」にゲスト出演していただいたことでご縁ができた。ストラヴィンスキーの協奏的二重奏曲、ベートーヴェン「クロイツェル」などどれも見事だったけど、圧巻は佐藤眞の無伴奏ヴァイオリンのための幻想曲。作品と奏者の強い結びつきを感じさせる確信に満ちた演奏で、楽器というか、ホールの空間全体を豊かに鳴らし切っていた感。
●4日夜は大久保の淀橋教会で「大井浩明/ベートーヴェン:ピアノソナタ全32曲連続演奏会」第4回公演。ソナタ第12番「葬送」、第13番「幻想曲風ソナタ」、第14番「月光」、第15番「田園」と、趣向が凝らされた曲が続く。作曲年では1800年から01年。わずかこんな短期間でこれだけ書かれているとは。1800年は交響曲第1番が完成された年でもある。すさまじい創作力の爆発。そしてその熱波みたいなものが、フォルテピアノからギュンギュンと伝わってくる(楽器はヨハン・ロデウィク・ドゥルケン、1795年頃)。楽器の表現力を最大化することへの執念、そしてベートーヴェンがその後もずっと持ち続ける悪ノリ感というか、ガハハと笑う作曲家の姿が透けて見えるかのような奇抜さ、さらにアイディアのおもしろさを普遍のドラマに昇華してしまう非凡さをひしひしと感じる。特に「月光」。第1楽章のSenza Sordinoという困惑の指定が生み出す、輪郭のぼやけた朧月夜のような幻想的情景。たゆたうような第1楽章から、第2楽章の生々しい現実へと帰還する際の響きの極端な変化は衝撃的。第3楽章での情熱の噴出は楽想が楽器のスケールを超越することで表現される。だって、湧きあがる音の奔流に抗えずに、楽器が軋んで揺れるんすよ! モダンピアノだったらサムソンの怪力でも楽器はびくともしない。おまけにちょうどそこに外から救急車のサイレンが聞こえてきて、ここは大久保、連休最後の夜、作品を捧げられたジュリエッタ・グイチャルディ嬢のハートに緊急信号が明滅する様まで伝わってくる。
●アンコールには京都での同様企画で委嘱初演されたフォルテピアノのための新作から、小出稚子「ヒソップ」と川上統「閻魔斑猫」(エンマハンミョウって読む甲虫なんだとか)。ハーブと昆虫というともにフォルテピアノが喚起するイメージに由来する両作は、楽器に触発されてソナタを書いたであろうベートーヴェンの後に聴くにふさわしい。シリーズ次回は12月6日(金)に第16~18番、21番「ワルトシュタイン」。第17番「テンペスト」における嵐ってどんな音なんすかね。

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